第二十九話 黒き梟、戦場に降り立つ
夜が明け、辺境砦はようやく静けさを取り戻していた。
影兵の襲撃を退けたものの、兵たちの疲労は限界に近かった。
それでも人々の心には、昨夜の結束がまだ熱を残していた。
「……あの黒衣の兵ども。まるで人間じゃなかった」
「間者じゃなく、影そのものを操っていたように見えた」
兵たちの間でそんな囁きが交わされる。
アレンは剣を磨きながら、深い息を吐いた。
「ついに、ただの戦じゃなくなってきたな」
「ええ。これはもう“信念”と“影”のぶつかり合い」
クラリスは紅い瞳を細め、地図を睨んだ。
「そして――その影を操る主が、いずれ必ず姿を現すはず」
その時だった。
砦の偵察隊が駆け込んできた。
「報告! 王都軍が……! 黒き梟カラム将軍が、自ら軍を率いてこちらへ向かっています!」
広場に緊張が走った。
「黒き梟が……ついに……!」
「影に潜んでいた男が、正面から来るのか……」
アレンは剣を腰に差し直し、静かに頷いた。
「逃げ隠れはしないということか」
クラリスの唇に冷たい笑みが浮かぶ。
「いえ、きっと彼にとって“これも策”なのです」
やがて、砦の前に一団が現れた。
黒い甲冑に身を包んだ兵。
その中央に立つのは、痩せた体躯に長い外套をまとった男だった。
梟を象った仮面をつけ、鋭い瞳が光を宿している。
――カラム将軍。
「辺境の者どもよ」
低く冷たい声が砦に響く。
「よくぞここまで抗ったものだ。追放者と断罪令嬢が“最強夫婦”を名乗るとは……滑稽で、そして興味深い」
兵たちの背筋が凍る。
だが、アレンとクラリスは前に進み出た。
「俺はアレン。追放された下級騎士だ」
「私はクラリス。断罪された悪役令嬢です」
二人は堂々と名乗り、声を重ねた。
「――そして今は、辺境を導く“最強夫婦”だ!」
その言葉に兵たちの胸が震え、歓声が広がる。
カラムの瞳が細められた。
「なるほど。だからこそ厄介だ。力ではなく、心を支えている……」
彼は一歩前に進み、冷笑した。
「だが心ほど脆いものはない。昨夜の不信を見ただろう? ほんの噂で揺らぐ人々の姿を」
アレンは剣を抜き、太陽の光を反射させた。
「それでも立ち直った。俺たちは信じ合う限り、何度でも立ち上がる!」
クラリスも鎖を揺らし、紅い瞳を輝かせた。
「あなたの影は、私たちには届きません」
砦にざわめきが広がり、兵たちは剣や槍を掲げた。
「最強夫婦に従う!」
「黒き梟を打ち倒せ!」
カラムは仮面の奥で微かに笑った。
「いいだろう。では試そう。お前たちの“絆”が、果たしてどこまで通じるのか」
彼の手が上がる。
その合図と共に、黒衣の影兵たちが地面から這い出した。
梟の印を刻んだ短剣を手に、無音で砦を取り囲む。
「な……! 地面から……!」
「影そのものが兵になっているのか!?」
兵たちがざわめく。
だがアレンが剣を掲げ、叫んだ。
「恐れるな! 影であろうと斬れる!」
クラリスが紅の鎖を振るい、炎が影を焼き尽くす。
「影がいくらあろうと、私たちの光を覆うことはできません!」
最強夫婦の攻撃が炸裂し、砦の上に火花と炎が舞った。
戦いの合間、カラムは仮面の奥で低く呟いた。
「……なるほど。確かに強い。剣と鎖、二つの絆が互いを補い合っている」
その声が不気味に響く。
「だが……絆は強ければ強いほど、裂いた時に大きく崩れる」
彼は影兵を操り、あえて兵士たちの間にリリアナの名を叫ばせた。
「聖女は裏切り者!」
「祈りは偽りだ!」
兵たちがざわめき、視線が揺れる。
リリアナは震え、涙を滲ませた。
だがクラリスが即座に叫んだ。
「黙れ! リリアナは何度も私たちを救った! その光に嘘はない!」
アレンも剣を掲げて叫ぶ。
「俺は仲間を疑わない! 誰が何を言おうと、信じ抜く!」
その声に兵たちの心が再び熱を帯び、疑念が吹き飛んだ。
影兵を次々と倒しながら、アレンとクラリスは砦の前に進み出た。
その視線の先には、黒き梟カラム。
「……やはり面白い」
カラムの瞳が鋭く光った。
「ならば次は、私自身が試してやろう」
外套を翻し、彼は剣を抜いた。
漆黒の刃――影を凝縮したかのような剣。
「最強夫婦。私がその絆を切り裂いてみせよう」
アレンが剣を構え、クラリスが鎖を揺らす。
二人の瞳は揺らぎなく、まっすぐに敵を見据えていた。
「なら来い、カラム!」
「私たちの絆、そう簡単に裂けると思わないで!」
剣と鎖が光を放ち、影の剣とぶつかり合う。
轟音が大地を震わせ、戦場が凍りついた。
――黒き梟カラムとの決戦。
その幕が、ついに上がった。