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最弱の魔王  作者: よーき屋支部
第三章 小人の祈りに想いを重せて
31/38

 本心と本音

 大きく間を開けてしまい、本当に申し訳ございません。


 だからというわけではありませんが、とても長いです。


 お暇な時にでもお読みいただければ幸いです。

 紆余曲折はあったものの、死んだと思っていた仲間と然程感動的でもない再会を果たした三人。であれば長居は無用ということで、早々に〝風船ヶ丘〟を後にした。


 相変わらず感慨も何もない演出で転移を済ませてしまうワープ・ポータルの塩対応ぶりはアリアも往路で理解していたため、特に落胆した様子もない。心なしか期待しているような表情をしていた気もするが、少女の願いはまたしても打ち砕かれたようだ。


 開発時に発生した大人の事情など知る由もない三人の前で、期待感高まる演出を盛りに盛ったエフェクトが徐々に勢いを減じていき、人の手によって整えられた広場の景観が広がっていく。座標の固定による硬直が解かれると同時に、改めて三人は辺りを見回した。


 昼には多くのプレイヤーで賑わっていた中央広場だが、今はクロベー達以外に人影はない。目に映るのは草花のみで、薄闇に包まれた花々が、昼の鮮やかさとは違う淑やかな色を纏っている。三人が先を急いでいなければ、夜の散歩と洒落込むのもやぶさかではなかっただろう。


 時刻は午後八時前。はじまりのまち〝エスタ・キャピタル〟はすっかり夜の帳が下り、昼に受ける活気づいた印象とはまた違う、しっとりとした空気が流れていた。


 中央広場を抜けてもそれは変わらず、市街地もまた普段は見せぬ夜の顔で三人を迎え入れる。活気ある市場は軒並み店じまいを終え、商業スペースを撤収させた道は三人が驚くほどに拓けている。人でごった返していた道も、今は自分達以外に歩く者がおらず、三人が横並びに歩いても支障ない。


 何より、クロベーが歩いていても奇異の視線を向けられないというのは大きい。もっとも、それで救われるのは雑魚メンタルを誇る彼の心の平穏だけなのだが。彼もこの数日で慣れたとはいえ、気分が良いものではないのも事実。心なしか清々しい顔で歩いているように見える。


 ストレスフリーな精神状態も手伝ってか、これまで行き来していた道が見せる新しい風景を前に、クロベーは不思議な高揚感を覚えた。


「見慣れた……というほどのものではありませんが、昼に見ていた街並みとはまた違った装いを見せますわね」


「これはこれで悪くないな。すげえワクワクする」


「薄闇に頼りなく揺らぐ炎の輝きも、そこに人の営みがある証に他なりません……そう思うと、寂しげな風景にも温かみを感じますね。非日常への好奇心もまた、心地よい疼きを訴えてやみません」


 どうやらクロベーのみならず、好奇心旺盛な女子二名の感性も存分に刺激を受けているようである。一昨日同様、昨日も一人全速力でこの道を駆け抜けていた真名。こうして夜の街並みを眺めながら帰路へ着くなど初めてで、興味深そうにあちらこちらを見回す。死に戻りを繰り返していたクロベーも同様だ。アリアに至っては感じ入った様子で感想など述べているが、はたして前髪で覆われた視界で薄暗い町並みが見えているのだろうか。


 空に輝く太陽の光とは違う、オイルランプから漏れるしっとりとした淡光が、見る者の心をざわつかせる。ここがファンタジー世界を再現した街の中であることも一役買っているのかもしれない。


「さしずめわたくし達は、誘蛾灯の導きに抗う虫といったところでしょうか」


「甘い誘惑には要注意ってな。痛い目見る前に集会所まで行っちまおう」


 高校生である三人には見慣れない夜の街並み。罪悪感にも似た好奇心がうずうずと刺激されるが、さすがに弁えてギルドへと向かっていった。





 時折真名が蹴り開けることもあるウエスタンドアを今日は行儀よく開けると、屋外同様ギルド内もまた閑散としていた。数時間前には多くのプレイヤーで賑わっていた飲食スペースも、今や人っ子一人いない。看板娘のウエイトレスはクルクルとせわしなくテーブル間を移動するわけでもなく、カウンター近くのテーブル席をせっせと拭いている。同じ席を。延々と。


 他にいるのはギルドの職員が数名と、壁に寄りかかって腕組をしている歴戦の冒険者然とした男だけだ。


「ギルドの内観は、こうなっているのですね。中世然……というよりも、参加型アトラクションの入場口を思い起こす構造ですね」


「そういえば、アリアは見るの初めてか」


 初めて入る冒険者の店を、そこかしこに視線を廻らせながら進んでいくアリア。天井から垂れ下がる幾何学模様のあしらわれた旗や、ファンタジーならではといった巨大なはく製を興味深そうに観察しては、緞帳のような髪の奥にある目を輝かせていた。


 当初の予定通りにクエストを終えていれば、この場でささやかな祝勝会を開く予定であった三人。とはいえスケジュールはエアシップ・クラーケン次第で前後する見積りであり、クエストが押しに押した都合上、残念ながら今回は見送ることとなった。


「申し訳ございません。本当でしたら、ゆっくり見て回る時間を作りたかったのですが」


「いえ、お気になさらないでください」


 眉を寄せて述べる真名に、これまた申し訳なさそうに返すアリア。他のプレイヤーがいない今であれば、三人で軽く宴会を開くことはできただろう。


 しかし、真名もアリアも現実の肉体はうら若き乙女である。帰宅が遅くなっては両親も心配するし、万一事件にでも巻き込まれれば悔やんでも悔やみきれない。紀久淑は車での送迎があるが、浮暮波は電車通学だ。帰宅にかかる時間を考慮すると、高校生の夜遊びとしては妥当な時間になってしまう。初のクエストで帰りが遅くなってしまえばご両親の心象も良くはないだろう。またとない好機ではあるものの、部室の使用時間も考慮して涙をのんだ。クロベーはきっと大丈夫だよ。


 ―――ニュービーで賑わう〝はじまりのまち〟がこの時間帯に静まり返る理由もここにある。


 ノアのログイン率はプレイヤー達の生活サイクルに左右されており、並列思考に不慣れな新一年生が集うこの街は、特にその傾向が顕著になる。昼休みや放課後にログインが集中する一方、最終下校時刻が近付くにつれて人の入りは疎らになっていく。家に帰らなければならないからだ。


