〝クリア〟の意味
イレギュラー・クエストが齎した死闘を終えて。
虚空へ消えていった敵を見送ると、その足で真名は奥の扉へ向かっていった。ボスを倒したことによって通れるようになった扉は、真名が近づくと自然に開いていく。
それに何の感慨も抱かないまま、宝物庫となっているその部屋の奥、ひと際豪奢な造りの祭壇を昇る。
その上に奉られている宝玉が、クエストのクリアアイテム〝古代の秘宝〟であることを確認して、静かにその場を後にした。
他のゲームならばこの時点でクエストが終了し、各種精算場面に入っていたかもしれない。しかし残念なことに、ノアにそんな親切設定はない。お家に帰るまでがクエストなのだ。
自分の状態を思って自然とため息が漏れるが、こればかりは仕方がないと言い聞かせ、真名は駆け出す。
武器もなければ回復手段もない。HPは三割を切っている。帰路で失敗扱いになるなど笑い話にもならないと、トラップに注意しながらの全力疾走である。
何より、彼の犠牲を無駄にはしたくなかった。そんな思いが通じてか、モンスターやトラップのことごとくを軽くあしらいながら遺跡から脱出する。
その勢いのままポータルをくぐった真名は、早々にティリア遺跡をあとにした。
はじまりのまち〝エスタ・キャピタル〟に舞い戻った真名は、クエストの完了報告を行うためにギルドへと足を進めた。道のりは全力疾走である。
周囲が向ける好奇の視線などどこ吹く風、己が風になったように駆け抜けた真名は、やがて目当ての建物を視界に捉える。
他人の迷惑もなんのその、蹴り飛ばす勢いでウエスタンドアに吶喊して辺りを見渡す。駆け足のまま目標を補足した真名は、食事スペースの一角、先ほどとは違いガラガラなテーブルの一つに、居心地悪そうな顔で座る黒い巨体を目がけて。
「お、おう、お疲れ、真名さ」
「一人でカッコつけてんじゃねえええですわアアア!!」
渾身のミサイルドロップキックをお見舞いした。
「ドブッフ!!」
開口一番を気まずさから悩んでいた目標――クロベーは、予期せぬ奇襲を受けて吹き飛ぶ。
体格差を考えると違和感しか感じられない光景ではあるが、ステータスを見ると納得できる。
蹴り飛ばした反動を利用して華麗な着地を決めた真名は、怒り心頭のまま吹き飛ばした黒い塊に詰め寄る。
「貴方は!どうして!わたくしに!何の相談もなく!あのような!馬鹿な手段を!お取りに!なられたの!ですか!!」
「ご、ごめ、ごめん、ごめんなさい、する、から、揺ら、さないでええ」
襟首引っ掴んでガクガク揺さぶろうとして、彼の召し物が腰巻だけだと気づいたのだろう。
若干迷った手元が彼の耳を掴んでガクガクと揺らす。よりにもよってそこなのか。
語尾も強く、一句一句を強調しながら問い質してくる真名に、一方のクロベーは平謝りだ。
それでも真名の詰問は終わらず、揺らされ過ぎて若干酔い始めているクロベーがまともに答えられるはずもなく。
騒動が一端の収束を迎えるのは、真名が我に返った五分後の出来事だった。
「先ほどは取り乱しました。申し訳ございません」
オホンと軽く咳払いなどを挟んで、ペコリと真名が頭を下げる。
場所は変わらずギルド内。食事スペースの一角にある、あまり人目につかないような位置にあるテーブルだ。
とりあえず落ち着いて話をしようとあいなった結果、クロベーが腰かけていた席を使うこととなった。互いに向かい合わせに座り、飲み物などを口にしたところで、真名の方から口火を切った次第である。
因みに、先んじてクロベーがギルドに戻っていた理由だが、彼がクエスト中に死んだためである。
どのクエストにも言えることだが、クエストの最中に死んだプレイヤーは、その時点でクエストを受注したギルドへ転送される。
真名が鬼の形相でこのギルドまで駆けつけるまでの間、クロベーは一人ギルドの食事スペースで彼女の帰りを待っていたのだ。きっと怒られるのだろうなあと思いながら。
「いや、それに関しちゃ俺の方こそ悪かった。二人でクリアしようって言ったくれてたのに、後味悪かったもんな。ごめん」
続けてクロベーも頭を下げる。どうやらこれに関しては全面的に非を認めるつもりのようだ。
その言葉を聞いて真名も留飲を下げる……はずもなく。
