記録07:農学徒、火と食事と次の一手
指先に宿った火が、ぱちりと小さく揺れた。
「成功したのか、炎の魔法……」
驚きと興奮、それと少しの怖さを胸に抱きつつ、俺はもう一度そっと指先に意識を集中した。火がついた過程。それは長い詠唱でもよく聞く呪文でもない。焚火を起こせる種火が欲しいと願った。
もし仮にこの想像が実現にかかわっているというのなら――俺が今度思い描いたのは――チャッカマン。プラスチック製の棒状の点火器具で、親指でカチッとスライドすると先端から小さな火が出るやつだ。火のサイズも扱いやすいし、今より大きめの炎が見られるはず。
できるだけ強く念じてみると、それを再現するように、俺の指先に灯った炎がゆっくりと大きくなる。炎は森の優しい風をうけ、ゆらゆらと静かに揺れている。
なるほど、やはりイメージが重要なのか。頭の中で火の形や勢いを思い描くだけで、火の強さや色合いに違いが出るのがわかる。マッチ、ろうそく、ガスバーナー……イメージに合わせて、魔法の炎はそれらしく応じてくれる。少しの期待と欲望から、俺が知っている中で一番勢いと温度高い炎――酸素バーナーを思い浮かべる。すると指先の炎は先端が青白く鋭くなり、想像通りの勢いのある火が出てきた。
「あっぶな!!」
まじまじと指先を眺めていたせいで、急に勢いのでた炎が前髪を掠めた。燃えてはいないようだが、なんだか焦げ臭い匂いがする気がした。
しかし、こうやって理想通りの火力がでるのなら、いつかやってみたかった科学実験も夢じゃないかもしれない。ごくりと生唾を飲み込むと、足元に感触があった。スライムが心配するように寄って来ていたらしい。
「そうだな、今必要なのはこれじゃない……」
気を取り直してイメージをリセットし、チャッカマンの火を思い浮かべ直す。すると火はすぐに小さくなり、火付けに丁度いい強さへと戻った。意思で制御できるのはありがたいが、興奮して無駄に大きくして遊んでしまいそうになるのは考えものだ。
ともかく直接火がつくならと、指先の炎が消えるようイメージした。強く念じなくてもあっという間にそれは消えてしまった。なんだか名残惜しく感じながらも、俺は自分のとってきた枝を確認し直す。目的は焚き火のための土台作りだ。
とってきた中には使えそうなものがなかったので近くの草地で、Y字に分かれた太めの枝を二本、それに加えて串として使えそうな真っ直ぐな枝を一本、時間をかけて慎重に選んで集めた。地面にY字の枝を突き立て、それぞれの枝の上に串を渡す形で簡易的な焼き台を作る。写真で見たことはあったが、自分で組み立てるのは初めてだった。
中央に小枝を組み、改めて程よいサイズの炎を作る。不安ながらそれで点火すると、最初はかすかだった火も、次第に枝に燃え移り、焚き火らしい炎になっていく。無事に成功したようだ。
「さて……」
火が安定してきた頃、スライムに例のホーンラビットの肉を取り出してもらう。一度見たときからかなり時間がたった気がするが、前と状態がさほど変わっていないように見える。いやそのままなのかもしれない。これなら余裕で食べられる。
とりあえずそのまま肉を串に通し、火の上にかざして焼いてみる。表面からじゅわりと脂がにじみ、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「うまそうには見えるんだけどな……」
異世界生物の肉。それに対してはワニや熊とかの野性味のある生き物やカエルなどの本当に食べるのか信じられない生き物の肉に対する恐怖と同じ感情を抱く。
ただ、ウサギに似た魔術だし前の世界でもウサギ肉は美味しいと聞いたことがある。生肉の見た目も七面鳥のようなサイズと色合いで、おどろおどろしくはない。
順調に焼けて無事に食べられさえすれば、もうあとはなにも望まない。そんなことを考えながら枝をいじり火力を調節していく。しかし、このままの火力で焼き続けたら、外が焦げ、中が生のままになるか。そんな気がしてならなかった。
一度肉を引き上げ、懐に入れておいた大きな葉を取り出す。火起こし用の枝を拾っているときに見つけた、ホオノキに似た厚手の葉だ。
軽く水で濡らしてから肉を包み、再び串に通す。葉を巻くことで水分が保たれ、火の熱が均一に伝わるはず。少しでも失敗の可能性を減らすための工夫だ。最高なのは蒸し焼きのようになって、ふっくらと仕上がること。最悪なのは葉が先に焦げて焦げた香りが肉に移ること。要はギャンブルだが、成功率が高い方にかけたい。
火加減を見ながら、じっくりと焼き続ける。一定時間おきに肉の向きを変え、炎が弱まれば細い枝を足す。そんな作業を繰り返していると、次第に炎の扱いにも慣れてきた。
「お、香りは悪くないな……」
葉を外すと、肉の表面は先に焼いておいたおかげでしっかりと色づき、肉汁が染み出していた。見た目は十分そそる。だが、問題は味だ。
恐る恐るひとくち――。
「……うーん。まあ、こんなもんか」
肉そのものの旨みはある。だが、塩気も香辛料もないと、ここまで印象が違うのか。見た目や香りで食欲をそそられても、口の中に広がるのは単調な味。噛みごたえもあって腹は満たせそうだが、満足感とは別物だった。
異世界の料理といえばモンスターの肉の美味しさに感動する、といった例があるじゃないか。と少しばかりこの世界を恨んだが、現代日本の豊かな食に慣らされた感性では仕方のないことなのかもしれない。
「味付け……いるな、やっぱ」
スライムがそばでじっと見つめているが、肉には反応しない。前と同じく、動く様子はなく、ただそこにいるだけだ。
やはり俺にホーンラビットの肉だけを渡すということは、スライムの食事はまた違うのだろうか?草食だったり、鉱物を食べたりなんかするのだろうか。
そんなことを考えながら、腹が空ききった体にどんどんと肉が収められていく。味が薄いとはいえ、こうしてちゃんと食事らしい食事ができるだけでもありがたい。こうやって少しずつでも異世界生活に適応できていけるのなら安心だ。
火を見つめながら、俺はふと思う。
先程の魔法。想像通りに変化する形。そして文明の発達した世界の知識。それが合わさって辿り着く答え――それは。
「……そうか。火が使えるなら、戦えるかもしれないな」
護身用の手段として、魔法はあまりに心強い。もし魔獣に襲われても、これを使えば逃げ切るチャンスは増えるだろう。あるいは――探索範囲を広げることもできる。
「だったら、次は……撃ち出すような火だな。遠くからでも魔獣を牽制できるようなやつ。接近戦は心得がないから到底無理だし」
希望と興奮、それと少しの不安を胸に、俺は新たな魔法の可能性に踏み出す決意を固めた。
最後の肉片を飲み込んだ腹の中には、たっぷりの肉と希望が詰まっていることだろう。




