36話 ともだち
「正門前の花壇、これで最後か……っと」
気が付けば、その場一面が夕焼けに染められていた。宙を舞う鳥が漆黒の影に見える程の、濃厚な赤。
そんな中でふと聞こえた会話声が、微かに麗翔の耳へ伝わったのを感じる。そこでぼんやり後ろを振り向いてみると、すぐに声の主が判明した。
「おぉぉ麗翔!」
大きな声を出して手を振り、こちらへ近付いてくるアルムだ。
そしてその後ろでバラバラと歩いているのは、名前も知らない銀髪の少女、黒髪の青年、そして筋肉質な金髪の男。
「あ、えっと……」
「あぁコイツらはルキノとリオ、最初に見たと思うけど俺らと同じ新兵な。そんでこっちのゴツいのが俺の兄貴」
「そっか……って、なんで涙目?」
麗翔は突如紹介された同期とアルムの兄を見て焦りだすが、それよりも先に不可解な疑問が生じた。
アルムの兄が、涙目でやけに険しい表情をしていたのだ。
「このドS女にやられて……いやそれはいいんだ、俺はラルガ・フォルティス。アモネと同じ新兵の世話係ってとこだな」
「そ、そうなんですか」
──ヤバい、なんか登場人物多くないか、全然名前が覚えられないんだけど。
思えば昨日と今日だけで多くの人間の名前が出てきた。もはや麗翔の短時間で覚えられる記憶容量も限界が近くなっている。
必死に記憶を整理しようと試みるが、その途中でアルムは麗翔に声をかけてきた。
「んで、何やってんの?」
「いや……レイヴァンさんが、植物に水やれって」
「あっはは、やっぱ面白い人だなぁ。って、なんか俺も喉乾いてきたわ。ちょっとそのジョウロ貸してくれよサフィ」
思ってた以上に花壇が大きくて大変だというのに、アルムは随分と他人事だ。怒りを感じる程でもないが、なんとなく釈然としない。というか何故こいつはジョウロの水を飲もうとしているのだろう。
しかし麗翔がそんな事を思っていると──
「面白くなぁぁい! この敷地、無駄に植物が多過ぎなのさぁ! 手入れとかすごーく大変なの! 笑ってる気力があるなら手伝ぇぇええっ!!」
「ふごばばばばっ」
12歳の少女、サフィールはタコのような表情で怒りながら、ジョウロの水をアルムに勢いよくぶっ放してそう叫ぶ。本人は普通に怒っているのだろうが、純情すぎてなんとも可愛らしい。
変に大人な部分がありつつも、その辺はやはり子供だったようで、少しだけ麗翔も安心した。
──というかあのジョウロから凄まじい勢いで水が放出された気がするが、あれも魔法具とやらなのだろうか。
ともあれ、アルムの顔面に直撃した水の威力も凄いものだったらしく、アルムは逆に萎れたようにぶっ倒れて呟く。
「へえっ、へへ……悪ィ悪ィ。俺ってば昔から笑うの得意でさ、最近では予備動作なしの状態から亜音速で牛乳を噴き出せるようになったんだぜ……」
「それって何の自慢になるの!?」
その後もアルムとサフィールは幼い性格をした者同士で言い合うが、まるで猫と猫がじゃれ合うような光景だ。何となく微笑ましく感じる。
しかし考えてみれば麗翔は今日一日で、昨日会ったばかりの少女をこうも思えるようになっていたのだ。日本では友達が響希しかいなかったコミュ障の麗翔にとっては多大な進歩だろう。
アルムともシャロンともサフィールとも──あんなに恐かったレイヴァンとも。
少しずつ少しずつ、近付けている。
麗翔はそんな自分の成長を感じて一人静かに微笑むが、その中でとある記憶が脳裏を過っていた。
『学校じゃ友達少ないくせに──』
『友達なんてすぐにたくさん作ってくるから』
それは麗翔が異世界転移して日本から姿を消したあの日、妹の璃菜と交わした何気ない会話だ。
璃菜は軽くからかうような笑みを向けて言い放ち、麗翔は適当に強がりを言って返した。ただそれだけの会話なのだが、気が付けばいつの間にか──
