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茶の湯

オマタセシマシタというお詫びと、ウッカリしてましたというお詫びがあります。

さんざん「天王寺屋」と言ってきた今井宗久のお店ですが、正しくは「納屋」でした。

このへん、詳しいことはあとがきで。


 再び堺にたどり着いて早くも半年、龍興は今井宗久の納屋(注1)に身を寄せつつ修行に明け暮れていた。そう、松永久秀から手に入れた『黄素妙論』に書かれた房中術の修行……ではない。全然違う。


 率直に言って『黄素妙論』は駄目だった。房中術とはつまり、男女がどう交合するのかということだ。つまりナニをナニの中にナニする話なのだ。言い換えれば、ナニしてからの話である。龍興のナニはそれ以前の話なので、そもそも交合に至らない。刀が錆びついて抜けないのに、どう振るうのか教えられてもしょうがないのだ。がっかりである。本当にがっかりだ! 末尾に別の筆跡で何やら追記されていたが、それも女体に準備を促すものだったのでやはり関係は無かった。龍興は男体の方の準備を整えたいのである。


ーーまったくこれだから弾正はっ!


恥を偲んで頼み込んだというのに、あれはいったい何だったのか。だが龍興の受難はそれだけではなかった。あの一件のせいで、龍興は厳しい修行に耐えなければならなくなったのである。


「……結構なお手前で」


茶である。茶の湯の修行である。松永久秀にうっかり「茶は今井宗久に習う」と言っちゃったからである。


あの時は話の流れで久秀に茶を習うことになりそうだったので、それを回避するために慌てて宗久の名を出したのだ。さすがは天下の大名人、今井宗久の名に久秀もあっさりと引き下がったのだが、実はこれが大きな落とし穴だった。宗久と久秀は共に武野紹鴎の弟子なのである。つまり兄弟弟子だ。恐る恐る宗久に聞いてみたところ、やはり二人には交流があった。つまり龍興がちゃんと宗久に弟子入りしてしっかり修行しているかどうかは、久秀に筒抜けなのである。もし弟子入りしなかったり修行もそこそこに美濃に帰ってしまった場合、将来久秀が信長に臣従した時に、


「右兵衛大夫様は我が兄弟子のもとで茶を学ばれたとか。是非一度茶会など開かれては如何でしょう?」(ニヤリ)


……くらいは言われそうだ。いや、久秀ならたぶん言う。きっと言うだろう。いやいや、絶対言うに違いないっ!


そんな訳で龍興は、茶の湯の修行に励んでいるのだった。


「随分手慣れてきなはりましたな。所作も美しい。そやけど、そこはやはりお武家様ですな。見ているこちらまで身が引き締まるような気がしますわ」


宗久の指摘は一見褒めているようだが、口振りはそうではなかった。


「……いけないのですか?」

「同席される方が皆お武家様なら良いのかもしれませへんけど、やはり他の方を緊張させるのは宜しうありまへんな」

「なるほど……」


 龍興は夢の中でも茶の湯をまともに学んだことはなかった。三好や朝倉に身を寄せている時につき合いで茶会に顔を出したくらいである。その時はなんとか取り繕うために他の出席者の猿真似をしていただけだった。だから所作そのものはなんとなく知ってはいたのだが、その所作が何を意味するのか、どういう理由から生まれたのかさっぱり分からなかった。だが今、図らずも茶の正道を学ぶことになり、その根底にある思想から教授されることになったのである。

 例えていうならば、観能と同じだ。事前知識の無いまま能を見ても龍興にはよく理解できない。そもそも何を言ってるのかもはっきり聞き取れないし。だが予め物語を読み込んだ上で観能すれば「ああ、我が子を失って悲しんでいるのだな」などと分かっているので、より細かい部分まで演技の意味するところを理解できる。共感もできるだろう。だから楽しくも感じられる。もともと仕方なく始めた茶の湯であったが、今は確かなやりがいを感じていた。


「ところで、今日は若い御武家様が見える予定でしてな。同席していただけますか?」

「畏まっ……ええ、構いませんよ」


 宗久のもとには様々な客が訪れる。商人は当然として、武家や公家、時には僧もやってくる。当然宗久は客を茶で饗すことになり、修行中の龍興はその準備を手伝ったり陪席することになる。特に客が武家の場合は話題が石切兼房に触れるので、龍興が陪席していると話が盛り上がって商談にも弾みがつく。龍興としても自らの剣名が広まることは望むところだし、石切兼房の値が上がることも大歓迎だ。それにもう一つ堺に来て知った楽しみもあった。


