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無限に終わらない  作者: 睦月煉
第二章   罪と約束
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罪と裏切り



「私がもう一度、罪を背負えばいい……」


 壁の向こうから聞こえるカノンの声は、酷く暗い様子が伝わってくるまでのものだった。

 一人で何を喋っているのだろうか──なんて疑問よりも、それがどういう意味を表しているのかが気になってしまう。

 『罪』とは何を指しているのだろうかと。


 ──だが、そんな疑問は次の瞬間、即座にして消え去ってしまう。


 再び、声が聞こえたのだ。



「そう、それでいい」


「────!?」



 直後に鼓膜へ伝わった別の声が、麗翔に衝撃を与える。

 可愛い気があり透き通ったようなカノンの美声とは明らかに違う、それは彼女の部屋からは聞こえるはずのない──半笑いのようで胡散臭い、男の声だったのだ。


 男は言葉を続ける。




「君は既に殺人という大罪を犯した身。もう失うものなんてないだろう? それも、我々に付いて来れば全てを無かったことにできるときた。こんな素晴らしい話なんて他にないが……どうするのかな?」



 ──殺、人?



 瞬間、麗翔の脳裏を支配していたのは完全な空白だけだった。


 今のは聞き間違いだと否定したい、などという縋りつくような懇願も思い浮かばない。ただひたすらに、麗翔の思考は無に覆い尽くされた。


 喉が凍り、呼吸すら忘れ、心臓すら鼓動を止めたかのような停滞。それを解いたのは額と伝う、一滴の汗が肌を撫ぜる感触だった。

 顎の先から地に落ちる汗の感覚に、麗翔の意識は空白から帰還する。



 しかし、現実と向き合う勇気などなかった。

 麗翔はただただ困惑しながら、会話に耳を傾けるだけ。



「それとも君はこんな場所で、死ぬまでに苦しみ続けるのかい? 重い過去を背負ったまま、先の見えない暗闇の中を進み続けるのかい? もう二度と会えない妹を思い出の中だけに閉じ込めて、幸せになんてなれるのかい? いいやなれない、悪しき過去なんて普通は変えられないのさ」


「……うるさい」


「もしもあの世なんてものがあるならば、君が全滅させた一家はいつまでも君を恨み続けるだろう。母親も、父親も、妹も、大切だったはずの家族全員……みィんな君が殺したんだから──」


「────うるさいッッ!」



 男の言葉を聞いて激昂したかのように声を高くし、カノンの叫びが壁を貫いて届く。それは本当の意味での初対面から思い返しても、初めて彼女が感情を露わにした瞬間だった。


 壁越しのために扉へ耳を押し当てても会話が聞こえづらかったはずだが、その声が明らかに強い感情を放った一言だった事は伝わる。


 ──だが、何よりも衝撃を受けたのはそこではない。あんなに大人しい少女が、優しい女の子が、家族を皆殺しにしたと。

 男はそう言っているのだ。そしてカノンも、それを否定する事はしなかった。



「少し言いすぎたかい……だが、これで君の人生が一転するのは事実さ。延々と続く苦しみを受けるより、多少の犠牲を招いてでも可能性に賭けてみればいいだろう。そうすれば犠牲も大罪も、重くのしかかった過去の全ても、綺麗さっぱり消すことができる」


「…………」


「付いて来てごらん。幸せな世界のために、さぁ……私の手をとって」


「────」



 カノンの返答は聞こえない。男のにやけたような薄気味悪い声が誘惑を続けるだけだ。普通に考えれば、そんな怪しい勧誘に乗るわけがないだろう。ましてやカノンのことだ、あんな男くらい冷たく一蹴するはず。