それが今では、懐かしく思える。
それが今では、固い約束に感じる。
それが今では──叶っていた。
* * * * * * * * *
「カノン、僕だけど……その、業務連絡」
麗翔はカノンの部屋へ繋がる扉を軽く叩き、扉越しからそう尋ねる。女子の部屋なんて、妹の部屋くらいにしか入った事がない。
だが、業務連絡があるなら仕方ないだろう。
そう、仕方がないのだ。
「どうぞ」
「お邪魔……します」
──なんだこのコミュ障同士のお見合いみたいな雰囲気。
恐る恐る扉を開き、ぎこちなさがありつつも何とか部屋には入れた。
見渡す限り白とピンクと水色で構築された、清潔感溢れる女子らしい部屋だ。それでいて男子の理想をそのまま体現したかのような、よく整理されている素晴らしい空間。
そして何より感じたのは、匂いである。
香水の匂いでも、消臭剤や芳香剤の匂いでもない、強すぎずほんのりとした空気。妹以外の女子の部屋に入った経験がなくてもわかる──これこそがまさしく、真の女子部屋というものだ。
「それ以上匂いを嗅いだらお金をとりますよ」
「……いくら?」
「ホントに払おうとしないでください」
慣れない空気に落ち着かない様子の麗翔を見たカノンは、呆れた顔でそう言った。しかしそう言いつつも、カノンは当然のようにクッションを持ってくる。
しかもそのクッション、可愛すぎず堅すぎず、程よく清純な女子らしい水色のクッションだ。
そしてそれを小さな丸い机の手前に置くと、一瞬で快適に会話できる環境を作り出した。それを見た麗翔が思った事、それは一つだけ。
──女子力が、高すぎるッ!?
麗翔は、あまりに出来たカノンを見て唖然としていた。記憶喪失にも関わらずここまでの振る舞いができるという事は──普段から常識のように、このような生活をしていたということ。
「この辺の家具とか、初めからあったの?」
「いえ。私の部屋は元々何もない部屋だったので、アモネさんから家具を買う分のお金を頂きました。物価とか、そういうお金の価値観がわからなかったので苦労はしましたが……とりあえず一通り揃えてみたと、そんな感じです」
──つまり家具とかを自分で全て選んで作り上げたのか、この最高に清潔感漂う部屋を。
「ただ、私の家具の為にお金を下さったアモネさんに、私の服を買う分のお金を要求するのも申し訳なかったので……結局服はこのままです」
そういえば、カノンの服装は常にその青いポンチョだった。そこそこ大きめで、太ももあたりまで下に伸びている。
──しかしポンチョの下は何故かそのまま下着で、雨が降っていなくとも脱ごうに脱げないらしいと前日言っていた。
一応これはこれで可愛い。けれども、麗翔には一つ提案があったのだ。
「……それなら服あげようか?」
「通報していいですか」
「僕はこの服をここで脱いで渡すほどヤバい人間じゃない!」
麗翔はあらぬ疑いをかけられて焦りながらそう叫ぶが、一旦ため息をついて落ち着く。そしてゆっくりと口を開いた。
「僕、本当は妹の誕生日プレゼントを買いに行って、その後で響希の家に泊まるつもりで出かけたんだ」
「妹……」
そういえば麗翔はここまで、カノンに自分達の会話をした事がなかった。何せ状況が状況だった為に、何の説明もなくここまで連れてきてしまったのだから。
「……結局、理由もわからずこんな世界に来ちゃったんだけど。でもまぁそんな訳で、妹のために買った私服があったりする」
「でも……何か、申し訳ないというか。妹さんにあげるハズだったのに、私なんかが着ても」
