大和
おそくなりました
龍興と光秀は大和街道を歩いていた。文字通り京から大和へと続く道である。京の山崎屋には堺に向かうと言ってきたので、追手がかかるとしたらまずは宇治川から淀川を下って堺へ、あるいは近江を通って美濃へ向かう街道にも放たれるかもしれない。その点大和街道なら安心だろう。
「右兵衛大夫様、そこまで追手を恐れる必要はないのではありませぬか?」
光秀は既に警戒心が緩んでいた。龍興にしても流石にもう刺客が追ってくるとは思っていないのだが、またひょっこり細川藤孝が現れて室町第へと連行されるのではないかという恐れはあった。
「また公方から呼び出しがあっては叶わぬ」
「しかし大和は松永と筒井の争う国、戦に巻き込まれる恐れもありましょう」
「まあ、そうなんだがな。用があるのは興福寺だ。松永も筒井も邪魔はするまい」
興福寺は藤原氏の氏寺だ。そしてほぼ全ての公家は藤原氏である。なんなら大化の改新以降のほぼ全ての帝の母親も藤原氏である。そのため室町幕府は大和にだけは守護職を置かず、その権限を興福寺に与えてきたほどだ。もっとも守護の権威が衰えて国人達が勝手に勢力争いをしているのは他の国と同様で、それが松永と筒井の争いとなっている。とはいえ興福寺は京極氏や斯波氏のように軟禁して傀儡とすることもできないので、大刹としての権威と実力は保持し続けていた。
「む? 右兵衛大夫様、騎馬です」
光秀の声に振り向くと、京の方向から20騎ほどの騎馬武者が追ってきていた。さすがに鎧こそ着ていないが、当然のように武装している。なんとも物々しい。
「京から来たということは松永の一党だろう。やり過ごそう」
松永弾正本人はクソジジイだが、配下は大和の国人だ。自分の勢力範囲で興福寺なり東大寺なりに向かう者をどうこうすることはないだろう。
二人は道端に寄って騎馬の一団を先に行かせた。いや、行かせようとした。
「止まれ!」
中程にいた男が腕を上げて叫ぶと、一団は足並みを揃えて止まった。大した練度である。その男は下馬すると、何事かと警戒する龍興たちの前に歩み寄った。
「げぇっ、弾正……」
松永クソジジイ久秀である。龍興は思わずつぶやきながら、片手で目を覆った。先日会った時にはまだしばらくは京にいるようなことを言っていたので、コイツに遭遇することはないと高をくくっていたのだ。
「おお、やはり右兵衛大夫殿でありましたか」
「……先日は、どうも」
龍興はなんとかそれだけを絞り出した。久秀には思いっきり辱めを受けたが、『黄素妙論』の写本をタダで貰っているので非難もできない。何よりまだ『黄素妙論』の中身を精査していないので、龍興の症状を改善する術が載っているかどうかも分からないのだ。ひょっとしたら久秀は龍興の大恩人になるかもしれないのである。
「堺に向かわれたとお聞きしたが、この道は大和に続く街道ですぞ」
山崎屋に聞いたのだろう。龍興を警戒してのことか、それとも何か用があったのか。
「興福寺に所要がありまして」
「ほう、興福寺ですか」
鋭い視線が龍興に向けられた。興福寺は大和の一大勢力である。さらには子院の一つである一乗院(注1)の門跡(注2)は足利義輝の実弟の覚慶だ。警戒するのも分かる。龍興は一つため息を吐くと正直に話した。
「……近衛家に縁のある方を弔うために、一乗院に向かっているのです。堺にはその後に向かいます」
どうせバレるので一乗院に向かうことは堂々と名乗った。近衛家は当然藤原氏なので、興福寺は氏寺である。そして近衛家の近親者なら覚慶の近親者でもある。一乗院に向かうのは当然のことであった。そしてこれが、今回の上洛の最終目的でもあった。来たる永禄の変の後、すみやかに覚慶を確保するための顔つなぎである。
「近衛家? 近衛……美濃……なるほど、大納言様(斎藤正義)の」
「…………!」
龍興は「後で調べれば分かるだろう」というくらいのつもりだったのだが、久秀は以前から斎藤大納言のことを知っていたようだ。畿内情勢とはほとんど無関係だろうに、よく調べているものだ。
