ゆるぎない友情と未来
しばらくすると雨は止んだ。でも空は暗いままだ。
顔をあげて海の向こうを見る。そのとき、見覚えのある光が海の向こうで瞬いた。
(あれは、妖精の光……?)
反射的に私は岩の影に姿を隠した。光がどんどん近づいているように見えたからだ。
心臓がドキドキと大きく脈打つ。きっと妖精は、私を現実に連れて行こうとする。だから私は必死で息をひそめる。
『紫織、お願いだから目を覚まして』
お母さんの声が聞こえた。私ははっとして顔をあげる。そこには白い羽の妖精がいた。
『これは君のお母さんの声。君を待ってる人がいる。それでもここに残りたいの』
無表情でこっちを見つめる妖精を、私はにらみ返す。
「向こうにはお母さんしかいない。唯一純粋な気持ちでいれたミントもいない。なら、ミントと友達と穏やかな人たちがいるここのほうがいいよ。向こうに戻る理由なんでないの」
妖精は小さくため息をついた。そのすぐあと、私の頭にまた頭痛が走る
(痛い……!)
『じゃあ仕方ないね。無理やりにでもこっちに戻すしか。夢の中にいたって、いいことないんだからさ』
妖精の声が頭に響く。また視界が白くなろうとしている。抵抗したくても体が動かない。
「やめて!!」
悲痛な声が響き渡った。その声を出したのは私じゃない。
「夢と現実の狭間の妖精、これ以上はやめてください。紫織は、私がちゃんと話をします。力で無理に従わすのはやめてください」
杏奈だ。杏奈の凛とした声が聞こえる。
『なによ。真実を伝えずに紫織と遊んでいたくせに』
「ええそうです。紫織がそれを望んでいたので、私はなにも言いませんでした。でも何も伝えていないのはあなたも同じです。ちゃんと現実に行くメリットとデメリット、こちらに残るメリットとデメリットを紫織に話して、そのうえで紫織の意見を聞きたいんです」
頭痛が収まっていく。私は恐る恐る顔をあげる。
「紫織、私の声が聞こえますか? 目は見えますか?」
「う、うん。大丈夫」
杏奈が差し伸べてくれた手を握って、私は大きく息を吐きながら立ち上がる。その様子を、妖精は不機嫌そうに見ていた。
『じゃああなたは、紫織が残りたいって言ったらそうするの。残ったら自分がどうなるかも知ってるのに? ばかじゃないの』
「そのどうなるかを今から紫織に教えます。あなたこそ、はっきり物事を言わずに嫌味を言うのはやめてください。これは私と紫織で話したいことです。消えてください」
杏奈と妖精はしばらくにらみ合っていたが、先に妖精が敵意を解いた。
妖精は捨て台詞もため息もつかず、ただ静かに消えていった。
「ごめんなさい、紫織。今まで何も言わなくて。こんなぎりぎりになって話すことになってしまって、本当に申し訳ないです」
すっと頭をさげる杏奈に私は驚く。さっき杏奈が言っていたように、杏奈とミントはここに残りたいという私の意志を尊重して、何も言わずにいてくれたのだ。謝る必要なんてない。
「謝らなくていいよ。それよりも、杏奈が私に伝えたいことってなに?」
私はにっこり笑って、岩の上に座った。それを見た杏奈は張りつめていた表情を緩ませ、私の隣に座る。
「紫織は、ここの景色に見覚えがありませんか?」
「えっと、見覚えはないね。私がここに来るのは初めてだよ。現実でもこんなに綺麗な場所、来たことない」
そもそも私は、海に遊びに行ったことすらない気がする。
「なら、夢の世界で暮らしている中で、見覚えがあるなと思った場所はありましたか?」
「えーっと、今住んでる町は五年前から好きなゲームに登場した町に似てる。三人で炒飯を食べに行った和風の町は、おばあちゃんが住んでる町に似てた」
今思い返せば、似ているどころではなくその場所そのものだったかもしれない。当時の私は現実のことを忘れていたから、ほんの少しの既視感を覚えただけだったけど。
「言われてみると、見覚えがある場所と見覚えがない場所があるね。これはどういうことなの?」
「この夢の世界は、紫織の過去と未来から作られるんです」
「え……?」
さざなみの音が大きくなった。
しばらく沈黙が続く。それを先に破ったのは杏奈だ。
「夢の世界で紫織が見た町、花畑、海。これらは全て過去に紫織が訪れたか、未来で紫織が訪れる場所なんです。なのでこの海も、現実で生きていればいずれは見られるんです」
この海が現実で見られる。それだけで現実に帰る理由が一つ増えた気がした。けれども私は首を振る。
「でもここにいても見れるよね? 私はミントと杏奈と一緒にこの景色を見たいよ。それに、過去に訪れた美しい場所も、未来で訪れる場所も両方が見られるんでしょ。そんなの『現在』しか見れない現実よりよっぽど優れてる」
私の言葉を杏奈は黙って聞いてくれる。私はさらに自分の思いを伝える。
「それに、現実には私を裏切るような人たちがいる。人は醜いっていろんな創作物を見てたら目にする言葉だけど、今の私はそう思うよ。みんな私のことを嫌って、笑ってるの。そんな世界に戻るくらいなら、たとえ夢だとしても、私に優しくしてくれるみんながいるこの世界で生きていたい」
杏奈は一瞬、すごく嬉しそうに微笑んだ。でもすぐに悲しそうな、困ったような顔になる。
「あのね、紫織。紫織は、私と会ったことがありますか?」
「えっと、ないよ。あの灯台であったのが初対面だよね」
「そう。そして、過去と未来から作られるのはここにいる人たちも例外じゃない。この意味が紫織には分かりますか?」
(どういうこと……?)
