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六 公演

 土曜日の午後、茂と葛城が警護現場へ到着したとき、駐車場にはもう山添のオートバイが停められていた。

「晶生も崇も予定より早く到着したみたいですね。」

 オートバイにはヘルメットがふたつ、ハンドルから無造作にぶら下がっていた。

 二人は、予定通り、旅館の最上階の客室へ向かう。入口から声をかけると、廊下に面した引き戸が開き、三村蒼が出迎えた。

「やあ、葛城さん、河合さん。本日は大変お世話になります。ささ、どうぞお入りください。」

「公演前のお忙しいときに、恐れ入ります。」

 茂と葛城が広い客間に入ると、続きの間になっている奥の部屋で、三村蒼勝と佐藤裕太が茶菓子を前に談笑しているのが見えた。

 部屋の主である三村蒼氏に導かれて二人も同じテーブルを前に座る。

 蒼勝が笑顔で二人に挨拶し、佐藤は遠慮がちに「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。

 三村蒼氏が手ずから二人の警護員に茶を淹れてすすめた。

 湯呑を手に取りながら、茂は隣の葛城の横顔に目をやった。葛城はいつも通りの、穏やかな表情で、その優美な切れ長の目に嫋やかな微笑を含ませてさえいた。

「公演は夕方六時半、リハーサルはこの後まもなく開始ですね。ご予定に変更はありませんね?」

「はい。全て予定どおりです。天気も心配なさそうでほっとしています。」

「そうですね。」

 あまり見てはいけないと思いつつ、茂は目の前の、三村蒼勝と佐藤裕太を、何度も見てしまう。本当に仲が良さそうだ。何らの問題があるようにも見えない。

 警護開始は公演開始と同時のため、リハーサル中は下見ということになる。公演中の警護員の動きを最終確認し、茂と葛城は三村蒼氏の客室を後にした。

 会場はすでにすっかり公演の準備が整っていた。

 方形の能舞台を取り囲むように椅子席が設けられ、さらにその後ろは立見席になっている。リハーサルの対応に立ち働く三村流のスタッフたちには茂たちのことは伝えられているため、茂と葛城が舞台周辺にいることが不審がられることはないが、極力目立たぬよう、隅のほうの客席に茂は座り、手元の小型端末で公演予定を再確認した。三時間の公演で、出演者は前半が佐藤を含む三名の名取、後半が蒼勝、蒼英、蒼風樹そして最後が蒼淳である。

 葛城は葛城の担当部分である、橋掛かりの裏から鏡の間、そして客席までの動線を再確認しながら、不審物等の最終確認を何度もやっている。いつも以上に、少し過剰なほどの丁寧さだと茂は感じた。

 リハーサルが始まり、ようやく葛城は客席の茂の隣にやってきて椅子に座った。

「茂さんは特に意識する必要はありませんが、晶生と崇の位置取りに、少し変更があります。」

「はい。」

「波多野さんの指示で、崇はあくまで警護員ではなく予備要員ですが、インカムを装着して、そして客席ではなく別館最上階のバルコニーから監視してくれることになっています。」

「全体を見てくださるんですね。」

「会場は非常に暗いですから、見える精度は限定的ですが、ないよりはマシですね。それから晶生は、蒼勝氏の警護をすることになりました。」

「えっ・・・」

「依頼があったわけではありませんから、自主的な・・・謂わばこちらの勝手な行動です。いずれにせよ、茂さんと私は佐藤氏に集中することに変わりはありません。」

「はい。」

「後はすべて打ち合わせ通りですし、警護内容はシンプルですが、茂さん、くれぐれも気をつけてください。」

「・・・・はい。」

「もう少ししたら、早めの夕食に行きましょう。お家元が、旅館に頼んでくださっているそうです。」

 早くも、空は夕日の気配が近づいていた。

 遠くの空を、鳥が数羽飛び去るのが見えた。

 食事を終え、茂が葛城と別れて客席脇の定位置へついたとき、既に日はほぼ暮れていた。会場にはどこからこれほどの人数が、と思えるような多くの観客が集まっている。もちろん、茂が前回の三村家の警護であまりにも見すぎてあきあきしている、数十人規模の女性客の集団も、英一を目当てに客席の一角を占めている。

