真実の記憶は理想郷を破壊する
次の日、朝日の光を目覚ましに起き上がった私は、ものすごく体が重いことに気づいた。
そのうえ、なんだか頭も痛い。頭が割れそうな痛みではないけど、頭全体がズキズキしていて気分が悪い。
(……とうとう朝から体調が悪くなっちゃったよ。どうして? ここは私の願いが叶う理想郷じゃなかったの? どうして気分が悪いのが治らないの?)
消えない痛みと沈んだ気分を抱えたまま、ぼんやりとベランダの外を見ていると、ミントが小屋から出てくるのが見えた。
ベランダの鍵は常に開けているので、ミントはきように窓を開けてこっちにやってくる。
「おはよう杏奈。どうしたの? 元気ないね」
「……頭が痛いの。体が重いの。どうしてなんだろうね」
私はベッドの上でうずくまったまま、力なく顔を布団にうずめる。
そのとき、家の扉が三回ノックされた。動く気のない私の代わりに、ミントが扉を開けに行ってくれた。
「杏奈! 朝早くから来てくれたんだね」
「紫織が呼んでる気がしたので。紫織は……どうかしたんですか?」
「紫織、朝から調子が悪いんだって。どうやったら治るのか、僕分からないよ」
杏奈が私のそばまで来る気配がした。私はゆっくりと顔をあげる。杏奈の心配そうな顔を見た瞬間、勝手に涙が溢れてきた。
「ねえ杏奈、ミント。ここは私の願いが叶う理想郷じゃなかったの? どうして私がこんなに辛い思いをしないといけないの? 嫌だよ、私はここで平和に暮らしたいのに」
にじんでいく視界に苦い顔をした杏奈と、大きく首をふるミントの姿が見えた。
「そうだよ。ここは紫織の理想郷。紫織が唯一幸せに暮らせる場所。紫織がそうなった原因は今探してるから、僕がなんとかするから、紫織は……」
「もうやめましょうよ、ミント」
私を励ますミントの声を遮ったのは、杏奈だった。
「原因なんてとっくの昔に分かってる。それを解決する方法も」
思いもよらない言葉に、私は希望を見つけて沈みかけていた顔をあげる。それと同時に、知っていたならなぜ教えてくれなかったのかという疑問と怒りが湧いてくる。
「なんで、なんで教えてくれないの? 解決できるのに、どうして? 杏奈もまた私を裏切って」
「裏切ってないです。だから私は今からあなたに教えます。ミントは教える気がなさそうなので」
杏奈は私の涙をハンカチで拭ってくれた。はっきりとした視界には、戸惑うミントと決意を秘めた茶色の瞳をした杏奈が映った。
「あなたの頭痛を止める方法はただ一つ。あなたがこの夢から覚めること」
「夢から覚める……?」
妖精にも似たようなことを言われた気がする。その既視感がとてつもなく不快だ。でも知りたい。なぜ自分がこんなことになっているのか。
「紫織を惑わすのは現実での記憶。ここはあなたの夢の中。あなたはなんらかのショックで心が壊れて、現実から逃げるように眠り続けているんです」
他人行儀な説明口調で、淡々と述べる杏奈の言っていることが理解できない。頭が混乱して、杏奈の言葉がひどくゆっくりに聞こえる。
「ここはあなたの夢の中だから、大抵のことは望めば叶います。だから理想郷というのも間違ってはいない。でもそれは、あなたがいるべき現実を犠牲にした結果です」
(ここは、私の夢の中……)
ここは現実ではない。ここは私の夢。そう思った瞬間、私は現実がなんなのか、走馬灯のように思い出し始めた。
小さな町でのごく普通の生活。小学校時代は友達と校庭を走り回ったりした。校外学習や修学旅行は、クラスメイトと仲良くやれて楽しかった。成績は丁度真ん中くらい。そして中学生になったとき、家の近い友達が出来た。でもその子は本当は私を
「っいやだ!!」
そこまで思い出した時、私は考えるのをやめようとした。でも止まらない。全て思い出してしまった。
頭痛は収まった。目の前が白くなっていく。白い蝶が私を誘うように飛んでいる。この蝶に導かれたら、もしかしたら私は目覚めてしまうのかもしれない。
「いやだ、いやだ!!」
目を大きく閉じ、私は手で光を振り払う。そのままはじかれるように立ち上がる。
