13話 悪逆無道
「は……、食べ……え?」
「そのままの意味さ、ちょっと気になるからねぇ……構わないだろう?」
変人との遭遇を機に、思考停止していた脳が再び回りだす。しかしその上で現在の状況を考えてみても、訳が分からない。気になるから食べる、いったいどこの民族で生まれればそんな思考になるのだろう。
「ぐ……ッッ」
麗翔は得体のしれない危機感と恐怖を感じ取り、すぐさま歯を食いしばって立ち上がり、無我夢中でどこかもわからない方向へ走り出す。
「なんだ、なんなんだあいつッ……あいつも組織の一人なのかよ!?」
「待ってくれよッ、心が叫んでるんだッッ、君は私の、晩ご飯ンンンッッ」
男は不敵な笑みを浮かべながらふざけたような声と軽快なステップを踏んでゆっくりと近づく。その気色の悪い笑みを振り切り、背後を振り返ることもなくまっすぐ走る。
そして、しばらく森を走ったころだろうか。近くに気配はなくなり、背中を木に当てて座り込み、大きなため息をつく。
「ここまでくれば、大丈……いや、これってまさか死亡フラグ──」
「みぃつけた」
「ッッ!?」
独り言を呟きながら麗翔が後ろを振り返った瞬間、背後に聳え立つ木の陰から逆さまになってコウモリのように、突如現れたその存在に抵抗する間もなく麗翔はのしかかられる。
「痴れ者だなぁ、もう逃げられないねぇ……」
「く……そッ」
先程から変わらない彼の笑みからは狂気すら感じてしまう。いったい何がおかしくてそんなに笑っているのか、いったいなぜ自分を食べようとしているのか。何もかもがわからない。
わからない、理解したくない。気持ち悪い。
「お前らは、何のためにこんなこと……」
「さぁ? 少なくとも私は私が楽しめればそれでいいからねぇ」
「この、殺人鬼が……ッ」
震える声に怒りを乗せ、馬乗りになる男を睨みつける。この男は前回に麗翔を殺そうとした男とは違う、明らかに快楽のために人を殺そうとする異常者だ。
麗翔は言われるまでもなくそれを察知した。
「まさか異世界に、こんな変態がいるなんてな……ぐ、くそ、のしかかるなホモ野郎!!」
そういって無理矢理、麗翔はのしかかるシャグマをどかして、顎を蹴り上げる──が、シャグマはむしろ嬉しそうな顔をしてこう言い放った。
「素晴らしい怪力だ、剛の者ってやつだねぇ……だけど、そんなジョークすら言えないようにしてあげようかい?」
「何を……」
その瞬間、男は麗翔の顔の前に手を出す。するとその手には、みるみる毒々しい色の模様が浮かび始め、爪までも鋭利になっていく。
そのまま指先から伸びるその凶器を、麗翔の右腕に、突き刺す。
「あ……がッ──!!」
爪が変化して行く様を見て、何か悍ましいものでも見るような表情をしていた麗翔は、すぐに痛みによって叫ぶ。
ただ尖ったものが刺さるのとは違う、鋭い痛みが右肩から全身へと伝わる。耐えきれない苦痛に、すぐさま麗翔は男の腕を引きはがし、のしかかった男を無理やり蹴り飛ばす。
「肉弾戦は得意じゃないんだけどねぇ……」
肉弾戦が得意ではないというその言葉を聞いた麗翔は、すぐさま立ち上がって男に殴りかかろうとするも──
「あ、れ……?」
身体に力が入らない。それどころか血の流れる右腕だけでなく、全身が激痛に嘆いている。とても全力で殴ることは愚か、立ち上がって走ることすらままならない。
「最初は興味本位だった」
「……は?」
すると唐突に語り始める男を睨みながら、痛みに悶え歯を食いしばる麗翔はなすすべなく、そのまま地に伏せる。
