02
昼過ぎの太陽に照らされた木々は、芽生えたばかりの若葉を鮮やかに輝かせていた。エヴがこのセルアク村にやってきた頃は、まだ冬の名残の雪があちらこちらに残っていたが、今は山陰にいくばくか残るばかりだった。
エヴはぶらぶらと、村外れを当てもなく歩き続けた。
「――ふう」
一息ついて服の袖で、額の汗をぬぐった。吹く風はまだ冷たいが、日に照らされて歩いていると汗がにじむ。
しばし立ち止まると、エヴは小高くなった道の上から村の様子を眺めた。
二つの大きな山に挟まれた、川沿いの平地。山の上には、まだ多くの雪が残っている。緩やかな起伏が続く土地の間に、畑や家々が点在していた。村の中心には、この辺りには珍しい大きな尖塔を持った教会と、それを囲むように幾軒かの店屋が並んでいた。
帝国と共和国の中間、北部の僻地にあるこの村は、戦時中にはそこそこの人で賑わったらしい。今その面影を残すのは、人の住まなくなった空き家ぐらいだろう。
「おーい! エヴ!」
道の先から、エヴを呼ぶ大きな声が響いた。エヴは目の上に手をかざし、声の元に目を凝らした。
手を振りながら、上背のある男がのっしのっしと歩いてきた。肩には釣竿を担ぎ、手には木のつるで編んだ魚籠を提げている。
「やあ、エラドじゃないか――釣りをしてきたのかい? どうだった?」
「うん、まあまあだった。この時間しては良く釣れたよ」
そう言い、エラドは魚籠をエヴの前に差し出した。笹の葉が敷き詰められた魚籠の中は、結構な数のワタの抜かれた川魚が入っていた。
「すっごいじゃないか。餌は何を使った?」
魚籠の中を覗き込み、釣れた魚の種類を確かめながらエヴは尋ねた。
「いつも通りの奴さ。家の前辺りから上流に向かって行ったんだけど、今日はほとんどの所で当たったな」
「えーそうなんだ。俺は一昨日に、ちょっとやったんだけど全然だめだったよ」
「ここ最近天気が良かったから、水温がぐっと上がってきてる。これからは良く釣れるよ」
「そうかー、いいなー。もう帰るところかい?」
「ああ、帰るよ。昼飯も食べずに釣っていたから腹が減ったし、今日はジェナに用事を頼まれているから、そいつを片付けないと」
「そうか、ジェナや子供たちは元気かい? 順調?」
「ああ、元気で順調だよ。お腹もずいぶん大ききなった。それでも教師の仕事は、ぎりぎりまで続けるって」
エラドは、エヴが引っ越してきた時に出会ったジェナの旦那で、夕食に招待された時に紹介された。しばらくは互いに腹を探り合うような会話しかできなかったが、エヴがエラド自慢の釣竿に気付いたとたんに関係は一変した。その夜は遅くまで互いの情報を交換しながら、釣り談議に花を咲かせたのだった。
エラドは釣りの事となると仕事が疎かになるらしく、ジェナはあまりいい顔をしない。かろうじて許されているのは、エラドの腕がいいのでそれなりの釣果があるおかげだった。
「あれ、髭を剃ったな。髪も整っているし、なんだかさっぱりとしたな。なんだい、客人でも来るのか?」
エヴを見ながら時折、不審な表情をしていたエラドは、合点がいったようにうなずいた。
「いや、客人というか、ちょっと――ほんのちょっとの間、人を雇う事になって。まあ、それで色々あって――匂いとか、ね。そう言う事だよ」
「人を雇うって――あー、そうか、あの三姉妹だな。村長さんの所にいる。ずっと働き口を探していたけど、エヴの所に決まったんだ。いや、良かった。エヴの所なら、安心だろう」
「良かったって、俺は良くないんだけどな。せっかくの、気ままな一人暮らしだったのに」
「うーん確かに、気ままな一人暮らしだったよな。えーと……、『怪しい風体』のおかしな奴が引っ越してきたって、噂になりつつあったから、な」
エラドは少し迷った後、あまり重たい口調にならないようエヴに告げた。
「え、何それ? 怪しいって、俺が?」
「うん、エヴが。もちろん、俺やジェナ、たぶん村長さんも、そんな話を聞く度に、ちゃんと説明したけどな。噂は思いもよらない、尾ひれはひれが付くから」
「いやいや、俺はこう見えても元まおぅ……。んー? そんな酷い感じ、だった?」
思わず自分の秘密を晒しそうになるほど動揺したエヴは、少なからず傷つきながら尋ねた。
「まだ、ギリギリセーフな感じ、だったかな。俺も、ジェナと所帯を持つ前はそうだったから分かるけど、男の一人暮らしはちょっと気を抜くと酷い事になるから」
「うわ、やっぱり酷かったんだ。さっきも、散々な言われようだったし。今は? 今はどうだい?」
エヴは両手を広げ、確かめてもらうようにエラドの前で一回りした。
