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最弱の魔王  作者: よーき屋支部
第四章 戦乙女は戦わない
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 絶対女王

「挨拶は済んだかい? 色男サン」


 三人のやり取りをニヤニヤと眺めていた木場が、茶番はおしまいだと声をかける。横から茶々を入れられた浮暮波が、顔を真っ赤に染めながら畳の上から捌けていく姿を眺めて、稽古の傍らこちらを窺う集団から怨嗟のこもった視線が突き刺さる。男所帯で過ごす門下生には、女子といちゃつく男はもれなく嫉妬の対象となるようだ。たとえ相手がパッと見小学生にしか見えない紀久淑だろうが、長すぎる髪で顔を隠している浮暮波であろうと関係ないらしい。

 なまじ身近に美人空手家がいるせいで、彼らの悶々とした恨みの念は日々強くなる一方である。当の本人が釣れないどころか中身がただのバーサーカーであるが故に、抜け駆け禁止という考えにすら及ばない。結果、木場は遠くから愛でるのが最も良い距離感の相手だと認定されていた。これもある意味高嶺の花と呼べるのかもしれない。武力的な意味で。 


「その色男サンってやつ、頼むからやめてくれ」


「なんだ、照れてんのかい? カワイイとこもあんじゃん」


「待たせたのは謝るから、とっとと始めてくれ……」


 そんな高嶺の花にからかわれた黒部は、口では敵わんと白旗を上げた。長々と時間を取ってしまったので強くは言えないが、とっととこの空気を変えてしまいたかったのだ。

 軽口をたたいていた木場もこれには賛成のようで、審判役を一人呼びつける。それに従うように黒部よりも年上だろう青年が中央に立つと、木場がいったん畳の外へ捌けていく。組手前の儀礼だと黒部も気づき、見よう見まねで正座した。


「ここが分水嶺だ。試合が始まったらもう戻れない、帰るなら今の内だよ」


「そうビビらせんなよ……ま、やれるだけのことはやってみるさ」


「そうかい。ま、ヤバいと思ったら降参しな」


 互いに礼をして、構える。

 木場はスッと腰を落とすと右脚を引き、黒部に左半身を向けるように立つ。左手は腰の位置まで上げ、右手は顎の下で握りこぶしを作る。素人がイメージする空手の構えをそのまま体現したような、とても美しく隙のない構えだった。

 対する黒部の構えはというと、両足を肩幅に開いただけのシンプルなものだ。全身の力を抜いて立つ姿は達人っぽくも見えるが、何度も言うように黒部は空手初心者である。

 張りつめた空気を感じ取ったのか、周囲がしんと静まり返る。一拍をおいてそれを破るよう、試合開始の合図が放たれた。

 同時に、黒部が後ろに一歩下がる。脱力状態から瞬間的に圧力を加えられた大腿四頭筋と下腿三頭筋が、足裏の反発を利用して推進力を生み出す。瞬く間に間合いを広げた黒部の目は、油断なく相手を観察している。

 黒部の狙いは、間合いを詰めさせずに五分間を逃げ切ることだった。そもそもこの野良試合、互いに打ち合いを推奨するようなルールは定めていない。空手ならば減点行為なのだが、今回に限ってはそんなルールは決めていない。

 なので、下手に近づかないように立ち回ればクリアできる。というより、ルールの穴でも突かなければただの無理ゲーなのだ。ならばこのくらいのインチキは許されよう。

 そう考えていた黒部の目論見は外れた。


「はぁっ!!」


 裂ぱくの気合と共に放たれた飛込正拳が、瞬く間に間合いを詰めて襲いかかる。両目を見開く黒部だが、ガードはとても間に合わない。

 内心の焦燥をあざ笑うよう、棒立ちの顔面すれすれ、数センチのところで拳がぴたりと止まる。遅れて頬を撫でる風が、吹き出した汗を冷ましながら通り過ぎた。縮地のような踏み込みは、とても生身の人間から放たれたものとは思えない。日本一の実力は伊達ではないようだと、黒部は身を持って理解した。


「へえ、避けないんだ」


「寸止めだってわかったからな」


 バレバレな強がりをほざきながら間合いを取る黒部。背中に否な汗が流れる。もし木場が拳を振り切っていたら、黒部の顔は愉快に凹んでいただろう。

 完璧な体重移動に込められた一撃はまさに必殺。当たり所によっては文字通り命を落としかねない。ていうかルールを知らない黒部は気づいていないが、顔への正拳は本来反則だ。


「そ。でも、サービスタイムは今のでおしまい。次からは当てるよ」


「怖えな。んじゃ、いっちょ本気で逃げに徹するか」


「無駄だよ」


 黒部は同じ轍を踏まぬよう、前後の移動からサイドステップに動きを変えた。間を開けるよう後ろに下がりながら、角に追い込まれないように円運動を行う。それを見た木場も構えを崩さず、ゆっくりとすり足で詰め寄る。

