訪問
先導する木場の案内に従うこと三十分弱。途中で歩く速度を浮暮波に合わせた関係で時間はかかったが、一行は一軒の日本家屋に辿り着いた。立派な門構えとそこから伸びる塀の長さから、坪面積も相当のものだと窺える。
日本建築が軒並み文化財認定を受けている昨今を思うと、こちらの建築物も何かしらの認定を受けているのかもしれない。そんな歴史価値あるビンテージな門にずけずけと近寄り、少し乱暴に脇の小門を押し開ける木場のなんと粗野なことか。小心者の黒部と浮暮波など別の意味でハラハラして仕方がない。もっとも、浮暮波は全身を襲う筋肉痛のせいでそれどころではなさそうだが。
「汚いトコだけど、入んなよ」
「お、おう。え、これ入って平気なの?捕まったりしない?」
「住人が入れって言ってんのに、なんで捕まるのさ」
「ということは、こちらは木場さんの……」
「そ。あたしん家」
「お邪魔いたしますわ」
家人の許可を得たところで、紀久淑はしゃなりと挨拶をしながら木場に続く。遅れて二人も門扉をくぐるが、どこにも触れないようおっかなびっくり通り抜けようとしているため、油を注していないロボットのような足取りだ。
その様子を呆れた様子で見ていた木場は、三人が敷地内へ入ったのを確認すると、離れへ続く飛び石に沿って歩いていく。正面に建つ立派な平屋の母屋と比べると幾分かシンプルな造りだが、単純な広さは引けを取らない。そして、一行の耳にも届く規則正しい掛け声が、同所がどういう用途で建てられたものであるかを語っていた。
どうやら、木場家は道場を営んでいるらしい。冠木に掲げられている看板には、恐らくこの道場の名が書かれていたのだろう。経年劣化と達筆が過ぎる筆跡のせいで誰も読めてはいなかったが、その存在は三人も確認していた。
「お疲れ様です、姐御!!」
「お疲れ様です!!」
「ん。タタミ一枚借りるよ」
「押忍!」
引き戸を開けた木場を見やると、揃いの道着に身を包んだ集団から一斉に声が上がる。揃いの道着に身を包む男たちの野太い声に浮暮波などは小さく悲鳴を上げているが、木場はこれまた慣れた様子で返す。そんなやり取りを躱しながらも、道着の一団は木場の言いつけに従い、形稽古を行っていた場所を空ける。その際木場について歩く三人へ、特に黒部へ訝し気な視線を向ける者もいたが、特に詮索されることもなく各々の稽古に戻っていった。訓練の賜物なのか、木場の発言力から来るものなのかは定かではない。
瞬く間に赤い畳で四角く区切られた一角から人が捌ける。タタミと呼ばれる試合用のコートだ。木場はその中央に立つと振り返り、腕組みをしながら三人に問いかけた。
「さて、アタシの出す条件はもう分かったかい?」
「入門とかですかね?」
「空手に興味あんの?」
「いえ、ここで教えてんのが空手だって今知ったっす」
「そうかい。ま、今から文字通り、その身をもって味わってもらうわけだ。空手の神髄ってやつを、ね」
すっとぼける黒部の言葉尻を返して、木場が獰猛な笑みを浮かべる。爛々と輝く瞳は完全に戦闘狂のそれだ。ここに連れてこられた時点でアタリはつけていたのだろう、三人の表情は優れない。それに構わず、木場は短く言い放った。
「三人のうち、誰か一人でもアタシに勝てたら、アンタらとパーティ組んでやる。シンプルだろ?」
あまり当たって欲しくない推測が当たってしまったようで、女子二人が息をのむ。二人と木場の体格差は歴然だ。特に紀久淑などは頭一つ以上の差がある。この二人を矢面に立たせるわけにはいくまい。
もはや続きを聞くまでもなく二人のリタイアが決定したが、さらに追い打ちをかけるような一言が一行を襲いかかる。
「種目は当然フルコンタクト。攻撃は当てて良いし、勿論自分も当てられる」
「……作戦タイムだ」
「どうぞ」
たまらずタイムを宣言したものの、話し合うことなどない。それでも言い出しっぺは黒部なので、それとなく二人にお伺いを立ててみた。
「二人に格闘技経験は?」
「無手となると、申し訳ございませんが、お役に立てそうにありませんわ」
「寧ろ私にあるとお思いで……?」
