記録25:精霊の導きと白の神殿
25
樹洞の壁画の記録を終え、俺たちはその場を離れることにした。
外へ出ると、先ほどの別世界のような空間はまるで嘘だったかのように、森の静けさが戻っている。
思わず振り返っても出入口の穴は開いたままだが、その奥は闇にのまれているかのように何も見えない。
明らかに異質な存在だが、巨木自体は風に揺れる木の葉がさわさわと音を立てるだけで、特に変わったことは何もなかった。
しかし、この巨木に近づいてから今の今まで姿がほとんどなかった精霊が、樹洞を出たとたんに集まってきていた。
まるで俺の身を案じているかのように、柔らかな光を放ちながら周囲を舞っているのだ。
その光景を見ていると、心のどこかに不安がよぎる。
もしかしたら俺は呪われているのかもしれない。あるいは、この場所が何か危険な意味を持っているのではないかと。
思わずカグラに目を向けると、やはり信じられないと言いたげな顔をしている。
そういえばこの場所に近づいたのも精霊が少なかったから、という理由だった。
精霊が近づけない場所、というわけではなく精霊が近づきたくない場所だったというのだろうか。
アルはそんな俺達の様子を気にも留めず、先へ歩き出す。
精霊が見えないアルにしてみれば、特に変化のない景色にみえているはずだ。
当然不思議に思ったようで、「戻らないの?」と俺とカグラに問いかけるが、二人ともその問いに答えずにいる。
今は特別違和感があるわけではない……ただの勘に過ぎないのだ。
今は深く考えるのをやめよう。
俺は深呼吸をひとつして、アルの後ろを追いかける。
精霊達は心配するように俺の周りを待っていたが、元の位置に戻るにつれて、早くこちらへ来いと言うように石碑と行き来したり、待ち構えたりしている。
石碑になにかあるとでも言うのか?不安と好奇心で跳ねる心臓を抑えながら、石碑へと近づく。
改めてみるそれは特に変化もなく、知らない文字が並んでいるだけだ。精霊がやけに忙しないからなにか変化があると期待したんだが、そう上手くは行かないらしい。
「んー……やっぱり見返してもわかんないものはわかんないな。なんの形をなのか検討もつかない」
期待するようなアルの眼差しが、落ち込んでいくのを感じた。
幼い子の期待に答えられない感覚に心が痛むが、取っ掛かりも何もないのだ。気の遠くなるほどの検証が必要になるだろう。
うんうんと唸る俺をよそに、後ろで石碑を眺めているカグラが何気なく口を開いた。
「なぁ、これってさっきのに似てねぇか?」
「え?」
さっきのとは……?
カグラの指差す先を追いかけると、一つの文字があった。
小さな正方形のサイズに収まるように簡略化され、かなり抽象的になっているが、よくよく見るとそれは壁画に描かれていたドラゴンの横顔に見えなくもない。
他にも天秤やエルフだと言われたら納得できるような、そんな文字もあった。
「つまり、この石碑とあの壁画が表しているのは同じ物……?」
壁画の説明文や解説だったりするのかもしれない。だが似たモチーフが描かれている時点で文字が読める人は解説を必要としないのではないかとも思ってしまう。
これを作った人物は、何か他の意図があったのだろうか?
……ともかく、カグラの気付きは素晴らしく、かなり真相に近づいたと思う。
ドラゴンやエルフはなにか特別な一つの存在を指している可能性もあるが、文字で使われている頻度を見ると、固有名詞だとは考えにくい。
例えばドラゴンから連想される言葉――強い、凶暴、雄大……そんなニュアンスで使われている可能性が高いだろう。
他の文字もあの壁画にある物なら話は早い、が。生憎あの壁画では何が描かれているかわからないものもある。これらは最悪文章がつながるように当てはめていくしかないだろう。
途方も無いことに変わりはないが、それでも大きな進展だ。
限りなく不可能に近かった解読が少しでも可能に近づいた。こういった地道な成果はやはり染みるものがある。
噛みしめるように俯くと、石碑の下部――台座との境目あたりに、なにか印があるのに気がついた。
3つの葉が重なったような印だ。かなり抽象的に表現されている。
印は文章部分からは離れていて、ここまで文とは見えない。
それに、その印は文中では登場していなかった。ここで新たな文字を付け足すのは違和感がある。
考えられるとすれば、作者のサインや日付のような記録用の印だが。
印を確認しようとしゃがみこんだ俺を追うように、精霊たちが印の周りを舞っている。
いや、やけに激しく動いている。右手と印を行ったり来たりする精霊たちは何かをしろと言いたげだ。
……やはりこの印になにか意味があるのだろうか?
