23話 折れたって
「麗翔!」
歪んだ哄笑と響希の大声が響き渡る中、麗翔は全身の力が抜け落ちたように消え去り、膝を地に付けている。さらにそれだけには留まらず、身体の内部から妙な違和感を感じ──
「毒素を分泌できるのは爪だけとでも? 気付かない内に段々息を荒くしていたものだから笑いを堪えるのに必死だったよ……」
「は──?」
違和感の正体、それは冷ややかな空気が身体の内部を貫いて侵入してくるような痛覚と不快感。明らかに前回のループで経験した猛毒と酷似した感覚を思い出し、麗翔は再び絶望した。
「毒を使える私を前にこんな密室に逃げて、自分たちから墓穴を掘るとはねぇッ!!」
「毒ガス……ってか……?」
目を見開き絶望したような顔の響希は、眉を歪めて静かにそう尋ねた。しかし狂人から返答はなく、ただただ薄気味悪い笑みを浮かべるだけだった。
だがようやく知れた。シャグマという魔人の特性は、爪で引っ掻いた人間に毒を与えるだけではなかったのだ。
「ァハハハハッ!! 眼前で毒の息を吐いたとはいえここまで貧弱とはぁ! 少し失望したよぉ!」
よく目を凝らしてみると、シャグマの口から測れる吐息は微かに毒々しい紫色をしていることに、響希は気付いた。
だが気付いた時には既に遅い。麗翔の身体中に痺れるような痛みと脱力感が伝わり、すぐにその身を地に伏せて倒れる。
「おい、しっかりしろッ!」
「わかっ……てたけど、やっぱ、辛いなコレ……」
響希が自分の肩を揺らすような感覚がして、同時に彼の声かけが聞こえる。しかし返答する気力すら出てくる事はなかった。
──瞬間、麗翔は自分の身体が何かの衝撃によって飛び上がり、滞空したのを感じる。
空中を舞いながら回転する視界で目に入ったのは、シャグマが片脚を上げている様子と、勢いよく壁に転がっていく響希。
恐らく響希を突き飛ばして麗翔を蹴飛ばしたのだろうと察するが、だからといってそこから麗翔にどうにかできる力はない。
そうして、落下によってその身を地面に叩きつけられた麗翔は、そのまま小屋の隅へと転がっていった。
そして、ゆっくりと瞼を細くして──
沈み込むように、目を閉じた。
* * * * * * * * *
その場には砂煙が霧のように舞い、沈黙が続いていた。そんな沈黙は、散りばめられた木々の破片が動く音と共に終わりを迎える。
音の主の方へエリクが視点を合わせると、瓦礫の山のようになった場所から、這い出るように動く物体が現れる。
砂煙の中で微かに見えたのは、砂に汚れた肌色の腕。アギロのものに違いはないだろうが、あの大規模な荒技──魔法をひたすらばら撒いて木々を倒し、押し潰すという作戦に多量の魔力を使ってしまったエリクは、それでも動けるアギロの生命力と根性に絶句する。
やがて砂煙も薄くなり、アギロはキノコのように地中から上半身を出すと、すぐに腕を使って全身を瓦礫の中から捻り出した。
「やって……くれんじゃねえかよ」
あれ程のダメージを与えても、虫の息にはなっていない。それどころか怒り猛る獣のように、これまで以上の脅威になってしまったのかもしれない。
「しぶといな……」
「お前はもうヘトヘトじゃねぇか……俺にはわかるぜ、もうお前の魔力は限界だ。あと一発なにか放てばお前のマギアは空になる」
確かにエリクの魔力はもう既に限界が近く、あと1発魔法を放てるかどうかといったところだろう。だが、魔力が消えようともエリクは戦える。
その手にあるのは単なる鋼剣だけだが、彼の人生は剣に始まったのだ。ついては時と場合からしてエリクが今思い出す事ではないために、彼は余計な記憶や感情を脳の隅に置いておいた。
今考えるべき事、今成すべき事、それは一つ、鋼剣でアギロを倒す事だけに集中した。
「ふ──ッ!」
アギロは瞬時に氷の剣を造形し、エリク向かって閃光の如く襲いかかる。剣と剣は高らかな音を響かせて交錯するが、アギロの放った氷剣の方が重みがあり、エリクは力一杯弾くも一旦後方に退いてしまう。
「まだ、こんな力が……!」
手が痺れる程の衝撃を感じ、エリクはその驚異的な執念に恐れをなした。
しかし、それでもアギロの乱撃は止まることがない。
それどころか速度や重みも増してきていて、手負いで魔力も枯渇しているエリクでは弾くので精一杯だ。
「確かに氷は脆いし人も斬れねぇ……重量感と貫通力は違ェよなぁ!? どうした、動きが鈍ってるぜッ!」
「くっ……!」
「とっとと消えやがれ、お前は俺の人生の、障害物なんだよォッ!」