「お師匠、茶菓子はアレでよろしいですかな?」

「またアレですか。本当にお好きですなぁ」


商談の席で茶菓子といえばアレである。黄金色の菓子……そう、南蛮の菓子の”かすていら”である。

ふわふわとどこまでも柔らかく、そして蕩けるように甘い。これが渋い濃茶と良く合うのだ。


ただし南蛮菓子といってもさすがに南蛮で作って持ってくる訳ではなく、作っているのはこの堺の中だ。製法を持ち込んだのは宣教師バテレンたちである。


現在バテレンたちは京で布教活動に励んでいるのだが、堺での拠点となっている日比屋家には日本人の門徒が詰めて布教活動を行っていた。その布教活動の一環として南蛮人の主食であるパオン(=パン)や南蛮菓子の調理もしていて、その一つである”かすていら”が時々宗久の茶の席に出てきたのである。龍興はこの甘味に魅了されていた。


 この時代特の武士階級においては、何を於いても酒が付きものである。別に宴会でなくても料理には酒がつきもの。料理がなくても酒。肴がなくても塩で酒。酒、酒、酒、ひたすらに酒なのである。そのためか料理は全体的に塩辛い。ガバガバと酒を飲むのならそれで良いのかもしれないが、酒を飲まない(飲めない)龍興にとってはただひたすらにつらい。いや、塩(から)いだけだ。そこに来て甘い茶菓子である。酒も女も嗜まない(嗜めない)龍興にとっては唯一の嗜好品といっていい。夢の中では(主に金銭的な理由で)あまり甘味を味わえなかったが、今の龍興には金銭的な余裕がある。だから”かすていら”を味わうことは難しくないのである。……堺であれば。美濃に帰っちゃったら、きっと何をどう頑張っても手に入らないだろう。


 そこで龍興は日比屋了珪(注2)に”かすていら”の調理方法を教えてくれるように頼み込んだ。最初は断固として拒絶されたのだが、しばらくすると一転して懇切丁寧に教えてくれるようになった。なんでも京のバテレンの許可が下りたのだという。何故かは良くわからないが、これが神の愛(アガペー)というものだろうか?

 まあそういう訳で南蛮菓子の秘技(?)までも教授されることになったのだが、これがまた難しかった。砂糖や牛の乳といった材料を揃えるのも大変なのだが、何より焼き加減が難しい。日比屋家にあるパオン(=パン)を焼くための窯を使えば比較的に簡単なのだが、稲葉山城にはそんなものは無い。料理番によれば竈と釜でも出来るというのだが、その焼き加減の見極めが難しいのである。


「そろそろ良いでしょう。……ほら、いい焼き色です」

「うーむ、全く分からん」


龍興は川魚や野鳥を焚き火で調理したことはあるのだが、実は夢の中を含めても竈で米を炊いたことがなかった。世慣れているくせに微妙に殿様なのである。

だいたい蓋で中が見えないのに、何故米が炊けたと分かるというのか。いわんや南蛮菓子をや。


「……これが心眼というやつか?」

「いや、そんな大したもんとちゃうねんけど……」


こちらの方の修行(?)は、一向に進展が見られなかった。




ひとまず焼き上がったかすていらを持ち帰ると、しばらくして二人の客がやって来た。


「こちらは十河家の御当主様です」


宗久にそう紹介されたのは龍興よりもさらに2つ3つほど若い少年だった。


十河孫六郎そごう まごろくろうと申します」

「ああ、そこもとが……」


 二年前に亡くなった十河一存そごう かずまさの忘れ形見である。一存は三好長慶の末弟であり、鬼十河の異名で知られた武勇の将であった。彼が急死したために畠山が勢い付き、昨年には長慶の次弟三好豊前守(実休)が討ち取られるという悲劇があった。その後畠山は押し返したものの、立て続けに当主の弟を二人も失い、三好家には暗い雰囲気が漂っている。この上嫡男の三好義興まで病に倒れたなどとはとても公表できないので、松永弾正が必死に隠そうとしているのである。まあ、その義興はこのまま死んじゃうんだけど。