「では、お互いが謝罪を受け取ったということで、あの時できなかった尋問を始めましょう」
無機質な鉄面皮に静かな炎を燃やしながら、真名による取り調べが始まった。
これを受けたクロベーは、顔中に冷や汗を浮かべている。どうやら真名は相当怒っているらしい。
「まず、なぜあのような馬鹿な手段をお取りになられたのですか?ああ、先に申し上げておきますが、黙秘権は認めておりませんわ」
「理不尽な……最初に話していたように、一人でもクリアできる方法があれだったんだよ……です」
クロベーの答えに反応してか、段々と険しくなっていく真名の目を見て、自然とクロベーが敬語になる。
納得はしていないにせよ、予め聞いていた話だからだろう。真名もこの返答については追及しないまま、次の質問に移る。
「では、どうしてそれを行う前に話していただけなかったのですか」
「いや、クエスト中に落ち着いて話し合う時間なんて設けようがないじゃないですか」
「ええ、それもわかりますわ。ただ、説明の後即実行に移すほど、切羽詰まった状況ではなかったのではありませんか?攻撃を躱しながら少し議論するくらいの余裕はあったように思われますが、いかがでしたか?」
真名の言うとおり、作戦を話したのちに真名の意見を聞く余裕はあった。ひょっとしたら、他に良い作戦を思いついたかもしれない。たとえ他の策が思いつかなかったとしても、仲間に何も伝えずに死んでいくのは自分勝手が過ぎるだろう。
それでもなお、クロベーが真名に黙ってまで策を強硬して進めた理由は。
「……どうしても、クエストをクリアしたかったんだ」
敬語をやめたクロベーが口を開く。
黙秘権がないとはいえ、こんな話を聞かせるのは非常に気持ちが悪い。
そう思いながらも口を開いたクロベーは、果たして何を思うのか。
「……詳しくお聞かせください」
その言葉に赦しを得た気持ちになりながら、クロベーは言葉を続けた。
孤独に晒されてきた男の、悲しくも卑しい読解を。
「ボス戦の時に思ったんだ。ああ、楽しいって。誰かと一つの目標に向かって頑張るのが、こんなにも満たされるんだなって」
「……わたくしも、同じ思いでした。しかし、いえ、そうであればなおのこと、なぜ!」
「さっきも言ったとおり、俺はあれで十分だった。満足だった。それでも真名さんには、何か形に残る方法でお礼がしたかった」
彼は、満たされてしまったのだ。そして、そんなひと時を与えてくれた、共有してくれた彼女に、感謝の気持ちを残したかった。
自分にできるお礼は限られていて、だから、それらすべてをあげたかった。
それはクエストの報酬であり、ジュエル・ゴーレムの撃破報酬であり、イレギュラー・クエストをクリアした思い出であり、初のクエストを成功させた思い出であった。
「俺が欲しかったものは、もう手に入ったから。後の全部は、確実に、真名さんにあげたかったんだ」
「……なるほど」
聞き終えた真名の表情は伺えない。
それは真名が俯いていたからであり、クロベーが目を逸らしていたからでもある。
己が行った気持ちの悪い独白を聞いて、真名がどんな言葉をぶつけてくるのか。
それが分からなくて、怖くて、クロベーは目を背けた。
沈黙は数分。その時間がクロベーには永遠のようにも感じられた。告げられるのは己を裁く断罪の言葉か、己を許す慈愛の言葉か。どちらも聞きたくて、どちらも聞きたくなくて。クロベーは長い沈黙を耐え続けた。
少しの間をおいて、真名が顔を上げる気配をクロベーは感じる。
どんな言葉が飛んでくるのかと身構えたところで、真名もまた口を開いた。
「そういった行いを、人はありがた迷惑と呼ぶのです」
向けられた拒絶の言葉に、クロベーは瞑する。様々な思いが彼の中を巡っていくが、うまく言葉にできそうにない。
それでもまずは、今日を良い日にできなかったことを謝罪しようとしたところで、その勢いは遮られた。
「ええ、確かにクロベーさんがああして下さったからこそ、わたくし達はこのクエストをクリアできました。それには感謝いたしますわ」
「ああ、うん、どういたしまして?」
真名の真意が読めないクロベーは、言葉の意味そのままに謝意を受け取る。
それを受けた真名は火に油を注いだようにヒートアップ。テーブルに乗り上げ、いまだ逸らされたクロベーの顔をぐいと両手でこちらに向けさせ、吠える。