 葛城はこの後、佐藤につかず離れずの警護となるため、別行動だ。

 高原はどこにいるのだろう。気にしなくてよいと言われたものの、茂はつい舞台脇周辺を捜してしまう。かがり火がたかれており、また照明もあるが、予想通り舞台以外は非常に暗く、みつけられそうにない。

 開始のアナウンスがあり、公演が始まった。

 佐藤はトップバッターだった。三村の姓と芸名がプログラムに書かれている。袴をつけて舞うその姿は、一端の舞踏家だ。

 出番を終えると、すぐに佐藤は客席のほうへ降りてきて、橋掛かりに近い隅の席へ座った。葛城が少し間を開けて、ついている。そこへ蒼勝がやってきて、立ち上がった佐藤とひとしきり立ち話をしている。舞の出来栄えについてさっそく師匠からコメントをもらっているといった様子だ。暗くて二人の表情はよく分からないが、しきりに佐藤がお辞儀をし、そして蒼勝は佐藤の肩を叩いて笑っているようだ。

 前半の舞が終わり、休憩時間になると、さらに観客の人数が増してきた。立見席にもほぼ全列に人が並んだ。

 後半最初の、蒼勝の舞が始まる。予想以上に洗練された舞に、茂は意外な驚きを感じながら舞台を見てしまい、そして理性の力で橋掛かり近くの客席に座っている佐藤に意識を戻す。暗いが、その近くにいる葛城もなんとか見える。

 十五分間ほどの演目を終え、蒼勝が正座して一礼すると、かなりの拍手が起こった。橋掛かりから退場した彼がやがて客席へ現れ、佐藤のところにやってきて、佐藤は立ち上がって拍手するようなしぐさをしながら師匠を出迎えた。蒼勝の知人らしき人間たちが何人かやはり客席から立ち上がって近づき、祝福の言葉をかわるがわる述べているようだ。葛城は佐藤との距離を数歩縮めて、注意深く警護している。二人に近づく人間たちの顔と名前も、基本的に全て葛城の頭に入っている。

 やがて蒼勝を囲んでいた知人たちはまた一人二人と自分の席へと戻っていく。

 そのとき茂の目に、暗くてはっきりしないが灰色っぽい色の帽子をかぶった男が、静かに蒼勝と佐藤のいる集団へ向かっていくのが見えた。警護員としての茂の直感が彼を意識させただけではなく、実際に彼の手には光るものが握られていた。

 インカムへ茂が叫んだ。

「葛城さん!客席側から不審者接近あり、グレーの帽子の男です。」

 まだ十分な距離がある。茂は自らクライアントと不審者との間に先回りした。灰色の帽子の男と、はっきりと目が合った。

 そのとたんに、茂の視界がなにかに遮られた。それが長身の男性だと分かったときにはすでに再び視界が開けており、そして、その長身の男性と灰色の帽子の男が、こちらへ歩いてくるのが見えた。

 暗闇の中でも、灰色の帽子の男の両腕が後ろに回されており、背後にいる長身の男性がその両腕をとらえているらしいことが、茂にもわかった。

 その長身の男性を、茂はよく知っていた。最初の警護のとき英一を監禁し、京都では新幹線の中で葛城を挑発し・・・そしてマンションで手紙に火をつけた、あの男だ。

 客席から、今までとは違う、ひときわ大きな拍手が起こった。三村蒼英、つまり英一が、舞台に登場したのだ。

 舞台には燭台ひとつ。伴奏は三味線と笛。英一の手には扇子一本。

 曲が始まると、地上の客席の、全ての人間が、能舞台だけを見ていた。客たちの誰もが、それ以外のものが存在することを、忘れてしまったようだった。

 舞台を見ていないのは、二種類の人間たちのみ。警護員達と、そして、殺人者達だった。

「こんばんは、佐藤さん。いえ、升川さん、ですな。」

 ゆるゆるとした関西弁で、低いが確実に届く声で酒井は言った。そして、灰色の帽子の男を背後から片手で楽々と拘束しながら、ゆっくりと、さらに近づいてくる。その視線は、茂を飛び越えて、茂の斜め後ろにいる佐藤と葛城とを見ていた。