 たかが帰宅程度、無意識下でも可能なのではないかと思うだろう。だが残念なことに、これまで何とはなしに行っていたそれが、完全無意識下ともなるとはっきり言って無理ゲーと化す。


 行き交う人や車の流れに、電車の乗り換え、信号機や横断歩道など、ただ道を歩くだけでも様々な情報が飛び交っている。我々が目的地まで無事に辿り着けているのは、刻一刻と変遷していくそれらを意識的に取り込みながら対応を行っているからなのである。気もそぞろに歩いていても、赤信号なら足を止める。前方から人が来れば、それとなく進路を調整する。人類の脳は、思いのほか高性能にできているのだ。


 しかし、正しい情報をインプットできなければ処理能力も片手落ちとなる。見知った道を完全に人払いできれば、無意識下での歩行も可能だろう。しかし、自身の外側にある事象に関しては無意識下では処理できないのだ。


 よって、いまだ無意識下でのアバター運用ができない一年生は、この時間帯は帰宅する肉体に思考を割かなくてはならない。ノアにかまけて生身がゲームオーバーしては本末転倒。命がけが比喩表現ではなくなってしまう。


 さらに付け加えると、高校生ともなれば帰宅後即ログインというわけにはいかない。入浴、夕食、団欒、課題とイベントは盛りだくさんなのだ。そのうえ、観たいテレビや流行りの雑誌を購読したりと時間はいくらあっても足りない。確かにノアは流行りのコンテンツではあるが、そればかりに気を取られていられないのが高校生だ。リア充はリアルも大切にしているのである。


 自然と、最終下校時間を過ぎ、他のプレイヤー達も帰路についているこの時間が、ギルドのアイドルタイムなのだ。



 クロベー達のような日陰者ものびのびとプレイに興じることができる時間帯ではあるが、もう少しすればこのギルドも終始人で賑わうようになっていく。NPCである職員たちにそのような感情はないだろうが、彼らにとって束の間の安息とも呼べるこのひと時に駆け込んだクロベー達。読まなくても良い空気を読みつつ、さっさと目的を果たしてしまおうと受付へと向かっていくのだった。


 目的の窓口に座る強面の受付職員もまた、暇そうに頬杖を吐きながら欠伸をかみ殺している。細かい点の作りこみを見るに、製作者のノア愛は本物だろう。もしかしたら、ウエイトレスの無限動作も歪んだ愛情の発露なのかもしれない。


 始めに真名が、次いでクロベーが、周囲に目を向けながら歩いていたアリアが受付の前に並び立ったところで、クロベーが二人に目配せをする。意図を察した真名がふわりと笑顔を返す横で、きょとんとした面持ちでアリアが小首をかしげる。


「報告を終えるまでがクエストだもんな。折角だから全員で報告しようぜ」


「ええ。アリアさんも、宜しいですか?」


「あ……は、はいっ!」


 意図を察したアリアもまた、顔に笑顔を浮かべる。二、三深呼吸を行い、三人で顔を見合わせながら、真名の掛け声に合わせて言葉を紡いだ。


「「「クエスト、完了!!」」」


 三人の声が閑散とした夜のギルドに響く。嬉しさと、達成感と、ほんの少しの名残惜しさを滲ませた混声三部の旋律が、今日の冒険の終わりを締めくくるフィナーレを彩るのであった。






 時刻は夜の八時頃。クエスト達成の報告を終え、そこそこの金額ではあるが報酬を受け取った三人はノアの接続を終了させ、部室の片づけをしていた。


 ジュエル・ゴーレムの報酬とは比べるべくもないが、自らが赴いたクエストで得られた初の報酬はやはり特別感じ入るものがあったのだろう。愛おしそうにリザルトを見つめるアリアの横で、果たして自分達はこれほどまでにピュアなリアクションを取れていたのだろうかと遠い目をする二人。どこぞのマモンコンビとは違うなあ。


 勿論グータッチも忘れていない。


「これで良し。冷蔵庫に仕舞っておいた飲み物も、結構減ったな」


「〝もう一人の自分(セカンドサイド)〟に慣れていないわたくしでは、クエストをこなしながら紅茶を淹れなおす余裕はありませんわね」


「それでも、予め用意された飲食物を摂取することは可能のようですね……行動制限の境界線が、とても興味深いです」


「たぶん、技術や経験を伴う行動はとれないんだろうよ。逆に、近くのものを取りに行くくらいなら問題ないのかもな」


「なるほど。だとすれば、わたくしもまだ精進が足りないということですわね。紅茶にしても、並列思考の運用についても」


「私としては、紀久淑さんの淹れてくださった紅茶を無意識に飲み干してしまうのは惜しいと思っておりますので、それでも良いと思います」


「違いない」


 並列思考を持つがゆえの能力か、高校生の若さがなせる業か、考察じみた雑談を交えながらも、器用に部屋の掃除を進める三人。分別したごみを袋に詰める係、軽く掃き掃除をする係、触れることすら遠慮したいテーブルや椅子を拭く係と分業も完璧である。


「では、いつか雑談を交えてノアへ臨めるようになった時には、ゆっくりと紅茶を嗜みながらクエストへ参りましょう」


「お、そりゃ楽しみだ」


「あ……」


 ささやかな目標を掲げながら笑顔を浮かべる二人の横で、言葉をつぐむ浮暮波。二人もそれに気づいたようで、互いにアイコンタクトを挟んで紀久淑が声をかけた。


「ですがその前に、浮暮波さんのご意見もお伺いしなければなりませんわね」


「そうだな。コーヒー派かもしれねえもんな」


「……黒部さん」


「ん?」


「ステイ」


「……ぶひい」


 三者の沈黙ののち、この相方は使えないと判断したお嬢様、ここはひとまず自分に任せろと黒部を下がらせる。戦力外通告などではない。もしやこいつKYなのでは?などとも思ってはいない。いないんだ。


 妙な空気を振り払おうと、紀久淑がコホンと咳ばらいを一つ。気を取り直してとばかりに言葉を続けた。


「まずは改めて感謝を述べさせてくださいまし。本日はお誘いをお受け下さり、誠にありがとうございます。こうして最後までわたくし達にお付き合いくださったこと、とても喜ばしく感じておりますわ」


「感謝を述べたいのは、私の方です……後ろ向きな私をこうして連れ出してくださり、本当にありがとうございます」


「思い返すと、いささかどころではなく強引な勧誘方法でしたわね」


 形だけを見れば、渋る浮暮波を言いくるめて連れ出した困ったちゃん二人組でしかない紀久淑と黒部。浮暮波がノアに無関心ではなかったことと、最上と言っても良い成果を得られたことを受けてもそれは変わらない。


