第二十六話 勝利の影、王都の策謀
夜が明け、戦の煙がようやく収まった。
砦の広場には負傷者が並び、血の匂いが濃く漂っている。
医療班とリリアナが奔走し、セリアは結界を解いた反動で昏睡状態に陥っていた。
「セリア……!」
アレンは彼女の手を握りしめた。
冷たいが、脈はあった。
リリアナが静かに告げる。
「命に別状はありません。ただ、魔力の枯渇で長く眠ることになるでしょう」
その言葉に皆が胸を撫で下ろす。
しかし犠牲は小さくなかった。
兵の三割が倒れ、その中には二度と立ち上がれぬ者も多い。
歓喜に湧いた夜とは違い、朝を迎えた砦には重い沈黙が漂っていた。
会議室。
クラリスは報告書をまとめ、冷徹な声で告げた。
「死者七十、重傷者百二十。補給庫の半分が焼失しました。……勝利ではありますが、これは大きな傷です」
地図の上に視線を落としながら、彼女は続ける。
「このまま戦を続ければ、消耗で立ち行かなくなります。ですが――王都は必ず再び討伐軍を送るでしょう」
アレンは拳を握った。
「ここで止まれば、犠牲は無駄になる。俺たちは進むしかない」
リリアナがうつむきながらも声を上げた。
「でも……人の命が削られていきます。祈りだけでは救えない」
クラリスが彼女の肩に手を置く。
「だからこそ、次は“勝ち続ける”のです。犠牲を最小にして。……私たちにはその責務があります」
砦の外では、援軍として駆けつけた北部の騎兵たちが野営を張っていた。
彼らの長は、髭をたくわえた猛々しい男だった。
「俺はバルガン。北の遊牧の民を束ねる者だ。お前たちの戦い、見事だった」
彼は豪快に笑い、アレンの肩を叩いた。
「辺境が立ち上がるなら、俺たちも従う。だが一つだけ忘れるな。俺たちは自由を求めている。王都の鎖だけでなく、どんな支配にも縛られはしない」
その言葉にアレンは頷いた。
「わかっている。俺たちが作るのは“新しい秩序”じゃない。“自由に生きられる場所”だ」
クラリスも微笑む。
「その旗の下でなら、きっと辺境は一つになれる」
しかし同じ頃――王都。
王城の広間では重臣たちが集まり、敗北の報告を受けていた。
「討伐軍が……敗れた?」
王太子の顔は蒼白だった。
「ヴァロール将軍までもが……!?」
老宰相が深いため息をつく。
「辺境の勢いは止められませぬ。このままでは王国の威信は地に落ちましょう」
重臣たちが口々に叫ぶ。
「すぐに大軍を! 全軍を動員すべきです!」
「いや、無理だ! 王都の守備も手薄になる!」
混乱が渦巻く中、前に出た一人の男がいた。
黒衣に身を包んだ、冷たい眼差しの将。
「……私に任せていただければ、辺境を沈めてご覧に入れましょう」
その名は――カラム将軍。
策略と冷酷さで知られる男。武よりも智で敵を滅ぼすことを得意とし、「黒き梟」と呼ばれていた。
「辺境が誇る“最強夫婦”。剣と鎖の絆か……面白い。だが、結束が強ければ強いほど、ほころびを突けば容易く崩れる」
その言葉に王太子は縋るように叫んだ。
「よし、カラム将軍に全権を! 奴らを必ず討て!」
こうして新たな脅威が、静かに辺境へと迫ろうとしていた。
夜、砦の高台。
アレンとクラリスは並んで夜空を見上げていた。
「……勝ったはずなのに、心は晴れないな」
アレンが呟く。
「それが戦です。勝利は甘美でもあり、残酷でもある」
クラリスの紅い瞳が月光を映す。
「でも、あなたとなら歩けます。たとえどんな嵐が来ようとも」
「俺もだ。お前と共にある限り、剣は折れない」
二人の手が重なり、砦に揺れる炎が誓いを照らした。
――だが、その炎はまだ嵐の前触れに過ぎなかった。