「ははは、なるほど。疑問が全て氷解しました」
「……それはなにより」
これで近衛家を訪問した理由も正義関連だと分かっただろう。龍興にはいろいろと思惑があるが、少なくとも幕府に味方するつもりは一切無い。だからもう久秀にも関わらないで欲しいところだ。
「では我らと同道……とお誘いしたいところですが、あいにくと某は病にかかる予定でしてな」
「……予定?」
「然様。ですから曲直瀬道三が京から消えるのは、私を治療するためなのですよ」
「……なるほど?」
何だかよく分からないが、久秀が何か悪巧みをしていることは分かった。
龍興は三好義興が近い内に病死することは夢で知っているのだが、その治療に曲直瀬道三が携わっていることも、それを久秀が隠蔽しようとしていることも知らないのである。一方で久秀は、龍興が久秀と曲直瀬道三の関わりを知り、そこから義興の病気を導き出したのだと思っていた。そして龍興はそれを知った上で黙ってくれているのだと思って、(一方的に)親近感を抱いているのである。まあ知ってるのに黙っているのは事実なのだが、それはそれを知り得た理由を説明できないからであって、別に三好や松永に好意的だからではない。
「せめて護衛を付けましょう」
「いやいや、御手を煩わせるまでもない」
龍興は一応遠慮してみたが、久秀が監視を付けておきたい気持ちも分かるから半ば以上は諦めていた。
「幾つも関所がありますからな。宗厳を付けましょう」
「むねよし?」
「おや、お忘れですかな? 京で右兵衛大夫殿を某のもとに案内した、柳生の当主です」
「ああ、あの……って、ええっ!? あの者が柳生の当主だったのですか?」
その時龍興は宗厳の主人というのが柳生家の当主だと思って、間違って久秀のもとに押しかけたのだった。まさか案内した方が目的の人物だったとは迂闊であった。
「霜台様、如何されました?」
自分の名前が聞こえたからか、周囲を警戒していた柳生宗厳がやって来た。そして下馬すると龍興に対して深々と頭を下げた。
「右兵衛大夫様が興福寺一条院へ向かわれるそうだ。何人か連れて護衛に付け」
「はっ」
こうして龍興と十兵衛は馬に乗せられ、南都へと入った
南都には寺が多かった。そして大きい。東大寺を初めとして巨大な建物があちこちにある。もっとも町そのものは大きくなく人も少ないので、信徒が多いとも思えない。すると収入の柱は喜捨ではなく荘園の年貢や座からの上納なのだろう。……何のための寺であり僧なのか、本当に疑問である。
それでもやはり旅人も多いようで、そこかしこに休めそうな店があった。そろそろ一条院が見えてくるというあたりにも団子屋があった。客は若い僧が一人だけ。そこで先触れを走らせて、その間に皆で一服することになった。
何かを煎じた香ばしい茶ともちもちとした団子を食べていると、宗厳が探るように口を開いた。
「右兵衛大夫様は、御用を済まされた後どうされるのですか?」
「堺に向かい、その後船で尾張に戻るつもりだ」
既に松永久秀に伝えているので龍興は正直に答えた。
「尾張なら陸路で行くことも出来ましょう」
「伊賀と伊勢を通るのか? 案内が要るだろう」
伊賀も北伊勢も統一した勢力がないので、大小様々な国人・土豪が割拠している。大抵そういう所は盗賊も跋扈している。そして時々両方を兼ねる者もいる。旅人にとってはひどく面倒で危険な土地なのだ。
「それなら我が家の門人に詳しい者がおります。どうでしょう、我が道場にお立ち寄りなされませぬか? わが里はここから東に向かった所にあります。陸路で向かわれるなら寄り道にはなりませぬぞ」
「ふむ……」
龍興は悩む素振りを見せつつも、陸路で帰る気は全く無かった。だが柳生の道場には興味がある。今行かなければ次は何十年後になるか分かったものではない。
そこに先触れに出た武士が帰ってきた。
「御門跡様はお留守のようです。御弔いだけなら引き受けると言われましたが……」
「ふむ……」
こっちも迷う振りだ。なにより覚慶に会わねば話にならない。ただ、先に柳生に行って覚慶の帰還を待つという選択肢もあった。
