そのルートは推奨しておりません
世界を救った勇者にハッピーエンド確約のおすすめルートを提案するも尽く頓挫する女神の話。
短いです。
弾丸のような速度をもって、しなる指先が勇者を襲う。長く伸びた爪は邪悪な魔力を纏い、触れるだけで生命に終わりをもたらす。
王城の最奥、皇帝が腰を降ろすその王座の上には屍のように干からびた何かが張りつけられている。人型のそれに巣食うように魔王は勇者達の前に立ち憚る。
足元を崩すように地面を叩く。割れた地面の下から地中に潜んでいた魔王の指先が飛び出す。触手のような形をしたそれらは勇者の動きを止めようと四方を囲んでいる。その全てを切り刻んで飛び上がった。
勇者に爪先が触れる寸前、私は聖力を込めてバリアを施した。凡そ聖女レベルのバリアが勇者にまとわりつく邪悪を即座に浄化する。間一髪に接触を避けた勇者はよろめきながらも行儀悪く舌打ちを打った。すぐに体勢をくるりと変えて先程の長い爪を斬りつける。
今度は邪魔をした私を狙っている。慌てて自分にもバリアを施すが、構築速度が間に合わない。
勇者のような鋭利な武器を持たない私をかばい立てするように聖騎士がスキルを発動した。周囲に散らばっていた敵視が一瞬にして聖騎士に向けられる。最上級の視線取りに、動きを止めた魔王の一瞬を、勇者は見逃さなかった。
「勇者! そのまま前へ!」
「わかってる!!」
聖騎士の隣から飛び出した皇子が、勇者の背を思いっきり叩く。手のひらから魔力を流し、バフを付与した。枯渇しかけの勇者の魔力がたちどころに回復する。皇子は自分が持つ全ての魔力を勇者に明け渡した。
続くように私も全てのバフを勇者に施す。
彼の持つ最後の一太刀が、この悪夢を終わらせると信じて、文字通り全てを。
空間を割くような赤い閃光が弾ける。城の上半分が全て消し飛ぶほどのエネルギーが敵を打ち破り、邪悪な魔力と共に消し飛ぶ。復活を目前とした魔王は、人間の耳には理解できない叫び声を上げながら、傀儡と化した前皇帝ごと霧散した。
「お、終わった、のか……?」
皇子の声色は震えていた。あまりにも多くの血が流れ、長い時を浪費した。悪夢の時代と呼ばれた十年にも及ぶ悪政が終わりを告げた。
タイミングよく朝日が登り、すっかり風通りの良くなった王城を暖かく照らしていた。
死屍累々の現場の中で、勇者だけが始まりの時と変わらず落ち着いた様子で仁王立ちしている。
その答えを口にしたのは仏頂面の勇者だった。
「ああ、魔王は死んで、お前たちを苦しめる悪逆の王はもういない。俺たちの勝ちだ」
遠くの方で城下町を魔物から守っていた騎士たちの声が聞こえた。どうやら魔王と同じくして召喚された魔物たちも消え失せたようだ。歓声に人々の泣き声が混じっている。
ようやく訪れた夜明けに、皇子は聖騎士の胸に抱かれ静かに泣いた。勇者もなんだかほっとした様子で私の手を握った。
──そうして、勇者は世界を救いましたとさ。
◇ ◇ ◇
邪智暴虐の王が玉座に座り続け、民を省みることなく私利私欲に走った場合、どうなるか。作物は枯れ果て、戦が勃発し、謀叛が蔓延り──世は乱れる。世が乱れると、生まれるのは魔王。
そして苦しむのは結局、その地で暮らす人々である。
この世界ではそういう風にできていた。
良識ある家臣の進言は叛意と見なされその舌を切られた。言葉を奪われた家臣は王を正すことを諦め、民から税を貪り、自分らの安寧だけを享受する。
魔王の侵攻を止めるために国民を差し出して、王は城に籠った。同じく王に賛同する物も王都に留まり目を瞑った。長いものに巻かれ、恐ろしいことから目を背ければ、今迄と変わらぬ日々が続くからだ。
と、なるとこの世界には敵が二人いるわけだ。私利私欲に走る権利者層と、人を殺す魔王である。
そうして、誰もが民を顧みなくなった世界で、人々が救いを求めるのは神だ。どうかどうかこの苦しみから救って欲しい。そういう無数の祈りの果てに神々は【御使い】を遣わせる。
【勇者】だったり【聖女】だったり【賢者】だったり【巫女】だったり。その世界にふさわしい名分を与えて。