 ファンタジー世界を体験できるノアへの憧憬はもとより持っていた浮暮波も、今日の出来事から多少なりともノアへ前向きな姿勢を見せつつあるように感じられた。


 だからといって、この先彼女が積極的にノアをプレイしていくかどうかはわからないうえに、それを強制することもできない。よしんば前向きになったとしても、今後自分達と行動を共にしてくれるのかどうかも定かではない。


 当初の勧誘こそ強引な手法を用いたものの、己のモチベーションの在り方は、彼女自身が定めなければならないと紀久淑は考えている。たまたま今日は最上の結果を残せたが、明日もそうなるとは限らないのだから。


 例えば紀久淑茉奈は、ノアのアドベンチャーパートを遊び倒すことに楽しみを見出している。そのために公立高校への入学を決めたのだから、彼女の熱意は相当なものだ。


 その反面、強さや結果にさほどこだわりはない。持ち得る手札で最善を尽くし、もたらされた成果に一喜一憂するのが彼女の考えるノアライフなのである。


 黒部はもっと単純で、唯々ノアを人並に遊びたいだけだ。そもそもスタートラインに立つことすら危うかったのだから、現状以上の欲求が生まれることもしばらくはないだろう。


 このように、割とプレイスタイルが噛み合っている二人だからこそうまくコンビが組めているのだ。それでも先日のようなすれ違いも起こるし、実際そういった行き違いでパーティが解散することも決して珍しくはない。


 そういった懸念も手伝い、紀久淑は浮暮波に区切りを用意した。そのうえで、改めて彼女の意思を確認しようとしているのだ。とはいえ、本心は仲間になってもらう気満々である。


「わたくし達のパーティは、ファンタジーならではの非日常を体験し、楽しむことを主体にして活動しておりますの。とはいえ、初めて挑むクエストとしてはいささか過激でしたわね。もうしわけございません」


「いえ、私も楽しかったです。これまでの私では決して体験しえない……素敵な、かけがえのないひと時でした」


「そう仰っていただけたことが、何ものにも代えられない最高の報酬ですわ」


 分厚い前髪から覗く口元に、柔らかい笑顔が浮かぶ。相変わらず目元は隠れているものの、その表情は決して作られたものではないだろうと紀久淑は感じた。浮暮波とも楽しい時間を共有できたことに喜びつつ、ここで区切りをつける。同時に、共に過ごす喜びをひと時ばかりで終えたくはないと言葉を続けた。


「改めてのお願いとなりますが、浮暮波さん。わたくし達とパーティを組んではいただけませんか?」


 じっと浮暮波を見つめて伝える。前髪で隠れて見えないが、浮暮波もまた目をそらさずに見つめ返す。共に真剣な表情で見つめ合うこと数秒。ゆっくりと浮暮波が口を開いた。


「とても、嬉しいです。ですが……そのお誘いをお受けすることは……いえ、お受けする価値が、私にはありません」


「……理由をお聞かせいただけますか?」


 これまでのやり取りを思えば、まさか色よい返事をもらえるはずもない。どうにも根強く巣くう浮暮波の劣等感を、紀久淑も正しく理解していた。とはいえここではいそうですかと話を終わらせるには、彼女が抱える心情は複雑すぎる。ならば改めて彼女の言葉を聞き、そこから付け入る隙、もとい、突破口を見出すことにしたようだ。


 一方、まさか論破前提の問いを求められているとは夢にも思わない浮暮波は、散らかった心の内を整理しつつ、ゆっくりと口を開いた。


「お二人の好意的な寸感を額面通りに受け止めるのは、とても面映ゆいのですが……私でも、微力ながらパーティへ貢献させていただけたのだと、今はそう思えております」


「微力どころではありませんわ。胸を張ってくださいまし」


「ありがとうございます……ですが、それらの評価を帳消しにして余りある、致命的ともいえる体力の不足については言い訳のしようがありません。主だった原因こそ黒部さんからご教授を頂けましたが、身体能力へ枷をかけている苦手意識というものは、一朝一夕で拭えるものではありません」


「それは……そうですわね」


 これに関しては紀久淑も否定はできない。黒部の話から察するに、ノセボ効果による動作障害は一過性のものであり、永遠に付きまとう代物ではないらしい。


 とはいえ、彼ら彼女らは今を生き急ぐ高校生。のめりこんだら止まれない、止まらないを地で行く生命体なのだ。傍から見ればわずかな足踏みも、己からすれば無駄な時間でしかない。マグロかなんかか。


 ここで紀久淑が急ぐ旅路ではないと語ったところで、足を引っ張る側の心が軽くなるわけではない。特に、前向きにノアへ取り組みたいと思い始めた浮暮波ともなれば猶更だろう。


「はい。このお話をお受けすれば、今の私はお二人の選択肢を狭め、奪ってしまいます。それは今後のパーティ運営にはじまり、戦闘時の動線、移動時間の増加、果てはパーティメンバーの選定にも影響は及びます。お二人は私のあり様をご寛恕くださりますが、他の仲間からも理解を得られるとは限りません」


 浮暮波の言葉は的を射ている。事実、紀久淑は彼女がパーティに加わった際のプランニングを別口で用意していた。当然彼女の体力に合わせた内容に変化しており、これまで受注していたクエストと比較すると、フィジカル面での負担は幾分軽めに設定されていた。


 むろん、紀久淑はこれを妥協案だとは考えていない。博識な浮暮波を迎えたことで、難解なシティアドベンチャーやダンジョンアタックにも挑めるようにもなるからだ。浮暮波アリア浮暮波(アリア)の加入は選択肢を奪うばかりではなく、新たな選択肢を与えているのである。


 それでも浮暮波は、先を行く二人への劣等感を拭えない。己がパーティに加わるうえでの貢献と、齎す不都合を天秤にかけたうえで、負の受け皿に指をかけてしまっているのだ。


「何より、お二人に〝自分は不要だ〟と思われたくないのです。そんな……そんなこと、耐えられません」


 なぜならば、黒部や紀久淑同様、浮暮波も二人と共にありたいとおもっているから。


 好きな人に嫌われたくない、自分の良いところを見ていてもらいたい。誰もが持ち得るそんな感情。それを抱えたうえで彼女が取った行動は、己から身を引くことだった。


 紀久淑は、静かに彼女の言葉に耳を傾けている。内心すぐにでも浮暮波を抱きしめたいという衝動に駆られているが、今それを行っても何も変わらない。己が設けんとした一区切りである以上、彼女の思いは真摯に受け止めなければならないと聞きに徹する。彼女を救う良策を思いつかない、無力な自分に歯噛みしながら。