「全然いいって、また買えばいいし、僕が着ようかとも思ったけど……やっぱ異世界転移といえばジャージじゃん? 僕が読んできたラノベで異世界に行った数々の英雄達は皆ジャージを着てたし、なんかしばらくコレを着ていたいっていうか!」
「問題はそこじゃないのと、ごめんなさい後半は普通に何言ってるかわからないです」
予想通りの返答に、麗翔は「ですよね」と引きつった笑みを向けて棒読みの対応。ひとまずカノン服を着るのかはあやふやだが──その辺はカノンから話を切り出してくれた。
「でも、わかりました。お言葉に甘えてみます」
と、そんな訳で。
カノンが麗翔の買った服を貰う事になった。
なったのだが────数分後。
「……なんかですかコレ」
「何というか、僕の選ぶ服は全部黒っていうか。まぁその、お気になさらず」
「問題はそこじゃなくて、猫耳……いえ、服を頂けて嬉しいと言えば嬉しいんですが、コレ本当に妹さんにあげるつもりだったんですか」
カノンに服を渡し、麗翔は部屋を追い出され、着替え終わったところで再び部屋に入ったものの──あまり好印象ではなかったらしい。彼女はやけに引き気味の表情をしている。
「なんか僕のセンスがおかしいみたいな言い方じゃない!?」
「実際そうですけど……何というかこのフードについてる猫耳、完全にあなたの欲望が丸出しといいますか。それにそのジャージもそうですけれど、どうしてそう何もかも黒いんですか、性格だけでなく服まで暗くなってどうするんですか……」
麗翔はメンタルに100のダメージを受けた。
そもそも陰キャラに衣服のセンスを求める事が間違いなのだろうか、そもそも陰キャラがカノンのように女子力が完璧に備わった少女に気を使う事が間違いなのだろうか。
そうとまで思えてくる──が、それはどうやら違ったらしい。
「……でも、ありがとうございます」
カノンは間を空けてそう言った後、ほんの少しだけ微笑んだ。麗翔の目が大袈裟なだけかも知れないが、それでも、いつだって真顔だったカノンが、笑った気がしたのだ。
今までなんとなく距離があったものの、兵士になってからの日々で少しずつ近づけているのかもしれない。
友達と呼んでも良いくらい、友達と呼びたいくらい──
ともあれ、麗翔のメンタルは完全回復した。
だがメンタル回復のために、カノンの部屋まで来たという訳ではないのだ。勿論ただ会話したかったというのもあるが、それよりも心配な事があった。
「それで結局、業務連絡って何でしょうか?」
カノンも待っていたかのように尋ねてくる。それを口実にして部屋まで入ったのだから当然であろう。
実際は業務連絡なんてないのだが。
「……今日、カノンさ。朝からずっと静かで、ほぼ誰とも会話してなかったよね」
「────」
麗翔の中でそれが一つ、疑問だったのだ。
彼女は朝から何かを考え込んでいるかのようのボーッとしていて、虚ろな目になっていた。
「その、さ。何か悩みでも──」
「何もないですよ」
しかし彼女は麗翔の言葉に被せて、そう言い切った。
突き放すように、遠ざけるように、曇らせるように──今度はさっきとは違う笑みを向けて。
「それより、あなたの方はどうなんですか。相変わらず人との関わりが下手なようですが」
「え、あぁ……なんか今日は色んな人に会ったな。名前もまだ、ちゃんと覚えられてない。でも頑張る、一緒に仲良くなろう。彼らと」
「意気込みだけじゃどうにもならないことって、結構ありますよ」
「良い雰囲気を一言でぶち壊したな!?」
彼女が何を抱えているのか、麗翔はまだ何も知らない。知る事ができない。彼女自身も、その全てを知らない。だからこそ苦悩がある。
しかし、両者共すぐに知る事になるだろう。彼女の封じられた記憶を。彼女の隠された過去を。
──彼女が抱えた、深い苦しみを。