「ああ、大丈夫。さっぱりしていて、どこぞの貴族みたいだ――って、本当の貴族様なんでした、よね。あのー、そう言えば俺、なんだか失礼な――」
エラドがこれまで見ていたエヴの姿は、お世辞にも高貴さのかけらもなかった。だが、こうして身綺麗になったエヴを見て、『貴族の子弟』という立場を思い出したようだった。
「ああ、何を今さら。確かに親は貴族だけど、この辺りの人には聞いた事もない遠くの土地だし。しかも、えーと、『後継争いを避けるために、厄介払いされた末弟』だから、気にするなよ」
エヴはエラドに手を振りながら、自分の仮の設定を語った。
「そうか? うん、じゃあ続けるぞ。ジェナも最近、心配していたんだ。最初に会ったときからどんどん荒んで行く、と。でも、その感じなら文句なしだ。家に帰ったら、さっそくジェナに教えてやろう――」
そう言いながら、エラドは時間を確かめるように太陽の位置を見た。
「――ああ、やばいな。もう帰らなくてはいかん。じゃあな、エヴ。また、釣りに行こう」
「ああ、エラド。またな。みんなにもよろしく」
手を振るエヴを背にして、エラドは時間を取り戻すように急ぎ足で去って行った。
「――ああ、約束していた時間が過ぎて、いや、エヴの話をすれば許してくれるか――」
ぶつぶつと呟く、エラドの声が聞こえた。
所帯を持つというのは、良い事と悪い事があるようだ。
「さあ、俺も戻るかな」
エヴも屋敷に戻るため、元来た道を歩き始めた。
「んん? あれは」
屋敷の近くまで来たところで、エヴは屋根から一筋の煙が立ち昇っている事に気付いた。
「ああ、煙突か。誰か料理をしているのかな? と言うか、キャルーが帰ってから、ちゃんと使ってなかったっけ……」
木戸を開け屋敷の中庭に入ると、ディーが干していた洗濯物を取り込んでいる所だった。
「お帰りなさい、ご主人様」
篭いっぱいの洗濯物の重みによろけながらも、ディーはエヴにお辞儀をしようとした。
「うん、ただいま」
エヴはそう言いながら、ひょいっと篭を持ち上げた。
「ああ、だめなの、ご主人様。これは、わたしのお仕事なんだから」
「そうだけど、俺も手伝える時は手伝うよ。いや、違うな――えーと、軽いから平気さ。何なら君ごと抱いて、運んじゃおうか?」
エヴはおどけた口調で、ニヤリと笑みを浮かべた――エヴなりの、打ち解けた会話をしようとしたつもりで。
「え? ええ、あのう……」
だが、ディーはエヴの言葉に戸惑ったような表情を浮かべ、お辞儀をした。
「え? あれ? これ冗談だよ。あれ?……」
予想もつかなかったディーの反応に、エヴも戸惑った。ベンが女性に対して、よくしていた冗談を真似たつもりだった。
「ディー。これはご主人様なりの、会話の仕方なのです。気にしないで」
エヴはびくっと身体を震わし、声のした方へと振り向いた。中庭に通じる戸口に、アンが立っていた。
「台所で、リラがお手伝いをしてほしいと呼んでいるから、お願い」
「……はーい。では、ご主人様、失礼します」
そう言うと、ディーはエヴに小さく会釈をして屋敷に入って行った。
「――わたくしが、片付けます」
アンはエヴからなかば、ひったくるように篭を受け取った。
「なんだか、俺、まずかったかな? ベンの――俺の知り合いの――会話を、真似てみたんだけど」
アンは無表情のままじっとエヴを見つめると、『ふう』と小さくため息を吐いた。
「わたくしどもの立場としては、問題はありません。ただ……」
「ただ? 何?」
「酒場で酔った殿方が、女給仕をからかうような――下卑た口調と表情でした。あれぐらいの年頃の少女には、あまり相応しくないかと」
「ええっ、そうだったか」
肩を落とすエヴに相変わらず無表情な視線を向けると、アンはお辞儀をして屋敷に入って行った。
「――しまったなぁ。ほんとに」
頭をかきながら、エヴはつぶやいた。なんだかアンの中での、自分の立ち位置が決まった気がした。
春の陽が落ち夕暮れが訪れると、屋敷の明かりが灯り始めた。
「うーむ」
自室に備え付けの机に向かっていたエヴは、かぶりついていた本から顔を上げ大きく伸びをした。
窓から外を見ると、魔法の照明に照らされた中庭が見えた。
「ほんとに、何ともなぁ。難しいな」
エヴは先程ディーにかけた言葉を思い出し、つぶやいた。
「――帝都にだって従者はいたけど、距離感が全然違う。そりゃそうだ『魔王』になんか誰も――話しかけるなんて、しなかったしな。そう言えば――帝都に連れてこられてからは、『普通』の話だってキャルーたちとしかできなかったな」
エヴは椅子の背に身体を預け、頭の後ろで手を組んだ。
