記録09:農学徒、地に書き知を刻む
初めて魔法を使ってからいつの間にか数日が経過していた。空の色、植物の形、風の匂い。どれもまだ見慣れないし、気を抜けば不安に呑まれてしまいそうになる。それでも、毎日同じ場所で目覚め、火を起こし、簡単な食事をとる。そして周辺の探索に励み、余裕があれば魔法の訓練を繰り返す――。
そんな風にして暮らすうちに、ほんの少しだけ余裕が出てきた。その余裕は、心の隙間を生み出す。隙間から、もともとの俺の性分――研究癖が、ゆっくりと這い出てくる。
「……やっぱり、見れば見るほど気になることが山ほど出てくるな」
特に、あのスライム。
最初に出会ったあの日から、そいつはずっと俺のそばを付かず離れずの距離を保ち続け、俺の生活を手助けするようになっていた。
火を焚けば枝をくべ、食事時になれば材料をだし、俺が新しい調理法を編み出せば次の食事の時間には真似をしてくる。どう考えても、ただの動物ではない。知性があると仮定した場合――知性がないとは微塵も思えないが、これは非常に重要な存在だ。
この世界におけるスライムとは何か。どういう位置付けの生物で、どんな能力を持ち、どういった生態なのか。
正体を知ることで、新たな発見が生まれるだろう。つい最近知った体内保存における時間経過の問題を考えると、このスライムについて研究することは、俺の生存確率にも直結すると考えていいだろう。それならば、調べるしかない。
俺は洞窟の前の平地にしゃがみ込み、地面に小枝で文字を刻み始めた。ペンも紙もないこの世界では、これが唯一の記録方法だ。記録もしやすいが同時に書き換えもしやすい。些細な風や雨でこの内容は消え去ってしまうだろう。だからといってやらないのは時間を無駄にする。時間に余裕が生まれ始めた今行動しなければ、これ以上余裕が生まれた時、やりたいことが増えすぎて何もできなくなってしまうだろう。
記録が消えてしまうのはもうどうしようもない。要点だけでもまとめて、すべて頭にいれてしまおう。
そう自分を納得させて、俺はひたすらに分かっている情報を書き込んでいく。
「分類……鑑定結果よりスライム。サイズ、直径30〜40cm。形は球体と考えられ、現状は重量を受け下膨れ状になってる。色、透明……。擬態なのかは不明だが、そのほかの色に変化したところは確認できていない。ガラスなどと同様にすべての光を吸収しないと考えられる。屈折については未検証。本体に包まれてしばらくは包まれたものが確認できるが、しばらくすると徐々に消える。消化のように見えるが、体内で保存されており、自在に取り出すことが可能。食性、不明。食事と考えられる行動を確認していない。知能……仮説:高。人の言葉を理解し、反応を返すこともできる。喜怒哀楽があるとみられ、それぞれに応じた反応を示す。反応については――。」
無我夢中で書き起こしていく。刻んだ文字は粗く、そよ風でも消えてしまうだろう。それでも、言葉にしてまとめることで、思考が明確になる。
ひとまずは知っている情報をすべて書き出す。観察して違う箇所があれば修正していこう。それで、肝心の観察対象はというと……。
焚火の周りをはねながら、明かりが絶えないように薪をくべている。たまにこちらを確認するように近づくが、特に何かしてくることはない。こちらの行動を観察していると捉えていいのだろうか。この行動原理は一体……好奇心か、監視か、それとも模倣の準備か。擬態として観察するのはわかるが、これまでの狩りの様子をみるに特に擬態をするタイプではない。目的の予測が全く立たない。これほど予測しづらい研究対象は調べる甲斐がある。
地面に書いた文章をなんども書き直し、書き足しを続け観察記録は順調に進んでいく。そうしてまとまった事実から。地面の上に仮説を並べていく。
習性、食性、知能……。様々な項目についてまとめていく。ただ、観察対象が一個体だけであることはどうしても悔やまれる。
このパズルのピースをはめていくような感覚が懐かしい。思えば、前の世界でも俺は、こんな風にして1つ1つ仮説を検証していた。
「……紙さえあれば、記録を残しておけるんだけどな……木簡に石版に……作るか?」
ぶつぶつと異世界のやるせなさを愚痴ると、それを待っていたかのように目の前にウィンドウのようなものが現れた。
突然の出来事を飲み込む前に、脳内に思い出したかのように知識が溢れてくる。
木簡の歴史、性質、作り方、注意点……。いろいろな情報が整理され、まとめられている。感覚としては、関連ファイルが開かれ、内容が要約されるような。しかし、こんなに膨大な量の知識が流れてくる割には不思議な頭の軽さと明瞭さがあった。
「……な、なんだこれ……?」
急なバグに見舞われたような気持で混乱しながら、俺はとっさに自分自身へ《鑑定》をかけた。精神異常や今日の食事になにか問題があったのだろうか。初日からとくに変わったことはしていないはずなのだが。
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鑑定結果
【対象:自己】
種族:ヒューマン(?)