「それでも、わたくしが求めたものは!わたくしが欲したものは!ただのデータや空虚な喜びではありません!」
強い眼差しでクロベーを見やる真名の目には、怒りと、深い悲しみが浮かぶ。
ここに来てクロベーは、ようやく自分は何かを間違ったのだと気づいた。
あるいは、彼女達の涙を見たあの時に、既にわかってはいたのかもしれない。
「クロベーさんが消えて、ボスを倒した時に気づきました」
頬に添えられた手から震えが伝わる。触れた温度は鉄のように冷たく、人のように温かい。
「先ほどまではキラキラと輝いていた風景が、色褪せたように映るのです」
真名は俯き、テーブルの上に座り込む。頬を離れる温度が、今度は胸に添えられる。今度は悲しくて、優しかった。
「そうして得た風景にも、アイテムにも、何の感慨も浮かびませんでしたわ」
震える肩を前にして、果たして何ができるのか。
「わたくしが欲していたものには、やはり、共に乗り越えた仲間が、貴方が必要だったのです」
もう取り戻せない時間を思って、自分はどうするべきなのか。
「共に喜びを分かち合う瞬間を、どうして諦めてしまうのですか……」
クロベーには、わからなかった。
「初めてのクエスト。失敗に終わったとしても、それもまた一興ではありませんか」
ただ。それでも。
「一度終わってしまえば、もう二度と取り返すこともできません」
何もしないままでいるのは。
「後悔だけを残すような幕引きを、他でもない仲間の手でなさらないでください」
何もできないままでいるのは。
「わたくしを、一人にしないでくださいまし……」
他の何よりも、嫌だった。
俯き、小さく呟かれた言葉には、何よりも深い悲しみが込められていて。
ふと茉奈に目を向ければ、シンとした目元に大きな涙を湛えている。
思えば、数日ほどを過ごした高校生活の中で雑に扱われたことはあれど、自分の行いに涙を浮かべて悲しんでくれる人はいなかった。
自分の人生を振り返ってもそうそう多くはないと思い出し、こんな顔をさせたくはないと、させてはいけないのだろうと初めて思った。
「ごめん」
謝罪の言葉は自然と出る。クロベーなりに、短い言葉に誠意を込めたつもりだった。
「一人で突っ走って、ごめん。一人を押し付けて、ごめん。一人にさせて、ごめん」
深く頭を下げたから、真名の顔は伺えない。伝わったのかどうかはわからない。
それでも、彼から頭を上げることは、決してない。
「……頭を上げてくださいな」
少しして、机から降りた真名から声がかかる。クロベーがゆっくり顔を上げると、困ったような、それでいてほんの少しだけ微笑みを浮かべている彼女と目が合った。
お互いに少し照れ臭そうにしながらも、二人の間を流れる空気は少しだけ穏やかなものに変わっている。
「今回だけは、大目に見て差し上げますわ」
それでも、こちらを見上げる温かい表情を見て、少しだけ救われた気がした。
「感謝の気持ちを残したい、そう仰いましたね」
「……うん。俺なりに、それを込めたつもりだった」
でも、それは間違いだったのだろうと今なら思えた。
クロベーにとっては、自分が失敗しようとも、真名がクリアすれば喜びは共有できた。
しかし、真名にとってはそうではなかった。きっと彼女は、始めてパーティを組んで挑むクエストを、最後まで仲間と一緒に過ごしたかったのだろう。
初のクエストに赴き、初の勝利をおさめ、初の成功に喜ぶのではなく。
たとえどんな結果が待っていようとも、最後まで仲間と一緒にクエストを終えたかった。クロベーと真名。二人の認識が決定的に食い違っていたのはそこにあったのだ。
成功の喜びを分かち合い、失敗の悔しさを噛みしめ合う。真名はそれを望んでいた。二人で同じ結末を迎える。それこそが、真名の、紀久淑茉奈の求めていた〝クエストのクリア〟であった。
「とんだ的外れでしたわ。……とはいえ、反省したのであれば、わたくしがこれから何をしたいのか、しっかりとご理解いただけまして?」
「ああ。多分、これであってると思う」
「では、エスコートをして下さるかしら?わたくし、最も欲しかったものを、まだもらっておりませんわ」
「お、おう……ただ、不格好でも笑うなよ?」
いつだかに観たテレビの見よう見まねで、真名に手を差し出すクロベー。真名はこなれた動きで手を添えて、しゃなりと一礼などしてみせる。
