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七 間隙

 客たちが去り、後片付けの進む公演会場へ茂が戻ってきたとき、葛城も高原と別れて能舞台前に引き返してきたところだった。

「葛城さん、蒼勝さんと高原さんは・・・」

「はい、病院へ向かいました。茂さんから佐藤さんを預かって病院に送り届けたのが、うちの山添だということも、蒼勝氏とお家元に伝えてあります。お家元はこちらで関係者との挨拶があるので病院には行っておられませんが。」

「旅館のかたにも聞いてみましたが、警察は呼ばないそうです。」

「被害者と主催者両方の意向なら、仕方がありませんね。・・・晶生は蒼勝氏に、この後ご自宅まで同行するつもりのようです。うまく話をつけてました。」

「山添さんも、もしも入院にならなければ佐藤さんを家まで送り届けるとおっしゃっていました。」

 葛城は、安堵したように微笑んだ。

 そして、茂がもの言いたげに自分を見つめているのに気がつき、茂の疑問を葛城が口にした。

「佐藤氏の真実を、蒼勝氏に伝えるのかどうか、ですね?茂さん。」

「はい。」

「晶生は、少し待ったほうがいいと思うと言っていました。波多野部長のご指示を待ちます。一通り電話で報告はしてあります。」

「また蒼勝氏の命を狙う恐れはないでしょうか・・・・。」

「ないでしょう。これは、晶生と私の、勘ではありますけれどね。」

 客席の椅子は運び去られ、舞台を照らしていた明りも落とされていく。葛城が懐中電灯を灯す。

「さて、予定通りなら、この後お家元のお部屋で、お家元と英一さんと茂さんと私の四人で遅い食事会ということにはなりますが・・・」

「予定通り、我々も今夜はここに宿泊しますか?」

「できれば遅くなっても戻りたいところですが・・・お酒を勧められてしまいそうですね。」

 これまで、三村蒼氏はあの前回の三村家の警護以来、大森パトロール社の警護員の慰労会をしたいと何度も申し入れてきていたが、波多野も葛城もずっと固辞してきた。今回、ようやくそれが実現する機会が訪れたことになる。二人が泊まる部屋も用意したので時間を気にせず飲食してほしいと、事前に波多野経由で念を押されており、今回ばかりは逃れられそうにないと波多野から茂と葛城は言われていた。

「まだ少し時間がありますね。車で仮眠しましょうか。お家元が関係者回りを終えられたらご連絡をくださり、ロビーでお家元と英一さんとで、我々をお迎えくださるんだそうです。」

 心底眠そうな茂に向かって、それよりさらに眠そうにしながら葛城が言った。


 

 能舞台からさほど遠く離れていない、森に囲まれた道路上の車の中で、吉田は板見との電話を終えた和泉から、今日何度目かの、そして最後の、報告を聞いていた。

 そして、吉田は携帯電話から、高層ビルの書斎のような一室で待つ自分の上司へ、手身近に最終報告をした。

 報告を終えた後も、吉田はしばらく電話を切らない。相手がなにか言っているのを聞いていた吉田の、顔がさっと青ざめたことに、運転席の和泉は驚いた。

 社長室で、阪元は、窓の外のかすかな星空を見ながら電話の向こうの有能な部下に向かって、いつになく踏み込んだ質問をしていた。

「恭子さん、もう一度聞くけど、狂言襲撃犯は、大森パトロールさんのところの警護員さんと近くで対峙したんだよね?」

「はい。」

「顔も、見た。」

「はい。」

「そうだね・・・普通なら酒井の脅し文句は、そいつを直ちに地の果てまで追い払うに十分だとは思うけど。でも、自暴自棄になった卑怯者の行動は、君たちの想像以上に無謀かつ下品なものだよ。」

「つまり・・・」

「そう、もうわかったよね?」

「自分たちの邪魔をした敵へ、どんなことをしても、一矢報いようとする・・・・」

「そうだよ。そしてそういうとき、誰を狙う?」

「一番、弱い相手ですね。」

 電話を切り、そのまますぐに吉田は、別のところへ電話をかけた。



 旅館の自室で着替えようとしていた英一は、扉を叩く音に「どなたですか」と声をかけた。聞き覚えのある声が、しかし慌てた様子で、名乗った。

 着替えをやめ、英一が扉を開けると、私服姿の三村蒼風樹・・・美樹が、やや息を上げて、立っていた。

「どうしたんだ?そんなに慌てて。」

「吉田さんから、電話があったの。」

「え?」

「とにかく中へ入れて。」

 二人は畳の部屋に入り、扉を閉めた。

「吉田さんって、もしかして」

「阪元探偵社の人よ。私が前に、依頼した人よ。」

「どうして美樹のところに。」

「誰か大森パトロールの人に伝えてほしいって。英一、あなた、誰か連絡つく?」

「落ちついて話してくれ。用件は何だったんだ?」

 蒼風樹は息を整え、やっと言った。

「今日、佐藤さんを襲った犯人が、河合警護員を狙っているから、河合警護員がひとりにならないようにしなさい、って。」

「・・・・・!」

 英一は少し考え、やがて再び冷静な顔になり、蒼風樹を見た。

「事態は分かった。俺に任せてほしい。」

「・・・お願いね。」

 蒼風樹が部屋を出ていった。



 旅館の最上階の一室の入口の扉を開けて、広い客間に英一が足を踏み入れたとき、部屋には誰もいないように見えた。

 しかし英一は、部屋の奥の、バルコニーのようになっている屋外へ出られるガラス戸へ向かって、声をかけた。

「河合は、来ないよ。」

 物音はしない。

「悪いが、そこにいることは、わかっている。」

 数秒間の沈黙の後ガラス戸が開き、外のバルコニーから、灰色の帽子をかぶった男が部屋に入ってきた。

 英一は長身をまっすぐに伸ばして立ち、その整った顔で侵入者へ厳しい視線を向けた。

「今日の河合と葛城の行動予定は、佐藤から、全部聞いていたんだろうな。そして、ここに最初に来るのが、河合だということも、知っていた。」

「・・・・・」

「メイン警護員の葛城は部屋の主と落ち合い共にこちらへ向かう。サブ警護員の河合は先に部屋に到着し念のため安全を確認する。警護業務が終了したとはいえ、それは自然な行動だ。」