 同様に、先ほど一区切りをつけようとした紀久淑とは違う意図から、そうした機微に疎い黒部も沈黙を貫いている。飼い主の待てが効いている可能性も否定できないが、この件において己がどう声をかければ良いのか、明確な答えが出ていないからだ。


 今でこそナイーブな豚であることが判明した黒部ではあるが、高校に入学するまで、もっと言えばキャラクターメイクが終了するまで、彼は他者の感情に深く触れることはなかった。漠然とした、言ってしまえばなあなあなままでも仲良くやっていけたからだ。


 つまり、思考形態が小学生男子なのである。人間関係における悪意に敏感に反応してしまうのは、そういった背景も手伝っているのかもしれない。


 浮暮波のような考え方も、己に重ねることで推し量ることこそできてはいるが、それでもすべてを理解したとは口が裂けても言えない。そのため、めったなことを口走って場をかき乱さないよう細心の注意を払って黙っているのだった。


 忘れている方も多いと思うので述べておくと、この物語の主人公は彼である。


「勿論、継続的な努力はいたします……ですが、成果が実を結ぶまでの期間に、お二人へ不自由を強いる形にはしたくありません」


 努力の先、自身が一人前のプレイヤーになった暁には、そう続けたいところで、ぐっと言葉を飲み込む。それでは何も変わらないからだ。


 本当は待っていてほしい。でも、自身を理由に足踏みをしてほしくはない。相反する感情がせめぎ合う中、浮暮波は己をしまい込んだ。


 そんな彼女の葛藤を、心の機微に敏感な紀久淑は正しく読み取っていた。そのうえで彼女の意思を尊重するべきか、はたまたクエスト時のように強引な手段を取るべきか、判断しかねている。


 自己評価という点においては頑なな彼女が、いくら言葉を重ねたところで意見を変えるとは思えない。不利益を与えたくないだけで、自分達と共にありたいと思ってくれているのであれば、こちらは彼女を待つのが正しいのではないか。


 ただ、一人の寂しさを理解してしまった彼女をここで行かせてしまうと、それはそれでこじれる気もする。もっと言うと、一人になった浮暮波が、己を一人前だと認められるビジョンが全く見えない。


 こうなったら最後の手段、黒部とパーティを組む際と同様、強引に相手の本心を引き出させようとも考えたが、インスタント弱メンタルな彼とは違い、浮暮波を絆すのは容易ではなかろう。


 どうしたものか、答えが出ない。


 うんうん唸りながら、これまで置物と化していた黒部をちらりと見る。待てを命じた手前強く言えないが、より彼女の心に寄り添える彼ならば良案を思いつくかもしれない。多少の懸念を抱えつつも、一旦は彼にこの場を預けた。内心藁にも縋る思いで。


 彼女のアイコンタクトを受け取った藁、もとい黒部は、まんじりともせずにいた身体をゆっくりと動かし、首をかしげながらも口を開いた。ガーゴイルかなんかかお前は。


「つまり、浮暮波さん自身はパーティ加入に乗り気で、でも俺達に迷惑かけちまうから入りたくないってことか」


「……黒部さんの辞書には、オブラートという言葉は掲載されていないのですか?」


「いえ、この場合はデリカシーと呼ぶべきかもしれませんわね」


「俺が喋ったとたんに息ぴったりなのね、二人とも」


 意見を求められたのにこの仕打ちはあんまりだといじける黒部。己の葛藤を直截に過ぎる要約で返されたせいか、浮暮波の返しも直球である。一方、思考が袋小路に陥っていた紀久淑もまた、カミソリのようなカーブを放つ。


 どちらも見逃してデッドボールを喰らった黒部だが、発言権を得た以上は会話に参加する。せめて思ったことくらいは口にしようと続けた。


「いや、まあこれから言うことを思えば間違っちゃいねえのかな……うん、デリカシー無し男(なしお)だな、俺は」


「今の発言を前置き扱いですか……一体、何を宣うおつもりなんですの?」


「ん?いや、浮暮波さんが欲しくて仕方ないんだってアピールを……」


「えっ」


「まあ!」


「え? ……ああ! 違う違う!! 仲間としてって意味で、そういう意味ではないから! 俺達には、浮暮波さん以外はいないんだって話だから!!」


 突如放たれた口説き文句に固まる浮暮波と、先の推測が嵌りはしゃぐ紀久淑。間をおいて、己が放ったピッチャー強襲弾丸ライナーに気づいた黒部が慌てて自己弁護を行うも、みるみる顔を赤くする浮暮波を眺めてニヤニヤする紀久淑の耳に、それらは右から左へと流されていくのだった。





「とりあえず、言い方が悪かった。ごめん」


「いえ、わたくしも淑女として恥ずかしいところをお見せいたしましたわ」


「……ただただ、穴があれば入りたいです」


 数分間の喧騒を経て、ようやく落ち着きを取り戻した三人。決め手はタイムリミットである。いよいよ黒服さんの平身低頭にも限界が迫ってきた現状を受けて、改めて冷静になった次第である。


「時間もないし結論から述べるけど、俺達には浮暮波さん以上のヒーラーはいないんだ。メリットデメリット、諸々含めて」


「そんなことは……」


「まあまあ、最後まで聞いてくれ。今日がうまくいったから忘れて、というか勘違いさせちまったのかもしれねえけど、俺達はいわば底辺プレイヤーなんだよな。俺のアバター〝黒豚〟は言わずもがな〝序盤の花形〟って呼ばれているエクス・マキナも所謂ハズレ扱いだから」 


「はじめに黒部さんがおっしゃっていましたね」


「おう。そんな俺たちだから、強くなることよりも途中の道程を楽しみたいと思ってる。勿論、野心が全くないわけじゃないけどな」


「であれば、私は野心の妨げにしかなりません」


 心なしか、紀久淑に対するそれより距離感を感じる受け答えな気がする。そう感じながらも彼女に語りかける黒部の目じりにはキラリと光るひとしずく。


 黒部の名誉のために言っておくが、別に浮暮波は彼を疎んでいるわけでも、ましてや嫌っているわけでもない。


 ただ、これまでの所業や発言を鑑みて、気を遣うのをやめたのだ。距離感が縮まったと喜ぶべきか、存在を軽んじられていると嘆くべきかは受け取り手に委ねよう。


 一方、黒部と同じ底辺の括りに置かれた紀久淑は、釈然としないものを覚えながらも沈黙を貫いている。時間は有限であり、議論を混ぜ返す暇はない。更には自身が手詰まりに陥った以上、この場を黒部に預けることにしたようだ。