「子供の頃は、おふくろと二人で何でもやっていたのに――いつの間にか――」
――コンコンと、扉を二回、軽く叩く音が聞こえた。
「うむ――いや、はい!」
「ご主人様、夕食の準備が整いましたわ」
扉の外から、リラの声が聞こえた。
「ああ、分かった。行くよ」
エヴは首を振りふり椅子から立ち上がると、扉を開けようとしてふと立ち止まった。
くるりと振り返り、クローゼットの姿見に自分の姿を映し出す。髪を撫でつけ、襟を引っ張って身だしなみを整えた。
「うん」
小さくうなずき扉を開けると、リラが廊下で待っていた。食堂へと真っすぐ続く廊下には、夕食の良い匂いが漂っている。食欲をそそる匂いに鼻をひくつかしながら歩くエヴの後ろを、静かにリラが続く。
夕暮れは深まりつつあったが、屋敷の中は所々に黄色い明りが灯り、やさしく辺りを照らしていた。
エヴが食堂に入ると、壁際に控えていたアンとディーがお辞儀をして迎えた。アンは歩み出ると、食事が用意されたエヴの席を引いた。
「ありがとう」
エヴは礼を言って小さく微笑みかけたが、アンは相変わらず無表情に会釈を返した。
エヴが席に着くと同時に、リラが台所から料理を運んできた。エヴが『貯蔵』していた魚を切り身にして、ソテーした物だった。温かい料理から立ち昇る、香ばしい良い匂いがさらに強くなる。
「美味しそうだね。早速いただこうかな」
エヴは一口分を切り分けると、口に運んでもぐもぐと噛みしめた。表面をバターでカリッと焼いているので、旨味が身に閉じ込められていて、豊潤な味が口中に拡がる。塩味の利いた身に添えられた、少し甘めのソースも絶妙なバランスを醸し出していた。
「うん、すごく美味しい」
顔を上げ、エヴはリラに声をかけた。
「はい、ありがとうございます」
そう言いリラは控え目な会釈をしたが、心なしか声が少し堅かった。
エヴはそのリラの口調に思わず顔を上げ辺りを見回したが、いつの間にかみんな下がっていてリラだけが食堂に残っていた。
「――うん」
エヴは皿に向き直り、食事を再開した。何日かぶりの、ちゃんとした温かい料理を――一人で、食べる。
一人きりで食べるのは、ここに引っ越して来てからと変わらない。帝都の居城でもそう、大抵一人だった。
もう一口切り分け、エヴは切り身を口に運んだ。
「リラは――みんなは、食べないのかい?」
何となく間が持たなくて、エヴはリラに尋ねた。
「はい、お気遣いありがとうございます。わたしたちは、後ほどいただきますわ」
「そうか。えーと、カノウさんの所では?」
「わたしたちは離れに住まわせていただいてましたから、ご用のない時は三人一緒でした」
「ああ、そうなんだ。ふんふん、そうか」
「はい」
エヴは黙々と食べ続け、最後の一口を飲み込んだ。リラは少なくなったエヴのグラスに、水を注いだ。
「えーと、あのだね、なんだ――」
「はい?」
「――アンから、聞いた?」
「――先程、ご主人様がお帰りになった時の、ディーとの会話の事ですか?」
「うん、そう。聞いた?」
「はい、聞きました」
リラは感情を交えず、淡々と答えた。普段、人あたりの良い人がとる冷淡な態度は、いつも以上に心に刺さる。
「ディーは……、どんな様子だったかな?」
「そうですね、一言で言えば『困惑』でしょうか。今まで、わたしたちがお勤めしていたのは、年配の方が多かったので、このような経験が無かったのです。ディーにもう少し経験があれば、ご主人様に対して不快な対応をせずに済みました物を――この度は、ディーの不手際でご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます」
そう言い、リラは深く頭を下げた。人と人の関係ではなく、職業人としての立派なお辞儀だった。だからこそ、そこには誠意はあっても真心はない。
「ああ、違うんだよ、違うんだ。詫びなければいけないのは、俺だ」
「――」
慌てて手を振るエヴに、リラは小首をかしげ無言で次の言葉を待った。
「俺は――俺は、ちょっと、人とは違う生き方をしてきたんだ、と思う。子供の頃は、普通だった。どこにでもいる、普通の子供だったよ。でも、ある時から――えーと、特殊な環境で暮らすことになって」
エヴは、自分の真の身分に触れないよう、言葉を選びながら話した。
「そこでは全員が大人で、だけど対等な者は誰もいなくて、いつも――立派である事を求められた。同じ年頃の、気心の知れた話ができる仲間ができたのは――そうだな、ディーよりも少し大きくなった頃だったかな。それでも、いつも一緒だった訳ではなくて、みんながそれぞれの役割を果たしながらだったから。そうそうは、会えなかった。だから、言い訳をさせてもらえるならば、俺の知識はいびつなんだ。仲間に言わせると、かなり偏っているらしい――それは、会話に関しても」