異なる世界にて役目を全う出来ずに終えた、浮いた魂を宛てがうのだ。不慮の事故、失意の果ての死、神の不手際、それらの魂は次の役目が決まっていない。
と、言うわけで。
適材適所として救いを求める世界に溢れた魂を【勇者】として送り込んだわけである。異常事態であるため、少しの祝福を授けてあげる。ページを捲るように魂を運んでやるのだ。
願いの末に召喚された、溢れた魂──いや、ここでは【勇者】。
勇者はこの世界をしっかりと救ってくれた。
リオディアス帝国第六皇子、ディミトリは荒れた世を憂い、私欲を肥やす王族貴族の狼藉に怒りを感じ、旗を掲げた。世のため人のため、自分のために闘うことを選んだわけだ。皇后の衣装係として王宮に務めていた平民の母を無実の罪で殺され、使用人のように育てられた皇子様はそれはそれは聡く強く育ち、いつまでも憤怒と高潔の心を忘れなかった。
彼はこの世界での主人公だったのだ。そんな彼の前に特別が現れる。
そう、【勇者召喚】──この世界では皇族のみ使うことが出来る、と認識されている【奇跡】。皇后の一派にしてやられ、皇帝殺害の罪を着せられ、国に終われ、ああこのままでは死ぬしかない、という四面楚歌の状況でそれは発揮された。
と、言うわけで窮地に追いやられた第六皇子──この物語でいう主人公の前に現れた【勇者】を送り届けたのがこの私、絶世の女神リリアである。
【勇者】を得たディミトリは同盟国で身を隠し新たなる勢力を増やし、じっくりねっとり計画を練り、途中運命の女性と出会ったり、死んだはずの皇帝が甦ったり、実は今の皇帝一族は本当の血筋ではなく黒魔術に手を染めた古代人が洗脳魔術で皇帝の振りをしていたことや、本来その権利を手にするのは出来損ないと呼ばれた第六皇子だった事実を発見したりした。
物語の結末に相応しい世界の真実が暴かれ、皇帝が数十年かけて行っていた魔王の完全復活なんてものを食い止め、その道中でにっくき皇后やら、蓋を開ければ血の繋がらない兄弟姉妹だとかを蹴散らしたりして──こちら全て魔族の血が混じった詰まるところ、正当では無い王の系譜だった──第六皇子は晴れて新たなる皇帝となった。
悪夢の十年と呼ばれるその時代を負わされた戦の立役者、私が遣わせた【勇者】は仏頂面のまま皇帝の前で仁王立ちしている。
「私がこうして命を繋ぎ、生き延びた民を救えたのはお前たちのおかげだ。あの時、私はあの女の追っ手に首を跳ねられていてもおかしくはなかった。──いや、お前達がいなければそうなっていただろう」
雪山を走り、唯一心を許した騎士の屍を抱いて絶望していた第六皇子ディミトリはもういない。王家に引き継がれた王笏を持つ姿は、【所持品】に見劣りしない神々しさを放っていた。
「ディミトリ、明日から忙しくなりますね」
「エリー……、未だ道に迷う俺を、変わらず支えて欲しい」
清楚な白が基調のドレスを身にまとった美しい女性がディミトリの腕にそっと身を寄せた。美しい銀髪は緩やかに結われ肩をなぞるように流されている。繊細な編み込みがいやらしくない程度に繕われているのは、ひとえにディミトリが付けた侍女の質の高さを伺わせた。
イチャイチャと擬音が聞こえそうなほど甘い言葉が繰り広げられる。
【聖騎士】エレオノーラは共に魔王を倒した勇者一行の一人だ。このような可憐な姿に似合わず、パーティでの役割は先陣を切って敵を引きつけるタンクである。そして此度の旅の途中でディミトリが出会った運命の人でもある。
目の前でロマンスを繰り広げるのは今に始まったことでは無い。これだけイチャイチャを垂れ流しておきながら、戦闘が始まれば誰よりも素早く先頭に立って敵を嬲り殺してきたのだから人って見た目では分からない。
そして勇者は勇者であるからして、目の前のロマンスとか知りませんけど、の顔をしてディミトリの言葉に返事をする。
「別に、やることをしただけだ。……アンタの気持ちは少し、分かるからな」
「コホン、勇者。一応ですがこの人は今日から皇帝なのだから言葉遣いとかはそろそろ気をつけた方が……」
