坂の町
駅前から線路に沿って自転車を走らせる。宵が迫っていた時間帯ではあったが、夏の太陽はまだまだ執拗なほどに照りつけている。背中には汗が滲んでシャツが張り付いた。
頭をかがめながら高架下の歩行者用のトンネルをくぐると私の住んでいる町がある。私の家は坂の一番上にあった。道路は坂道を進むほどに細くなり、舗装の禿げた部分が坂道を上るのを邪魔した。暑さに耐えきれずに私は自転車を降りて手で押しながら上がっていった。共用の駐輪場に自転車を停めて私はさらに坂道を上っていく。アスファルトの舗装路が途切れて細い階段を通っていくとようやく我が家が見えてきた。白い壁に青い屋根瓦は遠くからでもよく目立った。
建付けの悪い引き戸を開けると母が夕飯を作って私を待っていた。その日の夕食は焼き肉と白飯だった。私の母は駅前の焼き肉店で働いていたので、まかないの肉が食卓に並ぶことも珍しくなかったのである。
私は市内の高校に通っている。きょうだいは自分のほかに兄が一人と姉が二人であった。兄姉はみな就職してすでに家を出ていた。父は私が幼いころに蒸発したというので、どんな人なのかほかの家族たちの話からしか知る術はなかった。そのため私は母との二人暮らしである。
何気なくテレビをつけると丁度、天気予報をやっていた。この辺りを大型の台風が襲来するそうだ。大雨は坂の町にとって厄介である。これまでに何度も濁流が坂の町を襲い、坂の下の家はその度に水浸しになっているからだ。
翌朝、私が学校へ行こうとすると母が声を掛けた。
「今日の夕方ごろから雨が降るらしいから、傘持っていきなさい。」と言って傘を手渡した。
確かに空気は昨日よりも若干湿っている。
「おはよう。台風が来るようね。」
そう声を掛けたのは、隣のおばさんであった。坂の町ではみな顔見知りである。顔を合わせれば挨拶を交わすし、町の中に見知らぬ人が来ればうわさ話になる。そういった結束力がこの旧い町にはあったのだ。
台風の前と言うのに坂の町はいつも通りであった。隣家の玄関先に出た洗濯機は今朝もせわしなく音を立てながら回っていたし、等高線上に並んだトタンの屋根は線路の方を向いて胡坐をかいている。駐輪場で自転車に乗って一気に坂を下った。高架に差し掛かって力一杯ブレーキを握ると錆びたチェーンが不気味な声を上げて叫んだ。何もかもいつも通りの朝のように思われた。
学校が終わって駅を出るとぽつりぽつりと小雨が降り始めた。しかしこれくらいの雨なら自転車を飛ばせばあまり濡れないだろう。私は傘もささずに颯爽と線路沿いの道を走った。さらに、昨日までの夏の暑さも幾分収まって心地よい温度であったので急いで家に帰ることができた。雨脚は家に着いた途端に強くなった。
雨は夜通し降り続き、翌朝には強風を伴うようになった。これから暴風域に入って天候はさらに悪化するようだ。母は私に暴風対策のテープを買ってくるように言いつけた。坂道を下ると高架のすぐそばの家ではすでに浸水が始まっていた。土嚢を積んだりして大忙しの様子である。子供の「こんなところに住むからじゃん。」といった声が耳に入った。それに対する男の怒号が聞こえてきたので、私は足早にその場を後にした。
私たちが日用品を買いに行くには駅前の商店まで来る必要があった。線路沿いの道を急ぎ足で歩いたが、私はさっきの子供の声が頭から離れなかった。そしていつかの兄の言動を思い返していた。
私が居間で本を読んでいると、兄がものすごい形相で家に入って来た。私の家は玄関を上がると直ぐに居間に通じている。力を込めて玄関の戸を開けたのでその衝撃は居間の卓袱台をがたつかせた。
兄は高校の通学鞄を部屋の壁に投げつけるとこう怒鳴った。
「なんでこんな家に生まれちまったんだ。」
母はその予想外の言葉に夕食を作る手を止めた。母は何も言い返さなかった。長姉が兄の怒りの理由を訊ねた。そうすると兄はしぶしぶ口を開いた。
「友達との会話でよくどこに住んでるかの話題になるだろう。今日もそんな話題になったんだが、俺は正直に最寄りの駅名を答えたんだ。するとその友達が『ああ、あのタルトンネがあるところね。』と言いやがったんだ。」