 だがこの少年は十河家の当主というだけの男ではない。これから死ぬ義興の代わりに三好本家の跡継ぎになるのが、なんでかこの十河孫六郎重存(しげまさ)改め三好義継なのである。三好四兄弟の末弟(十河家に養子入り)の息子が、なぜか十河家じゃなくて三好宗家の跡継ぎになるのである。しかも跡継ぎのいなくなった十河家には昨年死んだ三好豊前守(実休)の次男が養子入りさせられるという場当たり対応。龍興からしてみると本当に訳のわからない人事(?)である。

 龍興は夢の中では義継と敵対関係にあった三好三人衆と協力関係にあったので「なんでアイツなん? 他におったやろ!?」という不満しか聞いたことがなかった。そして今始めて三好義継(予定)に会った訳だが……なんでコイツが選ばれたのかは、やっぱり分からなかった。まあ確かに孫六郎の母は摂関家である九条家の娘なので、血筋の尊貴さでいえばピカイチではある。でも最終的に三好家が大分裂しちゃうという結果を知っているから、コイツじゃダメだという先入観があるのだ。


 さらに孫六郎は永禄の変の主犯格でもある。それなのに、なぜかその後義輝・義昭の妹を嫁に貰っているのである。……いや、ホンマに何でなのか。もはや存在自体が不思議な男なのである。


ーーそして結局は敵になるんだよなぁ


 義継は正確には信長ではなく義兄の足利義昭の味方になる感じなので、信長と義昭が対立するようになると自動的に敵になるのだ。むしろコイツが義昭に付き合って謀反を起こしたせいで、松永弾正まで二度目の謀反を起こしたようなものだ。そして先に死んだコイツの後を追うように爆死(自爆)するのである。


ーーあれ? じゃあちゃんと謀反を起こして貰った方が良いのでは?


そしてそのためには一旦は織田方についてもらう必要がある。龍興は孫六郎と仲良くすることにした。


「御父君の武名は美濃でも鳴り響いております」


嘘である。夢の中で堺に流れてきてから知ったことである。もっとも、龍興が知らなかっただけで耳聡い半兵衛とかは知ってたかもしれないけど。


「美濃の方ですか?」

「こちらは私の弟子でしてな、美濃から茶の湯を学びに来ておられます」


宗久の言葉は正しくない。学びに来たんじゃなくて、来た結果として学ばなくてはならなくなったのである。だがそのあたりは宗久にも伝えていないことだ。龍興は威儀を正して頭を下げた。


「失礼、名乗りが遅くなりました。斎藤右兵衛大夫龍興です」


孫六郎は龍興の名を聞いて大いに喜んだ。


「おお、剣名はかねがね! 斯くいう私も石切兼房を求めに堺を訪ねた次第です!」


武士相手だとこういう反応になるのはよくあることだ。龍興としてはまんざらでもない。しかし今回は特に喜ばしいことである。なにしろ三好の跡継ぎが差料に選んでくれるなら、宣伝効果は抜群だから! まあ、今はまだ後継ぎじゃないんだけど。


ーーあれ? 意外と見どころのある若者では?


龍興も現金なものであった。実は足利義輝が差料にしているという噂も耳に入ってくるのだが、何しろ謁見の顛末がアレなので龍興はガセだと考えていた。たぶん宗久が宣伝工作しすぎて真偽がごちゃごちゃになっているのだろう。まあ、石切兼房の値が上がる分には真偽などどうでも良いのだが。


「そちらは魚屋ととや(注3)さんのお弟子さんの荒木様です」

「摂津池田家家臣、荒木信濃守村重(注4)と申します」


こっちは30手前の男である。今の龍興とは一回りも離れているが、夢の中では27歳まで生きていたのでむしろ村重の方が同年代という意識がある。

摂津池田家といえば、夢の中では金ケ崎の退き口の際に織田軍の殿軍として奮戦していた記憶がある。この時点でこの年齢ということは、あの戦いにも参加していた(というか将来参加する)のだろう。


ちなみに魚屋ととやというのは千利休の店だ。つまり村重は千利休の弟子である。ついでにいうと千利休も武野紹鴎の弟子であり、兄弟弟子の松永久秀とは当然交流があるだろう。つまり龍興がちゃんと茶の湯を学んでいることを村重に印象付けておけば、師匠の利休経由で久秀に伝わる公算が大きい。


「今日使わせていただくこの茶碗は荒木様がお貸しくださいました」


それは白地に大きく唐草模様の描かれた茶碗だった。どこか野暮ったいというか垢抜けない印象がある。安南や呂宋のものだろうか? しかし釉薬の垂れ具合は高麗茶碗のようにも見えた。龍興としては重々しく暗い色合いが好みだが、見知らぬ人物と共に気楽に茶を喫するという点ではむしろこれくらい明るく野暮ったく分厚い茶碗の方が気取らなくて良いのかもしれない。


