記録10:農学徒、知の扉を開く
記録10:農学徒、知の扉を開く
「そうだ。一応他にもスキルがないか見ておかないと。また自動発動されたら寿命が縮んでいくからな」
特に魔物と戦っている最中に発動されたら命の危険だってある。スライムが援護してくれているとはいえ限度があるからな。発動条件とか、機能とか、検証しておくべきだろう。
「えーと……鑑定はよくて、分析?予想できないな。そしてライブラリ。これは今検証が落ち着いたやつ。『?』は……。また初級の壁か?鑑定も意外と不便なことが多いスキルだな」
もう一度自分の鑑定結果を眺めながら確認していく。所持スキルは多いわけじゃない。でも前世では存在しなかったものだ。本来ならば初日に検証しておくべきだろう。
隠されてわからないスキルはさておき、分析スキルを確かめていこう。分析というからには物がないとな。
俺はちょうど手に持っていた鉛筆代わりの木の枝に念じてみる。すると鑑定やライブラリのようにウィンドウが表示される。
「こ、これって……!!」
名前や特徴が記載されているという点では鑑定結果と同じだ。しかし明らかに違う。そこに表示されていたのは俺が学生時代、お世話になりまくったデータベースにそっくりな画面だった。植物の分類から始まりって系統樹――生物の進化の流れを一本の樹木に見立てて描いた図――を閲覧することもできる。よくよくみれば系統樹に書かれているのは俺がこれまで鑑定して名前を知った植物たちのようだ。
「すごい……!この世界でこんな情報が確認できるなんて……やっぱり遺伝や進化の概念があるってことなのか!モンスターの進化についてもどういう扱いなのか気になってたんだよな……。それにこのスキルがあれとおんなじなら――」
俺は自然と空中に現れたウィンドウへと手を伸ばす。ほとんど空気のようなそれは指が通り抜けそうで触った感触もなかったが、スマホやタブレットのように思い通り動かすことができた。分析の画面をスライドして下の方を表示すると、予想通りそれはあった。
「ゲノム……!比較機能もちゃんとある!」
そう。俺が本格的に研究を始めて以来、毎日のようににらめっこをしていた遺伝子情報がそこにはあった。
この情報があるのなら、いろいろな植物と遺伝子レベルでの比較を皮切りに現代科学が行っていた研究を行えるかもしれない。今は情報や材料が少なすぎるから難しいかもしれないが、品種改良を行うことだって、俺がやっていた特定の成分に着目した研究だってできるだろう。このスキルは一気に前世の生活を思い起こさせた。
前世はまあ最悪の終わり方をしたが、もとより俺は研究が好きでゆくゆくは博士まで行こうと考えていた人間なのだ。ワクワクが止まらない。興奮して気が高ぶった俺を心配するように、スライムが近づいてきていた。
そうだ。このスライムについて研究するなら分析スキルは何よりも重要になるだろう。そう思いついて、俺はスライムに対して分析をかけてみる。
学名や種名など発表する前提の内容は記載されていないが、基本的な情報――スライムといった名前は残されている。植物と同じように系統樹……は動物を鑑定していないのもあってほとんど記録されていないが。さらには俺の見てきたデータベースとは少し違う内容があった。どうやら鑑定よりも少し詳しい特性がまとめられているようだ。
---
代謝・特性
栄養摂取: 魔素を吸収・変換して栄養源とする
消化能力: 有機・無機物自体を消化するのは不可。ただし対象内の魔素抽出は可能。魔素抽出後の物体は体外に排出するがまれに体内に貯蔵している個体も存在する。
応答性: 光・音・熱・魔素密度に対し明確な行動変化を示す
遺伝情報
核構造を持ち、線状染色体を保持
魔素変換酵素群(MTE群)遺伝子配列検出
非常に高い再生能力に関わる再構成因子群(RCF群)確認
外部物質の魔素変換効率に関わる可変領域有り(類似例:プラスミド転写因子に似た性質)
備考
通常の生物的系譜とは大きく異なる進化経路を示す
分析者の観測により一部情報が拡張される可能性あり
---------------
「これは……」
観察だけでは得られなかったスライムの特徴がわかる。例えば魔素を栄養源としていることや、消化機能について。何よりも重要なのは遺伝情報だ。
核を持つということは真核生物ということだろうか。スライム自体の情報は何よりも有益だ。スライムに核があるというのはファンタジーでは鉄板の要素で核の破壊が重要となる場面も多いが、この世界でもそうなのかは検証したい部分でもある。ただ、本当に死なれたら困るので、試すことはないだろう。
それにこの外部物質の魔素変換効率に関わる可変領域。魔素という部分があるだけでかなり理解しにくい部分があるが、プラスミドに似ているということは、スライムに対して意図的に遺伝子の導入ができる可能性があるということだ。例えば、魔素で発行する花の発光のために必要な遺伝子を導入すれば、スライムが魔素で光る体質を得るかもしれない。そしてこの特性があれば、先ほど材料がないからとあきらめた実験ができるだろう。
魔素含有が高すぎて毒となるような植物を摂取させ、魔素を吸収し残りを有効活用することをはじめとして、スライムが有効成分生産機能を学習することができるのならその成分の大量生産も夢じゃない。もちろんこれはスライムを大腸菌や酵母と同じだと想定しての空想だが……。
「お前、すごいな!」
スライムを持ち上げて掲げる。それはずっしりと重いがしっとりとしていて、動揺したのか小さく震えたのがわかった。
「お前のおかげで夢をあきらめないで済みそうだよ!いや、もちろんお前を強制的に働かせるわけじゃないんだけど……っていうか、こんなに世話になる前提でずっとお前呼びなのも変だよな」
名付けは確かに苦手だが、おいとかなあとかで呼ぶのも今後スライム頼りが確定した以上心情として許せない。
研究材料……いや、仲間である以上ちゃんとした名前をつけてやらないと。
そうだな、せっかくだから使ってきた生物種とかから……スライムからだといまいちだ。なら前世でよく使った材料ならいい名前が付けられているような。俺が使っていた大腸菌、プラスミドを増やす目的で愛用していた種類。DH5αから取って――。
「じゃあお前の名前は、今日から”アル”だ!」
スライムは俺の言葉に答えるように細かく体を揺らした。透明な体は空の光をうけて優しく光っていた。
――――――
「おはよう。もう朝だよ。今日からけんきゅう?始めるんでしょ?早く起きて」
次の日、目覚めるとそこには見覚えのない少女が俺の顔を覗き込んでいた――。
「お前、誰?」
目まぐるしく変わる日常はまだ俺をこの世界で落ち着かせたくないようだった。
次回は番外編を更新予定です。