43話 怪異なる魁偉
──意識が覚醒に導かれたとき、麗翔は瞼を日差しに焼かれる熱を感じていた。
「ヤバい夢、見た、ような。いや、忘れた。何だっけ、てか、眩し……」
寝台に横たわる姿勢のまま、ぼんやりと持ち上げた手で庇を作る。部屋の大窓から入り込む日差しが、麗翔の顔面を強く照りつけていたのだ。
それらの感慨にふけり、現状を認識したところで──違和感に気付く。
「……って、違う! もうこんな時間かよッ!」
気付いて布団から飛び上がり、勢いよく寝台から落ちると、すぐさま時計を見上げる。
時刻は午前10時、いつもなら既に訓練が始まっている時間だ。麗翔は一度だけ寝坊して、訓練に遅れた事がある。その時はレイヴァンから凄まじい罰を出されたが──二度目はないかもしれない。
「ヤバい、ヤバい。これまた、頭おかしくなるくらい筋トレさせられるやつだ……!」
慌ててジャージの上着を着ると、叩きつけるように扉を開けて走る。やばい、やばいと小さく呟きながら、全力で廊下を走る。
しかし、何故だろうか。
麗翔は、何かに対する不自然さを感じた。
気が付けば、あまりにも────
「静か、すぎないか……? 訓練が中止にでもなったか、いや、それにしちゃ声どころか人の気配すらないとか……」
そのあまりに不穏で不気味な空気を受けて、麗翔は走ることをやめた。血の気が引いたような顔で辺りを見渡しつつ、ゆっくりと歩く。
が、結局その階には誰もいなかった。
一体何がどうしたのだ。3回目のループの世界みたいに、遠くの街や王都で何らかの問題のだろうか。だが、それにしては兵団基地をガラガラに空けておくなんてあまりにも不用心すぎる。
ましてや一ヶ月前に、人が少ない瞬間を狙われて全ての魔石を奪われたばかりではないか。
そんな事を考えながら、麗翔は階段をゆっくりと下っていく。その不気味さに駆られながら、手すりに掴まって慎重に。すると、
「あっ……!」
下の階に着き、廊下まで出た瞬間、麗翔は見つけた。──壁にぐったりともたれかかって座る、一人の男を。
後ろ姿から察するに、新兵である麗翔の先輩だろう。名前までは覚えていないが、先輩といっても一代違いなだけあって、何となく顔は浮かび上がる。
麗翔は男に駆け寄り、肩を揺すりながら言った。
「ちょっと、大丈夫ですか!? こんな時間にこんなところで──」
しかし、その言葉は途中で切れてしまう。
何者かに止められた訳ではない。ただ、同時に肩を揺すった手が──赤く染まった事に気が付いてだ。
「うッ……!?」
麗翔はあまりの驚愕に、咄嗟に手を離して勢いよく後ろへ退く。それによって体制が崩れた男は、ずさりと崩れて横たわった。
しかし麗翔は恐慌で身体を震わせながらも、安否を確かめるためゆっくりと男に手を伸ばす。まだ、悪ふざけの可能性だってあるかもしれないから──
「…………」
──男の肉体からは既に温かさが消えて久しく、手足も固く硬直し始めていた。死体だ。今、目の前に死体がある。彼にも家族がいて、友がいて、人生があったはずだ。
それに何があったのか、白目を見開き、驚いたような顔で死んでいる。
「なにが、起こって……」
やがて顔を上げて見れば、廊下の奥の方にも死体が数個、転がっていた。
もう一段下の階へ降りてみれば、そこはもう亡骸の山だ。至る所で死体が横たわっている。麗翔が一ヶ月間過ごす間に会話した事もあった兵士の姿までそこにあった。
「なんで、なにが、どうして……」
半泣きになりながらも、命を落とした兵士を見てぼんやり言葉を呟く。一体何が起こったというのだろう。兵団の外はどうなっているのだろう。
そんな考えが浮かび、麗翔は兵士寮の屋上まで登っていった。
「────」
そこから兵団基地を見渡しても、所々に死体が散らばっているのがわかった。山積みとまではいかなくても、物陰などに、ぽつぽつと。
やがて、そのまま呆然と景色を眺めていると、麗翔の耳に何かが伝わる。爆発音だと思われる轟音が、遠くから波のように聞こえたのだ。