「もし、宜しいか?」
突然後ろから声がかかった。もう一人の客である若い僧だった。質素な僧衣に旅塵に汚れた脚絆といういかにも軽輩といった姿で、どこぞの寺から遣いに出されたという風情である。ただし顔は誰かに似ていた。最近知り合った人物だ。龍興は「はて、誰だったかな」と思い、多少の興味を引かれた。
「どうなされた?」
「どうやら一条院に御用と聞こえてしまいましてな。拙僧も一条院のお世話になっておりますれば、気になりまして」
龍興は首を傾げた。
「一条院なら目と鼻の先であろう。ここで休む必要も無いと思うが?」
すると僧は笑み崩れた。
「いや、拙僧はここの団子が好物でしてな。遠出の度にここで団子を頂いているのです」
「ええ、お得意様ですよ」
団子屋の主が合いの手を入れた。その気安さを見るに、常連なのは確かなようだ。ならば覚慶の為人の一端でも知ることが出来るかもしれない。
「既に亡くなった義理の伯父がおりまして。その方はもともと京のやんごとなき家の出でございましてな。この度某が家を継いだのを機に、御実家の氏寺である興福寺にて弔って頂こうと思った次第です」
「はて? それでしたら一条院である必要もないのでは?」
一条院はその名の通り興福寺の子院の一つに過ぎない。数ある子院の内でも有力な院家であるのは間違いないのだが、特段の理由が無ければ普通は本寺に行くだろう。龍興はどう答えるか少し迷ったが、どうせ一条院には伝えるのだ。正義の素性を明かすことにした。
「その義伯父というのが、御門跡様の従兄弟にあたる方でして。それで御実家の近衛家からの紹介状も頂いて参りました」
僧は相変わらず人の良い笑顔を浮かべていたが、そこに多少の困惑が混じった。その顔を見て思い出した。石灯籠を切られて呆然としている義輝の顔だ。誰かに似ていると思ったら、義輝に似ているのだ。義輝はほとんどずっと怒ってたので、なかなか気付けなかった。
「……失礼ですが、どちらの家の方でございますか?」
「これは失礼、私は美濃の斉藤右兵衛大夫と申します」
本名を名乗ると十兵衛が意外そうな顔をした。龍興が軽輩に見える若い僧に対して丁寧な言葉で対応していたから、身分を偽るつもりだと思っていたのだ。それが丁寧な言葉遣いのまま本名を名乗ったのである。しかし僧の態度は変わらなかった。龍興が美濃守護だとは分かっていないのだろう。
「美濃ですか……ああ、ひょっとして若い頃に出家された方ではありませぬか?」
これだけの情報でサクッと思い出したのは久秀に次いで二人目だ。三好の重臣である久秀なら敵方の血縁関係を把握しているのも分かる。だが、この僧は何故なのか。
「ええ、そう聞いております。御坊こそ、よく御存じですね」
僧は視線を彷徨わせた。
「その、拙僧も、そう聞いておりました」
「御門跡様から?」
「え、ええ、門跡から」
龍興は思わず笑いそうになった。敬称が抜けている。もしやと思って話を振ってみたが、どうやらこの僧が覚慶本人のようだ。年の頃も合っている。
「では御門跡様によしなにお伝え願えますか」
「ええ、必ず」
期せずして一条院に入る前に龍興の用件は済んでしまったが、表向きの用件も済ませる必要がある。折角覚慶が留守にしていることになってるのだから、それを有効利用することにした。
「十兵衛、この方に同道して手続きを済ませよ。御門跡様がお帰りになられたら近衛家と私からの書状をお渡しするようにな」
「はっ。しかし御門跡様がいつ戻られるか分かりませんが」
「なに、すぐに戻られるだろう。俺の勘だがな」
僧の方に目をやると、視線をあさっての方向に向けていた。
「はあ。その間右兵衛大夫様はどうされますか?」
「私は柳生の庄に行っていることにしよう。柳生殿、よろしいかな?」
「はっ、光栄です」
「では、用が済み次第私も後を追います」
「うむ。だが急ぐ必要もないぞ。もし望まれれば、御門跡様の無聊を慰めて差し上げよ」
「は? はあ」
こうして光秀は一条院へ、龍興は柳生の庄へと向かうこととなった。
