21話 布石は打った
息を荒らげ、髪を揺らし、汗が目尻を伝う。多くの事を考えすぎて、そして突然多くの事を知りすぎて頭がパンクしそうになりながらも、麗翔は急いで響希達の元へと走り続けていた。
そして麗翔は走りながら状況を整理してみる。
時間が戻っていないという事はカノンは無事と言う事だ。もしかしたらカノンの魔力と響希の格闘能力でシャグマを倒してしまったのかもしれないとさえ考えていた。
事態を楽観視しすぎるのはいわゆる死亡フラグでもあるが、冷静に思い返してみれば、正面戦闘じゃ役に立たないと言われている程の敵だ。ただ、それでも魔人は魔人。
毒使いという事もあり暗殺向きの魔人だと考えるのが妥当だが、魔人という人の形にして人ならざる存在である以上何をしてくるのか知れたものではない。
それでも、ラウロスを倒すという大きな壁を突破した麗翔には、無意識に。今ならなんでも出来そうなくらいの自信が僅かに漲っていた。そして──
「あ……!」
やがて樹木しか見えなかった視界の中で、微かに平地が見えてきた。それを見た麗翔は、ようやく彼らの元に付いたと心が浮き上がるような気分だった。
走り、走り、最初に見た小屋も視界に入ってきたところで──
麗翔が無意識に抱いた淡い希望はすぐに崩れていった。
「ハァ……ッ、くっそ……!」
痛みを耐えるように歯を食いしばり、地に膝をつけ蹲り、流血している左肩を右手で抑える、響希の姿がそこにあった。
そして、すぐ近くには弱々しく木に寄りかかって体を預けるカノンの姿も。
「やあ……まぁさか戻ってくるとは、律義者だなぁ」
最後に麗翔が視線を向けたのは、のろりくらりと不気味な笑顔で近付いてくる男──魔人、シャグマだ。
麗翔はすぐに、響希の顔色を見るようにしゃがみ込みこんだ。
「響希、今の状況は……?」
「さっきみたいにカノンが魔法出しながら俺が殴るってのをやろうとした。それでアイツの右腕はぶっちぎれたし、多少のダメージは与えたはずだが……何故かピンピンしてやがる。それにカノンはもう限界だ、あと一発魔法うてるかどうかってとこだとよ。俺もアイツの爪が肩刺さって、そっから体中痛ェんだよな……」
シャグマをナチュラルにスルーして、麗翔はとにかく状況を理解しようとする。残り魔法一発分の魔力しかないカノンと肩を負傷し恐らく毒に侵されたであろう響希。
さっきまでラウロスとの死闘を繰り広げた麗翔が、一番元気という何とも皮肉な様だ。
「おっと、無視かい? 心が張り裂けそうだ……ふんッ!!」
相変わらずネットリした口調で喋るシャグマは、直後に宙を舞う蝶を腕で鷲掴み、口に放り込んだ。
それを目の当たりにした麗翔は、ドン引きしながらも口を開く。
「気色悪いなもう……とにかく、今すぐあの変態魔人をどうにかしないと」
「どうにかって……どうするんだ、アイツがふざけてる内ならすぐには殺されないだろうが、その気になりゃいつでも俺らを殺せそうだぜ?」
緊迫した状況下の中では、脳筋の響希でさえも冷静に現状を分析していた。それくらい敵は強大なのだろう、まともに戦って勝てる相手ではないという事だ。
「けど、まともに戦う理由はない、これは格闘試合じゃくて単なる殺し合いだ。その気になる前に戦えなくすればいい」
カノンが横目で且つ、上目遣いで弱々しく、ちらりとこちらを見る。響希も麗翔の言葉に興味を持って目を向ける。
今2人の命を握っているのは麗翔なのだ。自分の行動は、自分の命は、今この瞬間2人の命運すら左右する。
自分にそんな器などないと割り切っている麗翔だが、それでも2人のために麗翔は必死に、眉を寄せ難しい顔で策略を考える。そして沈黙が続いて数秒後、やがて麗翔は決意の表情を向けると共に──
