Chapter.07 【赤い盾】
歓楽街の路地裏はまさに犯意の巣窟だと言ってもいい。
大通りを一つ逸れるだけで、まるで空気が違ってくるのだから驚きだ。
チラリと視線を上へと向ければ品定めするかのように窓枠に肘を乗せ、ニタニタとした気色の悪い笑みでリヴィアを見下ろす男性。
口に加えた煙草からは、見るからに身体に害の有りそうな色をした紫煙が、立ち上っている。
視線を外し、また脚を進めるが背後に感じる男性の視線はしっかりと感じ取る事が出来る。
「で、何でついてきてんだよ。シェール」
「あら、やっと名前を言うようになったわね」
隣を歩く少女の言葉にく口をへの字に曲げながらシェールよりも高い身長を利用して、リヴィアは上からシェールを軽く睨んだ。
「……ついてくんなよ……邪魔なんだよ」
「邪魔って何よ?アタシもね、こっちに用があんのよ!!」
路地裏は物影が多く、死角も多い。
その為、追い剥ぎやら、殺しやら、犯罪が起こりやすい。
先程からリヴィアたちの後を追い掛けている四、五人程の人間がいるのがいい証拠だ。
きっと良い鴨がやって来たと思っているのだろう。それもそのはず。
リヴィアとシェールは服の上からでも分かる程、筋骨隆々という訳ではなく、武器という武器も持っていない。
どこかに隠し持っているのだとすれば、それは暗殺者が使うような小型で多人数を相手にするには心もとないものだろうとそう、判断したのだろう。
「……アタシたちの事、完全に狙ってるわよね」
「殺すか?」
「……なんで、アンタはそう直ぐに殺そうとするのかしらね……。でも、こんな狭い路地じゃ、アタシの武器は大き過ぎて使いにくいわよ」
シェールの言葉を聞いているはずなのだが特に興味は無いのか、右手を握ったり開いたりしながら手の状態を確かめているリヴィアはシェールに見向きもしなかった。
リヴィアが自分の能力で創り出す刀は、刀の種類の中で“太刀”という、およそ1メートルから1.2メートルほどの長さをした片刃の武器である。
“太刀”の柄を両手、または利き手である右手で握り、相手を斬ったり刺したりするため手に何らかの怪我や異変があると上手く振るえなくなるのだ。
右手の状態を確認していたのは、怪我や異変があるかどうかを知るため。
つまり、リヴィアは“殺る気満々”ということだ。
「綺麗に殺りなさいよ」
口角を吊り上げたシェールは、ポンとリヴィアの肩に手を置くと壁際へと移動した。
避難、というよりも傍観に徹するという意味合いの方が強い。
「おい、バレバレだぞ。オッサンども」
リヴィアの少し低めでよく通る、耳に残る声は路地裏に響き渡っていく。
その声に釣られるようにしてフラフラとした足取りで薄暗い影の向こうから、頬が痩せこけ、目は窪み不摂生を極めたような姿をした男性たちが現れた。
肌は浅黒く、髪は伸びたまま放置されているのだろう、所々絡まりゴミがついている。
そんな彼らは目だけは爛々と輝かせ、リヴィアを見詰めながらゴクリと生唾を飲み込むと鼻息荒く地面を蹴りあげた。
「犬か、お前ら」
「犬の方が行儀は良いわよ」
シェールの言葉にそれもそうかと笑うリヴィアは、一番前にいた男性に向かって腰に下げていた刀の柄を握り、一気に鞘から引き抜いた。
鞘から引き抜かれた刀は、その黒い刃を一瞬たりと鈍らせることなく、地面を蹴り上げ飛び掛かって来た男性の左肩から、脇腹にかけて斜めに一気に斬り裂いた。
グチュリと耳に残る音を経ててリヴィアによってつけられた男性の傷口から、赤黒い血が噴き出した。
リヴィアは自分に返り血がつく前に、男性の元から飛び退き距離を取った。
「ただただ、飛び掛かって来るだなんてな。……ちょっとは頭使えよ」
呆れたように笑いながら、地面に倒れ伏した男性を見下ろしたリヴィアは刀の切っ先を残っている男性たちに向けた。
ジリジリと後退りする男性たちだが、だからといって引き下がるほどお利口ではなく、腹が減り、過度の栄養失調のせいで鈍りに鈍ったその思考回路では、相手が自分より遥かに格上だろうと、本能を優先してしまった。
一人で駄目なら、大勢で。
男性たちは、その鈍った思考回路の中で結論付けると全員で、リヴィアの元へと一気に距離を詰めた。
腹が減った。 喉が渇いた。……人肉を喰らうことにすら抵抗の無くなった彼等に、リヴィアは容赦などしなかった。