帝国民に聞かれたらブーイングが飛んできてもおかしくはないぞんざいな口調に、思わず小言をもらす。一応国で一番偉い人になったのだから身の振り方も変わってくるのではなかろうか。
「ははっ、気にするな。勇者には特別な爵位を授ける。私には心を預けて信頼出来る仲間がまだ必要だ」
だが皇帝陛下が気にしないのならば良しとしよう。私も女神だから他人を敬うのとか苦手なのだ。
「あらそう? ならいいけど。後で不敬罪とか適用しないでよ」
「リリアのこの身の振りの素早さは見習いたいところだな」
三人から微笑ましい視線が注がれる。
ちょっと、どういう意味なの?不服そうに腕を組んでみる。ここ数日はずっと気を張っていたからこのような気安い会話が出来ることが有難い。どこからともなく笑い声が聞こえた。
数時間前に復活目前の魔王を倒した勇者一行はつかの間の平穏を楽しんでいた。
魔王が倒され悪事は暴かれ、正義の名の元にこの国は新たなリーダーを据えて動き出す。復興もままならない中、それでも皇帝が誰か、戦は終わったのか、それらを伝えるためにもパレードは開かねばならなかった。
予算が嵩張るような見栄えは必要ないが、みすぼらしいままではあまりには希望がない。世界を救った勇者たちに、人々は何か特別を思い浮かべる。
とりあえず目下は最低限の予算でどれだけ平和を唄えるかである。
明日は功労者を招いてパーティが始まる。終戦後直ぐにパーティなんでどんな常識知らずだと思われるかもしれないが、世界ではよくあることでもある。特にこの手の下克上王国系物語ではテッパンと言っても差し支えない。
未来の皇后になるエレオノーラには部屋が与えられ、私は勇者と同じ部屋にぶち込まれていた。
いや、別にいいし今までも全然ひとつの部屋にぶち込まれていたけれど、明らかにパーティ格差が起きている。
「別にいいんだけど私達って城の連中にナメられてる?」
やはりナメられたままでは宜しくない。私はともかく、勇者はこの世界で丁重に扱われるべき徳を積んだのだ。
「別に他意は無いと思うが。アンタが宿に泊まる度に俺と同室になって謎選択肢をやらせる流れがあったから、ディミトリがいつも通り用意しただけじゃないか」
「……そっか、確かにいつも通りだわ」
謎選択肢って何でだよ。正当な選択肢を選ばせただけなのに。
自分の今までの行動が問題の原因であったならば仕方が無い。特に同じ部屋でも王城の部屋はレベルが違う。狭くないし、むしろ広すぎて端っこにいたら意思疎通が難しいレベルだ。中に入れば多種多様なお菓子が並べられていたし、一先ず文句は言わないでおこう。
高級な椅子に勢いよく座る。体を優しく包む布地にはしっかりと魔法が仕掛けられていて、人それぞれにあった弾力を用意しているらしかった。
やっぱ一番豪華な場所の小物はすごい。二人ほど座れそうな大きな椅子はご丁寧に二脚用意されていた。
完全なる二人きりになったところで、勇者も目の前の椅子に座るように顎で示す。
どういうわけか二人分座れるサイズの椅子に座ってくる。いや、座れるのだけれど二脚あるんだから前に座りなさいよ。
そう思ったがこの先の選択肢の話の方が大事なので先送りにすることにした。仏頂面の勇者が気まぐれに手のひらを重ねてくる。頬杖を着いて舐め腐った態度である。
──コホン。
「さて、勇者よ。良くぞここまで辿り着いたわね」
「また女神様RPか?」
「私はれっきとした女神様なんだけど!?」
私は女神であるからして、運命の起点となる瞬間に必ず勇者に道を指し示す。複数のルートを用意して、彼に好きな物を選ばせるのだ。これらは私が決めることではなく、天から与えられた【彼が成し得るであろう可能性】の一つである。
何度か、「皆殺しにする」「うるさいので邪魔立てする宰相は殴って黙らせて地下に監禁する」とか、こいつは本来魔王にでもなる予定なのか?みたいな選択肢が見られたが、数あるルートの中から比較的ましなものを選び続けて、どうにか勇者と胸を張れる出来上がりとなった。
ほんと、何度も選択肢の度にどう回避するか肝を冷やしたものだ。
