一 墓地
坂を上りきったところにある教会の前に、一台の白い乗用車が停まっていた。
明け方の光を受け、車体が輝き、そして車内まで光が差し込み中の人間たちを照らしている。
車にはふたりの人間が乗っている。運転席では、長髪の青年が、運転用のサングラスをかけ、窓際に肘をつき頬杖をついて外を見ている。身長一七〇センチくらいの細身の男性だが、その顔はサングラスをしていても、女性のような線の細い美しさであることがわかる。
助手席では、背もたれをほぼ水平に倒し、アイマスクをしてもう一人の青年が横たわっている。こちらは短髪で、運転席の青年よりさらに背が高く、足元が狭そうだ。両手を腹の上で組み、ほとんど身動きせず、眠っているというより死んでいるような風情である。しかしよく耳を澄ますと静かな寝息をたてている。
携帯電話のコール音が鳴り、運転席の長髪の青年が腰のホルダーから携帯電話を取り出し、電話に出た。
「はい、葛城です。・・・・崇、だいぶ時間過ぎてるぞ。・・・ああ、晶生も一緒だよ。」
葛城は助手席の高原を見た。高原はまだ眠そうにゆっくりと両手を天に向かって伸ばし、アイマスクを外すと胸ポケットからメガネを出してかけた。
「崇はまだ着かないって?」
電話を終えた葛城が答える。
「ああ、あと一〇分で着くって。事務所に免許証忘れてとりに行ってたらしい。」
「まったく、あいつらしいなあ。」
葛城はサングラスを外し、少しだけ微笑んだ。見る者全てがぞっとするような、絶世の美貌は、しかしこの葛城怜という人間の職業にとってはほぼ何の意味もないものだった。むしろ隣の高原晶生の、性格の良い科学者のような容姿のほうが、仕事をする上で便利なことが多い。
二人とも、若くて小さな警備会社、大森パトロール社所属の警護員・・・俗に言うボディガードである。それも、かなり有能な。
メガネをかけたまま再び目を閉じる高原の顔を見ながら、葛城は、前夜の彼とのやりとりを思い出していた。
・・・昨夜、大森パトロール社の、警備部門の事務所にある資料室で会った高原は、いつものそつのない愛嬌ある好青年からは、程遠い姿だった。
彼がここ数か月間資料室に通って何を調べていたかは葛城は知っていたが、状況を把握できず、彼の蒼白な顔と真っ赤に充血した両目をただ見つめるしかなかった。
「怜、俺は、朝比奈さんとはほとんど一緒に仕事をしたことはない。」
「・・・ああ。」
「今回も、山添に頼まれて、調査に協力しただけだ。」
「そうだね。」
「だが、同じ警護員として、これは、許し難いよ。」
「・・・どういうことだ?」
「これじゃあ、朝比奈さんは・・・ただの、無駄死にだ。」
葛城と同じく大森パトロール社ができたときからの警護員仲間である山添崇に頼まれて、高原は、この会社の業務が始まってすぐに殉職した朝比奈和人警護員の警護案件について、改めて過去の資料を調べ直していた。
二人は資料室中央の机に向かってそのまま椅子に座った。
「さっき、事務所の外で、山添にも話したんだが・・・。あいつ、ここで話したら多分怒りでサーバーのひとつやふたつ壊しかねないから。」
「・・・・・」
「だとしても無理はないさ、あいつは俺達と違って、朝比奈さんとつきあいが長かった。」
「崇は、朝比奈さんほどの人が、なぜ関係のない第三者を巻き込んでしまったのか、どうしても納得できないと言っていたね。」
「そうだ。しかし当時の状況を知る人からの聞き取り調査の記録だけでは、十分なことは分からない。今回、山添と俺は、クライアントと、犠牲になった第三者とについて、そのふたりに絞り込んで調べてみたんだ。」
「もしかして・・・」
「ああ、もちろん、二人が知り合いだということは分かっていた。トラブルもない、良好な人間関係だ。しかし、その人間関係は、事件の一年ほど前から、急速に形成されたものだった。クライアントは、その第三者に、積極的に接近を図っているんだ。」
「・・・・・」
「そして、そこまでして仲良くなることによる、メリットはなにもない。仕事上も、私生活上も。」
「まさか」
