表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱の魔王  作者: よーき屋支部
第三章 小人の祈りに想いを重せて
27/38

〝前進〟

「ああは言ったものの、やはりクロベーは向こうまで届かなそうですわね」


「アレがもう少し低い位置にいりゃ何とかなったかもしれねえけど、そうなったら落下ダメージで死ぬな」


「痛し痒しですわね」


「全くだ。こういう時にオークは不便だな」


 アリアが抱えていた問題もひとまずは解決を見せ、晴れて三人でクラーケン攻略へ臨むことになったが、どうやら全員が揃って島タコへ上陸することは叶わないようだ。


「まあ、こればっかりは仕方ねえ。俺の分も頑張れ」


「留守番は気楽でいいですわね」


「殿と呼べ。ただでさえ孤軍奮闘せにゃならんのだ」


 一人丘へと残るクロベーも、二人が戻ってくるまでぼーっとしていれば良いわけではない。彼の仕事は、退路の確保と時間稼ぎである。


 アリアの説得に多少時間を割いてしまったせいで、島タコの食事は終盤に差しかかってしまっている。恐らくは三十分も経てば、放浪癖の赴くままにまたいずこかへと飛び立ってしまうだろう。


 ある程度の高度まで登ってしまったエアシップ・クラーケンは、〝ロスト〟という扱いになってしまう。ロストとは文字通り、この世界のどこにも存在しないというデータ処理が施された状態を指している。あくまでこのモンスターとは、このクエストでしか出会えないのだ。


 採集をするプレイヤーはロスト前にこの島から脱出しなければならない。もしも脱出に失敗したプレイヤーは、消えゆく島と運命を共にすることとなる。待っているのはデスペナルティ。できればこれは避けたい。


 とはいえ、本気で探索を行おうと思ったら丸一日はかかりそうな土地だ。入手できるアイテムは毎回ランダムで変化することを思えば、少しでも長く探索を行いたい気持ちもあろう。


 そういったプレイヤーへの救済措置が、今からクロベーが行おうとしている〝時間稼ぎ〟なのだ。


 方法は簡単。要件を終えて帰ろうとするモンスターを引き留めたいのであれば、別の要件を作り出せばよい。


 つまり、モンスターのヘイトを集めて、単身これに立ち向かうだけである。


 とんだ無理ゲーもあったものだが、クロベーの生存時間が、イコール二人の探索時間へと充てられるのだ。いったい何秒稼げるのかはわからないが、語る本人は大真面目である。


 真名もそれは理解しているのか、呆れたような溜息を吐くに留まっている。何もしないよりは遥かに有用な手段であるし、無理に止めようとはしないようだ。


「……くれぐれも、無理はなさらないでください。まずはわたくしが参りますわ。島へ到着後、アリアさんの飛距離を見て随時フォローを行い、可能であれば受け止めます」


「おう、任せた」


 二人は視線を交わすと、数メートル後方に立つアリアへと顔を向けた。


 苦手意識の克服を行うから一人にして欲しいと言われて数分。再び前髪に隠されてしまった表情はこちらから窺うことはできないが、恐らくは真剣な面持ちで来たる時に備えているのだろう。


「それと、アリアさんの支えとなってあげてくださいまし」


「そっちは任されたわ。真名ほどうまくやれる自信はねえけどな」


「あら、嬉しいことをおっしゃってくださるのね。ただ、褒めても分け前は増えませんわよ」


「そりゃ残念」


 お互いニヤリと笑い合ったところで、真名が崖へと疾走する。勢いを緩めることなく中空へと身を躍らせると、そのまま緩やかな放物線を描いて落下した。


 水平投射された真名の身体は、空気抵抗を受けながらも木々が生い茂る地点へと進んでいき、目印としていた森の中へとその身を沈めていった。


 数秒の間を置いたところで、HPを二割ほど減らした真名が木々の隙間から姿を現す。ステータスや身体能力から失敗することはまずないと思っていたクロベーだったが、自然と安堵の溜息を漏らした。


 その場で跳ねて無事をアピールする真名へ手を振り返し、今度はアリアの下へと向かう。冒険への第一歩を踏み出す……もとい、冒険への大ジャンプを踏み切る仲間へ、激励を行おうと思ったのだ。


 恐怖心も依然残っていると言っていた少女を、どうやって励まそうかと考えながら近づく。ああでもないこうでもないと知恵を振り絞っていたせいか、近くに寄るまで気づかなかった。気づけなかった。


 杖を握り締めながら俯くハーフリングの口から、呪詛のような呟きが垂れ流され続けていることに。


「できるできるできるできる……」


 クロベーは思った。これは、本当に行かせて大丈夫なのだろうか?