「先日本願寺の高僧から100貫で譲り受けました」

「はあ……」


これがそんなにするのかと驚きつつ、金額まで口にするのは野暮ではないのかと呆れてしまった。いや、商人の町では普通のことなのかもしれない。「今日は冷えますね」くらいの調子で「儲かりまっか?」と呼びかけているところを何度か目撃している。


「その時小耳に挟んだのですが……下間某なる坊官が三河に向かわれたそうです」

「…………!」


龍興は思わず目を見開いた。思わぬところで思わぬ情報である。


下間氏は本願寺の坊官を多く排出しており、彼らは加賀一向一揆や天文の錯乱などで門徒を率いて戦いを指揮したのだ。夢の中では龍興が参戦した長島合戦の折にも門徒衆を率いて戦っていた。……まあ、お世辞にも見事な指揮とは言えなかったのだが。それでも並みの坊主が指揮を取るよりはマシだろうし、ただの武士が命じるよりも士気が上がろうというものだ。実際龍興に預けられた部隊よりも遥かに士気が高かった。……高かったんだよね? なんか異様な様相で、鬼か狐でも憑いているんじゃないかと疑ったほどなんだけど……。


 そんな者が三河に派遣されたということは、石山本願寺が本気で一揆を起こさせようとしているということだ。それも説得とか扇動とかいう段階ではなく、既に計画・実施段階に入っている公算が大きい。容易ならざる事態である。三河一向一揆は夢の中ではまだまだ先の話だったのだが……。


「斎藤様ならこの茶碗に如何ほどの値付けをなさいますか?」


村重がじっと龍興を見つめながら聞いてきた。なるほど、この情報にどれほどの値を付けるのかと聞いているのか。しかしただの情報の売り買いなら、値が付く前に情報を明らかにする理由がない。この情報はほんの手土産、金を払えば畿内の情報を逐一送って寄越そうというのだろう。既に近衛前久、今井宗久という情報源があるのだが、三好家中にも情報源があるに越したことはない。それに村重からも情報を得られれば、公家、商人、武士のそれぞれの視点からの意見を聞くことが出来る。だがもしここで龍興が100貫以下と答えれば、村重は二度と情報を売り込んでは来ないだろう。


「……なるほど、なるほど。よくよく見ればなんとも趣深いものですな。私なら500貫出しましょう」

「「500貫……!」」


 孫六郎はともかく、話を振ってきた村重までも驚いていた。ひょっとしたら100貫というのも鯖を読んでいたのかもしれない。まあ龍興はこの茶碗にさほどの価値を見出していないので、500貫は今回の情報料と次回以降への軍資金のつもりで提示しただけだ。それに孫六郎が石切兼房を買って行くらしいので、その銭がそのまま村重に渡るだけだ。もっとも宗久の取り分は龍興が負担しなくてはいけないが。


「どうやら私も美濃に帰らねばならないようです。しかしこれも何かのご縁、時折お二人に文をしたためてもよろしゅうございますかな?」

「もちろん、喜んで!」

「……承りました」


孫六郎は少年らしく高名な剣客と文通できて嬉しいだけのようだが、村重の方はちゃんと仕事・・だと理解しているようだ。差し引き400貫で何をやらされるのかと警戒していた。折角の機会なのだ、彼には400貫にふさわしい仕事をしてもらおう。


「荒木殿、あなたと十河(・・)家は直接の主従関係ではありませんが、孫六郎殿は三好(・・)家にとって大事な御方です。是非支えて差し上げなされ」

「は? ……ええ、勿論です」


村重は拍子抜けしてしまったようだが、後々孫六郎が三好家を継ぐことになり更に三好三人衆と敵対することになれば、「400貫では足りぬ!」と文句を言ってくるかもしれない。だがその頃には三人衆に「荒木は義継方だ」と見做されているだろうから、足抜けすることも出来ない。頑張って摂津池田家を孫六郎の味方にしてもらおう。そうすれば信長の上洛戦とその後が随分楽になるのではなかろうか。



 二人との取引も無事に終わり、後片付けをしていると出かけていた明智光秀が帰ってきた。光秀は何度か美濃へ帰ったりまたやって来たりしていたのだが、堺にいる間も頻繁に出かけては人脈を構築していた。しかし今回の情報を得るのは龍興の方が早かったようだ。


「右兵衛大夫様、大変です。石山本願寺が三河で一揆を起こそうと銭と兵糧を送ったそうです」

「……今日は連歌の会であったな?」

「はい、そこで耳にしました」

「…………」


……まあ、あれだ。連歌の会も馬鹿にできないようだ。でも同じような情報を拾えたのだから、茶会でも良いはずである。龍興の修行も無駄ではなかったのだ!