「大して捻ってない上に、やる事は割と単純だけど……僕に考えがある」
そう言って希望に縋り、賭けに出る。
先の見えない暗闇の中、一筋の光明を求めて、麗翔は再び立ち上がったのだった。
* * * * * * * * *
「くッ──!!」
氷の槍はうずくまるエリクの首を捉え、その肉を突き破ろうと進んでいく──が、危険を察知したエリクは紙一重のタイミングでその槍を回避しようとする。
しかし避けきれず、頬には微かな擦り傷が付いた。
それを見たアギロは再び槍を構え、なぎ払おうと振りかぶる。それを視界に入れたエリクは、足元の地に手を向け、そこから緑色の魔法陣を展開。
直後にエリクを中心とした暴風が吹き荒れ、アギロを含めその場にある物質のほとんどが吹き飛んだ。
「クソ、めんどくせぇ……」
アギロは空中で宙返りして体制を立て直しながら、槍を剣に変化させ、木を蹴り上げ再びエリク向かって突き進んでいく。
するとエリクは脚に深く突き刺さった剣を無理に抜き、その血濡れた氷の剣と鍛え上げられた鋼の剣とで、両手に二本の剣を構えた。
「……来い」
瞬間、再びアギロとエリクの、剣と剣による激しい攻防が始まった。
しかし、いくら二刀流のエリクでも片脚が使い物にならなければ剣筋もしっかりと通せない。魂にすら届くような激痛に耐えながら剣を振るうにも限界があるのだ。
気が付けば両方の剣は弾かれ、アギロの蹴りがエリクの腹部に炸裂。すぐにエリクは、弓矢のように勢いよく吹き飛んでいった。
そして太い樹木に直撃し背中を強打。腹部からの背中と、次から次へと前も後ろも、アギロは休ませてくれないらしい。
「死ね──!」
それどころかアギロは、その文字通り休む暇すら与える事なく、立ち上がる途中のエリク向かって斬りかかろうとした。
だが、斬りかかろうと急接近するアギロはすぐに気付いた。立ち上がる途中ながらも、エリクの目に宿る闘志のような炎が、太陽のように燃え滾っていたのだ。
剣を脚に突き刺されようとも臆する事のない、兵士の中の兵士。それがエリクだ。
「見くびるなよ……!」
瞬間、エリクは同時に両手を広げた。
そして右手には蒼白に煌めく魔法陣、左手には胆礬色に輝く魔法陣が同時に展開される。
直後に二つの魔法陣から、風の刃と氷の刃が、散りばめられるかのように飛び出した。
「くそッ──!」
アギロは息つく間もなく真上へ飛び上がり、それを回避しようとするが、それを避ければ次の刃、それを避ければ次の刃と、キリがない。
そのまま無数の刃は次々と生み出され、竜巻の中に刃物を投入したように、鋭い刃が飛び交っていた。
その一つ一つが肉体そのものを切り裂く威力を持っており、少しでも掠ればもちろん出血もする。現にアギロの体には四箇所ほど、軽い切り傷ができていた。
だが、言い返してしまえばその凄まじい量の刃が飛び回る、数の暴力の中に身を置きながらも、アギロはそれだけしか傷を作っていないのだ。
身を回して紙一重のタイミングで回避行動をとり、自らが氷魔法で造形した小型のナイフで刃を相殺し、樹木を足場にして小蝿のようにその場を飛び交い、樹木を盾に、さらには、たまに目に入る魔獣すら盾に使うのだ。
麗翔や響希があれだけ恐れをなした狼型の魔獣でさえも、アギロの前ではただの盾でしかないのだろう。
「剣術はともかく、だいぶ戦いに慣れているんだな」
脚を負傷しその場から動けないにしても、休む暇を与えることなく魔法を放出するエリクは、そう呟いた。
それが耳に伝わったアギロは、氷の剣をエリクに向けて飛び出し、その滞空中にありながらも、無理矢理作ったような笑顔で返答をする。