「なんとなく興味で、毒を吐く蛇の魔獣の死骸から得た石を食べてみたんだ」
──魔石を、食べてみただと。それじゃあまさか
「魔人……」
「その通りさ、魔法すらまともに使えない貧弱な人間だった私は、気付けば毒をものともしない体になっていた。さらに体内で毒を生成し、放出することも……ね」
そう言って男は、木の隅に生える物騒な色のキノコを一気に3つ抜き取り、獣のようにかぶりつき、飲み込む。その常軌を逸した行動と言動は、明らかに異常者どころではない。人外だ。
そしてそんな悍ましい姿に声も出せずうろたえていると、突如として声が聞こえる。
「見つけた──!」
「あ……」
目線の奥から走ってこちらに向かってくるのは、全身ボロ雑巾のように傷ついたアモネだ。彼女は鷲の如く高速で向かってきて、麗翔の眼前で止まると、真っ直ぐで美しい刀身を男に向け、言った。
「お前が、街を襲撃した賊の一人だな?」
「兵士か……愚か者め、そこまで君から地獄を見たいというのなら望みに応えてあげよう」
すると男の全身は紫色の模様で染まり、爪だけでなく歯も騎馬のように変形する。それを見たアモネは目を見開き驚いたような表情を浮かべた。
「魔人……!?」
「さあ、君も早く、恐怖の表情を見せてくれよ」
だが、戦いが本業の『兵士』であるアモネすら戦慄している。そこで麗翔は魔人というのが、兵士ですらも恐れ戦く危険な存在だという事を察した。
「レイト君、立てそう?」
「毒が、ちょっと……」
「わかった木の陰にいて。私がこいつを片付ける!」
そういうとアモネは、剣先を男に向けて跳躍する。それを見た敵の男は、最初に死んだときのトラウマを思い出させるような、人間とは思えない大爪を振り回す。
凶器と凶器が交錯して火花が散り、そこから二人はお互いの武器のかわし合い、弾き合うが、軽くて手数の多い敵の爪の方が優勢に見える。
「おや、こんなものかいぃ……!?」
これは不利か?と、麗翔が察するその瞬間。
「こっちのセリフ、よッ!」
アモネはそう言って男に掌を向けると、男の足元に広がる土が食すように男を包み込み、圧縮する。
その隙に彼女は自身の足元に手を当てて黄土色の魔法陣を展開、その直後に地面から次々と岩石を噴き出る。
「潰れろ……!!」
そして宙に浮かぶ無数の岩は、アモネのその言葉と同時に。次々と土に包まれた男に向かっていき直撃する──その手前で。
「シャグマ……本当に正面戦闘では役に立たない男だな」
その言葉と同時に岩石を氷の壁で防ぎ、粉砕しながら現れたのは赤髪に長髪の男。前日遭遇した時に麗翔を殺しかけた危険人物──アギロだった。
「ウソ……」
「こういうのは脳筋で荒くれ者のアギロ君とラウロス君に頼みたいんだが……何せ君ら、もう一人いた兵士と戦い、その上2対1にもかかわらず苦戦していたからね」
会話からしてその名をシャグマとする男が放った言葉に、それを聞いたアモネと麗翔は驚愕する。
「もう一人の兵士……?」
あの場にいた兵士はアモネとエリクのみ。そして一仕事終えたような様子のアギロは、ラウロスと共にその兵士を相手にして、今この場にいる。ということはまさか──
「エリクさんは……」
麗翔はこの状況からならすぐに察せるであろうことを、信じたくないがために声に出して誰かが否定してくれないかと声を出す。しかし当然、帰ってきた言葉は──
「もう死んだよ」
アギロがその言葉を言い放つと、アモネは絶望したような表情を露にする。口を開き、唖然としていたのだ。