 彼女が行っているのは精神統一の類いだと勝手に解釈していたクロベーだったが、これは自己催眠とかなんとか呼ばれている部類の何かではなかろうか。妖怪黒マントな外見も相まって、暗黒神官が良からぬ何かを喚ぼうとしている儀式にしか見えない。


 言葉を失うとはこのことだろう。口を半開きにしたまま棒立ちとなるクロベーの前で、淡々と呪文の詠唱は進んでいく。


「そう、私は鳥。鳥鳥鳥。トリッキーな動きであの空に飛び立つの。太陽を目指し落ちたイカロスのように。クラーケンだけに」


 クロベーは思った。これは行かせは駄目だと。だって飛び立つ前から滑ってるもの。


「アリア、一旦止まろう。深呼吸しよう。ね?あの島まだ逃げないから、ゆっくり行こう」


 このまま彼女をトリップさせたままにしておくのは危険だ。召喚の依り代を自分にして、良からぬものを憑依させかねない。アリアの下へと駆け寄り、とりあえず落ち着けよと肩に手を置こうとした。


 だがしかし、その手は空を切った。何が言いたいのかというと、先ほどまでそこに居たアリアが忽然と姿を消していたのだ。その場に残るのは、彼女が放り投げたであろう杖のみ。


 唖然とするクロベーをよそに当の本人はというと、断崖絶壁を目指して、教科書通りのスプリントフォームを披露しながら駆け出していた。


 軸のブレない、あまりにも美しすぎるフォームに目を奪われかけたクロベーだったが、先ほどまでアリアが晒していた奇行を思い出して冷静になる。髪を振り乱しながら無駄に美しいフォームで駆ける彼女ではあるが、残念ながらさほど進んでいない。小柄な身体ゆえの歩幅の小ささと、髪の毛が向かい風を存分に受け止めてしまっているためだろう。


 奇しくもその姿は、クロベーが想像した近接戦闘を行うアリアの図に酷似していた。


「……待てええ!!まだいくなああああ!」


 慌てて追いかけるクロベー。走り出す前に、アリアの杖を拾い上げるのも忘れない。オークの割にすばしっこい彼が、全力疾走で幼女を追いかける様子はきな臭いことこの上ないが、みるみる距離を縮めていく。追いつけなければ困ってしまうわけだが、絵面的にはアリアに逃げ切って貰えた方が良いのかもしれない。


 一方のアリア。先行逃げ切りを地で行く走りっぷりを披露しているが、クロベーの言葉は届いていたらしい。震える脚に鞭を打ってさらに加速する。っておい。


「今……今行かなければ、折角決めた熱い覚悟が如何ともし難いほどに低下しそうなのです」


「イカイカうるせえな!お前実は冷静だろう!」


「如何にも!!」


「嘘つけぇ!!」


 懸命に走る二名だが、レースの女神はアリアへ微笑んだようだ。クロベー自慢の追い足も一歩届かず、アリアもまた真名同様、空へとダイブしていった。


「ああああい、きゃあああんと、ふらあああああい!!!」


「二つの意味でちょっと待てやああああ!!」


 真名へ合図を送る前に飛び出してしまったわけだが、幸運なことに真名も準備は整えてくれていたようだ。万が一失敗した場合に備えて、いつでも飛び出せるように構えている。


 大層慌ただしい現場ではあるが、女神の加護が立て続けに作用したのか、その用心も杞憂に終わりそうだ。飛び出していったアリアの姿を確認すれば、真名の着地した森林部より数メートル前方へと放物線を描いている。アリアの助走に勢いがあったからか、想定していた以上に距離を稼げていた。このまま進めれば問題はないだろう。