「なんでちょっと得意げなんだよ」
ワンチャン二人のどちらか、というか紀久淑が一子相伝の最強拳法の使い手である可能性を期待していた黒部だったが、その希望はあえなく砕け散った。よしんばそんなアクの強すぎる特技が開示されたところで、それはそれで木場の身を案じなければならなくなる。痛し痒しな結果ではあるが、もとよりタイム自体が時間稼ぎ。生身で身体を張るとなると、黒部以外の選択肢はあってないようなものだ。だが、そうなると今度はまた別の問題が浮上してしまう。
「まあ、話し合うまでもないだろう。挑戦するかい? 色男さん」
「……いや、俺男だぞ?」
黒部が煮え切らない態度を取っていたのは他でもない、対戦相手が女生徒だという点だ。高校生ともなると男女の基礎体力の差は歴然となる。二人の身長が変わらなくとも、その身に詰まった筋肉量は男子の方が確実に多い。
しかも黒部は空手のかの字も知らないのだ。彼が一方的になぶられるだけならばまだしも、万一力にあかせて抵抗などしたら。それが彼女に深刻な打撃を与えてしまったら。そう考えると、どうしても黒部は及び腰になってしまうのだ。
それでも木場に動じた様子はない。さもありなん、先日のスカウトマンも男子生徒であり、木場は彼にも同じ条件を提示しているからだ。つまり、木場はそれでも勝てると踏んでいるのだ。
「勝敗はどう決める? 先に言っておくと、こっちは空手の素人だぞ?」
「三分……じゃ短いかな。五分後に立っていられるか、アタシに一発入れてみな」
「……立っていれば良いのか?」
「できるならね。それで? 受けるかい? それとも帰るかい? アタシとしては帰んのがおススメだよ」
大惨事回避のために黒部がごねてみる。すると木場からはすんなりと譲歩を引き出せた。というよりは、細かくルールを決めていなかったのだろう。
つまり、黒部は相手を殴り倒すか、どれだけ殴られても膝をつかなければ勝てる。逆に、相手の攻撃に耐えられずに倒れたらアウト。他二人にトライさせる気は毛頭ないので、実質タイマン一発勝負になる。
今しがた決められたルールを咀嚼し、嚥下し、理解する。そのうえで黒部が出した結論は、〝そのルールならばなんとかなるだろう〟だった。
「道着、借りられるか?」
先ほどまでの態度は何だったのか、堂々と木場に言い放つ黒部のなんと頼もしいことか。これがフラグにならないことを切に願う。同年代の女子相手にイキるダサい男? 聞こえんな。
黒部の思考の切り替えについていけていない二人があっけにとられる前で、木場は一言待つように告げると道着を取りに歩き出す。
「ああ、それと」
「なんだい?」
その背中に、黒部は強気な言葉を投げた。
「さっきの言葉、忘れんなよ?」
「待たせたな。こっちは準備オッケーだ」
「いや、ホントに待たされたよ。帯結ぶのにこんな時間かかったのはアンタが初めてだわ」
「それ以前に、着られている感が凄まじいですわね」
「ほっとけ。事実着るのも初めてだよ」
ごわつく布地の違和感からか、ぎこちなくコート上に上がる黒部のなんとも様にならないことか。そのくせ顔には若干の達成感を含んでおり、既に一仕事を終えた感が凄まじい。
木場の発言からもわかる通り、意気揚々と賭けに乗った黒部が着替えに大分手間取ったのだ。戻ってきた木場から予備の道着を放り渡された一行。しかし、三人ともこれが空手着との初邂逅であった。そのペーパーぶりたるや、四角くまとめられたそれを広げて中から下履きが出てきたときには、小さく喝采を上げる有様である。
木場に着付けの指南を仰ごうと思ったものの時すでに遅し、当人はさっさと更衣室に引っ込んでしまった。結果、三人は携帯端末と周りの門下生を見比べながら、ああでもないこうでもないと試行錯誤するハメに。
特に苦戦したのは帯で、着ている黒部が何度トライしても縦結びになる有様。構造を理解した紀久淑が代わりに結ぶも、これまた縦結びになってしまう。他人がネクタイを結ぼうとするとうまくいかないあの現象である。結局、先んじて着替えを終えた木場がこれを結んでやることで漸くクリアしたのだった。