 する、はず、なのに──



「あぁ、それでいい」


「────ッ」



 麗翔は目を見開いて、静かに驚く。

 大声で「はぁ!?」とでも言ってやりたい気分だが──それよりも大きな困惑が脳内を支配していたのだ。

 どうして、どうしてカノンが誘惑に乗るのか。

 カノンが殺人を犯したとはどういうことなのか。


 わからない、わからない。



 先程から「幸せ」だとか「我々に付いてくれば」だとか似たような言葉ばかり並べて、男の目的は何なのだろうか。そんな言葉の何がカノンの心を動かしたのか。

 それすら麗翔に理解することは出来ない。



 でも、それでも────




 カノンがどこか遠く彼方へ行ってしまうなんて、麗翔の手が届かない場所へ行ってしまうなんて、そんなの認められない。

 たった一ヶ月を同僚として過ごしていただけのはずなのに、一体いつからそんな想いを彼女に寄せていたのだろう。

 いつから彼女に縋っていたのだろう。



 ──いや、そんなこと今はどうでもいいか。

 今は、それより、彼女を止めるべきだ。




「カノン……ッ」



「────」



 気が付けば、自分の身体はカノンの部屋にあった。どれだけ彼女を止めたかったのだろう、我ながら引いてしまう。

 勢いと感情に任せたまま無意識の内に扉を開き、こちらへ振り返る彼女と無言のまま目を合わせている状態だ。


 困惑を必死に抑えつつ辺りを見渡すと、カノンの背後にはやはり男がいた。黒髪を前で綺麗に分けて、会社員の如く整えられたかのような髪型だ。


 カノンを(たぶら)かしているせいだろうか。純粋に彼を見ての感想ではないということは自覚しているが──初対面にして、彼の顔がそもそも憎たらしかった。

 相手を見下しているような微妙に上がった口角と、たれ目。真顔でも相手を煽っているかのような顔を、今にもぶん殴ってしまいたくなる。



 ──なんて、何を考えているんだろう。

 ここで無鉄砲な行動に出るとか、単にバカだ。久々に死んだばかりで心が落ち着かないのか、やけに感情が乱れてしまう。



 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。

 今あの男を殴っても、意味なんてない。そして、理由は他にもある。


 カノンの様子が、明らかにおかしいのだ。彼女の顔からは完全に感情が消え去り、虚無だけを残している。

 麗翔は異質すぎる空気を前に言葉も出せず、呆然と立ち尽くすのみ。どうすべきなのだろうか──などと考える内に、少女の方から尋ねてきた。



「聞いて、いたんですか?」



「若干、ちょっと、微妙に、少しだけ」



「…………」



 咄嗟に出た回答は曖昧なものでしかなかった。彼女から目を逸らし、深く追求されないような答えを反射的に発したつもりだったが──

 無言で睨む彼女の瞳には、既に光が失われていた。しかし麗翔は空気の重苦しさに耐えながらも、とにかく話を切り出さなければならない。



 しかし、そのはずだったが、思えばそもそも何をしにこの部屋まで来たのだったか。

 カノンを止めるためだろうか。彼女の背後で怪しげな振る舞いをする男に制裁を与えるためだろうか。



 違う、違う、違う、違う。

 思考が混乱する、感情が入り乱れる。


 けれど、それでも。

 彼女がどこか遠くへ行ってしまうというのならば、



「どこに、行くつもりなんだ……?」



 震える声を必死に抑え、平常を保とうとしながら聞いてみる。

 しかし対するカノンは俯き、目を合わせようとすらしてくれなかった。なぜ、どうして、何が彼女をここまで変えてしまったのだろうか。


「私にもわかりません。でも、もうあなたに会うことはないと思います」


「なんで、急にそんな──」


「……全部、思い出したんですよ。私はこの場所にいられない」


「それはどういう……うッ!?」



 麗翔は咄嗟に彼女の腕を掴もうとするが、直後にしてカノンは、麗翔へ向けて紅色の魔法陣を展開したのだ。


 詮索をするな、これ以上関わるな、という警告の意味を込めた脅迫なのだろうか。彼女の手から眼前に迫る魔法陣と麗翔の距離は、1メートル程度である。

 もしその距離から彼女の魔法が発動し、直撃してしまえば、それはもう、あまり考えたくはない結果になるだろう。



 どうしてこんなことになったのだろう。

 それすらわからないが────敵意を向けられている事だけは、理解できた。




 とにかく、まずは冷静に行動を決めるべきだ。


 そう、冷静さを欠くな、今は余計な詮索や抵抗をしてはいけない。脳がそんな警告を上げている。

 そのはずだったが、困惑と悔しさで顔を歪めた麗翔は、我慢ができずに言葉が漏らす。



「これからどうする気なんだ?」


「……幸せのために、あなた方を裏切ります」



 しかし返ってきた答えは、酷く冷徹で。

 どうしてそんな事をするのだろう。


 麗翔は驚きとも困惑ともいえない、ただただ悲痛な顔を浮かべていた。それも当然であろう、この兵団の中で最も長く過ごし、最も信頼できたはずのカノンが裏切るというのだから。


 それなのに。

 やっと、ここまで、きたのに──




「…………さようなら」



「待ッ──」



 直後、眼前にあった火球が麗翔の腹部に直撃した。


 悲鳴と共に轟音が響き、熱というよりも強い衝撃が麗翔を襲う。

 爆散する火の粉は部屋を焦がし、吹き飛んだ麗翔の頭部は、壁に強く打ち付けれた。



「あ、がッ!?」



 焼き焦げた上半身の布は既に中身を露わにしていて、そこから見える腹部は酷い火傷を負っていた。

 強く打たれた頭部からは、染み渡るような水分が毛根と毛根の間を通っていく。その水滴が顎先を通って、下を向く麗翔の視界に入った瞬間──自分の血液だと、気付いてしまう。



「か、の…………ッ」



 それでも、彼女の名前を呼ぶことはできなかった。

 脳が揺れ、朦朧とする意識が視界が段々と暗転させていく。




 もう、カノンがどこにいるかもわからない。



 どうすればいいのか、わからない。

 誰を信じればいいのか、わからない。



 目に見える景色も、真っ黒に、染まってきて──




 麗翔の意識は、雲のように消えた。

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