「お前らほど明るい道を歩んできた訳じゃねぇからなぁ!!」
そういってアギロは肩をぶん回し、勢いよく剣を振り下ろす──が、それはエリクに易々と弾かれる。それどころか氷で造形された脆い剣は、鍛え上げられた鋼剣の斬撃一発で、粉砕された。
そのアギロを見てエリクは確信する。アギロの体にはたくさんの切り傷ができていて、体力も残り少ないのだと。
「もっと違った育ち方をしていれば……お前もこんな事にならなかったんだろうな」
エリクは哀れむような表情で、渾身の一撃を粉砕されてよろける彼を見つめる。
しかし反発するような眼光を向けるアギロは、数歩だけ後退し、唇を噛み締めながら言った。
「いっちょ前に同情してんじゃねぇよ……ホラ、アンタの背後から魔獣が来てるぜ?」
だが、エリクは動じずアギロの瞳だけを静かに見続け、そのまま刺された脚を引きずるようにゆっくりと近付き始める。
それが嘘だと、いくらお人好しだろうとも一度騙されたエリクなら明確にわかる。
「一体何が、お前をここまで姑息にしたんだろうか」
するとアギロは、さらに後方へ飛び上がり、またも氷で剣を造形しながら言い放った。
「黙れ……ッ! 俺は理想のためならどんな手段だって使ってやる、さっき遠隔操作でお前を不意打ちしたみたいに──」
が、その言葉は言い終える事なく中断される。その原因となったのはアギロが突如として感じた脚部からの違和感──ではあったが。それに気付いた瞬間、すぐさまそれは激痛へと切り替わっていった。
「それは、こういうことか?」
エリクがそう言い放ち、アギロは自分の足元に目をやると、すぐにその理由の全てが知れた。数本の細かい氷が突き刺さり、無数の傷ができて両足は血塗れだ。
それは筋肉を動かすこと、つまりは歩くだけでも鋭い痛みが伝わる、まさにエリクと同じ状況になった。
「て、めぇ……」
「ただ無造作に魔法を撒き散らした訳じゃない。だからさっきお前がやったように、布石を打っておいたんだ。そして今、遠隔操作をした」
当然これが卑怯だなんて言える立場ではない事をアギロは知っている。
それでも怒りを露わにするアギロの表情は、どこか笑っているようにも見える。まるでこの状況を楽しんでいるかのような顔だ。
「ハッ、これでようやく同じ状況にしたってか……」
「いいや、同じ状況じゃないさ」
「あ……?」
しかしエリクは、全てを見通すような視線をアギロへ向ける。その後、すでに勝負が見えたと察して静かに鋼剣を鞘に収めた。
「言っただろう、布石を打ったと。そして──」
アギロは何らかの異変に気が付くも、既に遅い。
その場には地が裂けるような鈍い轟音が鳴り響き、同時にさっきまで樹木の上にあった深い緑の葉が、どんどん視界に近付いてくる。
そしてアギロを囲う何本もの大樹が、根を張った地を巻き込んで裂きながら、全てアギロへ向かって姿勢を倒していった。
「な──ッ」
その場を囲う樹木は全て、エリクが氷の刃と同時に放った風の刃で徐々に幹を切り刻まれ、だんだんとバランスを崩していたのだ。
そして今、膨大な質量を持つ樹木が束となってアギロに襲いかかる。
それに気付くのが遅れたアギロは、咄嗟に緊急回避のために地を蹴り上げ跳ぼうとするが、その脚は氷の刃によってズタズタにされている。
そのため跳び上がろうと力を入れるもアギロは呆気なく転けた。
そしてそのまま、樹木はアギロの身体に覆いかぶさるように倒れ、その場には衝撃と轟音が響き渡る。
「ただ無造作に魔法を撒き散らした訳じゃ──ないと」
眼前の全てが崩れゆく中、エリクは静かにそう言い放った。──アギロの怒号を、冷たく聞き流して。




