夏祭り
「やっぱ、夏は祭りでしょ!」
ね、夏奈! と私の肩をばしっと叩いて、彩音は目をキラキラさせた。視線の先には、リンゴ飴やらたこ焼きやらの出店が立ち並ぶ道を進んでくる大きな山車。和太鼓と笛の音、山車をひく男の人の列。普段の町にはない熱気。夜闇に揺れる提灯の光。
「あ……うん」
「何びびってんのよ。祭りは楽しんだ者勝ちでしょうが」
じんべいの袖をまくりあげて、狐のお面を頭にくっつけて、彩音はもう完全に盛り上がっている。いや、毎年のことなんだよ? 去年だってこうやって連れてきてもらったし。でも、やっぱり慣れないんだ。
お祭り騒ぎが大好きな彩音と違って、私は人がたくさんいるのが苦手。人と話すのもあんまり得意じゃない。緊張しちゃって、話そうと思ったことが全部吹っ飛んじゃう。だから、数少ない友達の彩音は私が少しでも会話に入れるように気を遣ってくれる。今日も、ひとりじゃ祭りもまともに来られない私を誘って、他の友達と一緒に行けるようにしてくれた。本当に優しいと思う。
「せっかくかわいい浴衣も着たんだから。ほら、笑う!」
ぷに、と私のほっぺたを引っ張って、彩音はにかっと笑った。私も何とか笑い返してみせる。そうだよ、せっかくのお祭りだもん。楽しめるようにならなきゃ。
「集合場所、ここって言っておいたんだけど。ちょっと見てくるから、ここで待ってて」
「え、あ、彩音っ」
次第に山車が近づいて、どんどん混み始めた道を、彩音は私からすっと離れて人ごみの中に消えてしまった。途端に人の多さが怖くなって、足がすくむ。どうしよう、こんな場所にひとりなんて。そうしている間にも、人の流れはますます大きくなって、瓶詰めのジャムみたいにぎゅうぎゅうになっていく。彩音が戻るまで待っていたいのに、人に押されてどんどん位置が変わっていってしまう。山車の太鼓の音がドンと地に響く。
慌てて何とか人の群れから抜け出す。そっと辺りを見回した。
「……ここ、どこ」
全く見覚えのない道だった。もちろん、彩音の姿は無い。
「どうしよう……」
はぐれてしまった。このままじゃ彩音も心配するし、他のみんなにだって迷惑がかかってしまう。家までの帰り道も分からない。
とりあえずもとの場所に戻りたくて、細いわき道に入ってみる。一本向こうの通りに出たら、たどり着けるかもしれない。
大通りはあんなに人がいたのに、細い道に入った途端、音が小さくなった。街灯の無機質な明かりに照らされたアスファルトを、野良猫が横切っていく。人も随分と少ない。少し、ほっとした。やっぱり人は少ない方が落ち着く。そのときだった。
「ね、そこの紺の浴衣の子」
突然、後ろから声をかけられた。振り向くと、明るい色の髪をした男の子たちが三人。大きく開いたシャツの胸元に光るネックレス、腰ぎりぎりまで下ろした半ズボン、ワックスで固めた長めの髪。直感的に思った。苦手なタイプの人たちだ。
「……はい」
震える口から何とか返事の言葉をしぼりだす。男の子たちは人懐っこい笑顔を浮かべて、私をのぞきこんだ。
「どうしたの、ひとり?」
「てか浴衣似合うね。これ、ゆりの花?」
そう言って浴衣の袖を持ち上げる。
「やっぱ女の子は浴衣っしょ。おれ、浴衣似合う女の子が好みなんだよね~」
「おい、なにいきなり口説いてんだよ」
「え、だってこの子かわいくね?」
「ね、せっかくだから俺らと遊ばない? ひとりなんでしょ?」
ひとりが私の肩に手を置く。思わずびくりと体が反応した。下を向いてしまう。断らなくちゃ、断らなくちゃ。ちゃんと言わなくちゃ。そう思うのに、口からは何の言葉も出てこない。どうしよう。彩音、彩音助けて。