兄の口から出た、耳慣れない〈タルトンネ〉という言葉の響きに私は魅力すら感じたが、時とともにその真意を理解すると〈タルトンネ〉の闇深さを知ることになる。
「俺は正直、タルトンネという言葉にとても腹が立ったんだ。でもここで怒るとこの場所に住んでることがばれると思って、アイツの言葉に適当に相槌を打っていたんだ。するとアイツはここの住民たちの根も葉もないような悪口を飄々と並べ始めたんだ。」
姉二人も母も黙って兄の話を聞いていた。しかしこの時の彼女らの目の奥には静かに燃える炎が確かに見えた。
「それでその悪口ってのがひどくて、そこら辺の犬を捕まえて食べるとか住民は全員が外人だとか言いやがったんだよ。それに加えてほかの奴等も面白おかしく茶化し始めたんだ。俺はもう本当に悔しくて腹立たしくてその場にいられない気持ちになったんだ…」
兄は目に一杯の涙を湛えていた。
「俺たちは犬を食べないし、外人じゃないよな…?」
やや長い沈黙があってから母はこくりとと頷いた。そして姉たちは何も言わず兄の骨ばった背中をいつまでもさすっていた。
私が日用品店に到着すると横殴りの雨がアスファルトを打ち付けていた。私が店内に入ると店主はもう店じまいの準備に取り掛かっていた。
店主は「こんな日にお遣いとは大変だね。」そう言って、防風用のテープに加えて長靴とレインコートを貸してくれた。
店を出ると雨はさらに強くなっており、借りたレインコートは風によって何度も翻って、服はびしょびしょに濡れてしまった。高架下にたどり着いたが、そこには大きな水溜りができていた。仕方なく私は自動車用の道を通って迂回することに決めた。高架下の卵型のトンネルを通って家に続く長い道を上ると雨水が鱗のように坂道を流れ落ちてきた。それに伴って小石がいくつも転がって来て歩行を妨げた。トタン屋根を大粒の雨滴が激しく打ち付けてけたたましい音を立てた。レインコートのフードは何度もめくれて、長靴の中にも水が入り始めた。
やっとの思いで家に入ると母が私の帰りを心配して待っていた。かたかたと鳴る窓に気が付いて、私は急いでテープを窓ガラスに貼り付けた。
その時、低い音とともに床が揺れるのを感じた。いや、正確にはその下の地面が振動していたのだ。そして凄まじい轟音とともに木が折れる音がして、部屋の壁が歪みだしたのである。私と母は思わず身を伏せた。しかし、土砂が私たちに覆いかぶさって視界は途端に真っ暗になった。
幸い私たちを含めてがけ崩れに巻き込まれた坂の町の住人たちは翌日までに瓦礫の中から救助された。そして、かつての我が家は住むことができなくなってしまったので、私たちは近くの公営住宅に引っ越すことになった。
新たな暮らしにはすぐに慣れた。私たちが入居した住宅には様々な人物が住んでいた。そこには地方からの転入者や、私たちのように町からはじき出された者たちばかりであった。そこには坂の町のような閉鎖的な団結力はなかった。隣人とのかかわりを排除した極めて都会的な空間がそこにはあったのだ。
私は久しぶりにあの線路沿いの道を歩いていた。高架下の入り口には『開発事業のお知らせ』と書かれた看板が立っているのが目に入った。そしてそこから先は『安全第一』の柵によって遮られていて、坂の町へ入ることはできなかった。私は線路越しに私の生まれた家が確かにあった方を仰いだ。しかし私たちの青い屋根はあの時の土砂によってもちろん姿を消していた。そしてその下にあったトタンの屋根たちだけが心なしか物悲しそうに身を寄せ合っているのが見えた。風は秋になってずいぶん涼しくなっていた。
〈タルトンネ〉は韓国語で「月の町」を意味し、韓国においては、坂道を登りきった場所や丘の上のような「月に届くほど」高い場所にあるスラム街を指す言葉である。かつては日本にも様々な理由により〈タルトンネ〉のような場所はたくさん形成されたが、現在は行政の区画整備によりその姿を減らしつつある。