今後用意されるルートは、世界の命運ではなく文字通り彼の人生の命運だ。誰と出会い、どのような仕事をし、どのように暮らすか。世界を救った彼に対するハッピーエンドの報酬に、天から与えられた【成し得る可能性】はどれも申し分なく素晴らしい物だった。
「初めに言ったでしょ。貴方をこの世界の主人公にしてあげるって。ハッピーエンドが確約されたこの世界は貴方が掴み取った貴方の物語よ。あの記憶は忘れて、ここで幸せになんなさい」
「……」
「せめて返事はしなさいよ……」
勇者は選択肢を選ぶ時、いつもこの、なんの感情を抱いているか分からない顔をする。仏頂面とはまた違う、なんというかすごい呆れた顔をするのだ。全部勇者のためであるのに、失礼なやつである。
指を四本立てて、ずいと勇者の眼前に晒す。
「貴方に用意されていたルートは四つ。【聖騎士】エレオノーラルート、【公爵令嬢】ビオラルート、【宮廷魔導師】リズリー、【天才薬師】リグレットルート等など……特に旨みの多いルートはこのあたりよ。一番美味しいエレオノーラルートは、貴方がディミトリとくっつけちゃうからなくなっちゃったし……」
「アンタ無理矢理人をくっつけようとする割には横取りとかはさせないよな」
「当たり前でしょ! 私横取りとか寝取られとかハーレムとかそういう、ふらついたの大嫌いなんだから! 愛ってのは1:1であるべきでしょう。絶対絶対ダメ。アンタが望んでも私が許さないから!」
ハッピーエンドはそれぞれに用意されている。そりゃあ他の神様だとハーレムルートを用意したり、無理矢理あてがったりする神もいるけれど、私が担当する世界ではそんなことはさせない。だって主役は正しくあるべきだ。一人を選べないような女は勇者に相応しくは無い。
時代は純愛だ。運命的な出会いであることも私の中では重要なので、この4人を除く他の候補も必ず勇者と接点がある者を選んだ。
「……うん、安心した」
心の底から安心した顔をするものだから反応に困る。
どちらにせよ、女神である私は彼を選んで、彼を幸せにするために今ここにいる。溢れた魂をあるべき場所に戻すためだと言うのは勿論だが、それ以前にどんぐりより小さかった彼が逞しく、私を見下ろすまでに成長した姿を見ると何とか幸せにしてやりたいと思うのだ。
「いーい? 初めに手を取る相手は慎重にね。私も下調べはしたけど、こういうのってフィーリングが大事でしょう?」
「そんな大体で一生の相手を決めるのか?」
「フィーリングは大体じゃないの! 一番大事なんだから。言葉を交わせば自分との相性が何となくわかるでしょ?」
無理矢理二人で座った椅子は全然余裕はあるけれど、勇者が机の上に置いてあるケーキだとかマカロンだとかを私の口に放り込もうとしてくるので狭くて仕方がない。美味しいけれども今必要な作業では無い。
手のひらでもう要りませんのアピールをすると大人しくフォークが置かれる。口に含んだケーキを咀嚼しながら、頭のなかで計画をねった。
「とりあえず公爵令嬢とは明日のパーティーで会えると思うから、まずはお互いの印象を見てから……」
「ビオラはアレクシスと付き合ってる」
「は!? 何でよ! なんでずっと戦ってた近衛騎士と出来てんの!?」
「あそこ幼なじみなんだって」
公爵令嬢のことを当たり前のように呼び捨てにしていることを注意するのも忘れて衝撃の事実に前のめりになった。
ビオラ・フェレットは唯一残った公爵家の一つ、帝国に巨大な銀行を持つフェレット公爵家の一人娘だ。殆どが皇帝に下り、甘い蜜を吸っていた他の公爵家とは違い腐った政治を糾弾した結果当時の当主は殺されてしまった。
生き残った兄のダンタリオンは皇帝派を演じながら、密かに他国とのツテを探り第六皇子を同盟国に繋いだ。その間にビオラは第一皇子に心底惚れた振りをし、傲慢な令嬢を演じ続け他の高貴な令嬢達を守っていたのだ。
どちらとも勇者一行として戦ってはいないが、この革命になくてはならなかった存在である。
勇者もビオラのことを美しく逞しい女性だと珍しく褒めていた。
「幼なじみなのは知ってるけど……そんな雰囲気なかったじゃない! というかアンタ、ビオラとよく逢い引きしてたからてっきり……」
