3話 辿り着いた世界で
気付けば、意識は深い暗闇の中にあった。
どこかで体験したことがあるような、無の世界。
身体が存在する感覚はなく、視界はどこまでもどこまでも、無のまま。
ここがどこで、どうして自分がこんな場所いるのか、もはやそれどころではない。自分が何なのかすらもわからなかった。
しかし、それが大して気にならないくらい意識は不鮮明なのだ。
ぼんやりとした感覚と虚ろな意識だけが先の見えない無の世界を漂っている。
が、突如として無の世界は終わり、一筋の光が見えた。それは刹那の間に暗闇を照らし、新たな世界を自分の目に移す光となっていく。
やがて映った視界は、度の合わないレンズをかけたように酷く歪みぼやけていた。
それでも変わらず身体の感覚はなく、ただ不安定な映像と不安定な音が自分を感じられない自分へと流れ込んでくる。
だが、一人の老け顔の男が涙を流しながら、こちらに喋りかけてくるのは、何となくわかった。
『二人で助け合って、必ず生き延びろ』
唐突にそんな声が届く。
どこかで聞いた事があるような、ないような。そんな曖昧な声だった。
これが夢なのか何なのかは全くわからない。それでも何故か、懐かしい感覚がそこにはあった。
思い出したくとも思い出せない、それがもどかしくてもどかしくて、たまらない。
『お前達なら、きっと──』
そんな言葉を聞くと、何故か奇妙な映像は消え始めていった。そのまま、曖昧だった意識は段々と鮮明になってくる。
同時に映像は完全に途切れ、その何もかもが眩しい光に包まれていった。
やがてその全ては、忘却の彼方へ──
* * * * * * * * *
「──は?」
気が付くと、そこは砂浜だった。
目の前に広がる海は何処までも青く、磨きたてた青銅の鏡のような色をしている。さらに後ろを見れば、そこには広い森林が広がっている。
しかしそんな景色よりも、まず真っ先に気になることがあった。それは当然──
「今、死ん……で、え?」
粉砕されたはずの右腕は、何の不自由もなく動かすことができた。そして真っ黒なジャージを捲って腹部に目をやるも、一切の外傷はない。
「これは、どういう……」
辺りを見渡すと、とても都内に存在するとは思えない風景が広がっていた。前には海があり、後ろには森がある。浜辺の奥の方をよく見てみても、港や船は愚かその他の人工物すら一切見当たらないのだ。
「ドッキリにしては手の込んだ……いや、そんな訳ない。あの時感じた痛みも、苦しみも、全部本物だ。なんで、なにが起こって……」
意味不明な状況を前に、麗翔は困惑する他ない。そのまま呆然と周囲に目をやると、麗翔のすぐ隣には眠っている響希がいた。
響希も同じく、あれほど血まみれになっていた頭部や腹部は綺麗に元通りになっていて、乱れた着こなしをされた制服にも一切の傷は──
「…………?」
あった。制服の傷というより、縫われた跡だ。そこで麗翔は気付いたように自分のジャージを開き、その中に着ていた服を見てみる。
──やはり縫われた跡があった。
そこで一体誰がやったのかと疑問は浮かぶが、今考えてわかる事ではないと判断する。三人寄れば文殊の知恵──というか二人しかいないが。それでもまず麗翔は、響希を起こしてみようと思った。
「響希、響希! 起きろ!」
「う……ん?」
声をかけ、体を揺らしてみると、響希はゆっくりと目を開けた。そんな響希のとろんと眠気の残った声は、混乱する麗翔を落ち着かせるほどのもので。
「……え?」
「やっぱ最初の反応は同じか」
麗翔と同じく、困惑の声と表情だった。誰しも死を感じた直後に、見たこともない浜辺で目覚めればそうなるだろう。そして響希も、麗翔のように自分の傷口を確認する。
「ここは……三途の川にしちゃ広すぎねぇか?」
「どう見たって海だろコレ」
「三途の海ってやつか」
「いや聞いたことないし……っていうかどうやって渡るんだよそれ。いや、そうじゃなくて、この状況だ。そもそも僕らは死んだと思う、二人揃って」
麗翔がそう返すと響希はどこか悲しそうな顔で麗翔を見つめる。それもそうだろう、響希が死に際にいった「逃げろ」の忠告を無視して麗翔は戦い、そのまま無残に死んでしまったのだから。
そんな一瞬の沈黙の後に、響希は返答した。
「そうか、それで何故か制服は縫われてて、持ち物も変わらずだが……状況はわかんねぇし、ここがどこだかもわかんねぇ」
「スマホは圏外、日時は……午前8時で、昨日怪物に遭遇してから次の日になってるけど。あ、カバン」
麗翔は思い出したようにそう言って、カバンの中のを見てみる。この訳の分からない現状を理解することはできないが、自分たちの状況は理解しておいた方がいいだろうという考えだ。
