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霜台

感想欄で「松永側の用件はなんだったのだろう?」との指摘を受けまして、まったくその通りだったので加筆修正しました。

「もし、そこの御方」


近衛家を出た龍興と明智光秀は、十間(約18m)と歩く間もなく背後から低い声に呼び止められた。

ピタリと足を止め、周囲に目を走らせると辻々に武士が立って警戒していた。龍興達を、ではない。龍興達に背を向けて周囲を警戒しているのだ。


諦めて背後を振り向くと、そこには3人の武士がいた。その両脇の二人が左右に分かれると、またもやこちらに背を向けて周囲を警戒し始めた。まるで龍興たちを護衛しているかのようだが、そうではない。龍興たち二人など真ん中の一人だけで十分だという信頼があるのだ。むしろ第三者の介入を警戒しているように見える。


――こいつは強ぇーぞ


夢の中で培った強者を嗅ぎ分ける嗅覚が、龍興にわずかに腰を落とさせた。ホントは逃げたいのだが周りは既に押さえられている。せめて互いに重い甲冑を着ていれば、鉄を切れる龍興が有利になるのだが。

しかし、今龍興を殺して特をする人間は誰もいない……はずだ。土岐家の残党なら復讐のために命を狙うかもしれないが、これだけの手練れを用意できるとも思えなかった。ならば警戒しつつも話を合わせてやり過ごすべきだろう。


「失礼だが、美濃斎藤家の方ですな?」


「美濃? 斎藤? 私は松波……」


適当な偽名を言いかけたところで、クイクイと袖を引かれた。


「何だ、じゅう……いち兵衛。俺はこの方と話しているのだ」


振り向くと十一兵衛こと光秀が手に持った風呂敷をポンポンと叩いた。そこには斎藤家の二頭立浪紋がはっきり染め抜かれていた。

実はこの二頭立浪紋というのは、道三が考案した家紋なのだ。だから元々の守護代斎藤家も使っていない。この日の本でただ道三の子や孫だけが使っているのである。龍興はくるりと振り返った。


「然様、俺は斎藤右兵衛大夫だ」


堂々とした名乗りである。さっき偽名を言いかけたのは無かったことにした。


「某は三好家家中、柳生たじ……」


「えっ、柳生っ!? 大和の柳生家かっ!?」


意外な名前に龍興の声が裏返った。その食いつきように柳生某は気圧されて一歩下がった。


 この柳生某、柳生但馬守宗厳(むねよし)と言い、柳生家の当主である。主君松永久秀の護衛として上洛しているのだが、その際町中に忍ばせている間者から美濃斎藤家の者が近衛家に入るのを見たと報告が入り、久秀に命じられて事情を探りに来たのである。

 美濃斎藤家と言えば先代義龍の頃――といってもほんの数年前だが――には、急に公方に接近して一色姓と相伴衆の地位を得ている。そして今回の近衛家の来訪だ。もし公方の側に立って三好と敵対する密約などを結ばれては溜まったものではない。だが単に叙位任官の頼み事なら、勝手にしてくれて構わない。敵対するにせよそうでないにせよ、まずは調べる必要があるのだ。ただしもし幕府と繋がっているのなら途中で介入があるかも知れない。仕切りに周囲を警戒しているのはそのためだった。


「……然様、大和の柳生にござる」


「おお~!」


 龍興は感嘆の声を漏らした。彼はこの上洛中に剣術を学びたいと思っていた。そして出来れば、達人を美濃に連れて帰りたかった。京と言えば吉岡流が有名であるが、何と言っても将軍家兵法指南役だ。肝心の将軍自身は塚原卜伝の鹿島新当流だけど、吉岡の門弟には幕府関係者がいるに違いない。うっかり顔を出せば龍興が京にいることが幕府にバレてしまい、「せっかく京に来てるのになんで挨拶に来ないんだ?」と文句を言われるのは必定。仕方無く挨拶に行けば行ったで「それで、三好はいつ潰すの? 何月何日何刻ごろ?」と言われるのがオチである。幕府と三好の争いに巻き込まれないためには、永禄の変までは室町第に近づいてはいけない。ダメ、絶対、室町第。


 そんなところに名高い柳生の者がのこのことやってきたのである。恐らく龍興の剣名を聞きつけてのことだろう。


「わが主が、斉藤様にお会いし……」

「会う!」


あいかわらず龍興は食い気味であった。柳生家の当主には是非ともお会いしたい。


「そ、そうでござるか。では拙者と同道……」

「する!」


龍興に気圧されつつも宗厳は疑問を口にした。


「えーと、何故、そこまで……?」


「それはもちろん、教えを乞いたいからだ!」


龍興が正直な気持ちを伝えると、宗厳も納得した。彼の主君である松永久秀は、茶の湯の道では達人と名高い。例え一国の守護といえど、門下に加わりたいと考えるのは不思議なことではない。それに事情を聞かせてもらうのにも丁度良かった。


「ではこちらへ」


龍興達は四半刻ほども歩くとある武家屋敷へと案内された。田舎の国人の割には意外と大きいが、大勢の門弟を抱えているならそっちからの謝礼で維持しているのかもしれない。

そのまま龍興達は道場に……と思いきや、普通に日当たりの良い部屋に通された。まあ、道場主が常に道場にいる訳でもないので、不思議ではないが。


宗厳が膝を付いて部屋の中に呼びかけた。


霜台そうだい様(注1)、斉藤右兵衛大夫様をお連れいたしました」

「お通しせよ」


部屋の中からは聞き覚えのある声が返ってきた。


――ん? この声は……?