「おい、本原」
「……え」
聞き覚えのある、低い男の声。下げていた視線をそっと上げて振り向く。そこに立っていたのは、はっぴ姿の日に焼けた長身の少年。
「お前、こんなところで何してんだよ。次出番だろ」
「え」
「師匠すっげー怒ってるぞ。ほら、急げよ」
そう言うと、周りの男の子たちを無視して私の腕をつかんで走りだした。
「え、あ」
「早く」
引っ張られるようにして私も走る。握られた腕から熱が伝わる。何がどうなっているのか分からないまま、走り続ける。けれど、浴衣に下駄という格好の私はついていくことで精一杯だった。細い道を抜けて大きな通りを曲がったところでガクリと何かに足がひっかかった。
「あっ!」
足を動かしにくい浴衣のせいで、バランスが取れなかった私の体が大きく前に傾く。思わず目をつぶった。
「っと危ない」
転ぶと思っていたのに、私の体はしっかりと止まっていた。おそるおそる目を開ける。傾いた私の肩を抱きかかえるようにして、少年が私を支えていた。そのままゆっくりと私を地面に下ろして、それから慌てたようにぱっと手を離した。
「あ、悪い」
「……桐野くん」
彼は、元同級生の桐野涼だった。家が比較的近所なので、小中までは一緒の学校だった。今は確か市内の男子校に通っているはずだ。はっぴ姿を見て思い出した。そう言えば、彼は毎年山車で太鼓を叩いているのだった。
「いや、山車の出番終わって休憩しようと思ったら、なんか変なやつらにからまれてたからさ。お前しゃべるの得意じゃないし、困ってるみたいだったから。とりあえず適当に嘘ついた」
私が何も言わないうちに、桐野くんは横を向いたまま不機嫌そうに説明をした。そうか、休憩中だったのに。迷惑だったよね、きっと。
「ごめんなさい」
申し訳なくてうつむいてしまう。これ以上迷惑をかけちゃいけない。そう思って、立ちあがろうとした。
「痛っ!」
右の足首に鋭い痛みが走る。思わずうずくまった。じんじんと痛みが広がる。
「おい、どうした」
桐野くんは足首を押さえて固まった私をのぞきこむと、見せてみろと私の手をそっとどけた。見ると、右の下駄の鼻緒がぷっつりと切れていた。
「あ、下駄が……」
去年お母さんに買ってもらったばかりの新しい下駄だった。無残に切れた黄色い鼻緒が目に痛い。どうしよう。今日は誰かに迷惑をかけてばかりだ。本当に、私に祭りなんて向いてない。
「下駄貸せ」
急に桐野くんが言った。
「え」
「ほら」
手を差し出されて、言われるがままに鼻緒の切れた下駄を脱いで渡す。すると、桐野くんははっぴの帯に結んでいた手拭いを細く裂いて、手際良く鼻緒を直してしまった。
「はい、応急処置だけど。あ、その手拭いは使ってないやつだから」
「すごいね」
「師匠が前に教えてくれたんだよ。たまたま覚えてただけ」
「へえ……」
意外だった。ストイックでスポーツマンな印象のある桐野くんが、こんなに器用に下駄を直すことができるなんて。
「で、足は大丈夫かよ」
「……痛い」
遠慮がちにそう言う。さっきよりも痛いような気がする。でも、これ以上桐野くんに迷惑をかけるのも嫌だった。
「でも大丈夫だから」
「痛いのに何で大丈夫なんだよ。ちょっといいか」
桐野くんが私の足を持って軽く足首を動かす。それだけで突き抜けるような痛みが走った。思わず顔をしかめる。そんな私の様子を見て、桐野くんが軽く足首に触れた。
「熱持ってるな。お前、ねんざだよ」
「ねんざ……」