「僕の持ち物は、スマホ、教科書、財布、お菓子、妹の誕生日プレゼントの猫耳フード付きパーカー、筆記用具。あとコンビニ弁当……って、役立ちそうなものがないな」
「猫耳フードなんて選んでたのかよ可愛いやつだな」
「そこはスルーしてほしかったんだけど」
響希の煽りに対し、麗翔は食い気味で答えた。
──なんて会話をしている場合ではない。突然に無人島のようなところへ辿り着いたというのに、サバイバルには程遠い持ち物だ。これは割とピンチなのかもしれない。
麗翔はそう思うも、直後に響希が鞄を漁り始める。
「あぁ、俺の方はスマホとサイフとさけまくるチーズと、うちの犬のドッグフード、そんで……ライターとクラッカーだな」
「何でそんなの入ってんの!? そのカバンは四次元ポケットなの!?」
「ポケットにライター忍ばせたネコ型ロボットとか物騒すぎんだろ……いや、普通にお前の妹が誕生日だから一応買っといたんだけど」
「まぁ何かに使えそうではある」
「だろ。まぁとりあえずよ、考えてるだけじゃ何も始まらねぇ。無人島じゃないことを願って、この辺でも散策してみっか」
そうして彼らは立ち上がり、海に沿って浜辺を進んだ。すると響希が何かに気付いた様子で麗翔の肩を叩く。
「なぁ、あれって……」
響希の視線の先、森の奥の方を顔を上げて遠目で見てみると、建物が見えた。そして耳をすませば、何となく人が大勢いるような声も微かに聞こえる。
「行こう」
そういって二人は顔を合わせると、建物の見える方へと向かって行った。
砂に覆われていた地を越え、草だらけ樹木だらけの森へ入っていく。都会住みの麗翔では実際に見たことすらない広さの森だ。
しかし、その途中で麗翔は、何となく感じた気配を察知する。第六感的な何かが赴くままに、後ろを振り返ると──
「あっ……」
麗翔は浜辺にあった岩の陰に、人が座っているのを見つけた。肩の少し上くらいまで伸びた黒髪をさざ波のように揺らし、可愛げのある水色で大きめのポンチョを纏った小柄な少女。
「おーい、麗翔! どうしたー?」
こちらに気付かず、ちょこんと砂浜に座る少女の後ろ姿を見ていると、既に先まで進んだ響希が遠くから大声をかける。
──声をかけるべきなのかもしれない。だが
普段から人見知りのせいで、学校ですらまともに人と会話できない麗翔から、その勇気が出ることはなかった。
人ならきっと、あの街にたくさんいる。ここで人見知りの僕が無理して会話をしても無駄だろう。
そんな風に麗翔は、自分の心に言い訳をして少女から目を逸らし、街へと進んで行った。
あの少女が、この世界を生き抜く上で──
どれだけ大切な存在なのかも知らずに。
* * * * * * * * *
「──結論から言おう」
とある公園らしき広場の中、生い茂る自然に囲まれながら、麗翔はそう言ってこほんと咳払い。そして響希と目を合わせながら言い放った。
「ココ、異世界じゃね」
「お前そんな夢のある奴だったっけ!?」
あれから数時間が過ぎ、気付けばすっかりと陽が沈んで朱色の大空が広がっている。スマホの示す時刻は午後17時、夕方となっていたのだ。
「一日中この街を歩き回った上での考えだよ。思い返してみ」
麗翔はそう言って、響希と一緒に数時間前──森を抜けた時の事を思い返してみる。
まず、森を抜けて辿り着いたのは人で賑わう大きな街だ。出店などがずらっと並び、たくさんの人間が商売をしていた。
そして広い道の真ん中では、荷物を乗せた馬車や人を乗せた馬車が行き交っている。
明らかに日本ではない異質な光景。それは大した存在感のない麗翔でさえ浮いてしまう程に、故郷とは程遠い地だったのだ。
実際その場には、麗翔のように黒髪でジャージを着ている人間などいない。多くの人間は茶髪か金髪だ。
そこで麗翔は、知らない星にでも迷い込んでしまったのかと感じた。というより誰しもが突然こんな状況になれば困惑し、自分の中でも現実離れした答えが出てくるだろう。
しかし、それにしてはおかしな点が一つ。
この場で耳を澄ましてみると、商人が宣伝する声、人々による雑談の声。それはまさに、麗翔のよく知る──
「日本語……?」
「そこそこ長い森を抜けたら、こんなに変な街があるなんてな」
「変っていうか、明らかにおかしすぎる、僕も訳がわからない。でもとりあえず、警察的な何かがあることを信じる。それを目指して歩き回ってみよう、今の僕らには味方が必要だと思うんだ」
麗翔がそう言うと、響希は快く返事をしてくれた。こうして2人は、再び散策を続行する。