 帽子の男の手に、光る刃物が握られている。

 英一が一歩、間合いを詰めると同時に、男は短刀を構え、床を蹴り英一へ向かって突進してきた。

 全力で英一にぶつかった男の両手に握られた刃物が、英一の胸の中央を狙った。その刃先は英一が逆手に持った扇子に払われ、胸ではなく腕を貫いた。

 男は短刀を英一の左腕から抜き二度目の攻撃をしようとしたが、返り血を浴びながらその動きは止まった。

 英一が逆手のまま突いた扇子の先端が、男の喉元に食い込んでいた。そのまま、崩れるように男は床へ倒れた。

 裂けた着物の袖を濡らして血が床へ落ちることも気にならないかのように、英一は落ち着いた様子のまま、携帯電話で警察へ通報した。が、電話が終わるか終らないかのうちに、背後から不意の声がした。

「三村!」

 振り返った英一は、この部屋に来てから初めて、驚いた表情になった。

 部屋の入口に、茂が立っていた。

 茂は一瞬立ちすくむように英一を見ていたが、すぐに部屋に駆け込み、倒れた男の両手両足を拘束した。次に、英一の腕の傷の止血をする。

「河合お前、どうしてここにいる」

「葛城さんには、せっかくだから俺はこの旅館に泊まってみたいと言って、葛城さんだけ帰ってもらった。」

 傷をぎゅっと縛り、茂は英一の顔を睨みつけた。

「なんで・・・こんなことをした?」

「・・・・」

「蒼氏からのものと偽ったメモを、旅館の人間から葛城さんに届けさせたのは、お前だろう、三村。今日の食事会は中止、って。葛城さんと俺を、帰すために。そして、蒼氏も、葛城さんからと偽って、どこか別のところへ誘導したんだろう。」

 英一は、自分より背の低い茂の顔を見下ろしながら、しばらく黙っていたが、やがて少し感心したように言った。

「河合、よくお前、俺の行動がわかったな。」

「わかるよ。」

「葛城さんも、そして親父さえも、想像がつかなかったのに?」

「最初の警護では、一週間はりついて警護したし。なにより、昼間の会社で入社同期で、今は見たくもない顔を毎日目の前で見てるし。お前のひねくれた行動パターンはよく理解してるよ。」

「ふん」

「お前が剣道の有段者だってことは知ってる。けど、素人だ。どれだけ危ないことをしたか、わかってるのか?」

 英一は答えない。

「なんでこんなことをした?」

 さらに茂に畳みかけられ、英一は嫌そうな顔で茂を見返しながら口を開く。

「・・・・理解してると言ったよな、今」

「理由がわかるという意味じゃない」

「お前が、大森パトロールさんにとって、大事な人間だからだ。」

「・・・・・・」

 今度は、茂が言葉につまった。

 茂の脳裏に、波多野の言葉が蘇っていた。

・・・・「三村英一さんは、お前の尊敬する先輩警護員の高原や葛城を、助けてくれた人だ。二人は三村さんからの口止めを律儀に守っているようだが、俺はそういうのは気にしないから教えてやるよ。」・・・

 二度目の警護で高原が死にかかったとき、英一が葛城を説得し、茂が高原を助ける道を開いてくれたこと。三度目の警護で高原が”敵”の迫力に圧倒されていたとき、英一が高原に蒼風樹の意を伝え、茂を取り戻す決意をさせてくれたこと。

 それまで、茂がまったく知らなかった事柄についての、波多野の言葉が。

 茂は、英一の襟元をつかんだ。

「お前・・・なんでだよ」

「?」

「・・・・・俺や高原さん葛城さんたちに一方的に助力をするのに、なぜお前自身は俺や他人に甘えない?」

「・・・・」

「なぜ求めない?なぜ怒らない?」

「・・・・」

「なぜ泣かない?蒼風樹さんにも本当のことを言ったことはあるのか?」

 英一は茂に襟元をつかまれたまま、じっと茂のほうを見ていた。

 がくっと英一の両膝が折れ、その体がくずおれた。

「・・・・三村!」

 英一の上体を抱きかかえるように支え、茂も床に両膝をつく。

 両目を閉じ、顎を上げて英一はぐったりと茂の両腕に体を預けている。

「おい、三村!・・・三村!」

 茂が英一の呼吸を確かめようとしたとき、英一の端正な両目がぱっと開き、茂のほうを見て、片目をつぶった。

 その端正な唇の片側だけで笑い、英一が言った。

「・・・冗談だ。」

「・・・・!」

「大分、心配したか?」

「そ・・・・そりゃそうだろう!」

「なら、もう、あまり答えにくい質問をするな。」

「・・・・こ、このやろう・・・・!」

 茂は涙が出そうになるのをごまかすように英一の首を絞めるしぐさをした。英一は皮肉な笑いを絶やさずその手を振り払う。

「けが人を殺すなよ、警護員さん。」

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