諦観とパラダイムシフト
昼休み。
授業を終えた解放感を味わう生徒達が、話に花を咲かせる束の間の安息時間。
教室の皆々は一様に朗らかな表情を浮かべながら、思い思いのひと時を過ごしている。
ワイワイガヤガヤ、キャッキャウフフとした声が校舎の外にも響き渡る。みんな幸せそうだ。
とはいえ、平和な光景のみで創られた世界など存在しない。世界の各地から戦争がなくならないように、平和の裏で戦う者もいる。
勿論この学校も例外ではなく、食堂では熾烈な椅子取りゲームが、購買では今日の糧を得るために壮絶な奪い合いが繰り広げられていることだろう。
一方、予め弁当を用意していた平和主義者たちは、幾多の屍を乗り越えた勝者に先んじて平和の味を噛みしめる。
黒部もそんな平和主義者の一人で、穏やかな昼のひと時を安穏と過ごしていた。一人で。
黙々と弁当を口に運びながら教室内を見渡せば、四、五人程のグループがいくつも作られており、彼ら彼女らも周囲の喧騒を担うよう、楽しそうに談笑なんかしたりして……いない。
クラスメイトのだれもかれもが、一定のリズムを刻みながら箸と口を動かす機械と化していた。真剣な表情ではなく、全くの無表情で食事を勧めているものだから、ただただ不気味である。
誤解のないように言っておくと、この光景は異常事態でもなんでもない。別に喧嘩をしているだとか、仲の悪い者と食事を摂る苦行に挑んでいるわけではない。
そういったグループは、クエストを受注しているのだ。
いや、初対面同士の人間が送る、気まずい食事風景を眺めて悦に入りたい人からの倒錯的なクエストでもない。
当然、ノアのクエストだ。
ノアは並列思考を用いて自身のアバターを動かしているという話は、前にも説明した通りである。
その際に必要な機器が、セカンドサイド・システムを搭載した専用ツール、モノクリエイターだ。
これがなければアバターを作りようがないし、アバターの操作にも反復練習は不可欠である。
そして、モノクリエイターの配布が入学式当日である以上、それより前にこれらへ触れる機会など存在しない。
つまり、ほんの数日前にモノクリエイターを渡されたばかりの高校一年生は、同時間軸に二人の自分が存在する感覚を掴めていないのである。
しかも操作するもう一人の自分は、慣れない姿で初めて見る異世界の中、これまた触れたことのないようなファンタジーに勤しんでいる。脳のリソースがそちらに多く割かれるのも当然であろう。
結果、生身の肉体は生存本能に基づいた生命活動を行う以外の行動が取れなくなってしまうのだ。
そのため、昼休みに入ると一年生の居る四階は静寂に包まれる。先程の賑やかな喧騒は、セカンドサイド・システムに慣れた上級生がいる階から聞こえているのである。
傍から見れば異様な光景である。正直怖い。
それでも新一年生にとっては当たり前の光景であり、黒部のような例外を除けば誰もが通るべき道でもある。
昼休みを無表情に送る生徒の姿は、すなわちノアの中に居場所を確保したことの証明になっている。
つまり、一年の教室内で機械的に食事を摂る学生は、自分の所属がはっきりしているリア充なのだ。
一年生時点で明るく美味しそうに昼食を摂っている生徒は、幸せそうな見た目に反し、いまだパーティが決まっていない。そうしたクラスメイトの姿はスカウト対象として判断されるし、会話のできる浮いた者同士がパーティを組んでいくきっかけにもなる。
それを繰り返していくことで、最終的には教室が静寂に包まれる。体育の授業中に、グループができた順に座っていくのと同じだ。静かな教室が模範的だという点はいかにも学校らしい。
同時に、黒部のように周囲に疎まれた存在が、結果周囲の足並みを乱すというのも随分皮肉な話だ。
さて、自他ともに認める浮いた存在黒豚はというと、無駄な足掻きはせずに大人しくしていた。
パーティを組むのは現時点では不可能。だが数ヶ月もすれば、彼同様にあぶれたプレイヤーが出てくる。はずだ。
そういった面々と徒党を組み、目立たずひっそりとゲームを進めていければ十分。