 あとは着地時に防御魔法を唱えられれば、まず心配はいらないだろう。現に、あれだけ騒いでいたアリアも自身が手ぶらであることに気づいて顔を青ざめさせていた。


 彼女の杖は、崖の縁で立ち止まったクロベーの左手に握られている。


 どうやら、女神のサービスタイムは終了したようだ。


「だから……だから待てって言ったんだよ馬鹿野郎!!」


「せ、生物学的には女ですうう!!」


「そういうこっちゃねえんだよ馬鹿!バーカ!!」


 どれだけ騒いでも後の祭り。このまま森へ落下しても死にはしないとは思うが、発動体を持たない魔法職など無職のプレイヤーと大差ない。探索期間中の彼女は、果たして役に立てるのだろうか。


 とはいえ、一人よりは二人。人出が増える時点で猫の手よりは有用だろう。


 ギャースカと喚き散らしてはいたが、それも上手くことが進んでいたからこそ。島タコへ向かって順調に落ち進んでいくアリアの後姿を眺めながら、クロベーがふうと息を吐く。


 その表情が、次の瞬間に険しくなった。


 視線の向かう先、つい先ほどまで順調に落下していたアリアの身体が、空中で減速していくのだ。


 すわなにごとかと崖下へ身を乗り出して観察するクロベーであったが、覗き込んだ顔へ襲いかかる突風を受けたことで状況を理解する。


 クロベーの立つ位置、平原を流れる分には穏やかだった風が、強烈な上昇気流へと姿を変えていたのだ。


 エアシップ・クラーケンは、全長数十メートルを誇る巨大なモンスターである。通り過ぎただけで暴風を巻き起こすほどの巨体は、身じろぎ一つで強い風を発生させる。その勢いたるや、自身が生み出した風に流されて、丸い身体を岸壁にドカドカぶつけまくっている始末だ。


 何とも情けない姿ではあるが、プレイヤーにとっては笑い話でも何でもない。つまり、コイツが崖下に停滞しているせいで、付近には複雑な気流が吹き荒れてしまっているのだ。


 真名の着地は問題なく終えられたので、上から眺めている分には気づけなかった。真名は自重が重く小柄なため、風の影響を受けにくいのだ。であれば、真名以上に小柄なアリアはより安全に跳べるのではないかと思われるが、そうではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 落体の法則に質量は関係ないが、あくまでそれは計算上の話である。空気抵抗や風の影響が存在する現実では、生み出される解もまた変わっていく。そして、ノアはそういった〝現実らしさ〟をこれでもかと再現しているのだ。


 クロベーと真名の眺める先、ひと際強い風に煽られて、アリアの勢いは完全に止まってしまう。


 目標であるモンスターは数メートル先に浮かんでいる。どうあっても届きそうにない。足元に見えるのは崖下へ続く暗闇のみ。あとはもう、落ちるだけだ。女神ブーストの揺り返し超恐い。


「っ……!」


「アリアさん!!」


 恐怖からか、空中で丸まってしまうアリア。


 彼女の名前を叫んだ真名が、助けに行こうと駆け出す。しかし、既に島へと降り立ってしまっている真名では、向かうことはできても戻ることができない。アリアの元まで飛んで向かっても、共に落ちる未来が待っているだけだ。


 ならばどうするか。クロベーは黒部の意識も動員して考える。思考は加速していき、観察した状況から必要な情報をかき集めていく。


 時間は一瞬。考えを纏めると、次の瞬間真名へ叫んだ。


「真名、お前は動くな!飛んでくるアリアを受け止めてくれ!!」


「クロベー、何をするおつもりですか!?」


 急制動をかけながら問いかける真名へ言葉を返す間も惜しいのか、クロベーは崖から離れるように駆け出す。数メートルほどの助走距離を確保すると、今度は急制動。足に伝わる反発力を利用して、来た道を全速力で戻っていった。