気恥ずかしさを感じるクロベーではあるが、せめてこの場くらいはと虚勢を張ってみせる。照れくさそうに頬を染めるオークの姿は、大層気持ちが悪い。
不格好ながらも頑張っているクロベーの頭の中は今にも爆発寸前で、初々しいを通り越してただただぎこちない。異性と手を繋ぐなんて経験は小さいころ以来だからか、彼には目的地までの距離がえらい遠くに感じられた。
それを見て苦笑を浮かべる真名も、瞳の奥にはきらきらとした輝きを湛えている。
エクス・マキナ以上にロボロボしい挙動で向かった先は、ギルドの中央に設えられたカウンター、その右側にある受付の一角。
クエストの受注、完了を行う場所だった。
始まりで間違え、道中で空回り、最後にすれ違ったとしても。
せめて、最後の終わりだけは正しく二人で迎えようと、お互いに顔を見あわせる。片方が浮かべる微笑を見るに、どうやらこれで正しかったのだろうと、もう片方も笑顔を浮かべる。
取り返しのつかない終わりであろうと、終わり良ければ総て良し。
「クエストクリアの報告は、二人で行いましょう」
「ああ!」
ややあって、二人は声を揃えながら、終わりを告げる言葉を口にした。
「フフ、フフフ……」
無事にクエスト完了の報告を終え、食事スペースのテーブルに舞い戻った二人。
先ほどのシリアスなんぞどこ吹く風で、薄ら笑いを浮かべるお嬢様。顔に浮かぶのは喜色満面の笑みを無理やり押さえつけたような、正直反応に困る表情だった。
「ハッ!わ、わたくしとしたことが、淑女としてあるまじき振る舞いを……」
「まあ、笑い方はキモかったけど、セーフじゃねえかな。キモかったけど」
暫くして我に返った真名に、こちらもまた変なテンションになっているクロベーがツッコミを返す。
紆余曲折を経て、最終的には納得の上で終わりを迎えた今回のクエスト。
なんだかんだで良い思い出も作れたようで、二人の機嫌は悪くない。
「キモいとは何ですか。先ほどまでのクロベーさんには負けますわ」
「何も言い返せねえ」
真名が放つ辛辣と言うにはあんまりな返しにも、それほど傷ついた様子はないクロベー。
オークがエクス・マキナを前にニヤニヤニタニタする様は、今にも憲兵さんを呼ばれそうな絵面である。
「先ほどはああ言いましたが、こうしてクリアという結果を前にすると、嬉しい気持ちも湧いてきますわね」
「クリアしたくなかったわけじゃねえからな。あんなゴーレムさえ出てこなければ、もっと平和な気持ちでこの余韻に浸れたと思う」
「とはいえ、こうして勝ち得た結果です。共に……とは、お世辞にも言えませんが、乗り越えた喜びくらいは分かちあいましょう」
「そうだな。最後くらいはな」
「「うへへ……」」
二人がよくわからないテンションになっているもう一つの理由が、今まさに二人を捉えて離さない強力な悪魔の仕業だった。
誤解がないように言っておくが、実際に悪魔討伐のクエストが発生したわけではない。あくまでこれは比喩表現だ。悪魔だけに。
人が持つ悪魔の権能、七大罪が一つ。
〝強欲〟である。
クロベーの尊くも何ともない犠牲の末に辛くもクリアを果たした当該クエスト。
蓋を開けてみると、なんと当初のクリア報酬と桁一つ違う金額が手渡されたのだ。
あれだけ他にはもう何もいらないだの、共に分かちあう時間にこそ価値があるなどと宣っていた二人だが、提示された金額には二人揃って目を輝かせていた。
多感ながらも現金なお年頃、それが高校生である。
「こ、これは受け取ってもよろしいお金なのですわよね?」
「ま、まあそうなるよな?捨てたところで誰も幸せになれないもんな」
「ああ、クロベーさん。貴方の尊い犠牲を、わたくしは忘れませんわ……」
「そのクロベーさんもまた、報酬にあやかってウハウハだぞー」
「あら、それは何よりですわね」
アハハーうふふーとトリップを続ける二人。
特にクロベーなどは、デスペナルティの結果もあってかだいぶ壊れてしまっている。
―――二人が喜んでいる姿からもわかる通り、クエスト中にプレイヤーが死んでも失敗扱いにはならない。共に受注している仲間がクリアしてくれれば、晴れて共に報酬を受け取れるようになっているのだ。
