記録02:農学徒、世界を解析する
小川のほとりにしゃがみ込み、水面に映った自分の顔を見つめていた。
「ほんとどうなってんだよ……」
メガネがない。髪色も違う。目の色も輪郭も、どこか現実の自分とズレている。何より、顔が若い。鏡じゃなくてもわかる。どう見ても中高校生、せいぜい15歳前後ってところだ。25の院生が、だ。
「……夢であってくれよ、こんなクソみたいな状況……!」
自分の頬を抓ってみる。僅かな希望も痛みとともに崩れ落ちていく。乾いた笑いが漏れる。現実味のない出来事に、思考のリミッターが壊れかけている。
あのウサギもどき、そして天から降ってきたスライム。状況を冷静に整理すればするほど、現実とは思えない出来事が目の前で起きていた。
「……俺、死んだんだよな、たぶん」
ぽつりと呟いた言葉は、思いのほか重かった。
実験の失敗。蓄積した疲労。生活習慣の乱れ。あのラボで、気を失った。考えれば考えるほど心当たりは増えていく。
極めつけは目が覚めたら見知らぬ世界にいたってことだ。
「まさか……心臓止まってたとか?」
もしそうなら、これは“あの世”だろうか。それとも“別の世界”……いや、そんなバカな。フィクションの見過ぎだ。
でも、現実じゃないなら――今さら何を悩む必要がある?
「……うだうだしてても、仕方ねぇか」
目を閉じ、深呼吸。
「……よし」
ぱん、と自分の頬を叩いてから、口を開いた。
こうなったら色々試してみるしかない。流行りものはとりあえず吸収する質で良かった。RPGや異世界物の定番なら択を知り尽くしている。ひとまず、試せることと言えば……
軽く咳払いをして空中に手をかざす。ゆっくりと息を吐いてお決まりのセリフ。
「えーと……ステータスオープン?」
……何も起きない。
人気のない場所で良かった。いや正確には後ろにスライムがいるわけだけど。まあ見られていたとしても今は検証の段階だ。何も恥ずかしいことはしていない。そう言い聞かせて熱くなっていく顔を振って落ち着かせる。
1つ目で恥ずかしくなってる場合じゃない。これしかないわけじゃないんだし。
「じゃあ……メニューオープン?」
無音。
「アポート……じゃねぇよな、これ物呼び出すやつだっけ?」
流行りものはとりあえず吸収する……と言ったって超人じゃない。そこまで徹底的に読み漁るわけでもないし、アニメだって流し見。読んでたのは英論ばかりで、アニメは作業用BGM代わり……その程度なら知識も曖昧になる。 だんだんと滑稽さすら感じてくる。
「うん、バカだな俺」
頭を抱えてうずくまる。
そのとき、ふとある単語が脳裏をよぎった。同じようにステータスオープンで恥をかく主人公が行き着くもの。
「……鑑定?」
瞬間、視界が揺れた。
光が揺らめくような違和感とともに、目の前に文字が浮かび上がる。 ただの映像でも、脳内音声でもない。確かに、"視界の中に存在している"という感覚。
「VRゴーグルで見る……なんだっけ空中にタブが浮いてるみたいなやつに近いか……」
ただVR機器と違うのは手を伸ばしても当たり判定がない……動く気配すらないってことだ。視界を動かしてもついてくるわけじゃなく、発言した眼の前に表示され続けている。
色々検証して、満足してからようやく表示された内容に目を通す。
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鑑定結果
【対象:自己】
種族:ヒューマン(?)
年齢:不明(推定15)
性別:男性
体質:魔素適応性・極高/詳細不明
スキル:鑑定(初級)/分析/ライブラリ※/?
備考:適応途上。詳細情報取得不可。
※知識継承反応を確認。情報補助機能一部有効化済。
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言葉を失う。
ヒューマン、の後ろの疑問符。 年齢の“不明”という表記。 そして、「知識継承」や「ライブラリ」なんて、聞き覚えのない単語。
だが、唯一引っかかったのは、「鑑定」というスキルの表記。
今見えているのは「鑑定」スキルの効果だと考えられる。
「俺、鑑定できるのか……」
思ったよりも情報が少なく、曖昧だったりするがそれは《初級》故の結果なんだろう。級が上がるかどうかはわからないが、情報が一つもないよりは幾分もマシだ。それより、対象が自分以外でもうまくいくのかが問題だ。丁度よく検証相手はすぐ近くにいる。
「鑑定。……スライム」
ゆっくりとスライムに向けて手をかざしてスキルを使うと、今度はスライムの情報が視界に浮かび上がる。
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鑑定結果
【対象:スライム】
属性:無/水
活動レベル:捕食後の休息期
スキル:隠密/酸弾
行動傾向:不干渉/単体行動
危険度:C(防御薄の個体に対して捕食行動あり)
捕食対象:?
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「……本当に、鑑定スキルってわけか」
隠された部分がある時点で、高性能と呼ぶには程遠いが、重要なのはスキルであることだ。この世界の生き物すべてが鑑定スキルを持っているわけがない。実際先のスライムにだって確認できなかった。
そしてこのスキルを持っているものだけが今のような情報を得られるのなら――
「ちょっと、面白くなってきたかもな」
今降り立った俺には、この世界のすべてが未知だ。
染み付いた研究欲が、植え付けられた探究心がぐつぐつと煮えたぎっている。ここには研究の邪魔をする法律も、妨害する人間もいない。自由に思うがままにやりたいことをやりたいように。
俺のこのスキルと前世の知識、技術さえあれば……
「この世界のすべてを解明することだって不可能じゃない……」
ニヤつきが抑えられないのは、好奇心からだろう。
やれる事がいきなり増えたせいでやりたいことが溢れ出して止まらない。
「俺の人生終わったわけじゃないかもな!」
肩の力を抜いて、深く息を吐いた。
それは、ようやく前を向いた最初の一歩だった。