ノア内での承認欲求や上昇志向は満たされないが、今の黒部は普通にゲームさえできれば後は何でもいいと思っている。結果も名声もいらないから、ノアをエンジョイさせてくれといったところか。
その時が来ても仲間の足を引っ張らないことが大切であると考え、彼は黙々とミニゲームをやっているのだった。
―――彼が今プレイしているミニゲームについて、少し触れておこう。
ノアにおいて、ステータスの上昇方法は三種類ある。
一つは装備を整える。これが最も容易かもしれない。お金を持っていれば、の話だが。
お金を稼ぐためにはクエストをこなさなくてはならないし、クエストをクリアするためには高いステータスが必要になる。
教育の一環として組み込まれている時点で当たり前ではあるが、ノアに課金武器なんてものは存在しない。ゲーム内マネーはゲーム内で稼ぐしかないのである。
結論、今の彼にはどうしようもない。
二つ目はレベルを上げる。RPGの王道であり、一番初めに思いつく方法かもしれない。
しかし、これまたレベルを上げるためにはクエストを以下略。
ソロでこなせるクエストもないわけではないが、相応に難易度が低いわけで。貰える経験値などたかが知れてるのだ。
勿論、やらないよりはやった方が遥かにマシなので、クリア可能なクエストは積極的に受注するようにしている。
とはいえ、そういったクエストがない場合もあるため、安定した利益としては数えられないというのが現実である。
そういった事情もあり、今の黒部が安定してこなせる唯一の方法が、ミニゲームによるステータスアップになるのだ。
ミニゲームモードは、挑戦するために多少金がかかるものの、好きなステータスを上げることができる。
上げられるステータスは一日に三項目まで、一日に同じステータスを何回も上げることはできないという縛りはあるが、塵も積もれば山となる。
所謂ログインボーナスのようなものだと思いながら日夜取り組めるようになっているのだ。
ところでこのミニゲーム、クエストとは違い完全に個人技量がものをいう。
何を言いたいのかというと、人によって得手不得手がはっきりと分かれるのだ。
ステータスは全部で八つあり、それぞれに別々のゲームがあてがわれている。
例えばSTRは、溜まっていくゲージが最大値になるタイミングに合わせてハンマーを振り下ろすゲーム。
例えばDEXは、手に持った棒をコースにぶつからないようにゴールを目指す、所謂イ〇イ〇棒。
例えばINTは数独。
こんな感じで全部バラバラだ。
そのせいで欲しいステータスを上げられず、何度も挑戦料を払ったり、場合によってはキャラクターのビルド自体を変える者もいるらしい。
必要ステータスが高いに越したことはないが、そうまでしないと楽しめなくなってしまうと寂しくもある。
下手の横好きではないが、やりたいことをやればいいじゃない。
とはいえ、持たざる黒豚が何を言ったところで、持っている者の悩みなんて分かるわけもない。溜息を吐き、目の前の数独を埋める黒部。今日のミニゲームははこれで終わりだ。
意外なことに、持たざる黒豚はこのミニゲーム、全部得意だったりする。
正確には、得意にならざるを得なかったのだ。
初期ステータスがオークの中でも更に低い黒部は、個人クエストすらまともに受けられない。周りはパーティを組んでステータスや弱点の補填を行うが、彼はそれができないのだから仕方がない。
だから、一人でも生きていけるようにステータスを上げなければならないのだ。しかも満遍なくだ。
そのため、最近の黒部は稼ぎの悪いクエストに赴き、金が溜まったらミニゲームを受けるサイクルを繰り返している。少ない稼ぎでやりくりするためには、ノーミスでクリアしていく他ない。
人間その気になれば不可能はないとは、ノアを始めて気づかされた可能性の片鱗だった。
……そんな風にカッコつけてみたものの、実は昨日、MNDのミニゲームでミスっていたりする。難読漢字。
なんだよ俎って。調べた後に家の俎叩き割ったわ。お陰で今日の黒部は、普段よりも睡眠時間が短い。