「うん、アレクシスと合わせてやってたから」
「逢い引きの引き継ぎをしてたってこと!?」
「まぁ、だって二人は元々婚約者だったらしいし、今もお互いを想ってるとか……何か遠回りにそんなこと言ってたから面倒くさいんでそのままビオラに伝えたら、上手くいった」
「と、とんだキューピットね?!」
知らない間に勇者が実らない恋に悶える二人をくっ付けていた。女神的にすごく良い。私はこの手の物語が大好きだ。
思わず「良い行いをしたじゃない。また善行ポイントが貯まるわね」と頭を撫でてしまった。小さい頃から頭を撫でて褒めできたので、勇者は自分がいいことをしたと認識すると頭を寄せてくるようになった。
私の教育が上手くいったばかりに……。
「そこはとびきりのハッピーエンドだからいいわ。それじゃ、リズリー・アイレットはどう? アイレット商会の宗主。帝国で誰もが名を知るアイレット商会の、誰も知らない宗主の正体が17歳のいたいけな少女だったなんて、さすがの私も驚いたわ……。しかもアイレット商会を設立したのは彼女本人。実に七歳の頃の話よ。商会の存在がここまで秘密にできたのも宮廷魔導師として活躍するリズリーの認識阻害の魔法の強力さによるものよね。誓約は多いけど、決まれば誰にも解けない認識阻害の魔法……貴方もかなり興味を持っていたわね」
「あの子はセンスがある」
「……え? センス?」
「その服、とても似合ってる。アイレットにユニコーンのオーロラホワイトで頼んだんだ。大満足」
「待って!? これ貴方が依頼したの!? っていうかユニコーンのオーロラホワイトって正気!?」
オーロラホワイトは白の中で最も価値があると言われている染料だ。その上、ユニコーンはその姿とは相まって恐ろしく気性の荒い生物のため、全ての染料の中で最も希少価値がある。さらに染料となる素材が極わずかな上、加工がとてつもなく難しく、ユニコーンで染料を作るなんて普通に考えて頭がおかしいという話だ。
いくら金を積んだら作ってもらえるのだ。いや、そもそも作って貰えるものなのか。今私が着ているのだから作ってもらえたと言うわけだ。
しかもリズリーの魔法により衣装が私の体にピッタリなサイズに伸縮するようになっている。万が一禁術で体長が五メートルを超えても体にふさわしいサイズに伸びるらしい。
意気揚々と語っていたこの服はリズリーからプレゼントされたものだったが、ここまで価値があるとは思っていなかった。一瞬気が遠くなった気がする。
俗世と関わらずに数千年は生きてきたが、ここまで衝撃を受けたのは久しぶりだった。
「え? もしかして決戦前に夜な夜な集まってたのって……」
「デザインの突合せをしていた。お互いに取り入れたいモチーフでぶつかって……納得させるのにかなり苦労した」
「リズリーはこだわりが強いからね……じゃなくて! 決戦前に何してんの?!」
「でもそのおかげでアンタは死ななかった。殆ど不死身の俺を庇って魔王の爪を受けたよな? あれ、その服じゃなかったら本当に死んでた」
最終決戦に起きた失態をつつかれる。しょうがないだろう、勇者の不死身はリキャスト制だ。バカスカ打てるわけでもないし、あの時彼は瀕死で──既に使える不死身がなかったのだから。
だから私は女神の持つ特殊スキル【ミラースキル】を使った。端的に言えば鏡だ。パーティメンバーのどれか一人のスキルを鏡写しする。
私はエレオノーラの【視線集め】を使った。問答無用で一秒間、敵の意識を全て自分に向けるタンクのチート能力だ。
聖騎士であれば問題は無い。少し深めのダメージを負う。だが私は女神──しかも受肉中。つまるところ一般的な聖女程度の耐久値だった。
「女神は死なな……」
「死ぬんだろ。見栄はらないでくれ」
「……」
死ぬかどうかは分からないけれど、消滅してしまった女神を知っている。だから、この答えにNOとは言えなかった。
「ふっ、……分が悪くなると下唇を柔く噛んで頬を膨らますの、ずっと変わらないな」
「女神をからかわないで!?」
返答を用意できずに黙り込めば、これでもかと頬を指でつつかれる。くっ……こんなことになるなんて!