「どこだ、どこだ……!」
空耳かもしれない、それでもひたすら首を振り、遠目で景色全体を見回す。誰でもいい、誰かが生きていてくれれば、心も安定するはずだ。そう信じて──
──見つけた。
街の隣にある森林の方だ。点のように小さな人影と共に、火の魔法などが飛び交っているのを視界に入れる。戦っているのだろうか、あまりに距離があるので、そこまではわからない。
「行くしか、ないか」
そう自分に言い聞かせるように、呟き、麗翔は振り返る。が、その直後──
「──────!!」
振り返った刹那、再び轟音が響いた。
──さっきよりも、ずっと近くで。
「なん、だ……この音」
それからの音は、一定の間隔で鳴り響いた。爆発音というよりは、衝撃音だろうか。恐ろしく強大な何かが大地を割るかのように、重く響き渡る。
やがて麗翔は、それがどんどん大きくなっている事に気が付く。それは、つまり──
「近付いてる……?」
もはや音の方向がわかるくらいに、はっきりと鮮明な響きが鼓膜に伝わっていた。麗翔は慌てて我に帰ると、屋上内を駆け、その方角に顔を出してみる。
「は────!?」
そこには、常識ではまず考えられない光景があった。そもそも異世界に常識を求める事すら不毛というべきか、ただし、それはあまりにも常識外れすぎるもので──
──恐ろしい速度で暴走し、向かって来たのは、一言でいうなら『怪物』だろうか。いや、怪物とかいう規模ではないかもしれない、もはや二足歩行型の怪獣だ。
悪魔のような形相に、獰猛な獣の如く剛健で悍ましい筋肉。そして何より、その巨体。人間とほぼ等しい骨格で、少なからず15メートルはあるだろう、その規格外すぎる圧迫感に、麗翔は声を失う。
やがて音は次第に間隔を狭めて、より頻繁に響き渡る。その轟音がとある巨体の足音だと気付くには、あまりに遅すぎた。もう遅い、遅すぎるのだ。
──だってもう、逃げられない。
怪物は凄まじい勢いでこちらへ向かい、全速力の走りを見せる。その脚が地を蹴り上げるだけで至る所に衝撃が伝わり、その度に破壊音が響き渡っている。
もはや麗翔は、逃げる勇気すら起きなかった。ただただ全身を震わせ、唖然と怪物を眺めながら、恐怖を感じるのみ。
「オオオォォォォ──ッッ!」
怪物から衝撃が放たれる、怪物から怒号が響く。窓ガラスが一斉に割れ砕けて、煌めく破片をまき散らかす。気が付けば、奴はもう兵団基地の手前だ。
やがて怪物は、兵団基地の正門を大振りの大胆な蹴りで吹き飛ばした。石や煉瓦の破片が弩に弾かれたかの如く、爆風と共に飛び散る。
白い壁に幾つもの破片が突き刺さり、麗翔のいる屋上にもその一部は降ってきた。間一髪で直撃はしなかったものの、麗翔は尻餅をついてしまう。
「あ……あぁ……」
絶望とかは特に感じていなかった。ただ、ひたすらに怖かった。もしかしたらまた──死んでしまうのではないかと。
まだカノンの部屋にすら辿り着けていない、カノンの安否すらわからない。時間が戻っていないということは、生きているという事。しかし、裏を返せばこういう事だろう。
──ならば、今ここで麗翔が死ねば、もう二度と生き返れないんじゃないかと。
当然だ、麗翔はカノンが命を落とした事によって発生するタイムリープを自覚できるだけ。つまり、麗翔自身に何か特別な力がある訳でもない。だから、死ぬときは死ぬんだ。
そして今、絶対に勝つことはできないと子供でもわかるくらい凶暴な巨人がいる。こんなのもう、質量差の暴力だ。それは足元に散らばる死体を踏み潰し、地を赤く染めながら兵団基地をのそのそとうろついている。
魔獣なのだろうか、一体どうしてここに来たのだろう。初めからここを狙っていたかのように、一直線に。
とはいえ、それも今はわかる事ではない。今はただ屋上に身を潜めながら、静かに、気付かれないよう、奴が去るのを待つだけ──
「…………あ」
目が、合った。




