22話 跳梁せし猛毒
「え……?」
麗翔の考える作戦、その全てを小声で伝え終えると、カノンは目を丸くして驚いた。
相手は魔人、そうでなくともここは異世界なのだ。どんな予想外の事態が起こるのか、そして魔人の危険性、それすら完全に把握しきれていない。
そんな中で、麗翔の考えついた作戦は──
「そういう訳だから、早く逃げて」
麗翔はカノンの方へ顔を向け、きっぱりとそう言い切った。
「で、でも……!」
「大丈夫、あの変態は僕らがどうにかしてみせる。 どうにかできなくて死んだとしても……時間が稼げれば、君は無事でいられる」
カノンの魔法無しでシャグマを倒すのは明らかに無謀だ。だがこの作戦においてカノンを危険に晒す必要はない、そうでなくとも彼女は魔力をほとんど使い果たしているのだから。
だから麗翔は、わざとらしさが残った不器用な笑みを浮かべて、言う。
「だからお願い、信じて欲しい」
「──」
するとカノンは言葉をなくした。
刹那の沈黙が生じ、場が静まり返ったところで彼女は振り返る。
「……信じてますから」
カノンはボソリと呟くようにそう言うと、一瞬ちらりと目線を後ろへ回して響希と麗翔の顔を目に入れ、そのまま街の方角へと走り去っていった。
「いやぁ勇敢だねぇ。悪く言えばとんだ変わり者だが……君達二人でどうにかできるとでも?」
易々と逃げ去るカノンを見逃したシャグマはどこか愉しげな様子だ。
彼は逃げても無駄とでも思っているのだろうが、実際に麗翔と響希でシャグマをどれだけ食い止められるのか、それすら二人には知れない。
そして響希は片手で地に広がる砂を乱雑に掴み上げてポケットに入れた。もう後戻りはできない、戦うしかないのだ。
「マジでやるんだな……?」
出血する肩を抑えながらも、響希はそう尋ねた。麗翔それを見て小さく頷くと、すぐに視点をシャグマに集中した。
シャグマはラスボスのような不敵な笑みを浮かべ、少し離れた場所で大きく構えている。油断している間が勝負だ、ならば好機は今しかない。
「響希!」
「あぁ……!」
麗翔は走り出し、それに続いて先程まで痛がっていた響希も再び立ち上がって走り出した。
麗翔と響希が走り出したのは小屋の方向だ。
それとは90度曲がった方向で、少し離れた位置にいたシャグマは、自分に向かってこない二人を見ると、悪魔のような笑みを浮かべ凄まじい速度で追ってきた。
「クソ──ッ!!」
響希が走りながらそう言って小さく舌打ちする。
それは二人が小屋の手前まで辿り着いた辺りだった。響希は横目で、飛んでくる狂人を目に入れる。このままではあの速度のまま攻撃されてふっとばされる、もしくは最悪の場合そのまま殺されるだろう。
直感でそう感じた響希は麗翔の体を力で無理矢理、下に押し込んで地に伏せさせた。そして響希も同時に伏せる。
「──!?」
シャグマの突撃は空振りそのまま落石のように響希達の背後へすっ飛んでいく。
麗翔は驚きの声を上げる余裕すら心になかったが、今、響希が自分を下に押し込まなければそのまま首が彼方に飛んでいただろうと、それだけはわかった。
感謝の言葉は伝えたいがそんな猶予はない、そうでなくても心臓が毎秒爆発しているかのように強い鼓動を打っている。今はそれどころではなく、まず生きることが何よりだ。
シャグマは勢い余って石ころのようにゴロゴロと転がるが、滞空中に腕を振り上げ、そして爪を以前のような怪物の大爪に変化させていた。そしてそれを地面に突き刺してブレーキをかける。
「面白いじゃ……ないかァアアッ!」
そういってまたも地を蹴り上げ、シャグマはロケットの如く一直線に飛んできた。
「ぐっ……」
響希はそれを見て歯を食いしばり、目を険しく細める。そして上半身を低くして地に伏せたままの麗翔を右腕全体を使ってがっしり掴みながら、同時に片脚で小屋の扉を蹴り飛ばした。
乱暴に蹴られた扉は大きな衝突音を立てながらも開き、小屋内への道が繋がったところで──
「ふん──ッッ!」
麗翔の身体を自分に寄せながら小屋内へ跳んで、入る。同時にシャグマも響希がいた場所を爪で斬り上げるが、その攻撃はまたも外れる。
響希と麗翔はゴロゴロと転がりながらも体をすぐに立て直し、臨戦体勢となった。
「小屋の中に逃げ込んだつもりかい? 自分から追い詰められにいく程怯えるとは、随分な小心者だァアアアアッッ!!」
ネットリとそう言いながらゆったりと小屋の入り口から入って来るシャグマ。失われた右腕からは紫色の液体が流れ出ている。恐らく彼の血液なのだろうが、なんとも気持ちが悪い。
だが、作戦の第一段階は達成した。