 茂の目に、酒井のもう一方の手が、灰色の帽子の男の首に、銀色の細いものをぴったりと突き当てているのが見えた。 

 佐藤は、大きく目を開いて、酒井と帽子の男とを見ている。

「私から、離れないでください。」

 葛城は片手を、佐藤をかばうように斜めに伸ばし、佐藤を一歩下がらせる。

「升川さん、計画は残念ながら失敗のようですな。ごらんなさい。あなたのターゲットは、大森さんとこの有能なボディガードさんが、とっくにどこかへ連れていってしまいましたよ。」

 佐藤がぎょっとして振り返る。茂も思わず振り向き、佐藤と同じくらい目をみはった。今の今まで佐藤の隣にいた蒼勝は、一瞬のうちに、どこかへ消えていた。

 舞台からは、悲しげな調べが波のように客席へと広がっている。


”鹿を逐ふ漁師は

山を見ずといふ事あり

身の苦しさも悲しさも

忘れ草の追鳥


 さらに佐藤そして葛城との間合いを詰めながら、酒井が言葉を続ける。

「あなたずいぶん、なめてかかりましたね、大森さんとこの会社を。なんぼこの人達が、来るものは拒まずやからって、限度というもんがありまっせ。」

 数メートルの距離を残して、酒井は足を止めた。

 そして、ななめ横から見ている茂でも全身の血が凍りそうな、無慈悲な笑いを浮かべた。

「ターゲットは、あなたなんですよ。本当の、意味でね。」

 脱兎のごとく、佐藤がその場を離れ、客席へと駆け込んだ。暗い客席の人ごみの中に、その姿はあっという間に紛れた。

 酒井が楽しそうに、低くしかし遠慮もなしに笑った。

「無事に、死ににいかはりましたな。ご苦労なことです。・・・さて、」

 隣の、灰色の帽子の男に向かって酒井が言った。

「あんたが狂言で襲うふりをするはずやった、あんたの雇い主は、あと十五分で、この世からいなくなる。もうここにいる意味はないやろ。立ち去れ。もう一度この会場で俺があんたを見たら、そのときは、雇い主の後を追うことになる。」