光秀が一条院に入ると騒ぎが起こった。正確には光秀は関係ない。一緒にいた若い僧が大勢の僧に囲まれ、そのまま奥の方へと連れて行かれてしまったのだ。物騒な雰囲気は無かったので光秀は傍観するしかなかった。そして一人残されてポカーンである。
せっかく事情を把握している僧が居なくなってしまったので、また一から説明する必要があるのかと気が重くなっていると、年配の僧が慌てて駆け寄って来て光秀を奥の方へと案内してくれた。
書院造りの離れに案内されると、やがて煌びやかな袈裟を着た若い僧がやって来た。その顔を見て光秀は「あっ」と声を上げそうになった。団子屋にいた僧だった。慌てて平伏しながら、ちょっと龍興を恨んだ。門跡がすぐに戻るというのはこういうことだったのだ。
「覚慶や。そなたは明智殿と申されたな?」
「はっ、美濃守護斉藤右兵衛大夫が家臣、明智十兵衛光秀にございます」
「ほう、あの若い御仁は守護やったんか。その割に従者が少ないようやが」
「従者は某一人です。他の方は道中でたまたまお会いした柳生の方々でして、護衛と案内を兼ねて同道して下さいました」
それを聞いて覚慶は残念そうな顔を見せた。
「……そうか、美濃の守護も神輿なのか」
思わず光秀は苦笑を漏らした。たった二人で遠国を旅していたら、確かにそう見えるだろう。
「とんでもございません。我ら美濃の国人一同、右兵衛大夫様には振り回されっぱなしです」
「ほう? 詳しく聞かせて欲しいのぅ」
「ええ。まずは当主になってすぐに、長年争ってきた尾張織田と同盟を結ぶと言い出されまして。更に尾張と戦っていた三河松平も巻き込んで、あっという間に三国で同盟をまとめてしまわれました」
「なんと」
「その時某は越前におったのですが、城をやるから手伝えと申されまして。それで私と二人で尾張へ三河へと方々へ足を運んだものです」
「敵国やったんやろ? よく無事やったな」
「その時は右兵衛大夫様が某の従者という体で誤魔化しました」
「あはははは。なるほど、それなら年も釣り合うて誤魔化せそうや」
まさか敵国の守護本人が浪人の供侍をしているとは思わないものだ。
「それだけではありません。当分戦は無いからと、今度は美濃と尾張で一斉に治水工事を始められまして」
「ほう」
面白がるような声音から一転して、覚慶は感心するように呟いた。
「しかしそれを指揮するのは面倒だと、全て家臣に任せて自分は上洛しているのです」
「あっはっはっは! 酷い殿様や!」
字面では批難しているようだが、随分と楽しそうな声音だった。もっとも、愚痴を言う光秀の声音も龍興を責めるようなものではなかったのだが。
「あの御仁、拙僧のこと気付いておったやろ?」
「……そのようです」
十兵衛が少し不満そうに答えると、覚慶はまた笑った。
「明智殿、良かったらしばらく泊まっていかんか? もっと話を聞きたい」
「はっ、畏まりました」
こうして光秀は五日ほど一条院の逗留することになり、その間昼夜を問わず覚慶と談笑することになった。
注1 一乗院
興福寺周辺には子院と呼ばれる付随する寺がたくさんあります。格の上での筆頭は一条院と大乗院。こちらの院主は興福寺自体の別当(最高責任者)を勤めていました。まあ、名目だけでしょうけど。
しかし知名度での筆頭では宝蔵院でしょう。宝蔵院流槍術のアレです。どこが仏教なのか知りませんけど、まあ、宝蔵院と言うからには蔵の管理・警備を受け持ってたんでしょうね。たぶん。
それはともかく、この当時一条院の門主は代々近衛家の子弟が勤めていました。覚慶は近衛じゃないけど親戚枠ですね。
注2 門跡
皇族や高位の公家の子弟が住職を務める特定の寺院や、その住職のことです。最初は住職のことを示してたんだけど、その内寺院そのものも示すようになったようです。
興福寺の一条院と大乗院の院主も門跡です。
ただし、本願寺顕如は摂関家の九条稙通の猶子となることで(かなり無理矢理に)門跡になっています。秀吉の関白よりはまだ幾らかはマシ、かなぁ