「嘘だよ、嘘だといってよ!! ここは夢じゃない、私がいるべき場所は現実じゃない! 私はここに残りたいの。ねえ、嘘だといってよ」
再び私の目はミントと杏奈を映し出した。けれども二人はいつもの笑顔とはほど遠い、何かをこらえるような苦い顔をしていた。
「二人とも……?」
「……嘘じゃないよ。紫織。現実では僕はもう死んでいる。それでもここなら僕は紫織と一緒にいれるから、ずっと黙っていたんだ」
頭を殴られたような衝撃を受けた。ここが夢じゃないと否定してくれる人はどこにもいない。
「いやだよ……私は、ここでの日々が人生で一番楽しかったのに」
「あのね、紫織」
杏奈が何か言う前に、私は二人を押しのけて家の外に出る。
「紫織!!」
私を呼ぶ声を無視して、私はがむしゃらに走り続けた。
私は一人になった。独りになった。
わきめもふらず、途中で誰かに話しかけられても気にせず、ただがむしゃらに空を飛んだ。
目の前が涙でにじんで、美しい景色が全く目に入らない。
いや、もしかしたらここが夢だと気づいたから、もう美しい景色など私の目には映らないのかもしれない。全て虚構だと分かったのだから。
何も分からない。目を閉じて感覚だけで移動している。そのとき、波の音が聞こえて、微かに潮の香りを感じた。私は目を開ける。
いつのまにか、私は真っ青な海の上にいた。気を抜いたら吸い込まれてしまいそうなほど深い青が、私の真下にあった。
(綺麗。まだ、綺麗だと思える)
ここが虚構だと分かったら、自分の目に何も映らなくなるのではと思っていた私は、息を飲むような景色を見て少しだけ安心する。
どこか休める場所はないかと辺りを見わたす。そうすると背後に砂浜と大きな岩を見つけた。私は大きな岩の上にゆっくりと座った。
「はあ……」
景色への感嘆とため息が混じった息を吐く。波の音以外聞こえない、自分以外に生き物がいないこの場所なら、ゆっくりと言われたことを整頓出来そうだ。
「ここは夢。寝てるときに見る夢。美しい景色はみんな偽物……。今思えば、意識を失った時にお母さんの声が聞こえた気がする。現実で私を呼んでるのかな」
暖かい風が吹く。私の髪がなびく。
「ミントが倒れてて、それを見た私はショックで倒れたんだ。向こうでは、どのくらい時間が経ったんだろうね。どうでもいいか、そんなこと」
規則性のある波の音が聞こえる。海はキラキラ輝いている。
「ああ、悲しいな。こんなに素敵な場所も、現実にはない。杏奈のような気の合う友達もいない。唯一信頼出来たミントも、もういなくなっちゃった。なら、私が現実に戻る理由がどこにあるっていうの? 私には大切なものなんてない」
こんなに心が落ち着いて、穏やかな気分でいられる場所を私は知らない。ここ以外にそんなところはない。
「友達を失った。ミントも失った。家族すら純粋に信用できない。将来の夢もない。そんな現実と、欲しいものが何もかも手に入って、ミントも友達もいて、人を信用できる夢。そんなの夢を見続けたいに決まってるよ。ねえ、そうだよね……」
虚空に向かって呟く。返事を返す人はいない。ただ波の音が聞こえる。
自然に身を任せて、私は何を考えるでもなくその場にいた。
風を肌で感じ、海を目で見て、波を耳で聞く。その感覚はしっかりしているせいで、ここが夢の中だということを忘れてしまいそうだ。
しばらくぼーっとしていると、空模様が変わった。清々しい晴れだったのが、少しずつ雲に覆われ始めていた。
「雨が降るのかな。……それもいいね。今は、雨にあたりたい気分かも」
案の定数分で空は暗くなり、ぽつぽつと雨が降り始めた。
雨に濡れた砂浜が少しずつ黒っぽくなっていく。波の音が大きくなって、波が私の座ってる岩に強くあたる。水しぶきを浴びても、雨でずぶ濡れになっても、今の私はそれが心地よい。
そのまま私は孤独と真実から逃れるようにして、ただ雨にうたれていた。
読んでくださりありがとうございます。この話はあと二話で終わりになります。