私は気を取り直して話を摩り替える。
「ってことは結構気が合うってことでしょ? どう、一度女性として……」
「あの子はガリオンと不滅の誓いをした」
「フェレット商会の経理ィ!? 恋愛とか興味無いって言ってたでしょお!」
「うん、既にリズリーと相思相愛だから。それに七歳の時にアイレットが商会を設立出来たのはガリオンが隠れ蓑になってたからだ。ただでさえ平民が魔法を使えるだけで針のむしろなのに金儲けの才能があるなんて国に知れたら今頃使い潰されてた。早い段階で他の邪な男共から彼女を守る必要があったらしい」
この国では徹底的な王権社会が敷かれていた。魔法はこの国の最大の攻撃手段だ。魔王筆頭に魔族というものは人間には扱えない魔力、黒魔力を持つ上にその保有量が何十倍もある。
それらに対抗するとなると、純粋に一つ一つの力を強くするしかない。よってこの国では魔法派遣力の象徴となっており、何より権利者階級にのみ現れるとされている。
平民であるリグレットが長い間魔法の才能があることを隠していたのはこのためだった。
不滅の誓いというのも端的に私はどのような状況においてもパートナーを優先します、みたいな誓である。破ったりしたら普通に二人とも死ぬ。
なんてこった。ビオラに続きリズリーまでダメと来た。いや諦めるな。まだ素晴らしい女性、リグレットが残っている。
「じゃあ残るはリグレットか……まぁ、でもあの子も真面目だし、彼女が発見した特効薬は魔王軍が水路に潜ませた邪気を祓ってくれたものね。彼女がいなければもっと被害は多かったでしょうし、そのことを"すべきことをしたまでです"と言い切ったのもかっこよかったわ。逆境にありながらも薬の開発を諦めなかった彼女は物事を多面から見ることが出来る、素晴らしい人材よね。貴方も確か一目置いてたし」
「そりゃ、女神のくせに重度の魔神病にかかったアンタのために寝る間も惜しんで薬を完成させてくれたからな」
「ちょっ、……! それは忘れるって言ったでしょ!?」
またもや古い失敗をはやしたてられる。魔神病は魔族に流れる特殊な魔力、黒魔力を基準値以上に浴びてしまった人間がかかる病だ。この世界では不治の病──いや、呪いやら不吉の象徴やらとされていた言うならばアレルギー反応だった。
アレルギー反応だから薬があれば治るのだが……如何せんこの世界にそういう概念はなかった。それもそのはず、魔神病はその体に黒い魔紋が現れるという初見だと普通に呪われたと思っちゃう代物だからだ。
基準値を下回ればすぐに治る症状なのだがその基準値を下げる薬草がそもそも魔族の住む地域にしかないというわけで、多分私が女神の対魔力を持たず、勇者一行の一員でなければ普通に死んでいた。
この事件に関しては私がプレイヤーとして受肉したことによる能力値現象が、まさか女神の対魔力にまで影響を及ぼすとは思っていなかったのが原因である。
「了承すると言った覚えはない。アンタは自分が女神だからと無茶をする。俺に掛けられた魔神病を肩代わりしていたこと、絶対に許さない」
「ね、ねちこいやつね……!」
一人分だったら何事もなく終わったのだろうが、勇者の分も肩代わりしたことにより対魔力が機能しなくなってしまったというわけだ。
しょうがないだろう。勇者がここで魔神病になるとビオラの救出が遅れる羽目になると未来視したのだから。
あと数分でも遅れていたらビオラは魔薬を使われ、古代人の依代にされていた。そうなるとこの後の展開が面倒だし、何よりエレオノーラがディミトリでくっついた結果、私の中でビオラが一番の有能株ルートだった。
今となっては必要のない工程である。だが、それでも美人公爵令嬢を救えたのならそれに越したことはない。女神としてはオールオッケーだ。