「はい」
リラは、エヴが考えながら話すたどたどしい言葉を、しっかりと受け止めるように聞いていた。
「とにかく、すまなかった。あれは、俺の経験から導き出した――『物を運ぶ女性』が『笑った』会話の例だったんだ。決してディーを、不快にさせるつもりはなかった。だが、これで覚えた。二度と、同じ間違いは犯さないよ。だから、どうか俺の謝罪を――ディーに――」
エヴは両手を広げて、肩をすくめた。
「――よかったですわ」
リラは、今まで抑えていた息を吐き出すように、そう言った。
「へ? よかった?」
「はい。よかった、ですわ」
不思議そうな顔をするエヴを見て、リラは微笑んだ。
「カノウさんはご主人様の事を保証して下さいましたし、初めてご挨拶した時も『きちんとした』方だと感じましたわ」
リラが『きちんとした』と言う部分を強調したので、エヴは慌てて自分の身なりを確認した。
「ふふふ、男性の一人暮らしは、どうしても無精になりがちですものね。そのために、わたしたちがお手伝いをさせていただきますわ。ですが――」
「うん?」
「ですが、わたしたちがさせていただくのは、家事やご主人様の身の回りのお世話で、決して――そのう、と、伽は絶対に――ましてや、ディーのような少女に――少女がお好みのご趣向をお持ちの方も――ご主人様が、そう言う方だったらどうしようと……」
しどろもどろになりながら、リラは顔を赤くした。
「――へ? えーと、うーん」
思わぬ会話の流れに、エヴは考えをまとめようとした。
「まず、俺が良くない言葉でディーを不快にさせた。その言葉は、一般のメイドの職務ではなく、伽を想起させる物だった。そして、それを……、とぎ……、しょうじょ……?」
エヴの言葉に、リラはさらに顔を赤くして両手で覆った。
「申し訳ございません、ご主人様! わたしたち、勘違いをしてしまって!」
「ああああ、いやいや! 違うから、そんなんじゃないから! 俺はすらっとして、むちっとしたぁーじゃなくて、本当に違うから! 俺は、俺は――普通だからっ!」
そこまで言ってはっとしたエヴは、思わず握りしめていた拳をだらんと垂らした。
「あの……、変に勘違いさせてごめんね。ほんとごめんね……」
「あ、はい、大丈夫ですわ。こちらこそ……、申し訳ございません」
少し驚くような、少し笑うような、何とも微妙な表情でリラはお辞儀をした。
「うん、あー、今日はもう寝ようかな。ああ、食事とっても美味しかったよ」
エヴはかなり早口でそう言うと、かなり足早で自室へと向かった。
◇
コンコン、コンコンと扉を叩く音がする。
エヴはすうっと、ベッドの上で目を開いた。
「うぅん――」
エヴの返事と共に静かに扉が開き、アンが入ってきた。
「おはようございます、ご主人様」
「ああ――おはよう」
寝ぼけ眼をこすりながら、エヴはベッドに半身を起した。窓から外を見ると、朝の日差しが中庭を照らしている。
アンは室内に歩み入ると、タンスの上の洗面器に水を注ぎ、清潔なタオルを脇に添えた。
「朝食の準備ができていますが、こちらへお運びしますか? 食堂にしますか?」
相変わらずの無表情で、両手を前に組みながらアンは尋ねた。
「ああ、うん、えーと、食堂で食べようかな」
「はい、かしこまりました」
エヴはベッドから出ると、アンの用意した洗面器へと向かった。
「あー、あのだね、昨日の事なんだけど――」
顔を洗いながら、エヴはおずおずと切り出した。
「はい?」
「リラには説明したんだけど、聞いた?」
「はい」
「ああ、そう。それでね、申し訳なかった。俺はなんて言うか――そう言うのじゃないから。えー、普通だから。少女を特に好むとか――えーと、普通の、年頃の女性が好きだから!」
「――はい」
「ああ、違うよ、そういう意味じゃなくて! 女性は好きだよ――好きだけど、立場を利用して君たちをね、どうこうしようとかも本当に無いから!」
「は、い」
そう返事をするアンの顔は相変わらず無表情だが、何故だか肩口がぴくぴくと動いている。
「――うん、まあ、そう言う事で。じゃあ、着替えようかな」
「失礼、します」
アンはそう言うと、扉を閉め退室した。
エヴが着替えようと寝間着を脱ごうとした時、廊下で『ぶふーっ』と吹き出す声がした。
慌てて扉を開け廊下に飛び出したが――誰もいなかった。
その日は一日中、屋敷の一同は表向きは普通だが、何だかぎくしゃくとしていた。
