記録27:世界樹の懐にて
その空間に果ては見えず、どこを見渡しても地平線が伸びているだけ。
唯一存在するのは世界樹と呼ばれる巨木だけだ。遠近感が狂うほど巨大なそれは精霊王のところへ来る前に見た、壁画のあった巨木の10倍以上に見える。
幹は白に近く、精霊王のいた場所と似た神聖さが感じられる。その幹は天を突き破るほどに高く伸び、その枝の先すら見ることが難しい。
緑の葉が見えたかと思えば、一瞬のうちにそれは黄色にもピンクにも変わって見えてくる。光の影響なのだろうか。
先ほどの神殿とは打って変わって一匹の精霊も見当たらず、この空間にいるのは精霊王エリュシェールと俺。そしてアルとカグラだ。
精霊王の口ぶりからしてアルとカグラは話に入っていなかったが、境界は二匹を拒むことなく、すんなりと受け入れている。二匹の方は……俺が力を籠めれば反応が返ってくるが、ただの反射だろう。この場を感じられているのかもわからない。
エリュシェールは巨木の幹に近づくわけでもなく、その場に座り込んで俺を横に座るように手招きした。
戸惑いながらも言われた通りに座ると、満足そうに微笑み、天に向かって手を伸ばした。
「さて。何から話そうか……」
まるで意思があるかのように一枚の葉が彼女の手のひらに落ちた。
彼女が拾い上げるでもなく、狙ってそこに落ちてきたとしか思えないが信じられるものではない。しかし当の本人はその奇跡が当たり前とでもいうように平然としている。
一枚の葉はエリュシェールの手に触れるとゆっくりと色を変えている。その不規則な色の変化を見ながら彼女は頷いて言った。
「そうだな。まずはその話をしよう」
彼女が葉を天に還すように浮かせると、世界樹の葉はまるで無重力空間にいるように彼女が与えた力のみを受けて空中を漂い、溶けるように消えた。
かと思えば俺たちの目の前にライブラリや鑑定を使ったときと同じようなスクリーンが現れた。それは縦長でサイズとしてはドアのようにも感じられるが、彼女の素振りからして何かの入り口ではないのだろう。
「……もう一度確認するが、そなたはアリシエルの子でありながら、アリシエルを知らないのだな?」
「はい……気づいた時にはすでに一人で。両親の存在はよくわからないんです」
「ん?あぁ。わかっておる。そなたは異世界の魂を持っているのだろう?それは当たり前のことだ。我が聴きたいのは創造神アリシエルを知っているかということだ」
……少し情報が多すぎて頭が混乱している。
まず、この世界の存在であるエリュシェールが『異世界』を認識している。つまりここには俺以外にも異世界から来た存在がいたということだ。ただそれは俺と同じ地球から来たものかわからないし、なんなら同じ時代を生きた人かもわからない。
次にアリシエルという存在についてだが――まさか創造神とは。つまり俺は創造神の子どもなのか?神の子というのはそれはそれは重大な存在だろうが、それにしてはかなり不便で手探りだった。
相手にとっては何とも信じがたい話だろうが、知っているか知らないか聞かれたらもちろん知らない。会ったことも話したこともないのだから。
「異世界、ですか。もしかして俺のほかにも転生者がいるということですか?」
「ふむ。転生というのだな。我は神がこちらに干渉するために異世界の魂を使うということしか知らぬのだ。そなたが知りたいこととはまた違うかもしれぬ。それより創造神の子とは何も知らないのか?」
「あ、はい。元居た世界で気絶したと思ったら森の中にいたものですから、そのような存在がいることすら知らず……」
「なるほどな。やはり世界樹の言う通り、これまで通りやもしれぬな」
少し悲しげに肩を落とした彼女は、目の前のスクリーンに手を伸ばした。
彼女の手がそれに触れると、一瞬の揺らぎが起こったのちに一つの絵が現れた。
一つの大きな目の周りには光の表現と思われる線が引かれ、その下には大きな天秤が描かれている。
天秤の皿にはそれぞれエルフと龍が描かれ、その下に続くように巨木、動物、そして精霊だと思われる光の玉が散りばめられている。
