5話 少女との出会い
「……なにも思い出せないんです」
「────」
思いもよらない返答を聞き、麗翔と響希は呆気にとられた。響希は数秒の感覚を開けて我に帰ると、確認を取るように問いかけてみる。
「記憶喪失ってやつか……?」
「わかりません。おぼえているのが、言葉と自分の名前くらいで……さっきここで目が覚めて」
少女は記憶喪失だということ以外、麗翔達と同じ状況だったのだ。何となく親近感を感じるが、同時に麗翔は、もしかしたらこの子も日本から……と、1つ考察をする。そうでなくとも黒髪に黒い瞳と、日本人らしさは感じていた。
「そうか……なんか悪かったな」
「いえ、べつに」
「そうか。あぁそうだ、俺はヒビキって名前な。君の名前は?」
「たぶん、カノン……だったと、おもいます」
どうして既に打ち解けているのか、麗翔が困惑するくらい、彼のコミュニケーション力は偉大だった。出会った少女──カノンは常に真顔のまま表情を全く変えないが、まともに会話できるだけ凄まじいだろう。
それも彼からすれば至って普通で、麗翔がコミュ症すぎるだけなのかもしれないが。と、そんな事を考えていた直後に──
「…………」
麗翔と目が合ってしまった。しかし改めて彼女を見ると、とにかく可愛い。──じゃなくて、先程から困ったような顔をしながらも、どこか暗い表情で瞳に映る光はとにかく鈍い。
だからこそ、こわい。
「…………!」
勿論ただでさえ人見知りな麗翔は焦り始める。
お互いに困り合う、無言のにらめっこ状態だ。しかし思い返してみれば、会話をする2人の少し先から、ずっと2人を見ていた自分。明らかに変な人間と思われても仕方のない様だろう。
妙に身体と心が固くなるのを自分で感じながら、高鳴る心臓の鼓動を聞きつつも、麗翔は答えた。
「え……っと、あの、響希の友達の、伊吹……です」
──なんで僕は苗字を答えてんの!? なんで初対面からそんなに突き放しちゃうの!? ああ、死ねばいいのに!
「って訳で俺ら2人どうしていいかわからないんだけど……良かったら一緒に来ねぇか? その森の奥に、建物が見えると思うんだが、これからそこを探索しに行くつもりなんだ」
響希がそういうと少女は俯き考え込む。そのまま数秒考え込んでから、答えを出した。
「……私、なんの役にも立ちませんけど」
「いいっていいって。立たなくても誰も怒んねーから」
そういうとカノンは右下に目をやり、虚ろな表情のまま、静かに頷いた。内心どう思っているかはともかく、一緒に行くという意思表示で間違いはないだろう。
それを見た響希も、大声で意気込む。
「うっし、決まりだな!」
──なんだ僕のこの場違い感。 僕はここにいていいのか!?
麗翔はそんな気まずさが尋常じゃないまま、不思議な少女──カノンと共に街へと向かって行った。
* * * * * * * * *
「あぁ、やっと着いた。さっき見えたデカい建物はコレだったのか」
響希の視線の先にあったのは大きな塔、タイムリープ前に話を聞いた限り、それはただの教会だった。しかし言い返せばただの教会がこれほど立派に建てられているのだから、少なくとも麗翔は日本で見たことのない光景だ。
「にしても凄ぇな。色んな髪の色した奴らが賑やかに商売をやってて、馬車が真ん中の広い道路を通ってて……日本っぽさが欠片もねえ」
響希はそう言いながら進んで行き、続いて麗翔とカノンも縦に並んで歩き出す。数分ほど見て回っていると、興奮を抑えきれなくなったのか、やがて響希が騒ぎ出した。
「オイオイ見ろよタマゴ売ってるぞ! 異世界にもオムライスとかあんのかな!? 異世界の人もタマゴのことタメィゴっていうのかな!?」
「…………」
卵をタメィゴと呼ぶ国は、少なくとも地球上には存在しない。
「すげえ、異世界でも靴屋さんってあるんだな!? 異世界でも俺らの世界でも、なんで女子って靴を何足も買いたがるんだろうな、もしかして女子って足を20本くらい隠してたりすんのか!?」
「…………」
男女関係なく人類の脚は二本だ。
「やべえ、異世界ってやべえ! どれくらいやばいかって、勝海舟が負けるレベルでやばい!」
「…………」
勝海舟は苗字に『勝』があるだけで、決して何においても勝利する訳ではない。
「異世界ファンタジー最高!」
「…………」
まだファンタジーっぽい事は何もしていないのだが。
森を進んでからここまで、響希しか喋っていなかったのだ。麗翔は心の中で勝手にツッコミを入れているが、勿論それが彼に届く事はない。
この異様な気まずさは、学校で二人組を作れと言われた末に余り、先生に無理矢理ほかのグループに入れてもらった時の感覚だった。
と、そんな時、突然響希が声を上げる。
「お、あの客の少なそうな店に行ってみようぜ! 店員もどうせ暇してんだろ!」
清々しいまでの笑顔で失言をする彼の呼びかけに応じ、麗翔は返事をする。しかしそこで──
「あ、うん」
「あ、ハイ」
──返事が被ったぁぁぁぁ!?