昼過ぎに一度、カノウが屋敷の外から様子を伺っていたが、エヴが声をかけようとすると足早に去って行った。
晩春の陽は西の空に落ち、辺りは夕闇に包まれつつあった。屋敷の明かりも灯り始め、三姉妹がやってきて二回目の夜が訪れようとしていた。
昨日と同じく屋敷には、夕食の準備をする良い匂いが漂い始め、エヴは読んでいた本から目を上げた。
エヴの部屋からは中庭越しに廊下の窓が見えるのだが、そこをパタパタとディーが走ってくるのが見えた。程なくして、扉を叩く音が聞こえた。
「うん、どうぞ」
「ご主人様、お夕食の準備がととのったの」
扉が開くと、ディーが小さくお辞儀をして告げた。
「ああ、ありがとう。行くよ」
食堂に入ると大きなテーブルに、エヴの食事が用意されていた。食欲をそそる良い匂いは、相変わらずだった。
「今日も、美味しそうだね」
「ありがとうございます」
テーブル脇に控えていたリラが、エヴの椅子を引きながら答えた。
「さてと……」
席に着いたエヴは、テーブルを見回した。六人は座って食べられる程大きなテーブルには、真ん中に季節の花が飾ってある。
この屋敷の前の住人メイは、二人姉妹だった。二人で使うには大きすぎるテーブルは、たぶん来客に備えてなのだろう。ジェナはメイと親しかったと言っていたから、一家でこの屋敷に訪れた事もあっただろう。みんなが囲む、賑やかなテーブル。
一夜だけ――ここに引っ越してきた夜は、エヴもキャルーたちと一緒にこのテーブルを囲んだ。
「あの花は?」
エヴはテーブルの花をぼんやり見ながら、リラに尋ねた。
「ああ、はい、ディーが摘んできましたわ。どこかで育てていた種が飛んできたのでしょうか、お屋敷の周りにお花が沢山咲いているんですよ」
「へえ、そうなんだ――気付かなかったな」
「ふふふ、可愛いですわね」
「うん、そうだね。うん」
エヴはもう一度、広いテーブルを見回した。
「ご主人様、何か不備でもございましたか?」
リラは、エヴの様子に不安げに尋ねた。
「――あのさ、一緒に食べないか?」
「――はい?」
「ああ、すまない。また、言葉が足らなかったね。みんなは後で食べると言っていたが、夕食を俺と一緒に食べないかい?」
「ご主人様とわたしたちが、同じテーブルでですか?」
「そう。だめかな?」
「――だめ、と申しますか、わたしたちは使用人で――ご貴族のご主人様と一緒のテーブルでは――粗々をして、ご不快にさせてしまうのでは――」
突然のエヴからの『注文』に、リラは戸惑いながら言葉を選びつつ答えた。
「うーん、また俺は間違ったのかな。俺は昨日も話したけどね、人としての経験が偏っているんだ。いつか、昨日のような失敗をまた――してしまうかもしれない。だからね、いろんな話をみんなとして、『普通』の話しの仕方を――『普通』を教えてほしいんだ。それには、俺とリラたちが一緒に食事をしながらが良いと思ったんだが――これは、おかしな事だったかな?」
「――いいえ。おかしな事では、ないと思いますわ」
少し考えた後、リラは小さくうなずいた。
「ですが――」
リラは足音を忍ばせながら台所へ続くドアに近付くと、パッと扉を開いた。
「わたし一人ではお返事できませんから、みんなで考えさせて下さいませんか?」
扉の向こうには耳に手をかざした、中腰のアンとディーが立っていた。
盗み聞きを見つかったアンは、ばつの悪そうな表情で眉をひそめた。
「ほーらね、アン。だから、わたしは盗み聞きは――ぐうっ」
ディーが口を開くと、アンは目にも止まらぬ速さでディーの脇腹に手刀を差し込んだ。
「おほん――リラは、どう思うの?」
咳払いをひとつして、アンはリラに尋ねた。
「そうね、確かにご主人様は少々――普通ではない所も見受けられるので、おっしゃる事も分かるのだけれど」
少し困ったようにリラは言うと、ディーを見た。
「わたしは良いと思うの! わたしはご主人様と、仲良くなりたいの。それでね、仲良くなるにはやっぱりお話しする事が一番だから、一緒にお食事をするのはとっても良い考えだと思うの!」
ディーは両手をぱんと、勢いよく打ち鳴らした。アンは無言でディーの手を掴むと、すっと下げさせた。ディーは両手を恥ずかしげに後ろ手に組むと、はにかんだ笑顔を見せた。
アンは小さくうなずいてリラを見ると、リラもうなずいてエヴを見た。
「ああ、そうだね。俺もそうだと思う。話をすれば、仲良くもなれると思うな」
仲良くか――そう言いながら、矛盾しているとエヴは思った。やめてもらうつもりでいるのに。