私は首をかしげた。夢で出会った人たちは現実で既に会った人か、これから出会う人ということなのだとしたら。
(ミントは過去に出会った友達だ。そしてミントと話したいという願いによって、ミントは喋れるようになった。じゃあ、杏奈は?)
そこまで考えた時、私は答えにたどり着いた。その答えは、希望に値するものだった。
「杏奈は、未来の友達……?」
「そうです。私はあなたと高校生の時に出会う。中学三年生のあなたがまだ知らない人間です」
私の手をとる杏奈がとても暖かい笑みを浮かべる。その姿に私の心は希望で満たされていく。でもその瞬間、私の脳裏に私を嫌っていた友人の姿が思い浮かぶ。
「……杏奈は、私を裏切らない? 裏切らないって約束してくれる?」
手が震える。心なしか口にだした言葉も震えている気がする。
「はい。絶対に裏切りません。まあ私は紫織の担当編集者になるので、ちょっと厳しいことは言うかもしれないですけどね」
「担当編集者……?」
「これはここだけの秘密ですけど、紫織は漫画家になるらしいです。未来と繋がってる妖精が教えてくれました。今の紫織も絵を描くの好きですよね?」
「えっ!?」
自分が漫画家になる。ましてや自分がなにかの仕事に就くなんて思ってもいなかった。自分にはなんのとりえもないと思っていたから。
「私、絵も趣味でしかやってないし、人と話すの苦手だし、得意なことないよ。なのに、漫画家になれるっていうの?」
杏奈のことを純粋に信用できない。突然言われたことだし、現実味がないから。
「まあすぐに信じられないのも分かります。私の言葉は、そうなったらいいな程度に聞き流してくれても構いません。でも、これだけは覚えておいてください」
杏奈は片手で握っていた私の手を、包み込むように安心させるように握る。そのぬくもりは絶対に嘘じゃない、そう思える。
「人は誰もが高校に行って、大学に行って、就職してすぐ成功するわけじゃない。失敗することもある。でも失敗したからといって人生が終わるわけじゃないし、つらい経験を糧に幸せをつかむことも出来る。希望は無くならない、努力はまだ間に合う。それだけは、忘れないで」
まっすぐ勇気づけるような杏奈の瞳を見ていたら、彼女を疑う気持ちが少しずつ晴れていった。
「私、人を信じれるようになる? 幸せになれる?」
「時間はかかるかもしれませんが、なれますよ」
その言葉で今度こそ私の心に希望の花が咲いた。現実に戻ってみる勇気が少しずつわいてきた。
でもそのまえに、もう一つ聞きたいことがある。
「ねえ、現実に戻るメリットとデメリットは分かったけど、夢の世界に残るデメリットってなに?」
「……未来は不変じゃないことですね。過去は変わらないのでミントとは一緒にいれるでしょうけど、このまま紫織が何年もここにいたら、私と出会う未来が変わって私はここから消えます」
さっと血の気が引いた。なら今すぐにでも現実に戻らなくては。
「杏奈、どうやったら現実に帰れるの?」
「帰りたいと強く願えば、さっきの妖精が蝶となって導いてくれますよ。でもその前に、ミントに別れを告げなくていいんですか?」
「……いいの。ミントへの別れは現実で言うよ」
大きな決意とほんの少しの悲しさを胸に、私は夢から覚めることにした。
読んでくださりありがとうございます。次回最終回です。