「コホン、……つまり貴方もリグレットのことは好ましいと思ってるわけじゃない? だって貴方、他人にあまり興味を抱かな……」
「リグレットはレクスと結婚する」
「はい!? どうして"始まりの村"の第一村人と?!」
「レクスはアンタの特効薬を作るのに必要なレキシャの花弁を取ってきた。そしてそのまま二人で薬の研究を続けてる。今は他の難病の特効薬の研究にも精を出してる。あの二人は一緒にいた方がお互いを成長させると思うけど……」
「万策尽きてるじゃない……」
私のおすすめルートは尽く潰れていた。その他にも何個かのルートを用意していたので個人的オススメ度はさがるが提案をしてみる。
が、あろうことか全員お相手がいる。何これ、少女漫画のエンディング?
いや好きだけど、好きなんだけどあまりにも二人組が出来すぎではなくて?
「アイシャは侍女のエレンと出来てる。バランシア地方の籠城戦の時に助けたメイドがいるだろ、アレだ。その後城の管理をアイシャに任せたらいつの間にか恋に落ちたとかなんだとか。ジルドレッドは護衛騎士のラフィンと出来てる。護衛騎士に向いてると思って勧めたら思いのほか意気投合したらしくそのまま……どっちも世間には公表できないけど一生を添い遂げる気だからあまりつついてあげたくない」
「ってかよく考えたらアンタが全部キューピットになってるじゃない!」
よく考えたらエレオノーラの時からそうだった。ディミトリとエレオノーラ、私と勇者の組み分けが異様に多かった。魔王の心臓の在処を突き止めるための地下ダンジョンでも当たり前に転移紋でチーム分けさせられたし!
「別に。皆幸せならいいんだろ? アンタがいつも大団円ハッピーエンドがいいって言ってた」
迫真の叫びはしれっと論破されて終わる。
育て子が私の思想をくんで、良かれと思って行動している。その結果、私の用意したルートは軒並み使えなくなったというわけだ。
そして女神である私が、それらに全く……まぁ〜ったく気づけていなかったことに地味にショックを受けている。
「も、もう……今から繕うしかないわね。私は大事なことを忘れていたようだわ。貴方の好みを聞かせて? キューピットをしてしまうってことは相手にそのような魅力を感じていないって可能性があるもの」
仏頂面だった勇者ごにこやかに笑った。見たことない爽やかな笑顔に思わず固まる。貴方、そんな顔もできたのね。「今更?」と擽ったそうに言うものだから、悪かったわねと小さく謝罪する。
確かに今更だ。これでは無理矢理くっ付けたがると言われても仕方がない。大事なのは気持ちだったのに。
「好みか……例えば?」
「えっと、裁縫が得意、とか?」
「アンタの俺の好みの想定、それなんだ」
「もう! 勿体ぶらずにあるなら言ってよ!」
なんだか今までにないくらい楽しそうな勇者がくすくすと笑いながら思案する。勿体ぶる素振りをまだ続けるのか。伺うように睨めつければ、困ったような表情でおねだりをされた。
「その前に、俺の名前を呼んで欲しい」
「ん?」
「アンタが付けてくれた俺の名前を呼んで欲しいんだ」
突然のリクエストに一瞬フリーズしたが、全然難しい問題ではない。
溢れた魂として役目を全うできなかった小さなどんぐりみたいな魂。傷つき疲れて、姿も形もなくなったただの魂をゆっくりと温めて、人の形になった時にあげた名前。
暫くはそれが名前とも思えなくて、ゆっくりと人に戻る過程でようやく自分の名前だと認識して、私に名前を呼んでくれと希ったあの日の目のまま。
「別にいいわよ──アル。急にどうしたの?」
子ども返りのように、昔よくやった甘える仕草を繰り返す。おでこを肩に擦り付けて、撫でてくれと願われれば女神は得意げに撫でまくることしか出来ない。