 のみならず、踏み込みを織り交ぜて緩急をつけてくる。黒部もそれに振り回されまいと、大きく弧を描いて間合いを保つ。四隅へ追い込もうとする木場の動きを、フェイントを織り交ぜながら反対側へと抜けていく。左回りと右回りを繰り返しながら、木場に主導権を渡さぬように立ちまわった。

 先の寸止めを受けた黒部は勿論、これを見つめる二人の額にも汗が浮かび上がる。木場に仲間になって欲しいが、黒部に怪我をしてもらいたくもない。どうかこのまま逃げ切れるようにと祈りながら、浮暮波は指を絡めて両手を組んだ。

 そんな願いをあざ笑うよう、木場が均衡を破った。


「シッ!」


 再び四隅へ追いやられた黒部の進行方向を塞ぐように、木場の正拳が突き出される。いまだ慣れぬ拳速に驚きながらもなんとかこれを躱し、ふうと息を吐きながら逆方向に動き出した彼を。


「ハァッ!!」


「グフッ!」


「「黒部さん!!」」


 死角から伸びて来る中断蹴りが襲った。しなやかな動きから繰り出されるノーモーションの蹴りは、蹴られ慣れていない黒部には避けられそうにない。

 咄嗟に上げた右腕に、深々と左足が突き刺さる。咄嗟に彼の名を叫んだ二人の声が館内に響き渡った。ガード越しにも伝わる鈍い痛みがズキズキと響くが、二人に心配をかけぬよう、振り払うような仕草で腕を振るう。その反動を利用して軽やかなステップで間を開ける木場が、着地と共に構えを解いた。


「へぇ。今のを耐えるんだ」


「男の子だからな」


「強がんなくていいよ、全然反応出来てなかったじゃないか。降参するかい?」


「……勝ちが決まっているのに降参なんてする訳ないだろ」


 にやりと笑う黒部。時計を確認すると、二分を少し過ぎたくらいだろうか。割と時間が経っていないことに少々焦りながらも、表情には出さず、余裕の笑みを作る。今の彼は、主人公渾身の一撃が効かないときの魔王みたいな顔をしている。あくまで表面上は。


「……へぇ」


 それを眺めた木場も、不愉快さを隠しもせず柳眉を逆立て、何度痛めつけても諦めない主人公を殺すことに決めた魔王みたいな表情を浮かべる。魔王しかいねえじゃねえか。


「ひぃ」


「浮暮波さん、それ思いの外傷つく。っていうか、なんかこれ覚えがあんな、デジャヴ?」


 浮暮波の口からあがった悲鳴を黒部が嗜めるも、耳馴染みのあるフレーズにツッコミを入れる。具体的にはキャラメイクの時だ。

 少し空気が弛緩するが、だからと言って木場は待ってくれない。再び構え直す彼女に向き直って、黒部は深く溜息を吐いた。どうやらこのまま逃げ切るのは不可能だと悟ったようで、表情を真剣なものに変える。


「しゃあない、ちょっと抵抗するから、怪我すんなよ」


「生憎、素人の悪足掻きに後れを取る様な鍛え方していないよ。そっちこそ、怪我する前に降参しなよ」


「……誰が素人だって?」


 言いながら黒部は、初めて構えらしい構えを取る。

 逃げに徹していた今までとは打って変わり、前傾姿勢で脇を締め、両腕を顎の前に上げる。両足を少し広げ、その場で一定のリズムを刻みながら、間合いを図るようにステップを踏んだ。


「女子に手をあげるのは気が引ける。なるべく動かないでもらえると嬉しい」


 木場を睨みつけながらそう嘯く。五分間サンドバックなんて御免なので、割と本気で言っている。幾ら殴られ慣れている黒部とはいえ、痛いのはやっぱ嫌なのだ。

 木場は黒部に取り合わず、その動きをつぶさに観察する。果たして彼の力量を推し量ったのだろうか、感心したように呟いた。


「……へぇ。こけおどしじゃないみたいだね」


「見ただけで分かるもんなんだな」


「体重移動がスムーズだ。一朝一夕で身に着く芸当じゃない」


「まあ、今年で六年になるからな」


 黒部は十歳の時から、おっさん叔父が開いているボクシングジムに通い続けている。はじめは見様見真似でサンドバッグを叩いていただけだったが、これが存外自分に嵌った。元々のめり込みやすい性格も手伝い、本格的な練習が始まっても苦にすることもなく、気が付けば今日に至るまでをボクサーとして過ごしてきたわけである。

 彼がボクシングにハマった理由の一つが、今繰り広げられている攻防の中にあった。


「ヤァッ!」


 左の正拳。からの右。翻って後ろ回し蹴り。これらをステップとスウェーを用いて躱していく。先程とは打って変わり、相手の動きを完全に把握して対処していく姿は、木場の発言を裏打ちするように洗練されている。これを眺める紀久淑などは開いた口が塞がらない。

