9 不毛な恋
「一緒に行こうぜ」
あの事件から達也と幸奈ちゃんが迎えにくる。
二人一緒にいる姿を見るのがつらかったはずなのに、胸の痛みが治まった。
普通に話せるようになった。
幸奈ちゃんは僕の気持ちを知ったのか、少しだけ申し訳なさそうな顔をする。
それがなんだか僕のほうが申し訳ない。
迎えにこなくてもいいのにって達也に言うのだけど、頑なに迎えにくる。
だから、僕は和一さんにお願いすることにした。
「もう大丈夫だし、大通りを歩くようにしますから、達也に迎えにこなくていいって伝えてもらえますか?」
「だめだ。俺は絶対に伝えない。何があるかわからないだろう?」
だけど和一さんは頷いてくれない。
あの三度目の映画鑑賞の日から、時たま和一さんとご飯を食べにいったりする。
お礼にプレゼントした時計は毎回つけてくれて、見る度に嬉しくなる。
前よりも近い関係になった気がする。
和一さんに達也の面影を探すこともなくなった気がする。
これは、いいことかもしれない。
達也と幸奈ちゃんのことを心から応援できる日がくるかもしれない。
「うーん。そんなに嫌だったら、俺が送ろうか?朝はどうせ暇だし」
「とんでもないです。和一さんの邪魔はしたくないので」
「別の邪魔じゃない。そうだ。俺が送るよ」
「え?」
和一さんは時折強引なところがある。
でも断れない。
達也と幸奈ちゃんの邪魔をするよりはいいかもしれない。
僕は軽くそう考えていた。
数日後、僕は後悔することになる。
「和一。朝来ないって思ったら、ガキの御守り?」
登校途中、多分和一さんと同じ歳ぐらいの男の人が待ち伏せしていた。
「お前には関係ないだろ」
「関係あるよ。だって、俺たち」
「それ以上言ったら、関係を切る」
「ごめん。言わないから。だから、今日は付き合って」
その人はポンポンと和一さんの肩を叩くと、僕に向って嫌な笑い方をしていなくなった。
「悪いな。嫌な思いしただろ?」
「和一さん、もう朝送っていただくても大丈夫ですから。ほら、みんな見てるから、こんなところで何もできないし」
「そうだな。何もできない」
和一さんはそう繰り返したけど、僕の付き添いを辞める気はないみたいだった。
「達也。和一さんに言ってもらえる?」
本末転倒とはまさにこのことかもしれない。
弟の達也が何か言えばやめてくれると、お願いしてみた。
「無理。無理だ。良は嫌なのか?」
「嫌じゃないけど、迷惑だと思うし」
「迷惑なんかじゃないぞ。全然、毎日めっちゃ早く起きて、準備してるもん。楽しみにしてるって思うけど」
「え?」
全然そんな風に見れなかった。
確かに毎日しゃんとしているなあと思ったけど。
「俺はお前の気持ちに気づかなかった。良も兄ちゃんの気持ちに気づいてないよな」
「え?」
「あ!今のなし。聞かなかったことにしてくれ。うわ、俺失敗した」
和一さんの気持ち。
そう言えばショックで忘れていたけど、キスされた日、好きって言われたような……
なんで、なんで、僕忘れてた?
和一さんは僕ことが好きなのに。
自惚れじゃないよね。
「良、まじでごめん。今のは聞かなかったことにして。まじで。殺される」
達也がテンパって唸っていたけど、それよりも僕はあのキスされた日のことを思い出して、頭を抱えていた。
それから、僕は和一さんを意識しっぱなしだった。
彼のどこを見ていいのかわからなくて、何を話せばわからなくて……。
「良くん、やっぱり俺が送るの嫌?達也に頼もうか?」
「いいえ、あの、達也はいいです。邪魔したくないから」
「そうか。俺の送りで我慢してね。やっぱり心配だから一人にしたくないんだ」
そんな我慢なんて。
和一さんはなんでそんなに優しんだろう。
僕は彼の優しさに甘えていて、彼の気持ちを考えたことがなかった。
彼の気持ち、でも、まだ、本当に僕のことが好きなのかな。
この間の人とも仲良さそうだったし。
「あ、あの、この間の人元気ですか?」
「この間?ああ、聡ね。なんでそんなこと聞くの?」
「あの、仲良さそうだったから、僕のせいでギクシャクしたら嫌だなあって」
「良くんには関係ないよ」
「そうですね。僕には関係ないことでした」
「あの良くん、やっぱり変だな。何かあった?やっぱり俺が送るのが嫌?以前キスしたこと、まだ引きずってる?」
「そ、そんなことありません。ただ、ただ」
「ただ、何?」
和一さんは歩みを止めた。
僕も足を止めて、彼を見上げる。
もう僕は彼に達也の面影を探さない。
でも、彼の顔を見ていたら、ドキドキする。
視線が合わさりそうになって、思わず下を向いてしまった。
「良くん」
「ぼ、僕自分の気持ちがわからないんです。あと、和一さんの気持ちも。前、あの、僕のこと好きって言ってくれたの、まだ同じ気持ちですか?」
「良くん、随分はっきり聞くね。……うん、俺の気持ちはまだ変わらない。迷惑?」
「迷惑なんかじゃないです。ただ、和一さんと一緒にいるとどうしていいかわからなくなって、僕のこと好きって言っていたこと思い出してから、もう気持ちがぐちゃぐちゃになって、ごめんなさい」
「そうなんだ。そうか」
和一さんは何が嬉しいのか、微笑む。
それは僕の心をかあと熱くさせた。
「顔が赤い」
「ほ、本当ですか」
両手で頬を触ると確かに少し熱い気がする。
「俺は大人だから待てるよ。前みたいにがっつかない」
「和一さん?」
「これからもよろしく。毎日楽しく送らせてもらうから」
和一さんは口の端っこを上げて、少しだけ意地悪そうに笑う。
それもなんだかかっこよくて、僕の頬は多分まだ赤いまま。
「さあ、遅刻するぞ、急ごう」
「はい」
高校卒業まで彼は毎日僕を送ってくれた。
達也と幸奈ちゃんの姿を見ても、僕の中で黒い感情が沸き起こることはなくなった。
ただ、和一さんが友達と一緒にいると、なんだか嫉妬に似た感情を抱くようになって、その度に和一さんは嬉しそうに笑う。
高校卒業後、達也と幸奈ちゃんは結婚。
僕は、和一さんと付き合うようになった。
一人暮らしを始めた彼のアパートに一緒に住むようになった。
僕たちが恋人同士であることは、達也以外まだ家族には知らせてない。
いつかちゃんと説明できる日が来ればと思っている。
僕は幼馴染に不毛な恋をした。
今は、幼馴染の兄に不毛だけど、幸せな恋をしている。