──と、そんな会話をして何時間にも及ぶ探索をした。その結論が、まさかの異世界転移説だ。響希は複雑そうな顔で唸り麗翔を見つめるが、麗翔はそんな響希のために解説をしてみた。
「スマホが示す時間は17時で、今この世界は夕方……つまり日本と同じように時が進んでる。最初は別の惑星にでも着いたのかと思ったけど、24時間で太陽が回る星なんて僕の知る限り地球しかない、温度や重力も特に違和感がないし……けど、にも関わらずここは明らかに日本じゃない、今どき富士山の山頂ですら繋がるスマホだって圏外だし、これを説明付けるには異世界だって言うしかない。タイムスリップ説も考えたけど、日本語を喋るくせに髪の色が噛み合わない人ばっかだし……馬車とか完全に日本離れしてる。あとは魔法とかそういうのを見られれば確信的なんだけど」
長々とこの世界について知り得た情報を元に考えられる限りの情報を整理してみる。しかし響希は難しい顔をしながら話を聞くと、すぐに諦めたように返答した。
「すまん、何言ってんのかさっぱりわからねぇ。ともかくここはエリシムって国らしいな。この国の変な文字、全然読めねえから近くのばあちゃんに教えてもらった」
「流石のコミュニケーション能力……でもこれはあくまで考察だ。この適応力も含めてラノベの読みすぎかもしれないけど……此の期に及んで夢とかドッキリは流石にないしなぁ」
「それじゃあ俺達は、どうすりゃいいんだ?」
「弁当は二人で食べたから今日の食事分はいいとしても……お金が欲しいかな。でも商売の様子を見る限り、ここの通貨は円じゃない。稼ぐにしても、僕らはこの国の地理も文化も法律もわからない。だから簡単にはいかないんだよな……」
「俺が話した武器屋のおっさんは、兵士だのなんだの言ってたし……この国って戦争とかもしてるみたいなんだよな。いっそ兵士になっちまうか?」
「武器屋のおっさんって……あぁ僕がコミュ障発動して外で待ってた時の。相変わらず凄いコミュ力だけど、響希はともかく僕が兵士なんて流石に……」
「ジョーダンだってジョーダン。あぁ魔法使えるか聞くべきだったかな。いや、まずはあれだ、そもそもこの異世界とやらで何を目指す? さっき言ってた警察的な何かへ向かうってやつか?」
そんな響希の言葉を聞いて、麗翔は俯き数秒黙り込む。異世界サバイバルというのだから、最初の目標は今後の生活において大きな影響があるだろう。
そんなことを考える沈黙の後に、麗翔は穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「うん。これからやることはその通り、警察的な何かを探すこと。義理でも建前でも味方は欲しいし。それで最終的な目標だけど……璃菜の誕生日までには、僕らの故郷に帰らないとね。そのためにも今は、情報集めしかない。せっかく拾った命だ、日本から異世界にワープしたのなら元に戻ることもきっとできる、そう信じる」
「あぁ、そうだな」
そんな先の話をして、ひとまずは近い未来の目標を考える。異世界転移を察しているとはいえ、チート能力に目覚めた気配は全く感じられない。
しかしこのまま何も行動を起こさなければ飢えて死ぬだけ。金を稼ぐにしても人から物を奪うわけにもいかない。
単純に生きる為の手段を考えるのなら、木の実や貝などがありそうな、あの自然溢れる森と浜辺で少しの間暮らすことが、無難だと麗翔は思った。今のままでは、無職で身分証もない異国人だ。
そう考えた麗翔は、その旨を響希に伝えることにする。考え込む彼の名を呼んで顔を上げてもらい、
「1つ考えがある。とりあえずさっきの浜辺に──」
そう、言いかけた時だった。
「────」
「────ッッ!?」
けたたましい破裂音が、猛烈な爆発音が。
遠くから伝わり、耳になだれこんできたのだ。
「なんだ……!?」
響希と麗翔は即座に立ち上がり、爆発音の方へ顔を向ける。方角と煙の距離から察するに、例の浜辺の周辺だと気付いた。
「麗翔、行くぞ!」
「あ、あぁ……!」
そうして、彼らは浜辺へ向かう決意をする。野次馬のようだが、世界の状況を知るためには必要なことかもしれないと、そんなことを考えながら走り出す──ハズだった。
「……あれ?」
しかし麗翔は、突如として視界が暗くなり始めたことに気付く。段々と目に見え全てが暗転し始め、自分の手を見ようとした頃には、手の形しか確認することはできず、色や細かな手相などは見えなくなっていて。
「なに、が─────」
そのまま麗翔の意識は煙のように薄くなり、何もかもが果てしなく遠いどこかに消えていくようで。
「ひ、び……」
最後、姿すら見えなくなった響希を呼ぼうとした。
呼びかけた──その時。
──麗翔の意識は、途切れた。