 周囲を囲む門下生たちも同様のリアクションをしているが、一部は納得いかないような顔をしている。曰く、できるんならはじめっからやれよ。わざわざピンチを演出すんなと。

 もっともだが、勿論それにも理由はある。痛い思いをしたくないと言っておきながらこんなことをしていたら、そいつはただのイタイやつだ。

 一つは、黒部の想定以上に木場が強かったことだ。昨夜ジムで自分の状態を確認していた黒部は、今の自身の仕上がり具合ならば、五分くらいならば構えずとも逃げ切れるだろうと踏んでいたのだ。

 お陰で構えも取らずにことに及んだ結果が、一瞬で距離を詰められてからの寸止めなのだから笑えない。つまり、黒部はピンチを演出していたのではなく、舐めプをしていたのだ。より悪いじゃねえか。

 それについても理由はあるのだが、今更何を語ってもダサいのに変わりはない。もっとも、試合後に紀久淑辺りから詰め寄られるのは確定しているのだが。

 もう一つは、彼の実力にある。

 一連の動作を捌き切った黒部が、今度は全力でバックステップを踏む。すかさず正方形に区切られた赤い畳の対角線上まで全力疾走。タタミの端から端までという、最も長い間合いを稼ぐことに成功した。


「どういうつもりだい!?」


「長く続けてるからって、別に強いわけじゃねえんだよ。それに、勝利条件は最後まで立ってりゃいいんだ。時間いっぱい逃げきりゃ勝ちなんだから、痛い思いする必要もねえ」


「「うわぁ」」


 先の応酬とは一変した逃走っぷりに木場が素っ頓狂な声を上げると、黒部は悪びれた様子もなく答える。すがすがしいまでの言い切りっぷりに、女子二人は先ほどまでの焦燥感もときめきも忘れてドン引きしている。特にときめきに関しては、もう返してくれないかと本気で思う二人だ。


「そうかい」


 一方、退治する木場は目の色を変える。もとより戦闘狂の気がある彼女だが、思いのほか楽しい相手に出会えたと、二人とは違う意味で胸を高鳴らせていたのだ。そんな思いに水を差されたのだから、感情の振れ幅も推して知るべしといったところか。

 今度は木場が構えを解く。否、両腕を下げ、脱力したように腰を落とす。ガードを下げた無防備極まる姿だが、目は油断なく黒部を見据え、黒部の動きに合わせてステップを踏む。

 やる気をなくしたわけではない。むしろその逆で、この構えこそが木場瑠璃の全力全開。相手の動きの全てを捌き、全てを一本勝ちで頂点に上り詰めた彼女の十八番である。

 これまでの木場は、円運動を繰り返す黒部に左足を軸とした動きで対処していた。さしずめそれは、月の公転に合わせて自転する地球のような動きであった。


「ほらほらどうしたぁ!動きが鈍いよ色男、そんなんでアタシをモノにしようなんざ、十年早いってモンさね!!」


「無茶言ってくれんな、こっちゃついていくので精いっぱいだっつの!」


「無駄口叩けんなら上等だよ!も一つギアを上げっから、振り切られないようついてきな!!」


「逃げてんのは俺だろうが!」


 しかし今の木場は、ときに左右へ、ときに前へと自在に動く。綺麗な円を描く黒部の動きを乱すよう、星の軛から外れた飛行体が獰猛な本性を露にして襲いかかる様は、恐怖と美しさを兼ね備えた埒外の美を湛えていた。

 当然、黒部には見とれている暇などない。もとより格上の相手が、その全力をもって距離を詰めてくるのだ。リズムに合わせてステップを刻むも、木場の動きが割り込むようにこれを乱す。どうやら黒部の動きは木場に掌握されてしまったようだ。

 こうなると黒部にできることは多くない。掠める拳や蹴りを躱しながら時計回りに走り続ける。

 とはいえ、空手もボクシング同様枠内で対峙する競技である。十年以上をこれに費やした木場は距離を詰める動きですら何枚も上手だった。

 やがてコーナーに追い詰められた黒部は、肩で息をしながら木場を睨みつけた。対する木場も慣れない動作ゆえにか、荒い息を吐きながら黒部と対峙している。


「もう逃げるのはやめたのかい」


「馬鹿野郎、ボクシングは一ラウンド三分しかねえんだ。五分間動きっぱで体力持つか」


「そ。じゃあ、もう終わりだよ」


 体力回復の無駄口には付き合ってくれないらしい。すっと引かれた右脚が身体のしなりに合わせて振り上げられる。

 ボクシングには無い上段蹴り、今日初めてこれと対峙する黒部に避けられる筈もない。そもそも、彼はプロライセンスを持てる年齢に達していないうえに、本人曰くピンとキリで言えばキリの方に居る実力でしかない。

 然程背格好の変わらない相手の蹴りともなれば、彼の意識を刈り取るだけの破壊力は持っているだろう。この時点で、黒部に勝ち目はない。


「はあっ!!」


 今日一番の掛け声と共に、木場渾身の蹴りが放たれる。たまらず浮暮波が目を覆う。紀久淑は眼を逸らすまいと顔を強張らせる。

 風を切るすさまじい音が轟いた数秒後、試合終了のブザーが館内に響き渡った。

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