 酒井が手を離すと、帽子の男は後方の会場出口へ向かって走り去った。


”品変りたる殺生のなかに

無慚やなこの鳥の


 警護員の元を離れたクライアントを、葛城は制止できずその去ったほうにただ目をやっているように見えた。

「葛城さん、申し訳ありませんが、俺は貴方の力のほどは、だいたい分かっているつもりです。」

 葛城が、ゆっくりと、酒井のほうを見る。

「今逃げてった貴方のクライアントが、駆け出すのを止めるのに、一歩出遅れた・・・。それは、貴方の能力から考えたら、ありえないことです。」

「・・・・・」

「貴方は、止める気がなかった。」

「・・・・」

「認めましょうよ、葛城さん。そしてそれは、正しい対応です。」


”親は空にて血の涙を

親は空にて血の涙を

降らせば濡れじと菅蓑や


 客席に紛れ、立ち見をする客たちに紛れた佐藤が、舞台のほうを見て息を整えたとき、その背後から足音もなく近づく人影があった。

 その姿は、女性だ。

 地味なパンツスーツを着て、広めの縁のある帽子をかぶっている。 

 その両手がふっと前方に上がった、それだけに見えたしぐさが、確実にふたつの縛めを前方の男に与えていた。

 右手は佐藤の額に斜めに回された細い革紐を後ろから締め付けた。革紐についている眼帯のようなものが、佐藤の右目に覆いかぶさっている。

 そして左手は、佐藤の首に回された紐を、やはり後ろから固定していた。

「ぐ・・・・」

「お静かに、佐藤さん・・・いえ、升川さん。声を出されると、右目がつぶれます。」

「・・・・!」

 佐藤の背後の、女性の姿をした、大きな目をしたごく若い青年が、さらに顔を佐藤に近づけて、言った。

「こんなにたくさんの人がいる中で、誰にも助けてもらえないご気分は、いかがですか?」

 舞台へ向かう客席の観客たちの集中力はさらに高まっていた。



 目を大きく見開き、親の仇を見るような目で自分を見る葛城に、酒井は落ち着き払ったまま言葉を投げ続ける。

「客船上で、朝比奈警護員のクライアント・・・升川を、襲撃したのは、升川が雇った人間でした。今日と、おんなじですな。そしてその一番近くには、升川が親しくしている、仲良くしている、人間がいました。これも、今日と、おんなじですな。」

「・・・・・」

「豪華な、船上レストランでのパーティーだったそうですね。ちょっと外の空気を吸いたいとか言って・・・升川は、真のターゲットとともに、デッキへ出た。寒かったでしょうにな。」

「・・・・」

「ガラスの壁一枚隔てて、レストランの中には大勢の人間。衆人環視。これも今日と・・・・」

「それが、どうしました?」

 酒井は容赦なく一層の笑みを浮かべた。

「劇場指定型殺人。高度な技術です。ただし、過去の成功は、奴を致命的に自信過剰にした。今回、我々、楽勝ですな。」

「・・・・・・」

「大森さんと、我々の、勝ちです。奴は、自分の実力におぼれて、自滅した。それだけのことです。そしてそれは、当然すぎるほど当然の、天罰です。」


”隠れ笠隠れ蓑にもあらざれば

なほ降りかかる血の涙に

目も紅に染めわたるは

紅葉の橋の鵲か  

 

 板見は、佐藤の後方から、息がかかるほど顔を近づけ、ささやくように話し続ける。

「前回と同じパターンで、やれると思われたんですね?自分への襲撃の演出。そして、ボディガードが有能であればあるほど、舞台装置は完璧になるということですよね。」

「・・・・・っ!」

 声を出そうとするのを制するように、佐藤の右目を圧迫して革紐が締まる。

「ボディガードは、襲撃者を排除することに集中する。目撃者の目線と注意もそちらに集中する。」

「・・・・・」

「そして貴方には、一番近くにいる一番親しい人を、皆が見ているのに誰も見ていない中で、殺す機会を、得る。」

「・・・・・」

「貴方が今回も、しようとしていたこと。同じことを、貴方に、してあげますよ。文字通り最高の舞台と一緒に。」

 


「船上レストランから、ガラス一枚隔てた、船のデッキで。升川が雇った偽の襲撃犯は、優秀だったらしいですね。朝比奈警護員の実力を持ってしても、取り押さえるのに多少の時間を要した。そして升川は、一番近くにいた、”親友”のもとに保護を求めてパニック状態を装って身をよせた。」

「・・・もういいです。」

「そして見えないように後頭部でも殴って、デッキから突き落したんでしょう。」

「・・・・・」

「そしておそらく・・・」

 葛城の目に憔悴の色が混じった。

「おそらく、朝比奈警護員は、クライアントの・・・升川の動きに、気がついたんでしょう。そうでなければ、その人ともろとも転落するタイミングで、助けに行けたはずがありません。」

「ええ、そうでしょう・・・・」

「升川は、自分が突き落した”親友”と、それを助けようとして一緒に海に落ちた自分のボディガードとを、助けてくれと言って、その後ずっとデッキで叫び続けたそうですね。」

「そうです。」

 酒井の顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。

「水温はほぼ零度。冬の海に、動いている船から転落したら、どうなるか。助け上げられるまでの間、生きてろと言うほうが、無理ですな。」


”冥途にしては化鳥となり

罪人を追つ立て鉄の

嘴を鳴らし羽をたたき


 追い詰めるかのように、酒井が言った。

「この曲の終わりと同時に、我々は、奴を絞め殺します。ニワトリを締めるみたいに、ね。」

 葛城が、暗い客席のほうを、一瞥した。


”逃げんとすれど立ち得ぬは

羽抜け鳥の報ひか


 葛城が一歩出ようとするのを、酒井がさらに制する。

「あんた方が、合法なことに拘りはるのは、ある意味評価しますわ。大したもんです。けど、今度ばかりは、いかがなものかと思いますで。」

「・・・・」

「その人間は、あんた方の同僚の警護員を殺した・・・・いや、もっと言えば、警護員という存在そのものを、騙し、否定し、犯罪に利用した、最低最悪の人間ですよ・・・あんた方にとってね。。」