そのほかにも小さな生き物が描かれているのはわかるが、それの示すものは何なのかはわからない。
その小さな存在よりも、この絵が先ほど見たばかりの壁画の完全な姿だということの方が重要だった。
「……これは」
「そういえば、ここに来る前この複製画をみたのだろう?ずいぶん昔に作られた上に保護の術もかけていなかったとあれば、もう原型はないだろうがな」
食い入るようにその壁画を見る俺をエリュシェールは面白い物を見たようにくすくすと笑う。
俺が見つけた世紀の大発見はこの精霊王にとっては大したことがないもののようだ。少しばかり悔しいが、この世界を何も知らない俺と、よく知るこいつじゃあ感じ方も異なるだろう。
恥ずかしさを抑えながら、いったいこれは何なのかと尋ねる。エリュシェールは意外にも素直に教えてくれることはなく、少し悩んでから言った。
「教えてもいいのだが……ただすべての答えを伝えるのは面白くないのう」
「えっ……」
「そなたもこの地に来る前、石碑をみたのだろう?あれがあれば多少の意味は理解できる。そうだの……」
『話をする』というから質問に答えてくれると思っていたのに、目の前の精霊王はずいぶん意地が悪いらしい。
ニヤニヤと楽しそうに考える彼女を急かすように、世界樹が揺れた。
精霊王は世界樹の動きの理由が理解できるのだろう、にやつく顔を落ち着かせ、はるか遠くの木に向かって強めの口調でわかっていると答えた。
「この絵画については教えてやろう。これはこの世界の成り立ちを表したものだ。これには合わせて神話が残されているが……正直な話、我も完全には知らぬのだ。石碑に刻まれていることは知っているが、我はこの地を一度も出たことがない。それに他の存在のことなど興味もないからな」
成り立ちについて語られた神話とそれを表した絵画。俺たちが解き明かそうとしていたものの正体はそんな壮大なものだったのか。
しかし、この精霊王は「知らない、興味ない」といっているが果たして本当だろうか。
先ほどの教えるか教えないか迷ってニヤニヤしている態度を思い出すとこの回答も怪しく感じる。
そんな俺の訝しむ態度が伝わったのだろう。鋭い目つきで疑っているのか?と圧をかけてくる。心底疑っているが、王族の手前余計なことは言わない方がよいと口をつぐんだ。
「そもそも!我はこの話をするためにそなたを呼んだのではない。貴様がアリシエルの子だというのにこの世界のことを何も知らないからわざわざ説明することになったのであろう!?本題ではないのだからそこまで責められる必要もない!」
「え……?いや、俺はそんな責めたつもりはないんですが……」
「おぬしではない。これじゃ。我しか言葉がわからぬというのに先から延々と文句を言っておる」
そう言ってエリュシェールは世界樹を指さす。確かにエリュシェールは世界樹と三人で話そうと言っていた。
何も聞こえないし、そもそもだから話せないと思っていたのだが実際は違うようだ。
一人だけに聞こえる内容でいろいろといわれていたら文句が出るのも仕方ないのかもしれない。
あまりにもいろいろといわれていたのか、エリュシェールは拗ねた。
わかりやすく頬を膨らませ、腕を組んでいる。この無言の時間も世界樹の話が延々続いているのだろう。なんだか少し可哀想に思えてくる。
彼女に同情していると、頭上からふわふわと小さな花が降り注いだ。世界樹なりの謝罪なのだろうか。エリュシェールは慣れ切っているのか、嘲笑するようにいつものか、とつぶやいた。
呆れてはいるようだが機嫌は落ち着いたらしく、こちらに向き直る。
「世界樹の声が聞こえぬのにずっと黙っているわけにもいかぬな。すまぬな、アリシエルの子よ」
「いえ、大丈夫ですよ」
実際は全く持って大丈夫じゃないが、これは前世からの癖なのだから仕方がない。
文句の一つも言えない自分は悲しいが、これもこの場を流すためだと受け入れよう。
エリュシェールはそうか、とだけ返し落ち着いたようで真剣な面持ちになった。
「気を取り直し、本来話すべきことを伝えよう。そなたがこの世界に来た理由を――」