「豚が飛べないと思ったら、大間違いだああああ!!」


 十分な助走を付けたことで加速した勢いを殺さぬよう、右足をひと際強く踏み込んで崖下へと跳び出した。目指すは、遥か下方を落ちていくアリアである。


 少しでも空気抵抗を減らそうと、両手足をピンと伸ばして落下速度を稼ぐが、小さく丸まっているアリアはそれ以上の速度で落下していってしまう。彼女の現在位置は木々が生い茂るエリアを通り過ぎ、剥き出しの地肌がのぞく側面部位へと突入していた。


 その後ろを数秒の遅れで追いかけるクロベー。加速度は増しているが、このままでは時間差で床へ激突する未来しか見えない。だからだろう。少しでもアリアの落下速度を落とそうと声を張り上げる。


「アリア!両手足を横に伸ばして、少しでも風を身体で受け止めろ!凧の要領だ!!」


「た、タコですか?確かに外見はタコのように見えますが、クラーケンとはイカなのではありませんか?」


「空を飛ぶ方に決まってんだろうが!アホなこと言ってねえで早くしろ!!」


 お決まりのやり取りを挟みつつ、言われたとおりに両手足を広げるアリア。


「わぷっ!」


「おし!そのままそれを維持しとけ!」


 顔を襲う風の壁に可愛らしい声を上げたアリア。まさしく凧のように身体全体で風を受け止めた効果か、わずかに落下の勢いが緩む。


 そのわずかな空気抵抗が、二人の距離をグッと縮めた。物理的にな。


 その頑張りが運を味方にしたのか。はたまた女神のサービスタイムがツンデレよろしく返ってきたのか。


 二人の合流を後押しするように、ひと際強い上昇気流がその場に流れ込む。


 勢いを緩めるにとどまらず、その場にアリアを浮かび上がらせるような突風が吹いたことで、クロベーがアリアの下へとたどり着いた。


「く、クロベーさん……」


「待たせたな。結果はともかく、いいジャンプだったぜ。ナイスガッツ」


「あ、ありがとうございます」


 小脇に抱えたアリアをねぎらいながら、にやりとクロベーが笑う。少し照れ臭そうに笑うアリアの表情は、前髪が真上に流されているお陰で丸見えだ。


 良い笑顔をいただいたところで、クロベーも気合を入れなおす。落下系ヒロインを落下しながら助けに行くという、非常に映える見せ場を展開した二人だったが、残念ながらエンドロールはまだ先である。


 二人が合流したことで何が変わったかと言えば、落ちる順番が二人同時になっただけでしかない。当然クロベーもそれは理解しているし、一人でデスペナルティを受けるアリアが寂しくないよう心中しに来たわけではない。


「何か、この状況を打破できる手立てがおありなのですか……?」


「ああ。そのためには、アリアの力が不可欠だ。協力してくれ」


 真剣な顔でアリアを見ながら、左手に握っていたアリアの杖を差し出す。平原へ放り投げていたそれを受け取りながら頷いたアリアも、真剣な声音で答えを返した。


「私にできることであれば、全力で挑みます」


「おし!目標はもう少し落ちたところにある、あのイカ野郎の足だ」


「それは、崖に貼りつけられている二本の足のことですか?」


 アリアが視線を向けた先では、およそイカのものとは思えないほどに大きな触腕が二本、球体の下にあろう付け根から崖壁へ向かって伸ばされていた。身体の動きに合わせて時折たわんでいるが、ちょっとした道のようにも見える。


 先ほどから自身の起こした風に身体を揺らしているこの島タコ。実は一所に留まるという行為が大の苦手なのだ。


 飛ぶ際にはそれを利用して推進力へ変えているのだが、食事中は逃げる相手を追いかけるという、複雑な動作を行わなければならない。そのため、身動き一つ取るだけであっちへふらふら、こっちへふらふらと漂ってしまう。


 このままでは食事どころの騒ぎではなくなってしまうため、吸盤のついた足を壁に貼り付けることで、自身が飛ばされてしまうのを防いでいるのだ。


 己の生態と向き合い、生き抜くために産み出された知恵が、敵である二人の命を救う手だてになるのだから、なんとも皮肉な話である。


「ああ。ただ、あそこへ着地する前にワンクッションがあるんだ。その時に結構HPが減ると思うから、とりあえず自分を回復してくれ。足りない分はポーションも使って、全快状態まで戻しとけ」