そんなエヴの思いをよそに、リラは心配げな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「本当に、よろしいのでしょうか? 先程も申しましたが、わたしたちはこれまでご貴族様にお仕えした事はございません。テーブルをご一緒して、ご主人様が不快な思いをされてしまう事が心配なのですわ」
「そうか、じゃあこう考えよう。互いに『不快』な事を無くすために、一緒に食べようとね。俺は俺の知っている、貴族的なマナーを教える。これはみんなの仕事柄、役に立つと思うけど――」
リラたちは、ふんふんとうなずいた。
「――それで、俺はみんなといろんな話をして、『普通』を教えてもらう。みんなが『不快』に感じるおかしな事を、言わないようにするために。どうかな、だめかい?」
「面白そうね、素敵!」
無邪気にそう言うディーを尻目に、リラとアンは顔を見合わせた。まだ、どうするか決めかねているようだ。アンは、リラに判断を任せるようにうなずいた。
「分かりました。では、ご一緒させていただきますわ」
「うん、ありがとう」
「わたしたちの食事を準備する間、少しお待ちいただけますか?」
「もちろんだよ、手伝おうか?」
「いいえ! そんな、結構ですわ。ご主人様は、そのままお待ちください」
リラはアンとディーに声を掛け、手際良くテーブルの準備を進めた。エヴは座ったまま、その様子を眺める。
程なくしてエヴの座る反対側に三人分の食事が整い、それぞれの椅子の脇にリラたちが並んだ。
「それでは、よろしいでしょうか?」
そう尋ねるリラに、エヴは軽くうなずいた。
少し奇妙な取り合わせの夕食が、始まった。
「お待ちいただく間に、お料理が冷めてしまいましたわ。申し訳ございません」
テーブルを見回したリラが、申し訳なさそうにエヴに詫びた。
「いや、いいよ、俺が言い出した事だから。それに、冷めていても美味しそうだ。それじゃあ、食べようかな」
エヴは、用意された目の前の皿に取りかかった。今夜の主菜は、肉料理だった。
羊のアバラ肉が、香草と赤ワインでじっくりと煮込まれていて、フォークを添えるだけで骨からホロリと外れる。少しソースに浸してから口に入れると、軽く噛むだけで肉の旨味が染み出してきた。しっかりと下ごしらえをしているのだろう、肉の臭みはほとんど感じられないが、少し残った羊肉の独特の香りが逆に味を引き立てる。
満足気にうなずいて飲み込むと、全員がエヴを見ていた。
「うん? どうしたのかな?」
アンとディーがかなりの素早さで、真ん中に座るリラを見た。二人の視線を受けるリラは、悔しそうな表情を一瞬浮かべエヴに向き直った。
「――あのう、ご主人様――わたしたちは、どうしたら良いのか――ご主人様は、一緒に食べようとお誘いくださいましたが、いざ、こうしてみると勝手がわからなくて――」
隣に座るアンとディーも、うんうんとうなずく。
「えーと、そうか、そうだなあ――お話しとか?」
「それでは、ご主人様――ご主人様は、普段はどんなお話しを――」
「ああ、ちょっと待って」
「はい?」
「その、呼び方なんだけど――」
「呼び方、ですか?」
「うん、変えてもらってもいいかな?」
「呼び方を変える――『ご主人様』という呼び方をですか? ですが、ご主人様はご主人様で――では、どんな呼び方をすれば?」
「とにかく、それ以外で。アンは、何かないかい?」
「は? え? わたくしですか?」
「うん、そう」
突然の指名に、アンはうろたえている。いつもの冷然とした態度を崩し、あたふたとするアンを見てエヴは少し楽しくなってきた。
「――――、お、お――お館様」
「却下」
「んな、な――」
エヴは、アンの案を即座に一蹴した。アンは、口をパクパクさせている。
「じゃあ、リラはどう? 三人の中で一番年上のリラなら、期待ができそうだねえ」
「ふぇ、え、わたし?」
アンの様を見てニッコリしていたリラは、エヴを二度見して目を見開いた。エヴは、本当に楽しくなってきた。
「えー、えーとです。そう――ですわね。背がお高いので――のっぽの旦那様――なんちゃってぇ――うふふ?」
リラは語尾を冗談めかして、誤魔化そうとした。小首をかしげ、笑みを浮かべながら小さく肩をすくめる。
「はあー、十点だな」
エヴは首を振りながら、点数を付けた。エヴの上から目線な態度に、ニッコリ笑ったリラの目が細くなる。
「カエルさん」
「えっ?」
「――カエルさん、ではいかがです?」
「え、あの、何言ってるのかな」
「もっと詳しく言えば、『頭からカエルに飲み込まれたさん』。略して、カエルさんですわ」
三姉妹は礼儀正しくエヴから顔を背け、一斉に噴き出した。
「――なんで、なんで君たちが知っているのかな?」