 全幅とまではいかないものの、紀久淑から委任を受けた黒部。パーティの、ひいては浮暮波の進退をより良い方向へ導けるようにと言葉を続けた。


「いや、実はノアってレベルやステータスを上げるだけならばそんなに苦労しないんだ。むしろ、焦って数字だけあげるとそれ以降メチャクチャ苦労するらしい」


 彼のいう苦労とは、所謂プレイヤースキルのことだろう。


 鉄をも切り裂くSTRを持つアバターを有していても、中身は碌に剣を振るったこともない素人だ。闇雲に武器を振るったところで十全なダメージは与えられない。それどころか、下手をすると武器が破壊されるのだ。


 また、同レベル帯のエネミーとの戦闘を繰り返すことで、種族ごとのアルゴリズムも覚えられる。これを怠ると戦闘の難易度が跳ね上がってしまう。


 だからといって低レベル帯の狩場を高レベルプレイヤーが荒らしていると、他プレイヤーからの白い目に晒される。見栄っ張りの高校生にこの仕打ちは地味にキツイ。


 他にも挙げればきりがないが、大切なのは身の丈に合ったプレイスタイルを送ることなのだ。


「それに、高校三年間で上げられる数値も結局どこかで頭打ちになる。違いなんて早いか遅いかしかない。だったら、長く楽しくプレイしないと勿体ないだろ?」


「……仰りたいことは、わかりました。ですが、今の私では歩き続けるところから始めなければなりません。お二人に退屈な思いをさせてしまうのは耐え難いのです」


「そうそれ。浮暮波さんがこれからどんなことをしようとしていたのか。それが聞きたかったんだ」


「……はい?」


 待っていましたとばかりに声を弾ませる黒部に、何を言っているんだとばかりに疑問符を口にする浮暮波。黒部の意図が読めない紀久淑も、彼女に続くよう小首をかしげる。


 女子二名を置き去りにしながら、それでも黒部は納得したように一人うんうんと頷いている。


「良いじゃねえか、ファンタジー世界の景観を楽しむってのも乙なもんだ。紀久淑さんは、言ってしまえばただの冒険馬鹿で、俺はただノアをしたいだけだったもんな。いや、ここはやりたいことを探してるっていったほうがカッコイイかもしれない」


「……おそらく、そう前向きにとらえられるほど、楽しい道程にはなりえないかと思いますが」


 黒部の物言いに、呆れ交じりに答える。彼女の思い描いていた修行パートは、街中を延々と歩き続ける苦行以外のなにものでもなかったのだ。もの珍しさを覚えていられるのは歩き始めの数周程度だろう。


 そんな彼女とは裏腹に、彼の意図に気づいた紀久淑。なるほどと相槌を打つ。


「確か、ゲーム内で料理も行えると聞いておりますわ。わたくし達三人であれば通常マップのエネミー程度は驚異たりえませんので、ピクニックと洒落こむのも良いですわね」


「異世界料理の味も気になるな」


「え……で、ですが、私の体力を鑑みるに、休憩の頻度が尋常ではないと……」


「ならば、その間に弁当喰おうぜ。ゲーム内ならそれこそいくら食っても変わらねえんだからよ」


「近場で採集を行っても良いですわね。思わぬ出会いに恵まれるやもしれませんわ」


 畳みかける黒部の、何と強引なことか。流石にここまでくると、彼女への気遣いというよりは彼の我儘になってしまっている。更に、紀久淑も黒部に乗っかっているせいでブレーキ役がいない。お陰で部室内の力関係は二対一。立派な同調圧力がこの場を支配していた。


「あ、その、やはり根本治療こそ肝要と申しますか、〝もう一人の自分(セカンドサイド)〟に限らず、生身の肉体改善を主目的とした、ジョギングなんかも、始めていこうと考えておりますので……」


「丁度いい、朝の日課だから一緒に走ろうぜ」


「殿方と一緒であれば、万一の場合には盾にもなりますわね」


「おう!逃げ切る時間くらいは作れるといいなと思ってる!」


「……おや?」


 己の不利を悟ってか、昂った感情を押し隠すように思い付きを口にしてしまった浮暮波。ただの口から出まかせというわけではないが、漠然とした絵図面でしかなかったそれが見る見るうちに実体化していくのを眺めて、せめてウォーキングと言っておけばよかったと顔を白くさせる。


 先ほどは同調圧力だといったものの、根っこの部分は三人とも同じだ。何度も述べるが、のらりくらりと躱し続けている浮暮波も二人と一緒に居たいのだ。


 そして、浮暮波の述べる懸念など、黒部が気にするはずがない。なぜならそれは、既に黒部がこのパーティに強いているものと変わらないからだ。


 浮暮波(プレイヤー)アリア(アバター)のステータスを縛っている彼女ではあるが、ハーフリング自体のAGIは決して低くない。現時点でこそクロベーに大きく水をあけられてはいるが、彼の場合はプレイヤースキルで無理矢理稼働しているに過ぎず、いずれは互いの立場も逆転するだろう。というか逆転して貰わないと絵面的に困る。


 もっと言えば、魔法スキルが発現した時点で詰んでいる黒豚や魔法攻撃に滅法弱いエクス・マキナと違い、ハーフリングはアバターとしての欠点はそう多くない。そのほとんどが体の小ささに起因する者であり、逆にそれを長所として活かすことも可能なのである。


 つまり、クロベーとアリアをカタログスペックのみで見ると、アリアの方が断然優秀なのである。というより、唯一の長所である近接戦闘適性が、とある事情でガタ落ちしているクロベーが残念過ぎるとも言っても良い。


