第三話 辺境の村で
王都から遠く離れた山道を抜けた先。
小さな開拓村がぽつんと広がっていた。木造の家々、畑、羊や山羊の群れ。
王都の華やかさとはまるで違う。だが、空気は澄み、風は清らかだった。
「ここが……辺境の村」
クラリスが目を細める。白い肌に風が触れ、紅の瞳が陽光を反射する。
かつて舞踏会の中央に立っていた令嬢が、今は埃まみれの道を歩いている。
その姿に違和感を覚える者は、村人だけではなかった。
「……なんだあの二人」
「見ない顔だな。旅人か? いや、剣を帯びた男に、ドレス姿の女……」
畑仕事をしていた農夫が、警戒の色を浮かべる。
子供たちは母親の影に隠れ、好奇と恐怖の入り混じった目で二人を見た。
「歓迎されてはいないようですね」
「当然だ。辺境は荒くれ者や追放者の吹き溜まりだ。見知らぬ者に心を許すほど甘くはない」
アレンは肩をすくめる。だが表情に焦りはない。
追放された者にとって、疑いの視線は慣れたものだった。
宿屋兼酒場に足を踏み入れると、むっとした空気が漂ってきた。
木の壁は煤で黒ずみ、床には酒の染みが広がる。
客たちの視線が一斉に突き刺さった。
「いらっしゃ……おや、新顔だね」
粗野だが気のよさそうな女将が顔を上げる。
しかし次の瞬間、クラリスのドレス姿に目を丸くした。
「……あんた、貴族か?」
「ええ。もっとも、今は断罪され、居場所を失った身ですが」
クラリスの言葉に、ざわめきが走る。
数人の客が鼻で笑った。
「ハッ、王都から追い出されたか。悪役令嬢さまがこんなところまでとはな」
「貴族なんざ、信用できねえ。どうせ俺たちを見下すんだろ」
敵意と嘲笑の混じる声。
クラリスは一瞬だけ唇を噛み、だがすぐに表情を整えた。
「私は……誰よりも追放者の痛みを知っています。だからこそ、ここでやり直したい」
毅然とした声が響く。
だが村人たちの目はまだ冷たい。
「……俺たちは宿を借りるだけだ。余計な騒ぎは起こさない」
アレンが短く告げ、クラリスの肩を庇うように前に出る。
それ以上は誰も何も言わず、重苦しい沈黙だけが漂った。
夜。宿の二階、狭い部屋。
窓から差し込む月光に、クラリスの横顔が浮かび上がる。
「……彼らの目、まるで私を“疫病神”のように見ていました」
「仕方ない。王都の噂はすぐ辺境まで届く。『悪役令嬢』の名は、もう一人歩きしている」
「ならば、ここでも私は“断罪された女”ですか」
クラリスは苦笑し、ベッドに腰を下ろす。
その肩がわずかに震えていた。
アレンは一瞬迷い――だが、言葉を選んで口を開いた。
「……俺は信じる。あの舞踏会で、お前の目に嘘はなかった。だから、俺はお前の味方だ」
クラリスがはっと顔を上げる。
紅の瞳に、月明かりが揺れた。
「……ありがとう、アレン」
わずかに震える声。
その瞬間、遠くで鈍い爆音が響いた。
ドォン、と地鳴りのような衝撃。
二人は同時に窓辺へ駆け寄る。
村の外れ。炎が上がっている。
「盗賊……か」
「来るのですね。私たちの“試練”が」
クラリスの唇に、冷たい笑みが浮かぶ。
アレンは剣を抜き、刃に月光を映した。
「いいさ。ここで認めさせよう。俺たちの力を」
「ええ――“最強夫婦”への第一歩として」
炎の赤が夜を染める。
二人の物語は、いま再び燃え上がろうとしていた。