「さあ、どうしてでしょうか、分かりませんわ」
「――あのう、『育む』とかも? いや、どこまで――」
「うふふ、何の事でしょう? そうだ、ディーは何か思いつきました?」
ニッコリとした笑顔を張りつかせたまま、リラはディーに尋ねた。
「そうねえ、ご主人様はご貴族様で、素敵な切妻屋根のお屋敷に住んでいるから――『切妻屋敷の王子様』とかはどうかしら」
ディーは両手を前で組み、キラキラと瞳を輝かせた。リラとアンが、微妙な顔でエヴを見る。
「あー、えーと、素敵だね」
「本当に!? じゃあ、これからご主人様の事は――」
「あー! 待って! 良いんだけど、ちょっと長いからね。ね」
エヴは助けを求めるように、リラとアンを見た。
「そうですね、ディー。それだけ長いと、呼びづらいでしょう」
仕方がないという様子で、アンが助け船を出した。
「ところでご主人様は、こちらへ越してくる前はどのように呼ばれておいででしたか?」
「うーんと、まお――っと、えーと、名前かな」
普段呼ばれていたのは、当たり前だが魔王や陛下と言う称号だった。だが、本当に気心の知れた者たち、キャルーたちからは名前で呼ばれていた。
「お名前――じゃあ、エヴ様?」
ディーは人差し指を唇にあて、少し考えて言った。
「様――かあ。様は無しで――呼び捨てで、どうだろう? 俺もみんなの事を、名前で呼んでいるし」
「はあ、呼び捨てですか? 困りましたね、それでは示しがつきませんわ」
「誰に対してだい? ここには、俺たちしかいないよ。そうだな、そんなに気兼ねするのだったら、雇用主の俺からの依頼と言う事にしよう」
「――依頼ですか。分かりました、そう呼ぶように努力しますわ、ご主――えー、エヴ」
「うん、リラ。それで、よろしく」
エヴは満足げにリラにうなずくと、ディーを見た。
「わたしはお名前で呼ぶより、素敵なあだ名が良いと思うけど、エヴがそうしたいのならそう呼ぶわ」
「ディーのつけてくれたあだ名も良いけど、呼びやすい方が良いからね、うん。じゃあ、アンは」
アンはエヴをしばらく見つめた後、あきらめた様子で溜息をついた。
「――――エヴ――――これでよろしいですか?」
何の感情も込めず冷たく言い放たれた自分の名前に、エヴは背筋がゾクゾクとする不思議な感覚に襲われた。
少しぎこちなくも、夕食は滞りなく進んだ。互いに、今日あった出来事を話し合う。
「そういえば、散歩の途中にエラドに会ったな」
「ああ、ジェナの旦那さんの。このお屋敷からですと、林向こうのお隣さんですわね」
「うん、そう」
「エラドとどんな事を、話されたのですか?」
めずらしく、アンが積極的に会話に参加してきた。
「えーと、釣りの話を。水温が上がってきたから、よく釣れるようになってきてね、エラドはだいぶ釣ってたな。ああ、それから――俺の風体の事。ちょっと、村で噂になっていたとか――みんなも聞いていた?」
「ええ、知らない人はいなかったと思います。小さな村ですから」
「ぐぅ、そうかあ」
「ほかには? ほかに何を話されたのですか?」
「いや、ちょっと話しただけで、エラドは帰ってしまったから――もしかしてアンは、釣りに興味があるのかい?」
「いいえ、まったく」
「ああ、そうなの。やってみたいとかは、ないかな?」
「いいえ」
アンは、エヴの言葉尻にかぶせるように即答した。
「リラは――」
「申し訳ありません。わたしは餌をつけたり、釣れたお魚を針から外したりとか、どうしても――」
リラは申し訳なさそうに答えたが、口調にははっきりと拒絶の意志が表れていた。
「ああ、うん――苦手な物は、しょうが無いよね。ディーは――」
「ねえ、エヴ。お屋敷の外は、柵で囲われている所まで使ってもいいの?」
「うん、カノウさんからはそう聞いているけど――」
エヴはディーに話を振ろうとしたが、まったく違う内容の会話で返されしょんぼりとした。
「だったらわたしね、お花を育てたいんだけど。いいかしら?」
「ああ、別にかまわないが。そう言えば、この花もディーが摘んできたんだよね?」
エヴは、テーブルに飾られたかわいらしい花を見た。
「そうなの! お屋敷の外にお花が咲いていて、前は花壇だったのかな、と言う所があるの。今は雑草がいっぱいだけど、きちんとお手入れすれば、きっと素敵な花壇になるわ!」
「へー、そうなんだ。でも、雑草を刈るのは大変じゃないかい? 結構広いだろう」
どうした物かと、エヴは腕を組んで考えた。
「ヤギを、入れれば良いかと。この広さなら、二頭ほどで綺麗になります」
さほど時間をかけず、アンが解決策を提案した。一同は『おお』と言う表情で、アンを見た。