「む、無茶とは一体……?」


「悪い、説明している暇はねえ!衝撃に備えとけよ!」


「え……ひゃあっ!!」


 アリアと話しながら、左手にウォーハンマーを構えるクロベー。上段に振りかぶったそれを、渾身の力を込めて振り下ろした。


 行動の意図が理解できないアリアは、クロベーへ向けていた顔を彼の視線が向かう方向へ動かす。


 すると二人の眼前に、灰色の壁が迫ってきていた。


 突如登場した視界を埋め尽くす壁に、驚愕の表情を浮かべるアリア。一体どこから、いつの間にと思考が混乱するが、なんてことはない。毎度のことながら風に流されてきた島タコが、こちらに流されているだけだった。


 クロベーは、これを目がけてハンマーを振り下ろしていたのだ。


 まさか落下しながらこのモンスターと戦うわけではあるまい。だからといって、クロベーが全く無意味な行動をとるとも思えない。何かしらの考えがあるような発言から、捨て鉢になっているということも考えられない。


 考えても答えは出なかったが、とりあえずはクロベーの言葉に従おうと、彼の腕にしがみつく。衝撃で振り落とされないよう腕に力を込めながら、それでも視線は逸らさない。クロベーの打開策への疑問、好奇心がぬぐえなかったのだ。お陰でアリアは、一連のやり取りを全て記憶することができた。


 同時に、彼の言っていた無茶と衝撃の意味も理解した。


「突き刺されえ!!」


 気合と共に振り下ろされた一撃。よく見ると、クロベーのウォーハンマーはいつもの平面部分ではなく、つるはしのように尖った部分を打撃面にして握られている。


 振り下ろしの勢いと二人分の落下速度が乗った一撃は、レベルの壁を越えて分厚い皮膚へ突き刺さる。


 落下の勢いを殺しきれなかった柔らかい壁は、突き刺さった部位を皮切りに長い裂傷を刻み込んだ。


 決して軽くない傷を負わされた島タコから、おぞましい悲鳴が上がる。それでも勢いよく切り裂き続けた一撃は、少しずつ落下速度を緩めていき、やがて停止した。


 勿論、身の丈に合わない一撃を見舞ったクロベーもただでは済まない。みるみるHPは削れていき、あっという間にレッドゾーンまで目減りしていく。あわや全損かといったところまで消し飛ばしながらも、ギリギリ一桁を残したところで止まった。


 次いでアリアの安否を確認するが、完璧なタイミングで割り込み詠唱されたディバイン・ヒールのお陰で無事なようだ。今はクロベーの指示通り、ポーションをがぶ飲みしている。観察する目は変わっていないが、やることはきっちりこなすあたり、やはりアリアは優秀なプレイヤーだ。


 とはいえ、まだまだレベルもステータスも低い二人。数十メートルの高さから落下した衝撃を受けてもまだ生きている点に、わずかながら疑問が残る。


 アリアに関しては、回復魔法で水増しされたHPと、減速によって少しずつ勢いが殺されていったお陰であろう。先ほど真名が見せた、岸壁に足を付けて減速した状況と同じ理屈だ。肝心な接地面はクロベーのウォーハンマーが担っていたので、HPが削られることもなかったのだ。


 しかし、クロベーはそうもいかない。二人分の衝撃をその身に、正確に言えば左腕一本で受け止めたのだ。現実世界ならば腕は千切れ飛んでいるだろうし、彼のレベルを思えば、その衝撃で即死してもおかしくない。


 それでも、HPを一だけ残しながら生きている。勿論偶然ではないし、女神の幸運が彼に微笑んだわけでもない。クロベーは、()()()()()()()()()()()()



 ―――落下時のダメージは、リアル同様に反映されるという話は前にしただろう。


 だがこれに、特定部位への限定的なダメージと、強い攻撃時に自身へ返ってくるノックバックの二つを加えると、その前提は意味をなさなくなる。


 高校生がプレイするゲームとして作成されたノアに、部位欠損という概念はない。年齢指定が発生しそうなスプラッタな表現技法は、完全にオミットされているのだ。


 とはいえ、角や牙といった特定部位がアイテムになる場合も多いので、モンスターへのダメージ表現は割とリアルに設定されている。以前戦ったゴーレムの額が砕けたり、たった今刻まれた島タコへの深い傷などを思えば、あくまでこれはプレイヤーが有利にゲームを進められるよう考えられた措置なのかもしれない。