 当然黒部も、仲間である紀久淑もその点は理解している。それでも己を受け入れてくれた紀久淑に感謝しているし、自身もそうありたいと思っているのだ。


 故に彼は浮暮波に訴える。だからなんだと。ケチが付いたらやりたいこともできないなんて、そんなの誰が決めたのだと。


「そうだよな、そういう楽しみ方もあるんだよな。うん、いいわ。すっげえワクワクする。むしろ、そんな楽しそうなことを独り占めになんてさせねえよ」


「いえ、これを楽しみとして受け止めて下さるのは、お二人を除いてそうそういらっしゃらないかと」


「そうか?解釈はともかく、俺達じゃ十年かかってもたどり着けない自信あるわ。俺は勿論、紀久淑さんも荒っぽいというか、ゲームイコール冒険!戦闘!鉄火場!!って感じだから」


 苦笑交じりに紀久淑を見たクロベーとばっちり目が合うお嬢様。先ほどの冒険馬鹿こそスルーしたものの、これには納得いかんと口をはさむ。


「なっ、わたくしほどの淑女はそうおりませんわ!それを言うに事欠いて荒っぽいなどと……」


「自覚がないとは言わせないぜ、脳内少年誌なお嬢様(笑)」


「今何か含みがありましたわ!」


「気のせいだって……ぶはっ」


「もう笑いをこらえられていないではありませんか!このメレンゲメンタル!」


「メレンゲメンタル!?」


「……ふふっ」


 ギャースカと言い合う二人を眺めて、思わず笑ってしまう浮暮波。初めてできた家族以外の居場所は、思いのほか居心地が良くて。絆されそうになる心を、受け入れて貰いたいと思う本音をぐっと抑え込んで、彼女は二人への気遣い本心を口にした。


「お二人の言葉を受けても、私は己に価値を見出せません。紀久淑さんの優しさに甘え、黒部さんの言葉に安寧を覚え、易きに流れる様がありありと浮かぶのです。……自分で言うのもなんですが、とても面倒な女ですね。こんな自分が、本当に嫌」


「……俺だって、いや、そんなもん、誰も変わらねえよ。だから大切なんじゃねえか。甘えたっていいんだ、優しいだけじゃいけないけど、厳しいだけじゃ仲間だって、友達って呼べねえよ」


「……ふふっ、黒部さんは、本当にお優しいのですね。私が恋物語のヒロインであれば、貴方の言葉をまっすぐに受け止められたのかもしれません。ですが、黒部さんの前にいる女は、書物に描かれるような清廉さを持ち合わせてはおりません。より生々しく、より醜い、正視に堪えぬようなおどろおどろしい感情を抱えているのです。今も、ただお二人に自身の韜晦を否定してほしいだけなのかもしれません。そうして己の自尊心を慰める、卑しい女なんです」


 自分を受け入れてほしい。そうすれば、弱い自分を少しだけ好きになれるから。


 もう諦めてほしい。そうしなければ、弱い自分を受け入れてしまいそうになる。


 優しさという名の温かい痛みが、多感な高校生の繊細な心に深く突き刺さる。喜びといたたまれなさが複雑に混じり合う。目じりに浮かぶ涙を堪え、それでも二人から目を逸らさない。


 ここへ来て、浮暮波の言葉に変調の兆しがみられる。自己を貶める発言こそ変わりないが、ノアへの意識、己の性格から、より深く人間的な本質への言及へと及んできたのだ。


 ようやく姿を現にした最終形態。彼女の言葉の通り、浮暮波凛はヒロインなどではなかった。段階的に攻略していく様は、RPGのラスボスそのものである。


「自尊心。悪い言葉のように囚われますが、わたくしは嫌いな言葉ではありません。少なくとも、今、この場においては」


 ここが正念場だと感じたのか、紀久淑が口火を切る。これまでの会話から、浮暮波が何を思っているのか、何に納得していないのかを考えた彼女が取った行動。


「なぜならば、自分を貶めていた浮暮波さんが、自身を蔑ろにはせず、愛していることの証左となるのですから」


 それは、彼女の在り方を変わらずに認め続けることだった。


「自分が嫌いだと、浮暮波さんは仰いました。ですが、それが未来永劫己を嫌いであり続ける道理とはなりませんわ。貴女を大切に思うわたくし達のそばで、わたくし達が好きな貴女を、少しずつ好きになっては下さいませんか」


 馬鹿の一つ覚えだと思うかもしれないが、実際はこの場における最適解であったりする。


 浮暮波の謙遜が過ぎるので有効打たりえないように見えてはいるが、彼女の自己否定は褒められ慣れていないが故の戸惑いから来るものであり、不快感を覚えてのものではない。


 そして、褒められ慣れていないとは、それすなわちチョロいということなのだ。


 当然例外はあるので、ここは彼女の場合に限るという注釈を加えさせていただくが、浮暮波凛という高校生らしからぬパーソナリティを持つ少女の精神構造も、実際は普通の高校生とさほど変わらないのである。


 これまでは常人らしからぬ面ばかりに目が行くこと度々であったが、それらはすべて交友関係に恵まれてこなかったが故の弊害と言い切れる。此度のやりとりも、彼女の中で友達作りへのハードルが天井知らずになっていることに端を発しているのだ。


 つまり、押せば倒れる。


 問題は、刻一刻と迫るタイムリミットに間に合うかどうかではあるが、それはそれ。彼女の中では、後に待つペナルティよりも浮暮波の方が大切なのだ。アバターのジョブに引っ張られてかヤンチャが過ぎる昨今。この後リリーナ女史と料理長からのお説教が待っていることを彼女は知らない。


「……なぜ、そこまで私に良くしてくれるのですか」


 アウトローお嬢の身体を張った口説き文句を受けて、消え入るように呟く。


 同性からこうも熱烈に口説かれた経験などないが故の戸惑いからか、落ち着かない様子がありありと見て取れた。因みに異性に口説かれたのは先ほどの黒部が初だ。初告白が未遂というのが何とも物悲しい。


「すべてをお話していては、朝を迎えてしまいますわね。ですので、一つだけ」


 そんな浮暮波の姿を見て、笑みを深める紀久淑。先の言葉には相手の平常心を奪う意図もあり、その効果に手応えを感じてのにんまりである。


 ならばこの機を逃すものかと、二の矢となる言葉を放つ。


「今日という一日を共に過ごした中で、わたくしは貴女が欲しいと思ったのです。シーフは、狙った獲物は逃がしませんの。ただただ、浮暮波さんという宝物を、生涯にわたる友としてこの手に収めたいと、心から願っているのです」


 渾身の殺し文句。若干心も真名に取り込まれつつあるが、それは置いておこう。呆然として、意味を咀嚼して、顔を真っ赤に染めていく少女を見れば、効果のほどは語るまでもない。