「なるほど、それは良いわね。このお屋敷には家畜小屋もあるし、雌のヤギなら新鮮なミルクも採れるわ。いかがですか、エヴ?」
「ああ、良いんじゃないかな。ヤギなら俺も昔――いや、なんでもない。だが、ヤギはどうしよう? どこかで、手に入るのかな?」
エヴは一時、昔々の子供時代を思い出した。ヤギどころか、ニワトリや豚も飼っていたっけと。だが、それは今の仮の身分にはない設定だった。
「それなら、カノウさんに聞いてみましょう。村を離れた人たちの飼っていた、行き場のない家畜がいると聞いた事がありますわ」
「そうか、じゃあ明日にでもカノウさんの所に行ってみよう――ちょっと、聞きたい事もあるしね」
微かに顔をしかめながら、エヴは肩をすくめた。
「お願いたしますわ。ご主――えー、なかなか慣れませんわね――エヴ、それでは明日も今日と同じ時間にお起こしすればよろしいですか?」
「うん、よろしく。でも、そうだと今日も早く寝なきゃいけないな――」
そこで、エヴははたと思い当たった。
「――みんなが使っているのは、屋敷の前の持ち主の、メイの部屋だよね?」
「うん、そう! とっても素敵で、かわいいお部屋なの」
「でも、姉妹で使っていた二人部屋だから、ベッドは二台しかなかったんじゃないかい?」
「そうなの。でも、大丈夫。わたしは、リラと一緒にベッドを使うから」
ディーはリラと顔を見合わせて、にっこりと笑った。
「どちらにしろ、普段からディーはリラのベッドにもぐり込んでいたから、あまり変わらないのでは?」
「もー、アンはすぐそう言う事を言うの! わたし、もう大きいんだから――時々よ、エヴ」
「ははは、そうか。でも、ふーん――」
エヴはそう言いながら、夕食の最後の一口を口に運んだ。
この屋敷の家具調度品は、すべてメイが揃えた物だろう。ベッドを増やすなら、同じ職人に頼んだ方がいい。明日、カノウに会ったらこれも聞いてみようと、エブは考えた所で気付いた。
また、矛盾。彼女たちはあくまで『試用期間』なのだから、ベッドは必要が無いのだが――まあ、後で考えよう。
「ねえエヴ。リラのお料理は、美味しい?」
つらつらと考えながら最後の一口を噛みしめていると、ディーが唐突に質問をした。エヴは少し首をかしげ、答えた。
「え、美味しいよ」
「うーんとね、そうじゃなくて、今までは凄く――立派なお食事をしていたんでしょ。それと比べてね――わたしはリラのお料理は、とっても美味しいと思うの――だけど……」
「ああ、ああ、そう言う事か」
帝都の居城では当然毎食、豪奢を極めた皿が並んだ。何と言っても、エヴは大陸の半分を統べる者なので、地位に見合った『食事』をしなければならなかった。そして、食事は帝国統治のための重要な政具で、一人で食べる事はほとんどなかった。
高等貴族、有力者、同盟国の賓客など、国内外の要人との果てる事のない晩餐。
エヴの食事に携わる者はもちろん、みんな、帝国でも指折りの職能を持っていた。そんな料理が、美味しくないはずはない。
「ディー。比べるなんて、不躾な質問は失礼ですよ。慎みなさい」
「ごめんなさい……」
アンの叱責に、ディーは縮こまった。
「申し訳ございませんわ。わたしたちは田舎暮らしですので、都会の――ご貴族様のお食事がどのような物か分からないのです。もちろん、精一杯お作りさせていただいています。でも――ご不満がありましたら、おっしゃってくださいね」
三姉妹は、遠慮がちな視線でエヴを見た。
普通の食事、貴族の食事――魔王の食事。食事には、様々な役割がある。栄養の補給はもちろんだが、エヴの食事は帝国統治のための道具であった。そこで出される品々は、味の面で言えば当然だが最高級だった。
だが、『食事』という行為の本当の役割は――。
「ううん、昨日も言ったけど――本当にね――本当に、美味しいよ」
そう言い、エヴは笑った。
エヴの笑顔につられディーとリラ、そしてアンでさえ笑顔を見せた。
幾日かが過ぎ、エヴがいつも通り自室で本を読んでいると、ノックの音が聞こえた。
「はい、どーぞ」
扉が開き、ディーが顔をのぞかせた。
「どうしたの?」
「あのねエヴ、これ作ったの。あげるわ」
ディーは『たたた』と駆け寄ると、エヴの手に小さな紙片を押し付けた。空色のリボンが付いた紙片には、押し花がすき込んである。
「これは、しおりだね。ありがとう、大切に使わせてもらうよ」
「うん!」
礼を言うエヴにはにかんだ笑顔を見せ、来た時と同じように駆け去って行った。
エヴはしおりを窓からの光にかざすと、しげしげと眺めた。
本当に、かわいい贈り物だった。
◇