だって私が育てた。苦しみと悲しみの狭間でさまよっていたこの子を──間違えて取り出してしまったけれども、今は後悔していない。
「アンタは、俺が選んだ人と幸せになれると思う?」
不安げな声色に自信満々に返す。
「もちろん。きっと誰を選んでも、貴方が愛した人なら幸せになれる。そりゃ両思いになるのは一筋縄じゃないけど、精一杯のフォローはするわ」
「誰を選んでも、成就するように努力してくれる?」
「もちろんよ」
「約束してくれるか?」
「もったいぶっちゃって……ええ、女神リリアの名にかけて、私は貴方の幸せを全力で遂行するわ!」
──貴方の幸せを願っている。例えそれが、長い長い二人の時間の終わりだとしても。
何よりも大切なのは貴方が幸せだということだから。
「このときをまってた」
肩口に収まっていた頭が勢いよくあげられる。私の両肩を掴んで、まるで動かないように牽制しているみたいだった。
「俺の好みのタイプは……年上で、美人で、笑う時にえくぼができて、悲しい時に耐えて、嬉しい時に涙を流す。目の前で飢えた子どもがいたら自分の食糧を渡して、そいつが落ち着くまでじっと待って、優しく声をかけてくれる。噛み付いた子どもを叱る前にやっとお喋りする気になった?なんて声をかけて──」
──ん?
長い、長い好みの主張の合間に、身に覚えのあるストーリーが混ぜられた。二人分の椅子に並んで座っていたはずの私の体は、いつの間にかアルの膝の上になっていた。
「未だに俺のことを小さな子どもだと勘違いして、何処へでも着いてきてくれるし、何処まで着いていっても許してくれる。大概のことを可愛いと思って、それ以上を考えないから、当たり前のように名前を掛けて誓ってしまう……」
指先を絡められる。なんだかよく分からないけれど、私の体温が上昇している気がした。
「金髪で、色白で体温が上がるとすぐ林檎のように頬をあからめる、綺麗な翡翠の目を持つ──抜け目がないくせに間抜けな女神のことが好きだ」
じっとりと視線が絡み合う。鼻先が触れるほどに近づいて、合わさった手のひらをギュッと握りしめて、手の甲に唇で触れた。
そんなに優しく触れられるようになったのか、と初めて抱きしめられた日のことを思い出した。力加減が上手くいかなくて私は肋を二本折って、アルはギャン泣きしてしばらくは指すら触れなくなった。
「アンタのルートを選びたいんだが、言質は取ったってことでいいんだっけ?」
自信満々に言い放つ男の顔を見て、私はずっと自分がルートを定めていると思い込んでいたことを知る。
ざんばらに切りそろえられた黒曜の髪の隙間から血色の瞳が射抜く。ワインレッドが私に絡みついて離れない。
どうやらいつからか分からないけれど──いや、この物語を始めた頃からなのか?
彼は次の言葉を言うための下準備を、丁寧に丁寧に、失敗がないように、強かに進めていたらしい。
唇を抑えようとした私の手はいとも簡単に封じられて、そのまま抱きしめられた。耳元で絶対に聞き漏らせはしないと主張するかのようにゆっくりと告げる。
「女神は名乗りを上げた誓いを破ってはいけないんだよな?」
ええ、その通りよ。私が今まで告げたことをしっかりと覚えている。優秀な男だ。
私は観念して唇を解いた。
「そのルートは……推奨、して……ない、ですね」
一言一言注意して発言する。女神は、名前を掛けて誓ったことは破ってはならない。私は彼の選ぶ道を全力で応援する必要がある。
でも。
「禁止はされてないようで良かった」
苦し紛れの言い訳は、どうやら無効のようだった。
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