一番威勢が良く、距離が近かった相手の喉元を深く掻き斬った。
太い血管を斬り裂いたことにより血が大量に噴き出し、リヴィアの視界を赤一色で覆うがリヴィアは冷静に姿勢を屈め、血飛沫をかわしながら次の標的に向かって行く。
例え、仲間が死んだとしても動きを止めることなくリヴィアへと向かって行く男性たちは仲間のことなどどうでも良いのか、爛々と輝くその瞳の視線はリヴィアへと注がれる。
片手で持っていた刀の柄を握り込むと、縦に一振りする。
空を切り裂く音と共に、リヴィアの手に直に伝わってきたのは人の肉を斬り裂く感触。
男性の腹から赤黒い血が噴き出し、傷口からは薄桃色の内臓がチラリと見える。
ドサリと地面に落ちた男性から直ぐに視線を外し、纏まっていた二人に視線と足先を向けると地面を蹴り上げ、刀の切っ先を一人の男性の額へと突き刺し、姿勢を変えながらもう一人残っている男性の米神へと蹴りを叩き込んだ。
蹴りを入れられ、壁に激突した男性はガクリと頭を垂れながら気絶したが、追い剥ぎにでも会うだろうがリヴィアによって殺されるよりかはまだマシだろう。
「……アンタ、結局汚いじゃない」
口元を歪ませたシェールは地面へと視線を向けており、リヴィアもシェールの視線に釣られるように視線を下へと落とすとそこには血溜まりだらけになった地面がそこにはあった。
人を斬れば血が出るのは当たり前だが、それが五人となれば量も凄まじくリヴィアが一歩踏み出すごとにピチャピチャと音を経て、足を上げれば血が靴底から滴り落ちる。
鼻を突く鉄錆びの臭いは、リヴィアにとってもシェールにとってもよく嗅ぎ慣れた嫌な臭いだった。
死体と共に長い時間を過ごす趣味は、二人にはないため早々にその場を離れた二人は路地裏を抜けた先にある少し拓けた場所へと来ていた。
そこは他の場所とは違い、骨と皮だけのような人は居らず、ただそこには静かに二人を品定めするかのような視線を向ける人たちがいるだけ。
ここは、他の地区とは違い一枚壁に隔たれたような場所。
「相変わらず、胡散臭い奴らが多いな。ここは」
“塵の交換場”
それがこの場所の名前。……名前と言うよりもそう呼ばれているだけで正式な名称ではない。
情報屋や便利屋といった、悪どいことには何でも手を出していそうな連中が集まり、規則を固め、お互いが深く関わることなくただ、この“塵の交換場”を安全圏として過ごしているだけ。
お互いの顔は知っていても、名前は知らず、どこ出身なのかも知らない。
“塵の交換場”で生きる人間たちは、他の地区の人間とは違い腹を極限まで空かせてはおらず、金にも困ってはいない。
ここに来るのは、リヴィアたちのように何等かの用があって来る者たちはごく少なく、基本ここに来るのは貴族の人間といった金に余裕のある人間たちだけ。
「んで、お前の用って何なんだよ」
まるで今思い出したと言わんばかりのリヴィアのあっけらかんとした発言に、口角をピクピクと痙攣させたシェールは小さく、忘れてただろと一人呟いた。
だが、リヴィアはシェールの呟きはが耳に入っていないのか辺りをキョロキョロと見渡すと、出店のような出で立ちをした情報屋、または便利屋の元へと歩き出した。
シェールはリヴィアの後を追い、肩を並べられる位置へと来れば口を開いた。
「“オードル”に任せてた仕事、今日で終わる予定だったから来てみただけよ」
「……“任せた”ねぇ。押し付けたの間違いだろうが」
呆れたような声色に比べ、リヴィアの表情は明るく、シェールの神経を逆撫でするには充分過ぎるものだったようだ。
段々と鬼のような形相へと変わっていくシェールにリヴィアは片方の口角をひくつかせシェールから僅かに距離を取った。
「アンタ……。いい?アタシはオードルに仕事を押し付けたんじゃない。任せたの。オードルだって文句なんて言わずに了承したんだから」
「嘘付け。アイツ、お前の犬みたいなもんだからなァ」
シェールよりも高い身長を利用してシェールを見下ろしながら笑うリヴィアの顔面へ向けてシェールのパンチが襲い掛かった。が、リヴィアの反射神経はかなりのもの。
パシンという軽い音を経てて、シェールの腕を掴みパンチの軌道を右へとずらしたリヴィアは得意気な顔をしながら、シェールの腕から手を離した。