高原は、机の上の携帯端末の画面に、いくつかの資料を表示した。レポート作成ソフトの様式上に、二人の人間の交友関係がびっしりと入力されている。関連資料がいくつかのファイルに分かれリンクされている。
「犠牲になった第三者は、その数年前、たった一回だけだが、通り魔のような襲撃事件に遭っている。そして・・・」
葛城は息を殺すようにして、目の前で端末に目を落とす旧友の、知性を暴力的に凝縮したような横顔を見つめた。
「そしてこのクライアントは、この警護案件の数年後・・・行方不明に、なっている。その上・・この警護案件の数年前からまえの消息も、一切わからなくなっている。」
「本当に・・・?」
高原は自分を嘲るように、笑った。
「これまで、襲撃犯のことばかりを、調べていた。だから、こんな単純なことに、気がつかなかった。」
葛城が息を飲む。
「このクライアントは・・・そしてそれへの襲撃は、ダミーだ。真の狙いは、犠牲になったあの第三者。そして真の襲撃犯は・・・」
「・・・・クライアント・・だね。」
・・・オートバイが近づく音がして、葛城は車外の後方へ目をやった。山添が葛城たちの車の後ろにオートバイを停め、降りてこちらへ歩いてくる。
高原が助手席の背もたれをもとに戻しながら起き上り、車外に出る。続いて葛城も、後部座席に置いてあった荷物を取り、車を降りた。
基本的に二輪のものしか乗らない警護員仲間の山添崇は、真っ黒に日焼けした、見るからにスポーツ好きそうな青年だ。
「悪い悪い、遅くなった。」
葛城と高原に詫びながら、山添は背中のリュックから青い花束を取り出した。かなり形が崩れている。
あきれたように微笑みながら葛城が、手元の白い花束を示す。
「代表して買ってきてやるって言ったのに、そんな狭いところに入れて・・・」
「やっぱり俺も持ってきたかったんだ。」
三人は教会の脇を抜け、奥の芝生へと入っていく。左手は公園、そして右奥は墓地になっている。
横に細長く、そして丘の上から階段状になっている墓地の、一角の、小さな墓碑の前で三人は立ち止まり、跪いて花束を捧げた。墓碑にはアルファベットで"Kazuto Asahina"という名前と、没年が刻まれているだけだった。
高原と葛城が立ち上がっても、山添は墓石を見つめたまま、じっと両膝をついていた。
「和人。お前を、殺したやつが、わかったよ。」
高原は黙っている。
「わかったところで、どうすることもできない。でも、わかったよ。ごめんよ。こんなに時間がかかって。」
朝日が次第に高さを増している。三人は、墓地に続く、木々が芝生に細い影を落とす公園を少し歩く。山添が立ち止まり、丘の下を見下ろす。眼下の街はゆるやかに霧に煙って見える。
山添が下を見つめたまま、傍らの高原に言う。
「警察には一応伝えるべきことは伝えるけど・・・なんにもならないだろうね。悔しいけど。」
「そうだな。」
「今、やつをつかまえられるんだったら、あのときに、できているはずだもんな。」
「そうだ。そして俺たちは、警察でもないし、探偵社でもない。」
「ああ。」
山添が高原のほうを見る。
「晶生、感謝しているよ。さすがにこんなことは想像していなかったけど、俺は和人の最後の警護案件のことを、なるべくきちんと理解したかった。腑に落ちないことを、調べて、納得したかった。」
「・・・・」
「だから、ちゃんと調べなおして、良かったと思う。協力してくれて、感謝しているよ。」
葛城は何も言えずに二人を見ていた。昨夜の高原同様、山添も、どんな風になっていたか簡単に想像がつく。その後ようやくここまで冷静さを取り戻したのだ。それは非常な努力の結果だ。
よくわかる。なぜなら、葛城自身、昨夜あの後、久々に内臓が焼けただれそうな怒りに眠れない夜を過ごしたからである。
高原が少し顔を上げ気味にして、朝焼けの消えた空を見た。
「俺は、死ぬときは、警護中に死にたいといつも思っている。」
「・・・・」
「だから、殉職した朝比奈さんを羨ましいと思ったことさえあった。」
「晶生・・・」
「なんにも、知らずにね・・・。最悪だよな。」
葛城は、まばたきすることができずに、足元の一点を見つめていた。