「・・・・」

「違いますか?」

 風が渡る。

 そして月の光は、幻のように能舞台の屋根に落ちている。

「違いません。」

 茂は、息をつめて、目の前の先輩警護員の横顔を凝視した。

 茂の記憶に、波多野の話してくれた、自分たちのいる会社の存在している、理由が、蘇っていた。

 ひとりの女性の死。それが隔てた、二人の、女性。人を守るために手を取り合った二人の女性を、隔てた、人の死という厳然たる事実。

 大森が、誓った、たったひとつのこと。


”うとうはかへつて鷹となり

われは雉とぞなりたりける


 朝比奈の無念。

 山添の悔しさ。

 まったく時をともにしていない茂にも、想像できる。


”遁れ交野の狩場の吹雪に

空も恐ろしい地を走る


 葛城が、天を仰ぎ、両目を閉じた。

 そして茂は、今までのどんな時より、葛城の思いが、直に感じ取れる気がした。


”犬鷹に責められてあら心

うとうやすかた


 ・・・・自分たちの、無力さは、いったい際限というものは、あるのか。

 茂は、葛城の目から涙がこぼれるのではないかと思った。


”安き隙なき身の苦しみを

助けて賜べや御僧


 酒井はふと、葛城から目線を外した。そのまま葛城のさらに後方に、目をやった。

「貴方も、そう思われませんか・・・・・メガネの警護員さん。」

 暗闇に、高原が立っている姿が、なんとか茂にも見えた。

 高原が、叫んだ。

「怜!」

 葛城が目を開け、そして高原のほうを見た。茂からは見えなかったが、その表情は、茂が想像したような柔なものではなかった。

 葛城は、再び客席のほうへ目をやり、インカムへ向かって言葉を発した。

 酒井は、黙ってその様子を見ていた。

 インカムから、葛城の声が聞こえた。

「崇。あれから、客席を離れた人間は、いないね?」

 インカムに山添の声で応答が来る。

「ああ、誰もいない。」

 インカム越しに、葛城から、茂へ指示が入った。

「茂さん・・・中央立見席後列から三列目、そしておそらく一番向こうから二人目あたりです。私が襲撃者を排除します。茂さんはクライアントの確保を。」

「はい!」

 舞台の音響は、曲の終盤が近づいたことを示していた。

 客席に入って行った二人の援護に出ようとした高原の前に、酒井が立ちふさがった。

「警護を担当しているのは、あのおふたりです。手出しは無用と、ちがいますかね?高原さん。」

 佐藤の前に葛城が立ったとき、板見は不思議と、まったく驚かなかった。

 葛城が、佐藤を拘束している阪元探偵社のエージェントを見下ろし、静かに言った。

「その人を、離してください、板見さん。」

 そのとき、佐藤の右横に立っていた男が、葛城につかみかかろうとした。

「よせ!」

 板見が男を止めるより早く、葛城が男へ目線を向け頭ひとつ身を沈めた。普通の目には、ただそれだけのことで、男が膝を折り地面にうずくまったように見えた。しかし板見の目にはかろうじて、葛城が身を沈めたと同時にその左手の突きが男の脇腹へ入った、わずかコンマ数秒の出来事が見えていた。

 かがり火の揺らめく光の中、客席が一瞬静まり返り、そして、割れるような拍手が沸き起こった。

 茂が佐藤を支え抱えるように客席から連れ出すのを見ながら、酒井は立ち去る前に、高原に向かって最後に、言った。

「おたくの会社、変人度は、筋金入りですな。さすがうちの社長が・・・めんどくさがってる会社さんだけのことは、あります。」

 


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