──シャグマの爪は脅威的だけど、毒が出たり肉が切れるだけで、それ以上の腕力や破壊力はない。こんな僕ですら素晴らしい馬力だとか褒めてくるんだ、それにあいつは他二人よりもずっと弱いらしい、毒と爪……あと性格以外は凡人なんだ、きっと僕らでいける
数分前に作戦を伝えている最中、麗翔が響希に言った言葉だ。アモネの胸部を切り裂いても、一発だけではアモネの内臓が飛び出したりなどもしなかった。その上、麗翔にのしかかった時も大した力がなかった。
きっと魔石を食べなければただの人間だったのだろう。だが魔石を食べた上に人を快楽のままに殺戮する姿を知っている麗翔は、彼を許せない。
そして、その直後。
「いくよゥ!」
シャグマは狂人らしい笑顔で走りながら向かってくる。彼の笑顔は普通の人間の笑顔とは明らかに違う、悍ましい笑みだ。
──それに、奴の腕力では壁を破壊できない上に、魔法を使えないという事を前のループで知ったんだ。だからこの小屋に誘い込めば少しはまともに戦える。
再び麗翔は数分前に響希に言った言葉を思い出すが、まさにその通りだった。シャグマは麗翔めがけて、普通の人間と大して変わらない速度で走ってきたのだ。
そんなシャグマを見ると響希は即座に床を蹴り上げ、勢いよく走り出して飛び上がる。
「らぁ──ッ!!」
直後に響希は、滞空しながら麗翔の眼前まで走り込んだシャグマに向かって、強いバネのように飛び蹴りを思い切り放つ。
放たれた脚は敵の顎を捉え、その威力と衝撃のままにシャグマの身体は力の加わった方向へとよろめいた。
「鬱陶しいねぇ……」
しかし、シャグマはそう言って倒れそうになるその身体を片脚で踏ん張って堪え、そのまま響希を狂気の笑みで見つめながら左腕を振りかぶる。
対して響希は咄嗟に出した跳び蹴りの勢いを殺せず、落下の衝撃を食らって受け身を取れないでいた。
そのまま振りかぶられた大爪は薄気味悪い笑顔と共に、その魔人から放たれる──直前。
「これで終わ……ぐッ!?」
シャグマは攻撃を中断せざるを得ない予想外の一撃に、虚を突かれたような声を上げた。
それは、後頭部に伝わった強い衝撃。拳よりも硬い、何かを殴りつけられたような感覚。シャグマは歯を食いしばりつつも、横目で背後をギロリと睨みながら確認する。
そこにいたのは、ある物を振り下ろした様子の麗翔。そして、そのある物が何なのかは、シャグマが視点を少し落とすとすぐにわかった。
殴りつけられたのは麗翔の腕より遥かに太い木の棒。そう、それはシャグマ達が火を焚いた場所で乱雑に散らされていた、薪の一つだった。
「鬱陶しぃッッ!!」
それに気付いたシャグマはすぐさま、眼前の麗翔に向かって顔を触れそうなところまで瞬時に近付けると、ワニのように口を大きく開き、毒々しい紫色の吐息を口からも鼻からも吹き出しながらそう怒鳴った。
しかし、その瞬間シャグマは致命的な油断をしてしまう。ただの麗翔の拳ならまだしも、完全に意識から外れていた薪による重い一撃を食らったためだ。
今度は足元で転けていた響希を意識から外してしまっていた。
だが、気付いた時には既に遅い。
「しまっ──」
シャグマが驚きの声を発すると同時に、彼の腰部は覆われるように響希の両腕によってがっしり固定されていた。
そのまますぐに持ち上げられ、シャグマの腹部が響希の肩にくるような状態になった。
担がれた方は咄嗟にその腕を引き剥がそうと暴れるも、滞空していたのは僅か一瞬。
暴れ始めてその大爪が響希の顔を僅かに掠めた時には、既にその身は頭から落下を始めていて、刹那の間に床が彼の眼前に迫っていた。そして──
「が、はァ……ッ」
響希がシャグマを掴んで持ち上げた瞬間に響希は勢いよく後ろへ倒れこみ、その勢いのままに抱えられて体勢を崩し頭部が下にきていたシャグマは、顔面から床に落とされていたのだ。
大爪を振り回される恐れがあるため、響希は投げ技が決まるとすぐ腕を解放し、瞬時に立ち上がりながら距離を取った。
その刹那──
「ふ……ぁははははははァ!!」
「──!?」
シャグマは身体を仰向けにしたまま、裂けてしまいそうなくらい口を大きく動かし、歪んだ哄笑を大声で響かせた。
その突然すぎる狂気的な行動に、驚いた響希と麗翔は反射的に狂人へ顔を向ける。
その響きに、耳を打つ不快な鳴動に、麗翔の口は閉塞感を失ってもなにも紡ぐことができず、ただ得体の知れない恐怖を感じながら唖然としていた。
それでも彼は、ただ笑い続ける。
狂ったように笑い続ける。そして──
「あ──?」
直後、脱力したように膝をガクリと落とした麗翔を見て、狂人の哄笑はさらに声量を増した。