 そんな製作者サイドの良心が完全に裏目に出たのは、プレイヤーが受ける部位ダメージの設定を行い始めた時だった。


 本来であれば、その分のダメージをHPから間引けば良いだけの話に思えるだろう。しかしそうした場合、指先のような末端に向かえば向かうほど損傷するリスクは高くなり、システムの計算によるダメージが指数関数的に増えていってしまったのだ。


 かすっただけで即死という無能なアバターを生み出しても仕方がない。それを避けるため、今度のアバターは細かい部位分けをせずに、一つの身体として計算を行うように作成。技術部の徹夜が確定した。


 幸い、アバターの即死はそれで避けられようになったが、今度は別の問題が発生した。一部の状態異常が正常に機能しなくなってしまったのだ。


 分かりやすい例を挙げると、ディバイン・ウォールに激突したバルーン・フィッシュが陥った〝スタン〟が良いだろうか。


 この状態異常は、頭部へ一定以上のダメージを受けた際、五秒間全く身動きが取れなくなってしまうものだ。先ほどのバルーンフィッシュは頭から壁に激突したため昏倒し、身動きの取れないまま床のシミになったのである。


 ここで注目すべきは、スタン判定がある部位は頭部へ限定されているという点だ。この設定を行わないと、プレイヤーは攻撃を受けるたびに目を回していなければならなくなる。それでは戦闘どころではない。


 ならばいっそのこと、欠損相当のダメージは部位ごとで固定にしようという案が出された。しかし、その意見にはリアル追及派が異議を申し立てた。部位欠損機能のオミットは世評を加味して身を引いた彼等ではあったが、目まぐるしく変わる状況の中でダメージが据え置きなどありえないと吠えたのだ。この時点で、職員の徹夜は三日目に突入。仮眠を取りながらのデスマーチに移行した。


 これといった解決案が見いだされない中で、有情派とリアル派の議論ばかりが白熱していき、職員の睡眠時間は逆に短くなっていく。その横で黙々と作業を続けていく中立派。部署内の分裂は避けられず、あわやこのまま空中分解かと思われた。何より、もう何週間も家に帰れていない職員のメンタルが限界だった。



 そんな彼らの心を一つにしたのは、ノアというゲームへの熱い思い。すなわち愛……などではなく、検証を進めていくうちに発生した、致命的な欠陥であった。


 ゲームを進めていけば、ステータスは上昇していく。ステータスが上がれば、その分攻撃の威力も増す。その際に発生するノックバックは、プレイヤーのSTRとVITから算出される。


 これを突き詰めていった結果、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()仕様となってしまったのだ。


 ステータスの振り分けは種族によって固定で行われているため、高いSTRを持つプレイヤーが硬いモンスターを攻撃すると、自分のノックバックが原因で死ぬという事態にまで発展してしまったのだ。こうなっては、派閥云々を語っている場合ではない。家のベッドで寝たいと泣き喚いている場合でもない。


 テスト段階でぶち当たった壁に、戦闘データ管理部門の職員は大いに頭を悩ませた。悩んで、悩んで、悩みぬいて、やがて悩むのをやめた。どうやら、張りつめていた糸がとうとう切れてしまったらしい。