年齢:不明(推定15)
性別:男性
体質:魔素適応性・極高/詳細不明
スキル:鑑定(初級)/分析/ライブラリ※/?
備考:適応途上。詳細情報取得不可。
※知識継承反応を確認。情報補助機能一部有効化済。
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最初に確認した状態と特に変化はない……特別状態異常とは書かれていない。しかし、俺は見落としていた箇所があることに気が付いた。
「あっ……そうか、俺鑑定ばっかりに目が行ってたんだ。」
異世界にきた衝撃とよく見るスキルに対する興奮で目に入っていなかったのだろう。《ライブラリ》というスキルが明らかに異質だった。
鑑定結果に書いてある内容、そして今起きた状況を整理する。おそらくこのスキルはその名前の通り図書館のような役割をしているのだろう。
知識継承反応……それの内容はわからないが、今現れた木簡の知識。そこから考えると、おそらくこのスキルは目的の情報を引き出すことができるものなのだろう。
「なら火おこしのときとか発動してくれよ。苦労したんだから……」
スキルに対する文句なんて意味をなさないことは理解しているが、あの苦労を思い出すとこのスキルがあればずいぶん短縮できたのではと思ってしまう。
いや、最初から鑑定結果として見れたんだ。今の今まで検証しなかった自分の責任だろう。そう言い聞かせて改めて目の前に現れたウィンドウを見る。
脳内に整理されていた木簡の情報――それとは別に「登録済:観測対象“スライム1号”」というデータが記載されていた。思考を介して、情報を“登録”する。つまりこのスキルには二通りの使い方があるってことだ。1つは目的の情報を引き出す。そしてもう1つは研究ノートのように知りえた情報をまとめておけるスキルだ。
「……すげえな、これ」
先ほどまで地面に書き連ねていた情報はすでにまとめられている。それに追加するように情報を思い浮かべると、ライブラリが見えるように“記録”していく。これでちゃんと欲しいときに自ら発動できれば、鑑定と並んですごく役に立つだろう。ただし、記録されるのはあくまで「俺が知っている・理解している範囲」だけのようだ。未知の情報を補ってくれるようなチート機能ではない。だがそれでいい。俺は研究者だ。知るために動くのは、自分自身の役割だ。それに現代社会の知識は異世界において相当なアドバンテージがある。
ようするに鑑定とライブラリを駆使して研究を進めていけという世界からの指示でもあるのだろう。
「それにしても、スライム1号は味気ないよな……名前、どうしような」
思わずスライムの方を見る。あいかわらずこちらを見ていた。ぴょんと一跳ねすると、そっと俺の横に寄ってきて、すぐそばに身体を落ち着けた。
「だとしてもなあ。俺は名付けのセンスとかないし。安直な名前も面白くないしなぁ。」
適当な由来で名づけられても面白くないだろ?とスライムに声をかけると、肯定するようにスライムが一度ぷるんと震えた。
こいつにもこだわりがあるのだろう。もしかしたらすでに名前……声を発するわけでもないから、識別コードのようなものがあるのかもしれない。いつかびびっと来るような名前があれば、それをつけてやりたい。幸い、今は俺とこいつの二人暮らしなわけだし。
「ま、なるようになるっていうしな!」
こうして、俺の異世界研究は本格的に始動した。この世界に生きるスライムという存在を、観察し、記録し、理解する。そしてゆくゆくはこの世界自体を研究し解明していきたい。
今の俺には、論文を提出する理由も、成果を認めてくれる教授もいない。それにこの研究成果を生かしてくれる場所だってない。
けれど――いつか、この記録が、何かの役に立つと信じて。




