35話 邪心無き少女
そこは兵団基地の運動場。抜けるように澄み切った青空の下、彼らはベンチに並んで座っていた。
「わたし、サフィールね。変に長いからサフィでいいよ、みんなそう呼んでる」
そう言って12歳の少女──サフィールは、両頬に豊かな微笑を浮かべる。すると、そのまま内気な様子で縮こまるカノンに顔を向けた。
相変わらずカノンは会釈だけを返すが、それだけでもサフィールは満足気な様子だ。
麗翔も多少の気まずさは感じるも、小学生くらいの少女に人見知りは発動しない。──ちょっとだけ緊張するけど。
「じゃあ、サフィ。なんで急に加入してきた僕らと一緒に訓練を? カノンはともかく、僕は弱いんだけど……」
そこで麗翔は、元々兵団に所属していたにも関わらず、突然加入してきた麗翔と同じ訓練を受けるという彼女に、そんな疑問を問いかける。
するとサフィールは考える素振りも見せず、変わらない表情で答えた。
「まぁ見てのとーり12歳な訳で……こんな体格でみんなの訓練に着いていくのも辛いのさ、だからこっちのお兄さん達と一緒の方がいいなーって」
「でも、それなら尚更……どうしてその歳で兵士に」
当然、12歳の少女が兵団にいれば浮かぶ疑問だ。事実として日本では、自衛隊に入団するには18歳以上でなければならない。
もちろん『魔法』という概念がある世界なら、肉体的な近接戦闘力よりも高い魔力があれば充分に戦えるのだろう。
しかし、それは幼くして戦場に出る事が前提である「兵士」になる理由にはならない。つい十数年前に起きた他国との戦争でも、何万何十万と犠牲者が出たとエリクから聞いている。
そんな戦争と真っ向から向き合わなければならない兵士に、こんな幼い少女がなっているのだ。
そう考えながら麗翔は返事を待ってみると、彼女は表情を変えて麗翔とカノンを見つめて答えた。
「多分、二人と似たような感じだよ? わたしはね……ママもパパも死んじゃって行くとこなかったのさ。だから一人で暮らしていくにはこれが一番かなって。割と魔法も使えたし、何より今の兵団って人が少ないじゃん」
彼女はそう言って遠い空でも見上げるかのように上を向く。そして魔法が使える事を証明するかのように手のひらを差し出し、そこから風魔法で小さな竜巻を作って見せた。
しかし麗翔は、何やら悪い事を聞いてしまった気がした。12歳──そうでなくても同じ子供として、両親が死んでしまうのはとてつもなく心が痛む事だ。
「なんかゴメン、あまり良くない話をさせちゃって」
「別に大丈夫だよ、もう終わった事だしそれほど気にしてない。それより、この国についてとかみんなの名前とか……色々覚えなきゃいけない事がある中でこんな話ししちゃってごめんね」
彼女は自分の暗い話の直後ながらも、そう言いながら微笑みを見せてきた。それを見た麗翔の第一感想としては、最年少にも関わらず寛容的ということだ。
多少は性格の幼さも感じるが、言ってしまえばアルムの方が性格は幼い。
「さてさて暗いお兄さんと暗いお姉ちゃん。わたしも新兵みたいなもんだし、気軽に接してよ。これから、よろしく!」
麗翔は返事をすると、彼女を静かに見つめながら──なんて無邪気で健やかな少女なのだろう、と思った。
さらに、どこかで会ったかのような既視感と故郷を思い出させるかのような懐かしさを感じる。
恐らくそれらの原因は一つだろう。
それが何かと言えば──似ていたからだ。
無邪気で明るくて、自分より幼い。
容姿は違えどその姿は、もう再会する方法すらわからない妹、伊吹璃菜を思い出させるかのようなものだったのだ。
思えばもう、日本で母親と妹に「いってきます」と告げたきり麗翔は音信不通で行方不明。そしてそのまま二日以上過ぎているのだ。
家族がどんなに自分を心配しているか、それはもう麗翔にわかるものではない。きっと親バカの母なんかは──
「お兄さん?」
「う、え……!?」
麗翔が完全に意識を思考に向けていた中で唐突に声をかけられ、不意を突かれたように驚いた。──というか少女から急に「お兄さん」とか呼ばれたらビビる。
そのまま心臓の鼓動を高く鳴らしながら、声の主、サフィールの方へ顔を向けてみる。
「どったの、ぼーっとしちゃってさ。副団長が来たよ」
「あ、あぁ」
麗翔は我に返り、サフィールが顔を向けている方へ振り返る。すると彼女の言う通り、あの男がそこにいた。
獲物を前にした猛獣のように恐ろしく鋭い目、そんな目も覆い隠せるほどに長い黒髪、そして何より冷ややかで無愛想な雰囲気。
──レイヴァンだ。麗翔達が兵団基地に入った瞬間、剣を突き飛ばしてきた事は未だ忘れられない。
エリクと折衝した時に麗翔の意見を受け入れてくれたりなどと、恩はあるがやはり恐い。そんな男だ。
「それでそれで、何するのさ?」
サフィールはレイヴァンの眼前にひょっこりと顔を出し、期待に満ちた表情を露わにしながら答えを待っている。