ついでにばらすと、先程はまだ見ぬ仲間の足を引っ張りたくないなどとカッコつけていた彼だが、本音は基本値で周りにあまり離されたくないというみみっちい理由だったりする。
まだ見ぬ仲間なんて現れないかもしれないから意味はないのかもしれないが、ちっぽけなプライドである。
何より、インスタンスマップ内で人の目を気にせず過ごせるのはすごく気が楽だった。
全身黒ずくめのオークはどこにいてもよく目立つ。お陰でクエスト以外はホームに引きこもる癖がついた黒豚だ。
どうやらぼっちも板についてきたらしい。
最後の数字を埋めて、とりあえず溜息を吐く。
文字通り失敗は許されないプレッシャーの中にいた彼は、不足した糖分を補おうとパックのコーヒー牛乳を啜る。
チュゴゴーなんて鳴らしながらぼーっとしていると、彼に話しかける物好きが近づいてきた。
「黒部君、今いい?」
そこには、一人の女子生徒が立っていた。
ゆるくウェーブをかけた明るい茶髪を二つ結びにした、どこか人間離れした美少女。
コンマ数ミリのズレもなく整った顔立ちには、人好きのする笑顔を浮かべている。
穏やかな目元は長いまつ毛に縁どられ、少し幼く見える顔立ちに似合わぬ色気と母性を背徳的なまでに印象付ける。相反する魅力が共生するその姿は、現世に顕現した美の化身という言葉が相応しいだろう。
「あ、急に話し掛けてごめんね。ノアしてた?」
話したことのないクラスメイト、しかも厄ネタ以外の何者でもない黒豚にも優し気な笑顔で話しかけてくれる女子がいるなどとは、彼も思っていなかったようだ。
しかしそれも、相手が彼女であれば納得もできよう。
「私、峯村聖。黒部君、私のこと覚えてる?」
峯村聖。クラスのみならず、恐らく一学年最強のアバターを持ち。
一年生のみならず、校内最高の美貌を持つ最上位カーストの住人だ。
そんな住む世界の違う、文字通りの天上の人と相対した彼の反応はというと。
「はぇ?」
黒部泰智十五歳。美少女クラスメイトとの初会話は謎の奇声。
とはいえ、唐突にクラスの美少女に話しかけられたのだ。男子高校生のリアクションとしてはよくある。彼は悪くない。
彼の名誉のためにもう一つ言い訳を並べるならば、彼は峯村が昼休みの教室にいるなどとは思いもしなかったのだ。
通常授業が始まってはや数日、篠比谷率いる最上位カーストのグループは中庭で食事を摂っていた。それがまさか、単独で教室に戻って来た挙句、あろうことか自分に話しかけるなんて思わない。
心なしか、クラスメイトからの視線を感じる。多くの生徒はノアに集中しているため気づいていないが、まだソロな面々が物凄い見ている。
周囲から飛んでくる質量を伴ったようにも感じる視線の槍に気づいていないのか、峯村は唐突に噴きだした。
堪え切れないと言わんばかりに口元に手を当て、くすくすと笑っている。黒部、それを受けて急に我に返る。直前の奇行を思い出し、羞恥心が波のように押し寄せて、押し寄せて。どうしよう全く引く気配がない。
「笑いすぎだ。さすがに悲しくなる」
「ご、ごめん。ちょっとイメージと違うから。ホントにごめんなさい」
存外のこと素直に謝られ、続く言葉に勢いがなくなってしまう。
素直な良い子なのだろう、どちらかと言えば捻くれている黒部としては何ともやりにくい。
「……まあ、こんな目つきだ。それを抜きにしたって、俺に話しかけるっていうのもな」
そのせいか、随分と卑屈な返しになってしまう。
嫌味を言いたいわけではないが、女子の前でちょっと気取ってしまうのは男子高校生共通の病気だ。かといってニヒルを気取るのは拗らせ過ぎではなかろうか。
「関係ないよ。あたしが黒部君といたいなって思ったから声をかけた。それだけだもん」
「……そうかい」
どうでも良いが、先程から黒部のキャラが謎過ぎやしないだろうか。
それもそのはず。今の黒部は緊張しているのだ。頭の中は支離滅裂だ。
(え?どうすれば正解なのこれ。誰か、俺に女子との会話の仕方を教えて)
(ていうか、峯村さんノーリアクションなんだけど。そんなに気持ち悪かった?)