「しばらくは痛むよ。冷やした方がいいんだけど、この辺りじゃ氷とか手に入らないし。一回家に帰ったほうがいいと思うけど」
「あ、うん」
「立てる?」
うん、大丈夫と言って立ちかけて、あまりの痛さにまた座り込んでしまった。私はなんて駄目なやつなんだろう。泣きそうになる。
どうにもならなくて、潤んでくる視界で桐野くんを見上げる。桐野くんはじっと私を見て、それから急に私に背を向けてしゃがみこんだ。
「……乗れよ」
「え?」
「歩けないんだろ。背負っていってやるから」
「そんな、いいよ」
「怪我したお前を置いていくほど、俺冷酷じゃないんだけど。家なら知ってるから、ほら」
こんなことまでさせていいのだろうか。けれど、それ以外に帰る方法もない。しばらくためらった後、結局、私はおそるおそるその背中に体を預けた。いくよ、という声とともに体が持ち上がる。そして、桐野くんは私を背負ったまま歩き始めた。背中越しに伝わる呼吸。
「ごめん、重いのに」
「現役サッカー部なめんな。これくらいでバテてたら試合出れねーっつうの。それに、太鼓やってんだから腕もそれなり丈夫」
「……うん。ごめん」
私の背中からの声に、桐野くんが小さく苦笑した。
「お前、さっきから俺に謝ってばっかりだな」
「だって、迷惑かけっぱなしだし」
「いいじゃん、迷惑かけたって」
「え」
「お前、小学校の頃からそうだけどさ。いっつも誰かに迷惑かけるんじゃないかってビクビクしてるんだよな。だから、それなりにしか人に近づけなくて、何となく端のほうにいるじゃん」
その通りだった。図星すぎて、返事を返せない。
「いいんだよ、迷惑かけたってさ。俺なんか太鼓やってるせいで夏の部活じゃメンバーに迷惑かけまくりだし。でも、自分が思ってるほど相手は迷惑だと思ってないんだよ。そういうもんだよ」
だから謝んなよ、な?
そう言ってすぐ近くで桐野くんの横顔が微笑んだ。あまりに突然の笑顔に、どきりと心臓が跳ねあがった。急に近さが気になって、私はしがみついていた手を少し緩める。どうしちゃったんだろう、私。
十分近く歩いて、着いたよと桐野くんが言った。確かに、私の家の前だった。玄関の階段に私を下ろして、ふっと桐野くんが息を吐く。思わずごめんと言いそうになって、慌てて口を閉じた。
「じゃあお大事に。俺は祭りに戻るから」
何でもないようにそう言って、桐野くんはそのまま去ろうとする。「あっ……」
とっさにはっぴの袖をつかんで引きとめていた。桐野くんが驚いたように振り返る。何か、何か言わなきゃ。こんなときってどうすればいいの。ごめんじゃないなら、何て言おう。
「……あ、あのね、ありがとう」
「うん」
やっと言葉を見つけた私に、桐野くんはよくできましたというように笑ってくれた。その笑顔に心臓がぎゅっとしめつけられる。
桐野くんが行ってしまった後、ひとり玄関に残される。ふと足元に視線を落とすと、桐野くんが直してくれた鼻緒が目に入った。そうだ、このことだってお礼を言わなくちゃいけなかったのに。
ありがとう、桐野くん。
言えなかった分の言葉を、目を閉じて、小さく呟く。握られた手の感触、背中から伝わってきた温かさがまだ体に残っている。また心臓がとくりと鳴った。
自分の下駄を見下ろしながら、片方だけなんてシンデレラみたい、と少し恥ずかしいことを思った。
読んでいただきありがとうございました。
高校時代の作品です。珍しく恥ずかしいほどの王道恋愛ものです。しかもこの季節に夏祭りです。ごめんなさい。
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