お陰で先の黒部の発言が何とも締まらなくなってしまった。フラグ回収が早すぎるよ。
因みに、主に情報収集に回っていた浮暮波は、いまだチラチラと門下生の乱取りを眺めている。
「ひっ……」
生身の人間が一進一退の攻防を繰り広げる光景は、内向的な文学少女には刺激が強いようだ。それでも怖いもの見たさからか、頬を染めながら眺めては眼を逸らしてを繰り返している。意外とむっつりなのかもしれない。
隣の紀久淑もこれには気づいていたが、着付けにつきっきりだったので特に何も言わなかった。とはいえ、流石に試合が始まるとなればこちらに集中してもらいたい。
そう思って浮暮波に声をかけようとした紀久淑は、聞いてしまった。若干鼻息を荒くしている彼女が、呪詛のように唱えるフレーズを。
「益荒男同士、交わる視線、肌と肌とのぶつかり愛。受け攻め入れ代わりタチ代わり。フフフ……」
負の呪文、もとい腐の呪文を垂れ流す彼女の文言の意味を、紀久淑は全く理解できなかった。それでも、浮暮波の尋常ではない様子から何かを感じ取ったらしく、見て見ぬふりを決め込むことにした。
魑魅魍魎蠢く社交界を数多く潜り抜けてきたお嬢様。藪をつついて蛇を出す愚挙は侵さない。
横に鎮座まします腐女子は置いておき、黒部の下へ向かう。先の自信満々な物言いにはおおよそ彼らしさを感じなかった。なので試合が始まる前に、その裏にある意図を確認しておきたかったのだ。
「勝算はおありなのですか?」
「ん……まあ、逃げ切るだけなら何とかなる」
正面に立つ木場に聞こえないよう小声で言葉を交わしながら、ちらりと木場を見やる。柔軟運動をする彼女の動きは竹のようにしなやかで、筋肉の造形に一家言ある黒部の目にも見事に映った。筋肉の造形に一家言というパワーワードよ。
そう語る黒部の弁を聞いて、紀久淑はよりわけがわからなくなる。眉根を寄せながらたまらず聞き返した。
「ですが、木場瑠璃さんと言えば、中学女子重量級の絶対女王と謳われる空手家ですのよ。いくら性差があるとはいえ、とても歯が立つとは思えませんわ」
「え、なにそれ知らない情報出てきた。なに? 中学生が絶対女王とかいう二つ名冠してんの?」
「向こう二十年は、同階級で彼女に比肩するものは表れないと言われておりますわね」
「絶対草試合とかやっちゃいけないタイプじゃんそれ」
クラスメイトの情報に通じる紀久淑からすれば既知の情報であるが、そんな有名人がクラスメイトに混じっているとは夢にも思わない。お陰で黒部は焦りに焦る。紀久淑はその反応を見て何かを悟った。
「もしかして、ヤバいんですの?」
「そもそも、まともな殴り合いをする気はなかったからなあ……」
「成程。拳で語り合った二人は友に、強敵と書いて友になるという展開にはならないと」
「本当好きね、少年漫画……つっても、やれることは変わんねえか。負けたらゴメン」
「構いません。ですが、一つ。決して無理はなさらないと、約束してくださいな」
「ノアみたいな真似はしねえよ。身体張んのはクロベーの仕事だ」
ニカッと笑う黒部の顔を見て、紀久淑も淡く微笑む。そのままグータッチを交わしてコートを去る彼女と入れ替わるよう、今度は浮暮波が歩み寄る。どうやら自分の力で現実世界へ帰還できたらしい。
「黒部さん、あの、こういう時になんと言葉をかければ良いのか、うまく浮かばないのですが、その……」
しどろもどろに語る姿に胸が暖かくなる。かける言葉も決まらぬまま、軋む体に鞭打って、いてもったってもいられずといった様子で声をかけに来てくれた。それがとても嬉しくて、右手のグーを浮暮波に掲げて言った。
「そういう時はな、ニカッと笑いながら〝頑張れ〟って言ってくれ」
黒部の顔を見て、突き出されたグーを見て、さっきのやり取りを思い出して、浮暮波もにこりと笑った。優しく添えるようグーを重ねる彼女の頬には、薄く朱が差していた。
「頑張れ」
「おう!」
それを眺める紀久淑の顔にも、満面の笑顔が浮かぶ。チクリと刺す胸の痛みは、想いと等しく淡いものだった。