「俺の方も情報がある。本願寺の坊官、下間某が三河に下ったそうだ。おそらく銭や兵糧と一緒の船に乗って行ったのだろう」

「なんとっ!? 下間一族ということは……」

「ああ、一揆は近いと見て良いだろう」

「…………」


押し黙る十兵衛に対して龍興はちょっと気分が良かった。僅差だがちょっとだけ勝った気分だ。だから村重に払った500貫のことは、とりあえず内緒にしておくことにした。


「十兵衛、美濃に帰るぞ」

「はっ!」


こうして龍興主従は半年あまりをすごした堺の町を後にし、再び船上の人となった。

注1 納屋


前書きでも書きましたが、今井宗久のお店は「天王寺屋」ではなく「納屋」でした。


この「納屋」は倉庫業という意味の「納屋」ではなく、固有名詞の「納屋」です。いやまあ、「納屋」(倉庫業)なんですけどね。

「業務用スーパー」が「業務スーパー」という名前でお店を出してるようなものです。(実例)


一方で「天王寺屋」は同じく天下三宗匠の一人である津田宗及のお店です。

こっちは店舗名には問題はないものの、津田宗及の宗及は「そうぎゅう」です。私はずっと「そうきゅう」だと思ってましたよ!

茨城県が「いばらぎ」じゃなくて「いばらき」だというくらいの罠です。


注2 日比屋了珪ひびや りょうけい


堺の豪商で、最初期に切支丹になった人です。ザビエルが京に上った(そして何も出来ずに帰った)時にも日比屋邸に逗留しました。

その後も宣教師と一般門徒の拠点となっていたようです。

パン焼き釜があったかどうかは資料から拾えなかったのですが……堺の豪商なら資金的には余裕があったはず。というか説教の中でパンとワインは必須ですしね。だから石窯もきっとあったはず!


注3 魚屋


天下三宗匠最後の一人である千利休の店で、「魚屋」と書いて「ととや」と読む「納屋」(倉庫業)のお店です。


……どこからツッコめと?



注4 荒木村重


荒木村重は摂津池田家の重臣でした。この荒木家というのも爺さんの代にふらりとやって来た流れ者だそうで、ある意味龍興の斎藤家と近い経歴です。しかし村重の代でも重臣の一人に過ぎません。

池田家自体は摂津の有力国人に過ぎませんが……摂津国の石高(慶長3年)が35万石なので、10〜20万石くらいだったのではないかと。ちょっと後の話ですが、越前討伐(というか金ケ崎の退き口)の時には兵3000を出しています。

遠征にこれだけ出せるということは、国元の防衛戦力も考えると合計5000くらいの兵はいたのでしょう。となると20万石近くあっても不思議ではありません。ただし商業地なので、石高は10万石程度で商業収入で上乗せしてた可能性もあります。


その後村重は、三好三人衆に寝返って主家の池田家(信長に服従中)に対してクーデターを仕掛け、それに成功したうえで再び信長に服従するという訳分からんことをします。

信長からしてみればあっちに寝返ったりこっちに寝返ったりするのが面白くありません。かといって拒絶すれば敵に回っちゃうし、殺しちゃえば摂津が混乱します。だからイライラしたのでしょう。信長は挨拶に来た村重に対し、饅頭を太刀の先で突き刺して「食え」と命令します。すると村重は平伏したまま刀を咥えて饅頭を食べてみせたのです!


あれですね、大道芸の剣を飲み込むやつ(違う)

この大道芸(違う)で信長の心をつかんだ村重は、後には摂津一国を任されるほどに信用されるのです。


……え、マジで? いや、何でコレで信じちゃうかなぁ。

そして結局、最終的にはアレなんですよね……

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>天下三宗匠最後の一人である千利休の店で、「魚屋」と書いて「ととや」と読む「納屋」(倉庫業)のお店です。 ちょっと何を言っているのか・・・
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