 おぶおぶと慌て気味に視線を彷徨わせた先には、三白眼の同級生が佇んでいた。前髪を介しても尚真っ直ぐに視線が合う感覚を覚えた浮暮波は、先の言葉で昂るままにじっとりと汗をにじませる。


 平時であれば畏怖を覚える瞳に浮かぶ温かさが、とても心地よく己を包みこんでいくを感じた。


「諦めたくないって、浮暮波さんは言ってくれたよな。あれを聞いた時に、ようやくわかったんだ。ああ、やっぱり浮暮波さんも冒険をしたかったんだなってさ」


「……どういったお話ですか?」


 歯が浮くようなセリフが飛んでくるのだろうと身構えていた浮暮波だが、急な話題の転換に疑問符を口にする。気の緩みから身体のこわばりを解き、平常心を保とうとしたところで、思いもよらぬ一撃を見舞われることとなった。


「運動が苦手でも就けるジョブなんて、ノアの中にはごまんとある。それこそ生産職でもな。だけど、本でファンタジーに触れていた浮暮波さんがそれに気付かないはずがない。だから浮暮波さんは、本当にノアに興味がないんだと思ってたんだ」


 黒部の言葉を聞くにつれ、浮暮波の表情が強張りを増していく。胸中を占める思いは、何故の一言。遅れてやってきた羞恥心に慌てる間もなく、黒部は続きを口にした。


「きっと浮暮波さんは、はじめからパーティで冒険に出たかったんじゃねえかな。だから比較的運動量の少ない後衛であり、そのなかでも適性の高いヒーラーに必要なステータスを重点的に上げていた。いつでもパーティに加われるように」


「なるほど……希望するジョブをお尋ねしたときに言い澱んでいたのは、そのためでしたか」


「……仰る通り、です。ずっと、興味はありました」


 珍しく冴え渡る黒部の脳が、浮暮波の複雑な心情を正しく読み取る。そのためか、観念したようにという言葉がしっくりくる声音で呟く浮暮波が、今度は気恥ずかしさで顔を赤くする。黒部に女心の機微を察知する機能は有していないのだろうか。


「戦闘時に足手纏いとなる私でも、回復役ならば少しは必要とされるかもしれない。今はまだその時ではなくとも、いつか、私も……そう思って、未練がましくもステータス上げだけはしていたのです」


 そう自嘲する浮暮波が、すいと視線を足元へ落とす。かつて経験したことのない感情の乱降下から涙腺は緩み切り、自然と涙が溢れ出してきた。


「ですが、私は今まで他者とコミュニケーションの機会を設けたことがありません。積極的に声をあげることもできず、そのくせ諦めることもできないまま、女々しく縋っていたのです」


 輪の中からはじき出された浮暮波は、他者との距離感を図れずに、自ずとすべてを切り捨てた。だがそれは、機械的に情報をはじいてきたわけでも、ましてや消去していったわけでもない。


 確かに彼女は興味のないものは覚えない。それはすなわち、興味の有無は己の中で判断しているということなのだ。取り込み、保存し、消去する。幾度となく繰り返し、上書きされ、負荷ばかりが増えた彼女の心には、知識と、物語と、憧ればかりが積もっていた。


 そんな彼女にとってノアとは、多くを捨てた心が求める全てであり、なりたかった自分になれる唯一の世界だったのかもしれない。


「お二人にお声掛けをいただけたことは、望外の幸せに他なりません。ですが、お二人が声をかけた女は、己の弱さを隠し、人の優しさに付け込むような卑怯者なのです」


 瞳に浮かぶ涙が勢いを増す。今ここで泣いてしまう自分の、何とあさましいことか。そうまでして二人に優しくされたいのか。幾度となく二人を拒絶しておいて、今更縋りつこうとでも思っているのか。


 それでも、その場から逃げ出すような真似はしない。晒す無様も行きつくところまでたどり着き、もう落ちようもないところまで転がり落ちていても、それだけはできなかった。


 そして、それが答えだった。


「……でも、寂しい」


 ぽそり、呟く。その後の変化は一瞬で、劇的だった。


「私が何をしたの? 嫌われるようなことした? 話しかけたら笑われて、私傷ついたよ? チラチラ見られてキモいっていうから、髪を伸ばして顔を隠したんだよ? 本ばかり読んでて暗い? じゃあ一緒に遊んでよ。みんなは遠巻きに眺めるだけだったから。だから何もしなかったのに、今度はいない人扱いしないで! 私はここにいるのに、みんなが私を無視する! なんで、なんで!! 無視しないで! 嫌いなら嫌いだって言ってよ! 直すもん! 言ってくれなきゃわからないよ!! 私はずっとこのままなの!? ひとりぼっちで、寂しいって言っても誰も聞いてくれない! そんなの嫌、絶対嫌!!」


 堰を切るように溢れる言葉。クエスト時を上回る感情の濁流が、彼女の心を守るように溢れ出す。穏やかで丁寧な口調は面影もなく、年の頃よりもだいぶ幼く、酷く俗っぽい。


 突然の剣幕に当初こそあっけに取られていた黒部と紀久淑だが、彼女の境遇や、心の奥底に仕舞われていた悲痛な叫びを受けて表情を変える。


 これもまた、どこにでもある話だと言えばそれまでだろう。しかし、当事者の叫びから伝わる生々しさが、二人の肌を粟立たせ、言いようのない焦燥を湧き立たせた。


 目の前で子供のように泣き続ける少女に、何ができるのか。恐らく、百点満点の答えなどないのだろう。そう思い悩む二人だが、かすれた声に乗って届けられた言葉が全てを吹き飛ばした。


「誰かと一緒にいたい、って、そう思うのって、そんなにおかしいの……?」


「おかしくない!!」


 ほとんど反射だった。


 一拍遅れて言葉を発しようとした紀久淑の勢いを殺してしまうほどの大音量が響く。受け手もこれには驚いたようで、振り乱した前髪を直すことなく顔を上げた。前髪から覗く瞳は真っ赤に充血しており、いまだ枯れぬ涙はぽろぽろと零れていく。


 叫んだ勢いそのままに険しい顔をしているクロベーの目にも、貰い涙がしっかりと浮かんでいる。ここ数日の扱いから追体験を味わったことも手伝い、感情移入もひとしおといったところだろう。