 やがて、彼らはこう結論づけたのだ。〝種族丸々破綻させるくらいならば、いっそダメージは考えないようにしよう〟と。


 その結果、攻撃した際に発生する手足へのダメージは、一切発生しないものとなったのだ。のちに〝ノックバック・バグ〟と呼ばれる現象である。


 このバグを応用すると、今のクロベーが用いた方法で落下ダメージをゼロにできてしまう。


 つまり、落下運動を攻撃の振り下ろしに合わせることで、発生した衝撃をノックバックに変換してしまうのだ。


 そんなアホなと思うかもしれないが、諸々の演算データへ負荷をかけないようにしたらこうなってしまったのだから仕方がない。いわばコラテラル・ダメージというやつだ。



 とはいえ、開発者サイドが行った妥協の結果クロベーは生き延びたのだ。彼に文句はあるまい。


 しかし先ほどの理屈であれば、今のクロベーはノーダメージで切り抜けられているはずだ。


 これについては、後に行われたアップデートが関係している。


 何とか破綻の憂き目を見ずに済んだ製作者であったが、今度はこれらのバグに気づいたプレイヤー達の手によって、ゲームそのものが破綻しかけたのだ。


 サービス開始から数か月を経た時点でノックバック・バグに気づいた一部のプレイヤーが、高所から落下して一撃を見舞うという、クロベーと全く同じ戦法を生み出したのである。


 〝デスメテオ〟と呼ばれたこの戦法は瞬く間に広まり、レベルに見合わないプレイヤーの手で多くの大型ボスモンスターが血祭りにあげられた。


 どうやら俺達に安寧の日は来ないんだななどとニヒルに決めながら、製作者サイドは再び会議を始めた。ただ、これについては彼らに同情しても構わないだろう。何せ当時の彼らは、ノックバックについて考えるよりも、自宅の扉をノックしながらバックホームしたくて仕方がなかったのだ。


 無事にサービスを開始し、漸く人らしい生活に戻れた彼ら。心機一転、過去の瑕疵を何とか清算しようと様々な意見が飛び交ったが、今回は穏便に結論が出された。 



 デスメテオ、自分は死ぬ。



 これには開発者も苦笑い。どんだけお前ら根に持ってんだと。


 さすがにこのままでは無情にもほどがあるからか、若干の救済措置も生まれた。


 正確に言うと、落下中に切りつけた距離の分だけプレイヤーはダメージを受ける。ただ、この時点では死ぬことはない。どれだけダメージを受けても、HPが一は残るのだ。


 ただし、着地時に足をついた瞬間、それまで落下してきた距離分のダメージが別途プレイヤーに襲いかかるという仕様に落ち着いた。


 もともと身の丈に合わないモンスターを相手に使用されてきた戦法だったため、このアップデートを受けたプレイヤーは大いに血の花を咲かせることとなった。


 因みに、ティリア遺跡でクロベーがスカラベに行ったメテオスタンプはこれに当てはまらない。適用されるのは、プレイヤーが確実に死ぬであろう高さから飛び降り、かつその状況でモンスターにダメージを与えようとした場合のみだ。現にクロベーは死ななかったので、双方に通常の落下ダメージ処理が行われたのである。


 それでもバグはバグ。根本の仕様を変えられない以上抜け穴は存在する。


 それがクロベーの行った方法だ。着地して死ぬのならば、着地しなければ良い。


 バグの穴をついたクロベー。ここまでは見事な采配であったと言えるが、身動きの取れない現状に変わりはない。二人が目指す足場へは、まだ十メートル以上の距離があるのだ。


 ディバイン・ウォールを足元へ張れば、アリアは生き残れるだろう。しかし、HPが一しか残っていないクロベーは確実に死ぬ。


 右手にアリア、左手にウォーハンマーを持っているため、インベントリからポーションを取り出すこともできない。


 クロベーの生存は絶望的な状況で、事態は更に悪い方へと転がった。


「……やっぱ、耐えられないよな」


 呟いた彼の眼前で、ウォーハンマーがぱりんと音を立てて砕けた。レベルに見合わない渾身の一撃を放ったことで、武器の耐久値がゼロになってしまったのだ。


 辛うじてぶら下がっていられた武器が壊れたことで、再び二人の身体が落下していく。数秒後にはエアシップ・クラーケンの足へ直撃するだろう。


 急げばポーションを飲むこともできるだろうが、どうあがいても一本を飲み干すのがやっとだろう。ライフ・ポーション一本当たりの回復量は五十。落下ダメージを思えば、飲んだところで焼け石に水だ。