そして、怒号と共に繰り出されたその剣の一振りは──金属が悲鳴をあげるような音が響くと同時に、斬撃を防ごうとエリクが前に出した剣に直撃し、その剣を無慈悲にへし折った。
「これで、終わりだなぁ」
頼りの剣が砕け、剣撃を弾く物を失ったエリクは身体を後ろへ逸らして怯む。同時に彼自身の体力も限界をつき始めていて、やがて彼が力強く握っていた剣の柄は手放された。
折れた鋼剣は、そのまま頭上でくるくると、弱々しく舞いながらとんでいく。
それを見たアギロは勝利を確信した。
歪んだ笑みを浮かべ、先端が鋭く尖った氷の剣を引き、眼前にある無防備な肉体を突き刺そうとした──その一歩手前で。
エリクは虚ろになっていた両目と同時に右掌を大きく開き、すぐ目の前の前方にいるアギロの顔に向けて勢いよく突き出す。
前方──つまりはアギロの顔面に、ゼロ距離で魔法を発動する構えだ。
エリクの魔法を繰り出す構えを見て、アギロは動揺を隠せなかった。当然であろう、剣を手放し絶好の隙を見せられれば逆に、無意識にでもこちらが油断してしまうものだ。
現にそこで油断したアギロは、この一撃で殺せると察して攻撃しか考えず、まさかここで魔法を繰り出される事を考えていなかった。
どんな魔法が来るかもわからない、そこで躊躇したアギロは咄嗟に急ブレーキをかけ、すぐさま後退して離れようと瞬時に右脚を後ろへ動かす。
しかし、ここで思い切り後ろに飛べば、どんな魔法も避けられるとアギロは確信した。現にエリクの手の平にはまだ魔法陣が展開されておらず、今すぐ彼が魔法を放ったとしても寸前で回避されるだろう。
そうなればエリクは今度こそ魔力を完全に失い、残されたのは『死』のみだ。
そう思いアギロが笑みを浮かべたところで──彼は異変に気付く。
「え……?」
アギロの体勢は、気が付けば後ろにそれていた。何か段差に躓いた感覚と共に、彼は重心を失ったようによろめいていたのだ。
思わずアギロは気の抜けた浅い声を出してしまう。同時に足元に起こった異変を確かめるべく、瞬時に、そして無意識に自分の足元を見つめてみる。
するとアギロは思いもよらない事実を目にした。
視線を真下に落とした時、そこに広がっていたのは蒼白の地面──つまりは氷によって作られた足場だ。そこでアギロは、その足場に段差があり、自分がそれに躓いてしまった事に気付いた。
そして、エリクの出した手は、動揺を誘うための罠だったのかとアギロが考えた瞬間──
アギロの眼前に広げられていた手の平は、次の瞬間、全身の力をその一点の部位に注ぎ込まれたかのように強く握られた。
「なん……」
こいつはどこまで先を見越して──と、アギロはエリクの恐ろしい頭脳と咄嗟な判断力に絶望した。
そしてエリクは、体勢を崩してよろめくアギロに向かって、脚を勢いよく踏み出す。
踏み込まれた地面に広がっていた氷は、その衝撃によって砕け散り、その勢いに比例する威力を持ったエリクの右腕、そしてその拳は、アギロの顎を捉える。
アギロには回避をする猶予は愚か防御をする一瞬の暇もない。
それどころかエリクのさらなる作戦にハマって体勢を崩していて、そんな行動を取れる状態にすらない。ただただ向かって来る拳を、刹那の間に呆然と眺める事しかできない。
そしてエリクはその顎の先に意識を集中させて、その一点に狙いを定める。
「はぁぁぁッ!」
持ち得る全ての力を使うように、拳を握る。
そのまま勢いの付加された右腕の拳を、無防備なアギロの真下から顎を貫くように解き放った。
「あ、がァ……ッッ」
防ぎようのない一撃を顎に受けて、アギロは衝撃のままに力の加えられた方向へ吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「は、あぁ。ハァ……」
魔力、体力と持ち得る全ての力を使い果たし、エリクは右膝と左手を地につけた。
そんな彼の視線の先には、ネズミの死骸のように撃沈して意識を失った様子のアギロが横たわっていて、そのまま静かに眠っていた。
荒げた息を抑えながらも目を凝らして見ると、死んでいる訳ではなく僅かに息があり、気絶している様子。ピクリとも動く気配はない。
エリクはそれを哀れむような目で見届けて、今度こそ確かな勝利を確信すると、そのままゆっくりと立ち上がる。
「お前もその力を、兵士として使って欲しかったな」
そんな事を和らげた声で言い残し、エリクは彼に背を向ける。
そして深い呼吸をすると、足元にある先端の折れた鋼剣を拾い、小屋に向かって歩いていった。