それに対するレイヴァンの表情は、相変わらず嫌なものでも見るように酷薄。
「一つだけ忠告をするが、俺は正しい剣の教え方なんて知らねぇ……それでも良いなら勝手にしろ」
遠ざけるように、吐き捨てるように彼はそう言い放つ。しかしサフィールの反応は、感じの悪さも全く気にしない純粋な喜びだった。
「いいっていいって、二人もいいよね?」
純情な少女は、呆然と立ち尽くす麗翔とカノンへ向けてそう尋ねる。
もちろん凄腕の剣士が剣術を教えてくれるというのだから文句は特にないが、常にある緊張感と厳しそうな感じが何とも辛そうだ。
しかし恐ろしい目つきの男と、構わないと言うのが当然かのように尋ねる純粋な少女を前に、麗翔は受け入れる他ない。
「まぁ……うん」
麗翔はそう思い、微妙な顔で返事をする。それを横目で見たカノンも静かに頷いて了解の合図。
こうして訓練は無事、始まることになった──
* * * * * * * * *
──なんだこれ
麗翔は呆然と、目の前にある異質な光景を眺めていた。それが何なのかと言えば、どんな動物のものかもわからない肉だ。
そしてそんな肉塊の上には、かなり下手くそな──というより小学生レベルの画力で紙に描かれた、豚の顔がある。
「あの……これは?」
流石のシュールすぎる現場に、どうしていいかわからず困惑する麗翔は、引きつった顔でレイヴァンに尋ねてみた。
「見ての通り、斬る練習だ。剣術だの何だの細かい事はその内覚えればいい、それよりまずは剣を剣として扱えるか。素人が剣を振っても簡単に人は斬れない、というより鈍器みてぇに叩きつけて刃をダメにするだけだ。だからソイツで適当に感覚でも掴めばいい」
「それなら尚更、どうして試し斬りする対象が豚肉なのかなと……誰が描いたか知りませんが、豚の絵も10歳レベルで可愛いので斬りづらいといいますか……」
「10歳……レベル」
麗翔はそこまで言った辺りで何かを察した。麗翔が10歳レベルと言った瞬間、レイヴァンは相変わらず恐ろしい獣のような真顔をしながらも、何ともいえない雰囲気を漂わせていた。
まるで自分は上手くかけたと思った絵を下手だと言われたかのように──
「いやその、それはいいとして……ともかく僕みたいな素人が生肉で試し斬りなんてしたら、それこそ油とかで剣がダメになるんじゃ……?」
そこまで考えが至った刹那、麗翔はすぐさま豚の絵から試し斬りの話に戻そうとする。レイヴァンもすぐに切り替え、視線を麗翔に合わせると平然と答えてみせた。
「剣の一本くらい構わん、それも中古品だしな。むしろ戦争で人が死にまくって、持ち主を失った武器が余っているくらいだ。お前はそいつらの剣を使って、そいつらの分まで強くなればいい」
それは反論する余地は愚か、疑問を覚える不可解さもない──完全に納得できる答えだった。
しかし、直後にレイヴァンは必要だったかもわからない補足をした。
「それと、試し斬りに竹や巻藁を期待してたんなら一つ言っておこう。お前ら素人の試し斬りに植物なんて使わせねぇ、この付近にある植物を粗末に扱ったら殺す」
「こ、ころすッ!?」
麗翔は胸に釘を打たれたかのように驚き、その言葉を復唱した。流石のポーカーフェイスを持つカノンですら、真顔ながらも大粒の汗が顔に浮かんでいる。
純粋な12歳の少女サフィールもまた、笑顔を向けながらも額には大粒の汗。
「あとお前ら三人。訓練が終わり次第、すぐに兵団基地にある全ての植物に水をやれ。日が暮れるまでに終わらなかったら……まあ想像に任せるが」
唐突に面倒なミッションを押し付けられた。面倒なんて口が裂けても言えないが。レイヴァンの喋り方そのもに威圧感を感じないが、目つきと低い声が見事にマッチングして、あまりにも恐すぎる。
「副団長は……やらないんですか?」
麗翔は声を震わせながらも引きつった笑顔でそう返してみるが、レイヴァンは鬼のような目つきで睨んでくる。
「俺はこのあと友人に会いにいく。その訓練も、ある程度コツを掴めたら勝手に終わらせろ。以上だ」
やがてそれだけを言い残し、レイヴァンは正門の方へ去っていった。麗翔は「こんな恐ろしい副団長にも友人がいたのか!?」とでもツッコんでやりたい気分だが、それができる相手ではない。
ただ、一つ彼の大きな特徴は知ることができた。
「副団長……あんな形で植物は好きなんだな」
「確かに、人間より植物のが好きそうな変な人だけど、ああ見えてすっごく優しいんだよ。不器用なのさ、あの人は」
麗翔の呟きに反応したサフィールは、そう言って楽しそうな喜びを頬に浮かべた。確かに彼の第一印象は恐ろしいものだったが、案外その中身は優しいものだった。
12歳にしてそんな人の見方ができる彼女の純粋さも素晴らしいものだ。そう思った麗翔は、エリクとの折衝で助けられた事を思い出しながら、一言。
「そうだね……」
やがて、そう言って空を見上げる麗翔の顔には──いつの間にか微笑みが芽生えていた。