精霊たちに誘われるまま印に手を伸ばした。
印に触れた瞬間、カグラの悲痛な静止の声が聞こえた気がした。
それと同時に辺りは白い光に包まれ、何も見えなくなる。
眩しいような恐ろしいような、そんな気がして思わず目を瞑る。ガタガタと周りが揺れている気がして、体がふわりと浮く感覚がする。
これらも全て感覚で、実際は何が起きているのかわからない。
その感覚は消えることなく、永遠に続くような気がした。
何が起きているのかと恐る恐る目を開くと、先程まで目の前にあった石碑は無くなっている。驚きつつ顔を上げると、その周辺も見覚えのない景色に変わっている。
大理石のような模様の入った白い床に座り込んでいる俺の周りには木々の代わりに大きな白い柱が立っている。
縦に筋の入ったそれは神殿を連想させるもので、ところどころにツタが巻き付いていた。
天井はなく青い空だけがこれまでと変わらずにあり、なんだか安心してしまう。
眼の前には長く広い白い階段が続き、小さな屋根が見えたかと思えば、その後ろには壁画のあった巨木とは比べ物にならないほど大きな木が生えている。
俺たちが見た巨木だって、樹齢1000年以上経っているだろうが、はるか遠い巨大樹は1万年で足りるか怪しい。
もしやこれはいわゆる世界樹と言うやつなのか。
感動と同時に恐怖を感じ始めた。どうして俺はこんなところに飛ばされたのか。精霊に騙された?いや、あんなに友好的だった存在が騙すなんて考えるだろうか。
ここに来る前に聞こえたカグラは止めていたはずなのに……。そこで、2人の姿が見えないことに気がついた。
「アル!カグラ!?」
名前を呼んでも特に返事はない。
まさか、俺だけ転移したというのか。血の気が引いて、全身の体温が急激に下がっていく。
俺が軽率な行動をしたばかりに……後悔は止まない。
視界に映る白が、徐々に暗くなって、呼吸が浅くなる。ずっと側で支えてくれていた存在が急にいなくなるのはこんなにも恐ろしいものなのか。
心臓がバクバクと跳ね出した。
カタカタと震える手は自分では制御できない。
呼吸を落ち着かせようとしても、逆効果で過呼吸のようになってしまう。これはまずい。
意識が途切れる――そう己の行動を後悔していると、手の震えを抑えるかのごとくなにか柔らかいものが触れた。
慌てて視線を下に落とすと、そこには赤と透明な色をした二匹のスライムがいた。
「……アル!カグラ!」
間違いない。ずっと俺のそばで支えてくれていた二匹のスライム達だ。
なぜか人の姿にはなれていないが、離れていないという事実に一気に心が落ち着いた。
じわじわと溢れてくる涙を隠すように、二匹のスライムを抱きかかえる。
「よかった……本当に……」
俺は思ってた以上に、この二匹に支えられていたらしい。
抱きしめる腕の力が強いとでも言うのか、二匹はブルブルと震えている。
慌てて離すと、どこかへ行くわけでもなく、その場でポヨポヨと動いている。
どうしてここでは擬態ができないのだろう。転移の衝撃で解除されたとしても、また擬態し直すわけには行かなかったのだろうか。
会話する相手がいないのは寂しいのでできればまた人の姿になって欲しいが……頑なにスライムの姿に戻りたくないと言い張っていたアルが現状のままな時点で、この空間に異常があるのだろう。
二匹の柔らかい体をプニプニと突いてみる。人間の姿になっているときはこんなことできないので新鮮だ。
そうやって楽しんでいる俺の背後にはずっと人がいたらしい。
「よく来た、アリシエルの子よ」
まさか人がいると思わず、声のする方向に顔を向ける。
長く続く階段の先、神殿のようなその場所に、その人は立っていた。
色とりどりの精霊を携え、長い栗色の神が風になびくように揺らめいていた。
もしかしたら金曜更新ないかもしれないです……すみません
皆様のおかげで1000pvを超えました!
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