しかしその直後に彼女は怒号を上げながら剣を持ち、鬼の形相でアギロ向かって突進していった。
「あぁそう、その顔が見たかった」
しかしシャグマのその言葉が麗翔の耳に届いた時、麗翔の視界に映っていた光景は、酷く無残で。
「あ……」
アモネが怒りのままに飛びかかったことで生じた油断、その隙を逃さずアギロは氷の槍を造形して放ち、突き刺したのだ。
「心が、張り裂けそうだぁ……!」
半笑いで訳の分からないことを言っているシャグマ。そして脚から血を吹き出しながら力が抜けたように体勢を崩したアモネへ向かってシャグマは爪を振り下ろし、その場にはアモネの鮮血が飛び散っていく。
そこで彼女の突撃する速度は完全に殺された。そのまま驚いたような顔でがくりと膝をついたところで、再びシャグマが爪を振り回す。
何度も、何度も、何度も。アモネが悲鳴も出せず苦しむ顔を見て、快さでも感じているような笑みを浮かべ──
やがて、もう何度聞こえたかもわからない、肉を引き裂く音とアモネの苦痛の声が聞こえなくなった時。彼女はそのまま血を撒き散らして地に伏せたきり、ぴくりとも動かなくなっていた。
そんな唐突すぎる惨劇を前に、麗翔はただ、毒の痛み以上の衝撃に唖然とするしかなかった。
「じゃあ、そろそろ毒が回ってきて体も動かなくなってそうな君、もう死なせてあげよう。そして、死なせてから、私が君の──」
「面倒だし早く殺してくれないか?」
「ふふ……わかっているさ、急かすなよ粗忽者め」
そして、シャグマはゆっくりと歩き、近付いてきた。刻々と近づく死への恐怖で身は震え、心臓の鼓動が痛いくらいに伝わってくる。それどころか心臓が鼓動を上げる度に、毒のせいなのか、身動きも取れない全身が焼けるように痛む。
「やめ……」
麗翔はただひたすら、痛みに喘ぎながら死を避けようとする。
「今楽になるからねぇ……」
シャグマは麗翔の体を仰向けにした後、鋭く、アモネの血で紅く染まった爪を麗翔の首に当てる。
「や……いやだ、誰か、助け、やめて、ください……」
敵を前に必死に声を裏返して生き延びようとする自分のビビりに心底失望しながらも、震える声はいつの間にか恐怖のあまり出せなくなり、目の前にある自分に向けられた鋭い凶器だけが瞳に映る。
喉に刃物が刺されば人が死ぬなんて、子供でも知っている。
自分は今、それをしようとされているのだ。
もはや自分の死後、自分がこの男に食われるなど、そんなことすらどうでもよくなってくる。ただただ首に凶器が刺さるのが恐くて恐くてたまらない。
「戦わずして命乞いとは……怠け者め、さらばだ」
麗翔の心の叫びを無慈悲に無視して、そう言いながらシャグマは指先から伸びる凶器を振り上げる。シャグマの視線の先は自分の首。
抵抗しようにも体は動かない。最後にできることは、大声で叫ぶことのみだった。しかし、
「やめ──」
麗翔がそれを言い切ることはなかった。
凶器はすぐに麗翔の首へ辿り着く。そして麗翔は太い刃物が首の皮を突き抜け、首の肉をぶち破る感触を味わった。
さらに喉を通る器官からは、空気やら鮮血やらが猛烈に吹き出す。
意識は消し飛ぶまで一瞬、しかしその一瞬があまりにも長すぎる。そして頭部と胴体を繋ぎとめる首に刃物がぶっ刺さり、何もかもが辛く、その全てが苦痛に溢れるのを痛感した。
最後に見えた景色は魔人が見せる狂気の笑みだった。それを最後に麗翔は光を失い、苦痛だけが残る。何もかもが遠ざかっていき、その意識までも消えゆく中で──
永遠のようにも感じる刹那の苦しみを最後に。
伊吹麗翔の命は、無残に散った。




