裏切りのとき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お前の思考は、お前を裏切る。
ずっと昔、父に言われた言葉を最近はよく思い出す。というのも、この思考っていうのがいわゆる信じるとか期待とかだと思うようになったのさ。
「こうしたのだから、ああなってくれるだろう。ああなってくれなければ困る。いや、ああなってくれて当然だ」と、どんどん独りで期待を高めていってしまう。
でも、そのもくろんでいたハードルに届かないばかりか、下をくぐられたりしたときには、ぐんと自分の中でネガティブな感情が高まってしまうもんだ。それが本来ならしでかさなくて済む、ミスや被害につながる。
思考は我々がこれまで得た情報をもとに、構築されるものだ。
のぞくことのできない他者の考え、心、そのときのコンディションなどなど、知りえないものまでは組み込めない。
それを知らずに勝手に期待して、勝手に裏切られて、それで相手を責めるというのは、お門違いかもしれないし、めちゃくちゃ割り切りのいい者かもしれない。
思考に頼りきりになるのではなく、裏切られたときにそなえておく。個人同士の関係によらない、もっと大きなものに所属するときには気を付けるべきかもね。
僕の以前に体験した話なんだけど、聞いてみないか?
生きていくうちに必ずやることといえば食べること、寝ること、服を着ることの3つは外せないと思う。
もちろん、中にはこれらをする暇なんかないと、一日二日、あるいはもっと時間をかけてこれらを遠ざけることもあるだろう。でも、命をつなぐうえで、社会で生活していく中で、いずれはこいつらを気にかけないといけなくなる。
僕はこの中だと、寝ることが一番かな。
食べることも、服を着ることも、その時間中は意識しないといけないことはあるが、寝るのはその中で、時間をスキップすることができる数少ない行動だ。
厳密には、時間はちゃんと流れているけれど、それを知覚しないで済む行動といったほうがいいかな。その間、身体は自身の修復や記憶の整理などに努めることができる。
睡眠をとることが大切、といわれるゆえんのひとつだろう。
寝ずにい続けるということは、メンテを一切やることなくマシンなどを稼働し続けることに近い。遅かれ早かれ、どこかしらで調子を崩してしまい、倒れてしまうだろうなあ。
こいつは本当に、どこでもいつでも、必要と覚えたら誘ってくるのだから、その重要さは裏付けられているといえよう。
しかし、寝てコンディションが回復するかというと、そればかりじゃなく……。
その日、はっと目覚めて僕は時計が午前7時を指しているのを確かめた。
昨日、寝たのは午前2時半から3時あたりだったはず。おおよそ4時間ほどとなると、僕にとっては中途半端な睡眠だ。
もう少し寝ようかな、とも思う。今日は休みの日なんだ、長く寝たところで誰も咎める者もいない。この独り暮らしの空間はありがたいものだ。
目覚ましはあと2時間後にセットしてあるが、そのアラームを切ってしまう。
この週は睡眠が不足気味だったから、たまには心ゆくまで眠りたい。どうせなら、午後に入ったってかまわない。
そうぼんやり考えながら、もう一度眠ったのだけど。
気分としては、ぐっすり眠ったはずだ。申し分がないほどに。
しかし、いざ目が覚めて時計を見ると、30分ほどしか経っていないことに僕は気が付いたんだ。
そんなはずはない、と起き上がりかけて、ぐらりと目の前が揺れる。まともに立っていられず、すぐさま布団へ横倒しになった。
強烈な眠気が襲ってきたんだ。
布団の中で覚醒した直後は、確かに指折りの「ぱっちり」感があったにもかかわらず、ちょっと身体を動かしたとたんに、ありとあらゆる疲労が筋肉と神経をいっぺんに苛めてきたんだ。
自分がそう意識するより先に、僕は目をつむってしまい、ほどなく眠りの世界へ引きずりこまれてしまったんだよ……。
それから、僕は何度も目覚めては、疲れてまた眠るを繰り返してしまう。
目覚めるのは30分ごと。多少のずれはあれども、そのたびにあの「ぱっちり」感をまとって、この世界に呼び起こされる。
けれども、勝手な動きが許されない。動き出せば「まだその時じゃない」とばかりに、だるさと目まいでもって押さえつけられ、布団の中へ逆戻りなんだ。
眠りは最高の疲労回復手段。そう信じていた僕にとっては、にわかに信じがたいことだったよ。自分の感じるベストコンディションが、布団の中だけ限定なんて。
けれども、ひとつ疲れた中でやったファインプレイがあった。
普段は手の届きづらいところで充電している携帯電話。それを手元まで、ギリギリコードにつないだまま引き寄せたことがね。
目覚ましになく、携帯電話にあったもの。
それは日付の表示機能だった。僕の目覚まし時計にはついていなかったからね。
そして、目覚めるたびに携帯電話の画面を見て、はじめて気が付いたんだよ。
日付が一回起きるたびに、一日後戻りしているということ。それは次に目覚めたとき、すっかり治ったはずの、足の擦り傷のかさぶたがいきなり現れたことで、確信に変わったよ。
時間は前にしか進まない、とも父は行っていたし、僕も間違いとは思わない。
でもその思考さえ、ときに裏切られて、逆へ行かされることもあるんだろうか、と思ったできごとだったよ。
あの巻き戻った時間のおかげで、助かったもの、台無しになったものもいっぱいあったけれど。