さらに重くなった気まずさと恥ずかしさから、麗翔は目を逸らしながら響希に付いていった。
着いたところは、武器屋だったらしい。
思い返せばタイムリープ前の世界では、武器屋には行ったものの麗翔の人見知りが発動して結局、麗翔だけ外でしばらく待たされるということがあったのだ。
流石に少女の前でそんな情けない姿を晒す訳にはいかない。そうして響希の後に続き、2人は武器屋に向かっていく。
まず響希が扉をぎこちなく開けて中を覗きながら店に入った直後、彼はすぐさま店主らしき人物に話しかける。
「あぁすんません、お尋ねしたいんですがー」
「何だお前、武器を買いにきたのか?」
「え? いや違くて」
「じゃあ酒か?」
「武器屋と居酒屋のハイブリッドなの!? 訳わかんねぇけど、なにそれ異世界スゲェ!!」
「なんだよ急に気持ち悪ィな……基本的には酒場だっつの。で、要件はなんなんだよ」
彼らの会話を見て早速、麗翔は冷や汗が出た。なぜなら武器屋の男は──
「いやぁスンマセン、金はないんすけどお話聞きたいなぁって思いまして」
「はぁ?」
男は想像以上に筋肉質で、色黒、そしてハゲ。
もっといえばゴリラと相撲でもできるのでは、というかゴリラ本人ではないかというまでに強そうな感じがしたからであった。
「ちょっとお話聞くだけッス、すぐ終わるんで!」
「待て待て待て!! その前になんでその壺持ち上げてぶっ壊そうとしてんだよ!!」
「え? 中に何かあるかなぁって」
「出会って数秒なのにすげぇ勇気だな!?」
「それが長所っス」
──RPGのやりすぎっていうか響希、あいつ何者だ
彼の誰とでも気軽に会話できる半端ないコミュニケーション能力に、流石の親友である麗翔ですら端っこで恐れ慄いていた。
そして、そのまま数十分が過ぎた頃。
「んじゃあ何!? オッサンは元兵士で、魔法とかそういうの使って、魔獣とかいうのをぶっ殺しまくってた超人なのか!?」
「そうだが、どんだけ俺の話に興味持ってんだよお前……」
楽しそうに会話をする響希と、客が来ないが故か呆れながらもしぶしぶ会話をする筋肉質な男。彼もすっかり響希のペースに飲み込まれ、雑談をしていた。
ちゃっかり魔法という概念がある事も知れてしまい、異世界説はほぼ確実となるが、どうにもあっさりしすぎて腑に落ちない。
そして端っこのイスに無言で座る麗翔とカノンは、お互い沈黙の渦に飲まれていた。
──それよりこの状況どうすればいいの? 魔法の存在とかこんなにちゃっかり知れちゃっていいの!? ていうかなんで僕はこの子の隣に座ったの!?
そんな事を心の中で叫びながら、何となく気になった隣をそっと見てみる。すると麗翔は何となく微笑ましく思えた。
カノンもまた目を真っ黒にさせて口を梅干しのようにしながら、まるでいつ終わるんだと言いたげな顔を露わにしていたのだ。最初は愛想のない少女だと思っていたのが、ここで一転した。
とはいえ全く喋れていないのだから、麗翔でも気まずいものは気まずい。
そんな気まずい状況のまま、さらに数十分。累計で一時間くらいはそこにいただろうか。麗翔が空気に耐えきれずそろそろ終わってくれと思った頃。
「んじゃ色々ありがとな、金稼げるようになったらなんか買いに来るぜ!」
「オウとっとと帰りやがれ、また来いクソガキ!」
筋肉質の男はまんまと響希のペースに飲み込まれ、気が付いた頃には近所のおっさんと明るい青年みたいな関係になっていた。
どうやら響希は、あの猛獣のような男ですら即座に友好な関係を築ける超人らしい。
そうしてやっと終わったのかと思い、立ち上がろうとする麗翔だが──
「うお……っと」
ずっと座っていたところで急に立ち上がろうとしたために、脚が痺れてつまずく。
床に手をつき、なんとかぶっ倒れるという羞恥は晒さずに済んだものの、それでも気の抜けた姿を見せてしまったと焦る麗翔。しかし、その浅はかな予測は良い意味で裏切られた。
「────」
カノンは無言かつ真顔のままではあるが、すぐに腰を曲げて、その白く綺麗な手を麗翔へ差し伸べる。
「え、あっ……ごめん、ありがとう」
相変わらずカノンは真顔だが、心が少し温かくなったのを感じた麗翔は、ぎこちない微笑みを見せてそう言った。今までの堅苦しい気まずい関係となっていた二人の心の氷が、少しずつ温かい光に溶かされていくような感じがする。
ただそれだけ、ただそれだけなのだ。
にも関わらずその瞬間、麗翔から理由のわからない大きな嬉しさが込み上げてきた。
そうして麗翔は彼女の手をとって立ち上がる。
優しく健気な彼女の姿を自然と目に焼き付けながら。