 黒部も現在進行形でクラスメイトから避けられている。もし、これが何年間も続いたら。考えるだけでもぞっとするし、とてもではないが耐えられないと思った。


 それでも彼女は負けなかったのだ。降りかかる理不尽をその身に受け、弱さを見せずひた隠し、こうして今日までを過ごしてきたのだ。


「何度だって言ってやる、浮暮波さんはおかしくない。一人にされて、寂しくないはずねえんだ。だから浮暮波さんは悪くねえ!」


 黒部は感動した。そして、振るうばかりではない心の強さに、それを持つ浮暮波凛という女性に強い憧れを抱いた。ホントチョロいなコイツ。


 彼にとって、これまでに見聞きしたあれこれや、ここにきて垣間見えた本音の吐露など欠点にもならない。どうやらこの男、加点は青天井で行う割に減点となると途端に渋りやがるようだ。


 更に付け加えると、そんな憧れの人が自身と同じくミニゲーム勢だった点も大きい。あれだ、贔屓のアイドルと趣味が一緒で、更にバラエティ番組で割とディープな話をしてくれるとちょっと嬉しくなる感覚が近い。しかも彼の場合は、ソロプレイも想定にいれたうえでのステータス満遍なく上げだ。共通の話題でちょっとマウント取れるのもポイント高めなのだ。うん。


 若干気持ち悪い思考も混ぜつつ、黒部は考えた。その結果思い出したのが、峯村にかけられた言葉だった。


〝関係ないよ。あたしが黒部君といたいなって思ったから声をかけた。それだけだもん〟


 そう告げられた時に感じた、心が軽くなるような、自分の価値を認められたような安心感。自分に足りなかったのはこれだったのだ。峯村といい紀久淑といい、ちょっと強めの自己肯定があれば簡単にメンタルを回復するあたり、彼は意外と図太いのかもしれない。いや、相手が可愛い女の子ばかりだと考えると、ただの惚れっぽい男子高校生か。


 ずんずんと浮暮波に歩み寄った黒部は、茫洋と己を見つめる浮暮波の肩に手を置く。それはもうがっしりと。ビクリと身体を強張らせる華奢な肩を両手に収めたまま、突然の出来事に目を白黒させる浮暮波を、これまた真っ直ぐに見据えて口を開いた。舌の根も乾かぬうちに。


「俺は、浮暮波凛が欲しい!!」


 ひゅっと息をする浮暮波。唖然とする紀久淑。


 二度目の口説き文句、強引なアウトローバージョンとでも言っておこうか。


 時が止まったような錯覚が部室内の空気を支配する。それに気づかない張本人はちょっと言い方が悪かったなと呟き、コホンと咳ばらいを一つ。コイツもだんだん中身がオーク化しているんじゃなかろうか。


「誰もいらないなら、俺達が貰う。どこにも行かせないし、誰にも渡さない。だから頼む!!」


「はいぃ……」


「よっしゃああああ!! 絶対だかんな! あとでやっぱやめたとかなしな!」


「はいぃ……」


「やっべ超嬉しい! 今なら何でもできる気がする! もう俺達が寂しい思いなんて絶対にさせねえから!!」


「はいぃ……あの」


「もしまた不安になったらすぐ言ってくれな! 浮暮波凛は、世界一イイ女だって、何度でも言うから」


「あの……それは恥ずかしいのでどうかおやめください。それと、手が……」


「……もし、黒部さん?」


「紀久淑さん! 俺……俺、やったよ!! パーティに貢献できたよ! 勿論言うまでもなく、紀久淑さんも同率一位でイイ女だから!!」


「いえ、そういうことではなく……って、黒部さんもお顔が真っ赤ではありませんか」


「うはは、いざ我に返ると超恥ずかしいやっべえ俺何やってんだよマジで」


「絶対に私の方が恥ずかしいです……」


 新たな黒歴史に悶える少年。胸の高鳴りに戸惑う少女。混沌とした状況に呆れる少女。


 三者三様のリアクションを返す少年少女だが、心の内を占めるのは喜びだった。


「とはいえ、色よいお返事をいただけたことに変わりはありませんわ。これまたいささかどころではない強引な手法ではありましたが」


「いえ、女心を散々弄ばれた点に目を瞑れば、とても晴れやかな心持です。力強く、真っ直ぐに、在るがままを受け入れて頂ける……今は、とても幸せです」


 勢いのまま放たれた告白擬きに思うところはあるようだが、自身も流されるがままに首肯を返した手前、強くは言えないようだ。勘違いしていないんだからねとばかりにパーティ加入を受け入れた浮暮波もまた、苦笑交じりに言葉を返す。


「……ですが、本当に宜しいのですか?」


 私などを、と続けようとしたところで、紀久淑がにやりと口角を上げる。何とも蠱惑的で小悪魔的な表情を浮かべたお嬢様は、からかうように笑った。


「あら、浮暮波さんは欲しがりなのですわね。ならば述べましょう。浮暮波さんは、世界一イイ女で、わたくしの宝物なのです。胸をお張りなさいな」


「あ、いや、あう」


「もうやめて!とっくに俺のライフはゼロよ!!」


 見事なワンショットツーキルを決めて、これまた楽しそうに笑う紀久淑。おいしいところを持って行かれた意趣返しなどこもっていない。いないんだ。


 ―――人の心は複雑で、人間関係はもっと複雑で。


 それでも、人が人であり続ける限り、人は人と共に在りたいと思い続ける。


 ならば、そこに幾億の言葉が紡がれれば、幾億の思いがこもってさえいれば。


 そこに何かが生まれるのだろう。


 だから、たった一人の人間の、たった一つの心を動かすためには。


 溢れる思いのそのすべてから、ほんの少し、伝えられれば良いのかもしれない。


「なんとも締まりませんわね……浮暮波さん」


「はい」


「最初に申し上げた言葉がすべてです。わたくしたちと共に、同じ景色を見てはいただけませんか」


「ずっと頑張ってきたんだ。後はハッピーエンドが待ってるだけだ。そうだろ?」


 にこりと笑顔を浮かべ、紀久淑が手を差し伸べる。


 にやりと笑う黒部が、気恥ずかし気に手を伸ばす。


 少しの間をおいて、伸ばした右手に二つの手が添えられる。


「どこまででも引っ張ってやる、だから」


「いつまでも、共に参りましょう」


「はい!」


 咲き誇る笑顔が三輪、窓から注ぐ月明かりに照らされて輝く。


 魔王を討伐し、お姫様を救い出す一大冒険活劇、これにて終幕。めでたし、めでたし。

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