第七話 辺境の小さな日常と王都の影
黒棘狼を討伐してから数日。
村はようやく落ち着きを取り戻し、広場には笑い声が戻っていた。
アレンは朝日を浴びながら畑の手伝いをしていた。
剣を振るうだけでなく、鍬を握る手つきも板についてきた。
「ほう、騎士殿も畑仕事ができるとはな」
「これでも実家は農村でな。剣を握る前は、父の手伝いをしていたんだ」
農夫が驚き、次の瞬間には笑い声を上げる。
かつて「追放者」と冷たい視線を向けていた村人たちが、今は肩を叩き合う仲間のように接していた。
一方その頃、クラリスは井戸端に座り、村の子供たちに囲まれていた。
紅の瞳を輝かせながら、絵本を読み聞かせている。
「……そして勇者は、仲間と共に竜を倒しました――」
子供たちが目を輝かせて拍手する。
クラリスの口元に自然な笑みが浮かんだ。
「すごい! お姉さまはお話が上手だ!」
「また読んで!」
その姿を遠くから見ていた村人の女性が、驚いたように囁く。
「……あれが“悪役令嬢”だなんて、とても信じられない」
「噂と全然違うな。子供たちも懐いてる」
クラリスは本を閉じ、心の奥に静かな温もりを覚えた。
(もし……あの夜、アレンに出会わなかったら。私はこんな笑顔を二度と持てなかったかもしれない)
夕暮れ。
三人は村外れで焚き火を囲んでいた。
「剣も鍬も扱えるなんて、あなた意外と万能なのね」
クラリスがからかうように言うと、アレンは苦笑した。
「万能じゃないさ。ただ生きるためにやってきただけだ」
「……でも、あなたがいてくれるから、私は安心できる」
クラリスの声はいつもより柔らかかった。
セリアがそれを聞いて、少し頬を膨らませる。
「ふふ、まるで夫婦みたいね」
「えっ……!」
クラリスの頬がかすかに赤くなる。
アレンは気まずそうに火を見つめた。
焚き火のはぜる音が、妙に心地よく響く。
その夜。
村の空気が穏やかに満ちる一方で、遠く離れた王都では別のざわめきが広がっていた。
「――クラリス=ヴァルモンドが生きている?」
王宮の一室。王太子の顔が怒りに歪む。
側近が慌てて跪いた。
「は、はい……辺境で魔獣を退治したとの噂が……村人たちが“英雄夫婦”と呼び始めているとか」
「馬鹿な! あの女は断罪されたはずだ!」
机を叩き割る勢いで立ち上がる王太子。
怒声が部屋を震わせる。
「放ってはおけん。追放された騎士も一緒だと? 二人が手を組めば、我が地位を脅かしかねん……!」
王太子の目に、嫉妬と恐怖が入り混じる。
やがて声を潜めて命じた。
「辺境に密偵を放て。二人の動向を掴め。……そして、必ず潰せ」
その頃、村では。
星空の下、アレンとクラリスは並んで歩いていた。
遠くの山々が青白く浮かび上がり、虫の声が響く。
「アレン……あなたは後悔していませんか?」
「後悔?」
「追放されたこと。私と手を組んだこと」
アレンは足を止め、空を見上げた。
しばらくの沈黙の後、彼は小さく笑った。
「後悔する理由なんてないさ。俺は――お前と一緒にいることで、ようやく自分を取り戻せた」
クラリスは息を呑む。
胸の奥が熱くなる。
「……なら、よかった」
二人の間に、言葉よりも深い沈黙が落ちた。
それは静かな誓いのようでもあり、これから訪れる嵐の予兆でもあった。