 それでもクロベーは、手早くインベントリを操作する。


「く、クロベーさん、このままではクロベーさんが死んでしまいます!私のポーションもお渡ししますので、なんとか二本を飲み干してください」


「さすがに飲み干す自身はねえよ。だから、今回はこれを使う」


 言いながら取り出したのは、濃い紅色の液体が詰められたポーション瓶。普段使用しているライフ・ポーションとは違う、血の色のような液体が入ったアイテムは、過保護なクロベーがアリアのために買っておいた珠玉の逸品であった。


 〝ハイ・ライフポーション〟。


 一本でHPを二百も回復させるそれは、中級プレイヤー御用達の主要回復アイテムである。


 当然値段も中級者向けで、これ一本でクロベーが使っていたウォーハンマーが買えてしまう。


 万が一に備えて買ったものの、アリアの最大HPを考えると全く必要ないものになり果ててしまったのだ。


 購入後に真名から物凄い剣幕でお説教を受けたわけだが、備えあれば憂いなし。世の中何が起こるかわからないものである。


 武器を失った上に、虎の子の消耗品も使用することに若干の躊躇が生まれるが、背に腹は代えられないと一気に飲み干す。イチゴ味だった。


「さすがに高いだけはあるな。一瞬で全快だ」


「そのような切り札も、ご用意しておいでだったのですね……」


「アリアのために買ったんだけどな。悪い、使っちまった」


「いえ……仲間が減る事態を回避できるのですから、それに勝るものはありません」


「ありがとう。でも、まだ着地が残ってるんだ。タイミングをしくじるんじゃねえぞ」


「はい!」


 クロベーの腕から離れたアリアが、杖を下へ構える。設置地点は自分の着地予定地。風に流される身体の動きを制御しながらも、使用する魔法の詠唱を始める。


「神の護りよ、理不尽に奪われる尊き命へ、遍く庇護を与え給え……」


 ここまで詠唱を済ませて、待機状態にする。後はトリガー・ワードを唱えれば、すぐさま障壁を展開できる。ほとんどの魔法は同じ仕組みになっている。


 あまり早く魔法を唱えてしまうと、先ほどのような強い風が吹いた場合に、自分の着地場所が変わってしまう。そうならないようにギリギリまで待たなければならない。


 逆に、少しでも魔法の詠唱が遅れれば、今度は障壁が間に合わない。風に流されず、尚且つ発動も間に合わせるタイミング。恐らくは、一秒のズレも許されないだろう。


 それでもアリアは確信していた。自分ならば、その刹那を必ず見極められると。


 元々何かを観察するのは好きだった。そこからあれこれと想像を膨らませているうちに、次に何が起こるのかを予測することが趣味の一環になっていた。


 落下地点、風の動き、自身の身体の流れ方。


 飛び込んでからこれまでは気が動転していた。慣れないことをした自分に後悔する思いもあったが、それでもほんの少しだけ清々しかった。


 このまま死んでしまっても、自分が前を向くきっかけが作れただけで満足していたのだ。


 我が身を顧みず飛びだそうとしてくれた真名の姿を見て、アリアは嬉しさで胸がいっぱいになった。


 もう十分良くしてもらえたと思ったのに、それでも助けに来てくれる人がいた。


 こちらへ必死に迫るクロベーの顔は正直怖かったが、真剣そのもので。


 何より、決して諦めない強い意志が感じられた。


 彼のお陰で絶望的な状況から救われたのだと思うと、先ほど感じていた満足感を押しのける大きさの幸福感が、胸の中を埋め尽くす。


 昼休みの図書室で声をかけられた時からずっと、真名も、クロベーも、自分なんかのためにとても良くしてくれたのだ。


 であれば、今度は自分が頑張る番だろう。


「誰一人……欠けさせたくはありません。当然、私もです!」


 クロベーに言った言葉を、今一度声に出して唱える。


 すると、先ほどまでは見えてなかった景色が、情報が、既知の知識であるように吸収されていく。


 それらを組み合わせ、計算し、数多あるパターンから唯一の正解を選択する。


 今のアリアには数秒後に起こる事象が、まるで未来予知のように掌握できた。


 心に響く〝己の声〟に従い、アリアは前に進む一言(トリガー・ワード)を口にした。


「〝ディバイン・ウォール!!〟」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