当然、死亡後に倒したモンスターの経験値やアイテムは手に入らないし、所謂〝デスペナルティ〟というものもある。具体的に言うと、インベントリから数個のアイテムがランダムでデリートされ、所持金の半分が没収される。
クロベーもまたデスペナの憂き目にあっているわけだが、それでもテンションが高いのは、失ったものよりも得たものの方が多かったからだ。
というのも、クロベーがペナルティで失ったアイテムはランタンと松明と火起こし器という、闇魔法使いに何か恨みでもあるのかと言わんばかりな光源縛りの消失。
更にはクエスト前に有り金をはたいて購入した、〝これで安心!冒険セット初級編〟のお陰で残金三ミニイだったせいもあり、減ったお金は端数切り捨てで僅か一ミニイ。
因みに〝ミニイ〟とはノアの通貨である。大丈夫なのだろうか。
しかも、二人とも先のクエストでポーションも武器も失っているのだ。新しく購入するためにはノアの中で〝バイト〟をするほかない以上、先立つものは多いに越したことはない。
「さて、一通り確認を終えたところで。わたくし、どうしても行いたいことがございますの」
暫くして、漸くマモンの魔の手から逃れることに成功した真名が、コホンと咳払いをする。
それに気づいて帰還したクロベーがなんだなんだと顔を向けたところで、期待感に満ちた声をあげる。
「前に書物を拝見した際に知ったのですが、仲間とクエストをクリアした後は、〝クールに決めながらすれ違い様にハイタッチ〟というものをするそうですわね」
「ああ、あるねそういうの」
世間知らずのお嬢様だからか、そういった熱血系のファンタジーに憧れでもあるのだろうとクロベーは納得する。
クロベーは知る由もないが、目の前のお嬢様は〝血沸き肉躍るファンタジーを全力で楽しみたい〟という理由で、公立である本国川高校に通っているのだ。であれば当然、そういったジャンルへの教養も備えているのだろう。
「後学のためにも行っておきたいのですが」
クロベーがあまり乗り気ではないように見えたのか。先ほどまでの勢いは影を潜め、おずおずと問いかける真名。
それを見たクロベーは、できる限りの笑顔を浮かべて立ち上がる。右手を高く掲げて、さあ来いと言わんばかりに真名を見返した。
真名の顔には満面の笑みが浮かび、それに気づいて慌ててかぶりを振る。キリッとした表情を浮かべながら、クロベー目がけてゆっくりと歩みを進める。
視線は合わせない。お互いに前だけを見て、ニヒルな笑みを口元に浮かべる。やがて真名がクロベーとすれ違い、お互いが掲げた手を目がけ、パァンッ!と乾いた音が響くようにハイタッチ。
「ん?」
「アレ?」
できなかった。お嬢様の背丈が圧倒的に足りていなかった。
何とも言えない沈黙が場を支配する。最高にカッコつけていただけに、何とも気まずい。
「……お、俺が少し手を下げるか」
「いえ、それではあまりカッコよくありませんわ!!」
先に沈黙を破ったのはクロベー。お互いの身長差を加味しての提案だ。
それに異を唱えるのが真名。どうにかして見栄えと実績の両立を図ろうとするも、お互いを隔てる残酷な現実の前にはぐぬぬと唸るほかない。
そもそも、オークがハイタッチとか言ってる時点で役者が不足しているというのに、何を今更見栄えなんか気にしてんだ。
気まずそうに頬をかくクロベー。どうしても諦めきれない真名。
どうにかしてこの空気をぶち壊そうと黒部の思考も使って考えたクロベーが、妙案でも思いついたのか顔を上げる。
「じゃあ、こっちならいけるんじゃねえか?」
顔面偏差値オークがウインクなど浮かべながら、拳が握られた手をお嬢様の前に突き出す。所謂〝グータッチ〟と呼ばれる格好だ。
意図に気づいたのか、それを見た真名もまたにやりと笑う。
「良いですわね。ならば、こう言うのが渋いでしょう」
真名もまた拳を握り、クロベーのそれへと伸ばしていく。
拳と拳が合わさる瞬間、普段よりも落ち着いた声音で言葉を紡いだ。
「身を挺してわたくしを守り抜いた働き、今回だけは認めて差し上げますわ。〝クロベー〟」
それを受けたクロベーもまた、にやりと口端を釣り上げて言葉を返す。
「……なに、アンタの一撃ならば、確実に仕留めてくれると思ったまでだ。信じてたぜ、〝真名〟」
シニカルな空気に合わせて、互いに拳をぶつけ合った。