明日(あした)の路(みち)
「オオッ」
一陣の風に背中のフードが遊ばれたあと、アスファルトを引きずりながら、低く何か追いかけて来る。
夜道に得体の知れない者だから、思わず体をよじって振り向いた。
――大きな落ち葉だ――
足元を、素早く斜めに追い越して行き、車道を渡った縁石で、這い上がれずに掴まっている。
ザワザワと風に震え、生き物のようで、今にもこちらへ返して来るかと気味が悪い。
私は、ひるむ心を悟られぬよう、威嚇の眼差しを放さず、胸を張り大股の早歩きで通り過ぎる。あとはえーと、顎を引き肘はたたんで強く振るのだ。
こちらは週3日、夜更けに始めたウォーキングの心得。
吹き荒ぶ木枯らし、それに大きな落ち葉も、この地へ晩秋の覚悟を告げに来たようだ。「特大のカエデかな?」ドングリの葉が束になった人騒がせかも知れない。
おかげでなんだかおじけづき、空き地に揺れる枯れ草や、垣根に空いたのぞき穴も、いちいち横目で疑いながら進む。
にわかに風が騒いで口笛を鳴らすと、電線をゆらして屋根を渡った。いたるところがざわめいて、思わず息を呑みこんだ。車庫の陰やら玄関先、塀の奥の入隅だとか。
――近所の枝の落ち葉たちだ――
取り取りに地べたを滑ると渦に巻かれ、どんどん中を舞い上がる。なんだか楽しそうだがそれはそれとして、やはり気の散る困り者だ。
そこの、忍び込まれた家の人だって、どこの庭から飛んできたかは、きっと目星がつくだろう。
しかし、防ぎようは無いし、幼い子のするイタズラみたいなものだもの。明日の朝、かき集めるのがわずらわしくても、きっと文句は言えないのだ。
大きさは皆、猫やカラスの足跡ほど。どこを見渡したって、どうやら他には見当たらない。さっきの、道で出くわしたアイツのことだ。
だいたい、あんなお化けは迷惑だろう。掃除もそうだし、この路地を装う風情が台無しになる。だからさっきは、偶然のはち合わせ。通りすがりの風来坊に違いない。
あっ――プラタナス――神楽岡から?
思いがけず閃いた。あそこの数え切れないうちの一枚が、風に乗り、きっとここまでたどり着いたに違いない。
木枯らしが騒ぐ暗い道を、負けないように腕を振り、忠別川の向こう、いつか丘の上の並木路を思い出してみた。
車のハンドルを握り、環状線が交わる十字路を西へ。フロントグラスいっぱいに別世界は広がる。
1キロ以上も真っ直ぐ続く通りは、はるかかなたで少し左に折れたあと、店並みを寂しくしながら公園の森へと消える。その両側に、延々と太くたくましいプラタナスの幹たちが立ち並ぶのだ。
絵画を眺めているような、対称と遠近をバランスしたみごとなコンポジション。不思議といつも、近づくまではそうでもなくて、絶景が目の前に現れて不意に思い知らされる。何かしら心を打たれたり、ノスタルジーを呼び覚ましたり。
ある日、焼けた陽射しに逃げ込めば、無限に重なる大葉で築く、輝きと静寂の回廊を潜らせたし、また別のある日には、鉛色の空と降りしきる雪の中、堂々たる牡鹿の角の連なりに、どこまでも見張られている気がした。
すでに過ぎた夏の記憶と、やがて巡る真冬の情景。
「それなら秋はどうだった?」
このごろの、落ち葉のころの印象だけれど。
実はあの並木路を、延々と職場へ通った年月がある。思えば、毎年この時期に書入れ時を迎え、仕事が山と押し寄せた。
目の回る毎日は、新年を迎える頃にやっと一段落したけれど、そのあいだ、自分と家族をずいぶん疎かにさせたのだ。
だからあの日、プラタナスの葉が木枯らしに舞って、その下を、上の空で走り抜ける自分がいただろう。そうやって、時めく時代を切り抜けてきたのだ。
今夜の風で、あの路や店の入り口も落ち葉は埋め尽くすだろうか。たいへんな数だもの、くるぶしが隠せるぐらいは積もるのかも知れない。
空からどんどん降り止まぬ、大きな葉っぱを思い描いた。ひらりひらりと頭上を舞って、ついと目掛けたように降りかかる。
予想のつかない行方。気にせぬ振りをして行けば、どれかはひるがえして、みるみるこちらへ向かって来るのだ。「ヒュン」と視界を横切る影に、大の男が首をすくめたくなるかも。
ギザギザしていてツバメよりはコウモリ。サクラやイチョウに比べれば、どうしても殺伐としたイメージ。
当たって痛いはずが無いけれど、あの大きさだもの。今夜みたいな〈ちょっかい〉を出されたら。
一度か二度ならしょうがない。気には留めずにそのまま行こうか。
しつこいようならその代わり、足元の積み重なった幾らでも、そ知らぬふりで蹴散らしてやれ。
やってやられて行くうちに、どんどん景色の中へ溶け込んで、弾んでくるのは、きっと息だけでは無いのだろう。これが落ち葉のころの並木。誰もがわくわくと憧れる路だ。
「ガサガサ」かき分けてどこまでも歩きたい。それなのに、そっとたたずみ埋もれてもみたい。真っ青な秋晴れの、どうせなら太陽のもとが良い。邪魔な大人の自意識は、落ち葉を集めて埋めてやれ。
なんだか楽しかった。今日を終えようとする家並みを縫って、いつの間にかゴールは近づいていた。
いつもはくたびれる両足なのに、まだまだ拍車がかかる。そして今、思いついたことがあった。
実は、心配で駆けつけてくれたのかも知れないと。あのころの、今ごろみたいでいないかどうか――
脳みそに酸素が少し不足している? それとも、忘れることにしておいた「青年の朗らかな血」が、今さら騒ぎ出したせいかも知れない。
そうだ、それはともかく――明日の朝、久しぶりに行って確かめてみようか。そういう事に時間を使う、後ろめたさは気にしないで。
(終わり)