(気持ち悪かったですよね。はいもうなんかすいません。話しかけてくれたのに気まずくさせて申し訳ございません)
この有様である。
「そ、そういえば、黒部君って、もうパーティは決まってるの?」
一方の峯村も、割と手探りで会話を進めていた。続く話題が黒部への地雷な点を思えば、こちらも相応に緊張しているのかもしれない。
彼女の会話にどういった思惑があるのかはさておき、黒部はどうなっているのかというと。
(パーティ?パーティって何?ノアの?俺に?いるわけないじゃないっすかやだなあもう)
いまだにキャラが迷子だった。
「いや、今は一人だ。色々考えがあってさ」
結果、口から零れたのは無駄に気取った、まるで三十過ぎのモテない男が慣れないキャバクラで〝彼女いないんですかぁ~?〟という質問に対して咄嗟に口走った意識高い言い訳のようなセリフだった。
残念ながらあの強がり、相手にはバレバレだからな。内心鼻で笑ってるからな。
因みに彼の脳内は。
(考えなんかねえよ馬鹿野郎。ただクラスでハブられてるだけだよ。そもそもクラスメイトなんだから、そういった俺の現状もバレバレじゃねえか。何で見栄張ろうとしたよ俺)
この有様である。
「うん。そうだよね。ずっと一緒に過ごす仲間だもん。慎重になる気持ちもわかるよ」
なんでこの子はこんなに優しい子なんだろう。
久し振りに他者と取るコミュニケーションだからか、思わず触れた優しさにちょっと泣きそうになる黒部。
「とはいっても、俺はキャラメイクがアレだから。始まりから暗礁に乗り上げてるっていうか、すでに絶望的だからな」
本格的に泣き出す前に、暗いことを考えてバランスを取ろうとした黒部。
今度は悲しくて泣きそうになった。
「そうかな?逆境から成りあがるのって、カッコイイと思わない?それに、そういうのを気にしない子も絶対いるよ」
「いるかね、そんな生徒」
「いるいる!そんなこと気にしないで黒部君といてくれる人。ううん、寧ろ、黒部君だから一緒にいたいって話しかけてくるクラスメイトの女子は絶対いるよ」
えらく断定形だが、世界は彼女が思っているより遥かに残酷だ。そうでなければ、黒部はこんな風にクラスで孤立していない。
だがそれでも、励ましてくれているのだろうという思いだけは彼にも伝わったようだ。ともすれば疑心暗鬼になりかけていた黒部にかけられた峯村の優しさは、下手をすればその足で彼女のファンクラブへ入会しに行って、受付で門前払いを喰らうレベルにまで染み入った。
「……峯村さん、ありがとう。俺も、仲間探し頑張ってみるよ」
「うん、頑張ろうね!だけど、あんまり無理しないでね。ゆっくり、まずは一人目から始めよ?」
「確かに、俺単体でパーティに入れてもらおうとしても、誰も受け入れてくれないだろうなあ」
「うんうん。だからまずは、こうやって普通にお話を始めるところから……」
と、ここで端末の震える音が響く。
言葉を遮られた峯村が一瞬表情を変えたが、自身の端末を探っていた黒部はこれに気づかなかった。
「あ、ごめん。私だ」
言いながらスカートのポケットから白い端末を取り出す峯村。端末の液晶を確認するやいなや、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめん!私、もう行かないと」
慌てた様子で自分の席に戻った峯村は、何故か鞄を取っていく。それを背負いながらもう一度頭を下げる。
「私、今日から十日間くらい学校休むの。家庭の都合ってやつなんだけどね」
「お、おう。そうなんだ。じゃあ、次に学校へ来るのは再来週か」
「うん。大事な時期なのにごめんね」
なぜ彼女が謝るのか、黒部には分っていなかった。
そもそも、彼女が彼に話しかけて何をしたかったのかも分かっていなかった。
なぜなら彼は緊張しており、その場の勢いで会話を続けていたのだから。
「じゃあ、また再来週に。今日はありがとう」
「うん!こ、こちらこそ、これからもよろしくね!だから黒部君!焦っちゃだめだよ!時間はまだまだあるんだから、ゆっくりいこうね!」
さらに言うと、話しかけた峯村本人もまた、彼に負けず劣らず緊張していたのだ。
今の黒部は知る由もないが、この時のやり取りが十日後、彼の首を絞めることになる。
そうとは知らずに満面の笑みで峯村を見送る黒部は、ひょっとしたら馬鹿なのかもしれない。
峯村が帰路に立って直後、黒部は先程の会話を思い出す。
我ながら最後の方はまともに会話ができていたんじゃなかろうかと自画自賛。一通りニヤけた後に、そんなことはなかったなと落ち込んだ。
「何だったんだ俺のあのキャラは。ブレているだとか空回っているだとか、そういう次元じゃなかったぞあれは。終始テンパっていたせいで、ただただ場当たり的な受け答えをしていただけだったし」
自分をよく理解しているじゃないか。でもそこじゃないんだ。もっとあるんだ気づくべき点は。
「……でも、良い子だったな。本当に」
―――それに、優しい子だった。こんな俺を気にかけてくれるくらい温かい心の持ち主なんだと、あれだけの会話でも伝わってきた。
きっと、俺の現状を俺以上に何とかしたくて、俺なんかにも優しく話しかけてくれていたんだろう。
あんな優しい女の子が、クラスで孤立する俺の姿を見て、心を痛めるのは嫌だな。
ならば。
彼女が心配しなくても良いように、俺も努力をしよう。
仲間を集めて、パーティを組んで。リア充の一人としてクラスに溶け込もう。
やってやる。ああ、やってやるさ。
唐突に始まった無駄に暑苦しいモノローグと共に、黒部は拳を固く握り締めた。