「……癪に触ること言うし、癪に触る顔してるし……。って言うか、なんでアンタはここに来てんのよ」
「情報交換。ここの奴等のほうが、仕事で役立つ情報持ってたりすんだよ」
「あぁ、便利屋の。ここの奴等ってどうやって情報仕入れてるだろ……」
シェールの疑問に答えることなく身体の向きを変え、歩き出したリヴィアにちょっと待ちなさいと言葉を投げ掛けたがリヴィアは止まることなく歩いて行く。
舗装されていない道はガタガタと歩きにくく、シェールは眉間に皺を寄せながらリヴィアの後を追うが、リヴィアの方が歩き慣れているのか何の苦もなく歩いて行く。
そんなリヴィアの後ろ姿を見ながら、チッと舌打ちをするがリヴィアには聞こえてはいなかったようだ。
「待ちなさい!!リヴィア!!」
大声を上げて呼び止めようとするシェールに周りから視線が集まる。
面倒臭そうに、と言うよりも本当に面倒なのだろう唇をへの字にしながら、後ろを振り返ったリヴィアの後ろでゆらりと黒い影が動いた。
背後を襲われるだなんて、よくあること。何も、特別なことじゃない。
舌打ちを零したいのを堪え、身体を捻り後ろを振り返えると同時に柄を握り、鞘から引き抜く。この一連の動作も腐るほどやってきた。
“やってこなければならなかった”の方が、正しいのかも知れないが。
――ザシュン
返り血が飛ぶ。
この光景も、よくあること。何も、特別なことじゃない。
「お前らだって、生きるために自分より弱ぇやつ殺すだろ?それと一緒だよ。お前が俺より弱いだけ」
「あぁ~、殺しちゃった。ちょっとくらい傷負えばいいのに」
皮肉を混めたその言葉にリヴィアはギロリとシェールを睨み付け、刀についた血を振り払う。シェールに向かって。
「ぎゃぁっ?!何すんのよ、いきなり!!」
女っ気のない悲鳴が笑えたのか、必死に笑いを堪えようと口元を抑えるリヴィアだったが遂に「ブフッ」と吹き出し、笑い声を上げ始めた。
短気であり、そこそこにはプライドの高いシェールにとって、笑われるのなど言語道断。
わなわなと肩を震わせ、米神に青筋をたて、俯かせていた顔を勢いよく上げる。
「ぶっ殺す!!!!!」
頭の左右で揺れる、明るい茶髪のツインテールがシェールの心情を表すかのようにうねうねと蛇の様に揺れ動く。
右腕を前へと突き出せば、バチバチと火花が弾けるような音を経て始める。
シェールの唇が動き、言葉を紡ぎ出そうとする。完全に殺る気である。
リヴィアが口角を引き吊らせ、回りにいた“塵の交換場”に住み着く者たちが被害を被ってはいけないと我先にと逃げ出すが、シェールの唇は動き続け――
「……シェー、ル?」
掠れた、低めの声。その声がシェールの名前を読んだ。
ただそれだけ、名前を呼ぶというただそれだけの行為で唇は動きを止め、ぎこちない動きでシェールの首が後ろへと動いていく。
シェールの後ろに居たのは、左眼以外の顔全体を赤い布でぐるぐると覆われた異質な少年だった。
赤い布の下から覗く、肌は所々茶色く変色している。
火傷の跡、だろうか?
火傷の跡らしきものは顔だけでなく、身体の右側に強く集中しているようだった。
「“オードル”、アンタ……帰ってたんだ……」
「うん。急い、で」
掠れた声を聞いて、シェールは先ほどまでの行動と言動が嘘だったかのように、しおらしくなっていった。
ある意味、恐怖にも似た悪寒が走り抜けなくもないが、シェールは基本リヴィアに接するような態度が普通、通常である。
「よぉ、赤色の包帯男。相変わらず、犬みたいだな」
赤色の包帯男。見たまんまか、などというツッコミはない。
赤色の包帯男と呼ばれたオードルはリヴィアに気が付くと、掠れた声で「久しぶり」と声を掛けた。
オードルはシェールと共に行動することが多い。四年前、数年に一度姿を眩ましどこかへ行ってしまうリクが突然連れて来た二人の少女と少年。
リクがリヴィアたちの元へと連れて来るよも前から二人は一緒だったらしい。
リヴィアとセイが知っているのはこの二人が隣国、ランガン大国で少年兵として戦っていたことくらい。
その二人が戦場から逃げ出していた所をリクが連れて来たのだ。
……妙な詮索はしない。
そんな事をすれば、自ら面倒ごとや危険に首を突っ込んでしまうことと同じ。
生きたいのなら、口を噤め。