第八話 王都の影、忍び寄る密偵
辺境の村に穏やかな日々が流れていた。
畑には緑が芽吹き、子供たちの笑い声が広場を満たす。
だが、その裏で確かに忍び寄る影があった。
夜。村の外れ、林の中。
月明かりに照らされて、黒装束の男たちがひそやかに集まっていた。
「対象は二人。追放騎士アレンと、断罪令嬢クラリス」
「王太子殿下の命は絶対だ。どんな手を使っても始末しろ」
短剣に光が走り、冷たい殺気が漂う。
――王都の密偵たちが、ついに動き出した。
その頃、村の広場では小さな祭りが開かれていた。
黒棘狼を倒した祝いと、豊かな収穫を祈るためのものだ。
子供たちが歌い、女たちが料理を並べ、男たちが酒を酌み交わす。
「ふふ、賑やかですね」
クラリスが目を細める。
「こんな日が来るとは思わなかった」
アレンは杯を掲げ、喉を潤した。
「アレン、クラリス。ちょっと来て」
セリアが呼びに来た。
村の外れに、怪しい人影が見えるという。
三人は連れ立って外に出た。
風が冷たく、祭りの明かりから離れるほど闇が濃くなる。
「……誰かいる」
アレンの剣が月光を受けて光る。
次の瞬間、茂みから閃光のように短剣が飛んだ。
「危ない!」
クラリスが即座に詠唱し、結界を展開する。
刃が火花を散らして弾かれた。
「……やはり来ましたね」
「フン、断罪令嬢。生きていたとは面倒な女だ」
木陰から現れたのは、黒装束の密偵たち。五人。
全員が訓練された身のこなしで、瞳には容赦のない殺意が宿っていた。
「標的を捕らえろ!」
合図と同時に、影が一斉に襲いかかる。
アレンは剣を抜き放ち、正面から二人を受け止めた。
金属の衝撃が夜気を震わせる。
「こいつら……騎士団の密偵か!」
「察しが早いな」
敵が冷笑し、短剣を繰り出す。
アレンは剣で受け流しながら、怒声を上げた。
「クラリス、セリア! 背を任せる!」
「もちろん!」
「任せて!」
クラリスの紅の瞳が輝き、鎖の魔法が地を走る。
「――《拘束の鎖》!」
足を絡め取られた密偵が転倒する。その隙を、アレンの剣が閃いて斬り伏せた。
だが敵は素早い。残りの四人が分散し、セリアを狙って左右から襲いかかる。
「させないわ!」
セリアが杖を振る。氷の槍が幾重にも生まれ、矢のように放たれる。
ひとりの肩を貫き、もうひとりの足を凍らせた。
「ぐっ……!」
「小娘が!」
逆に短剣がセリアの頬をかすめる。
鮮血が走り、彼女は歯を食いしばった。
「セリア!」
「大丈夫……まだ戦える!」
乱戦の中、敵の一人がクラリスへと迫る。
「断罪令嬢、貴様の首は高く売れる!」
刃が振り下ろされる寸前、アレンが割って入った。
火花と共に剣が激突する。
「こいつに手は出させない!」
怒りを込めた剣圧に、敵が押し返される。
その背後をクラリスの魔法が撃ち抜いた。
「《炎鎖》!」
燃え上がる鎖が敵を絡め取り、絶叫と共に地に叩きつける。
やがて最後のひとりが残った。
肩を切り裂かれ、血を流しながらも必死に立ち上がる。
「ぐっ……だが覚えておけ。お前たちの存在は、王都を脅かす。いずれ大軍が押し寄せるぞ!」
そう叫び、煙玉を投げて姿を消した。
森に静寂が戻る。
アレンは剣を下ろし、荒い呼吸を整えた。
「……やはり来たか」
「王都は、私たちを恐れているのね」
クラリスが唇を噛む。
セリアは頬の血を拭いながら、それでも微笑んだ。
「でも、今日わかったわ。私たち三人なら、どんな敵も退けられる」
アレンとクラリスは頷き合い、星空を仰ぐ。
その光は静かだが、確かに彼らを照らしていた。
――だが王都の影は、もう止まらない。
この小さな村に芽生えた“最強夫婦の伝説”を、国そのものが脅威として見始めていた。