第二十二話 裏切りの刃、迫る討伐軍
夜明け前。砦の空気は冷たく張り詰めていた。
兵たちは訓練を終え、交代で休息を取っていたが――その静けさの裏で、不穏な影が動いていた。
倉庫の扉がわずかに開き、ひとりの兵が中へ滑り込む。
彼の手には巻物と地図。
それを革袋に収め、そっと外へ出ようとした瞬間――
「そこまでだ」
低い声が闇を裂いた。
剣を構えて立つアレンの姿。
その横にはクラリスとセリアがいた。
「な、なぜここに……!」
「巡回の順を変えたのよ」
セリアの声は冷えきっていた。
「あなたが怪しい動きをしていたから」
兵は膝を震わせ、地図を落とした。
それは砦の内部構造と物資の保管場所が詳細に記されたものだった。
「……王都に渡すつもりだったな」
アレンの声に、兵は顔を覆った。
「ち、違うんだ……! 家族が人質に……! 王都に協力しなければ、妻も子も殺されると……!」
その叫びに、一瞬兵たちの間にざわめきが広がる。
クラリスの紅い瞳が光を帯び、静かに言った。
「その心情を理解できないわけではありません。ですが、裏切りは全員を危険に晒します」
兵は涙を流し、地に頭を擦りつけた。
「すまない……! どうか家族を……助けて……!」
広場に全兵を集め、裏切り者が突き出された。
兵たちの表情は怒りと悲しみで揺れていた。
「俺たちを売ろうとしたのか!」
「家族のためだと? なら俺たちの家族はどうなる!」
罵声が飛び交う。
だがアレンが手を上げて沈めた。
「皆、聞いてくれ。この男は裏切った。だが、その理由は卑怯なものではない。――家族を守るためだ」
その声に兵たちが息を呑む。
「俺たちはただ戦っているんじゃない。家族を、未来を守るために戦っているんだ。彼一人を責めても、王都の狡猾さは変わらない」
クラリスが続けた。
「王都は恐怖で人を縛ろうとします。ですが、私たちは違う。――互いに守り合うことで立ち上がるのです」
兵たちの怒りは次第に収まり、やがて誰かが声を上げた。
「……なら、その家族も俺たちが救えばいい!」
「そうだ! 辺境連合に加わる限り、誰一人捨てたりはしない!」
裏切り者は嗚咽を漏らし、砦の石畳に額を擦りつけた。
「……ありがとう……! 必ず命を懸けて償う……!」
だが、その安堵は長くは続かなかった。
斥候が駆け込んでくる。
「報告! 王都討伐軍、進軍を開始! 総勢五百以上、こちらに向かっております!」
広場に緊張が走った。
「五百……!」
「ついに来たか……」
アレンは剣を握り、声を張った。
「恐れるな! 俺たちは砦を落とした軍だ! 五百の兵がどうした! 俺たちの意志は、奴らの命令に勝る!」
クラリスも続ける。
「兵站を固め、結界を三重に展開します。今回は正面から受けて立ちます!」
セリアは杖を握りしめ、頷いた。
「結界を強化するわ。もう二度と壁を破らせない」
リリアナは祈りを掲げ、柔らかな声で告げた。
「恐れる心こそが敗北です。皆で手を取り合いましょう。私は必ず癒します」
兵たちの恐怖が少しずつ熱へと変わり、鬨の声が砦を震わせた。
夜。
アレンとクラリスは砦の上に立ち、遠くに見える松明の列を見つめていた。
まるで大河のようにうねる光――王都討伐軍の進軍だった。
「……来るな」
アレンの声が低く響く。
「ええ。けれど、これは避けられぬ戦いです」
クラリスの瞳には炎が宿っていた。
「私たちが勝てば、辺境は解放へと進みます。負ければ、全てが終わります」
二人は互いに手を重ね、夜風に揺れる軍旗を見上げた。
剣と鎖の紋章が、星明かりを受けて赤く輝く。
――辺境と王都、決戦の幕は確実に上がろうとしていた。