元上司の卜部殿
そんなことを考えていたら日が暮れてきて、もうそろそろ帰ろうと資朝が門の外へ振り返ろうとした時、紫宸殿から小男が出てきた。
小男は資朝を見つけて、微妙に話しかけるには遠い間合いで立ち止まる。えらをさすって、首を斜めにした。しばしの沈黙の後、小男が口を開く。
「これはこれは資朝くんじゃないかぁ。宴には見えなかったようだね」
小男は資朝よりも年上に見えるが、その立ち居振る舞いから同程度の身分だと思えた。身なりも質素なものだ。まるで坊主にも見えたが、静覚とは真逆の清貧であった。
資朝は門の庇から出て小男の前に立つ。顔をよく見ると、なるほど見知った顔だ。
「お久しぶりです、卜部左兵衛佐兼好殿。この華やかな宴、私には息が詰まりそうで」
卜部殿は資朝の元上司だ。資朝のような侍従から出世して、現在は武衛将軍である。
「はは。資朝くんはそうだよねぇ。ああ、そうだ。昇殿おめでとう!」
資朝に笑みを向ける。ホーホケキョとうぐいすが鳴いた。
さすがの資朝もつられてフッと息が漏れる。なんでか卜部殿と話していると、ぽやぽやとしてしまうのだった。
「ありがとうございます。それから卜部殿が左兵衛佐になってから挨拶にいけず申し訳ありませんでした」
「良いんだよぉ。だって忙しかったんでしょう? 資朝くん、面倒な事務処理を一人でこなしているそうじゃないか」
「いえいえ。卜部殿のご指導あってのものです」
「資朝くんは物覚えが早いからねぇ。それに……、今はコッチの方も忙しいんでしょう?」
卜部殿は一拍置いてから小声で話した。親指を手に握り込んで。
「私は羅城門の鬼ではございませんよ!」
資朝は顔を赤くして抗議した。
「ははは、分かってるよ。うん、うん。で、こんなところで何を?」
急に話題をすり替えられて、資朝はぽろりとこぼす。
「東宮さまの命で、左近桜を盗んだ者がいないかと」
「左近桜を? とんでもない奴も居たもんだねぇ」
「そうなんです。東宮さまは慌てておりました。そうだ、卜部殿、貴殿の他に紫宸殿へ残っていた人はいませんか?」
「いや、私で最後だ」
……資朝は言葉に詰まった。
これまで静覚と美濃権守殿の二人が怪しかったが、実際に桜を盗んだかどうかの証言は得られていない。実は真犯人が最後まで隠れていやしないか期待していたのだが、どうやらその線はなくなったようだ。
「そうですか。ところで卜部殿は最後まで何を?」
えらをさする。しばし沈黙が流れた。なにか言いづらいことでもあるのだろうか?
「んー、人間観察?」
「人間観察、ですか?」
「そう言うと変な風に聞こえるかもしれないけどね、大事なんだよ。この京では情報がものを言う」
侍従から出世した卜部殿が言うのであればそうなのかもしれない。資朝は耳を傾けた。
「例えば、今日も西園寺家がひと悶着を起こしていたのは見たかい? 関東申次の失態でごたごたしてるって知ってる?」
関東申次とは幕府との調整を行う朝廷の役職で、西園寺家の世襲である。
「見ました。静覚がどうとか、六波羅探題へ引き渡すとか。大宮殿が引き連れておりましたよ」
「そう、大宮殿。でも、あの役は本来なら西園寺家当主で関東申次の美濃権守殿が取り仕切るものじゃないか? 大宮殿は次男坊だから」
「ああ、大宮殿は美濃権守殿の弟君でしたね」
美濃権守殿は自分を麻呂と呼ぶ不躾な人物だ。思い出すだけで嫌な気分になる。
対して大宮殿は気持ちの良い青年だ。まったく似ていない。もちろんそうは思っても口に出さない資朝だったが、顔には出ていたらしい。
「ねぇ、おかしいよねぇ? でも、美濃権守殿はあれじゃない。ちょっと、ね。前相国殿はそれを案じたのかも。あ、そうそう。覚えてるかい? 琵琶しか能のない今出川殿が右大将に叙位なされた時のこと……」
それから卜部殿は怒涛の勢いで話し続けた。
資朝は思い出した。この御方は噂好きな男だったと。