龍興が記憶を探りつつも促されるままに部屋に入ると、そこにいたのは……松永弾正久秀だった。


――えっ!? 主って、柳生の当主じゃないんかい!?


柳生の当主は今眼の前にいる宗厳なのだが、龍興は宗厳の主がそうだと思い込んでいたためそれに気付いていなかった。それに確かに柳生家は大和に進出している松永久秀に仕えていたが、でもその久秀は大和で筒井との戦をしているはずなのだ。なんで京になんかいるのだろうか。

愕然として固まる龍興を余所に、宗厳が松永に要らないことを教えた。


「斉藤様は霜台そうだい様の教えを頂きたいとのことです」


龍興はぎょっとして柳生某(宗厳)を見た。確かに龍興はそう言った。だがそれは、松永陰険ジジイ久秀ではなく柳生家の当主に剣を習いたかったのだ。だいたいこの陰険ジジイに何を習うというのか?


「茶の湯の道は一日にして成らず。残念ながら某もあまり長く京にはおれませんでな。とはいえ、道に入るところまでは案内も出来ましょう」


意外にも久秀の物腰は柔らかかった。そういえば、と龍興は思い出した。久秀は茶の湯では名の知られた大家だったのだ。今井宗久たちと同じく武野紹鴎の弟子だったのである。

龍興が夢の中で久秀と会ったのは10年ほど後のことだが、その時はもっと警戒心と悪意剥き出しで嫌みを連発する陰険ジジイだった。だがこれはこれで不気味だ。それにこの段階では三好家は一枚岩で、当然久秀も三好家に従っている。久秀の弟子になれば、今度は幕府に敵視されかねないのだ。


「いえ、その、茶の湯については、今井宗久殿にお教え戴くことになっております」


そんな約束はしていないが、宗久も嫌とは言わないだろう。代わりに一振り余分に刀を送っておこう。


「おや? では霜台様に教えを乞いたいと言っておられたのは……?」


またもや柳生某(宗厳)が要らないことを言い出した。別に龍興は久秀に教えて欲しいことなど何一つ……


「あっ……」


龍興は唐突に思い出した。夢の中で久秀に受けた嫌がらせの1つだ。当時はただの嫌がらせだったが、今の龍興には貴重な教えかもしれない。


 当時龍興は反織田同盟の手先として使いっ走りもやらされていたのだが、その一環として「謀反を起こす」と言っておきながらなかなか謀反を起こさない久秀をせっつきに行ったことがあった。だが久秀は「筒井と戦ってる」「どこそこの寺が不穏だから見張っている」「良い茶器の出物があったので買いに行った」などと言ってなかなか会おうとしなかった。龍興がぷりぷりと苛立っていると、家臣が「無聊を慰めるために」と言って持って来たのが、松永家秘伝の書という触れ込みの『黄素妙論』(注2)である。中身は房中術、つまりは「健康的な性行為の仕方」だった。不能の龍興をからかっているとしか思えない内容である。そもそもよく考えたら、松永家なんて久秀が興したようなものだし、同時代人である曲直瀬道三が書いた本なのに秘伝もクソもないのだが。


しかし市との婚姻が迫る今の龍興にとっては、その不能を治す一助になるかもしれない。是非もう一度読みたかった。しかしなかなかに言い出しにくい事でもある。


「……少々人払いを願えますか?」


久秀と宗厳が視線を交わした。龍興が自ら手を汚してまで久秀を切る理由はない。久秀が頷くと、宗厳は頭を下げて退室した。

二人きりになった龍興は、どこから切り出したものかと思案した。


「……私の祖父は道三と申しましてな」


「知っておりまする」


「そういえば京にはもう一人道三という方がおられますな」


曲直瀬道三のことである。唐突な話の飛び方に戸惑ったのか、久秀は相槌も打たなかった。だが龍興は踏み込んだ。


「松永殿は曲直瀬道三と懇意にしておられるとか」


久秀の顔は凍り付いた。


実はこのころ、三好家当主長慶の嫡男である三好義興が病に伏せっていた。長慶には他に男子が無く、後継は義興以外に考えられない中での突然の不予である。勢威を張る三好家にとって唯一の、そしてとても重大な不安材料だ。久秀は密かに治療すべく医聖と名高い曲直瀬道三と渡りを付け、さまざまな欺瞞工作を行って情報を秘匿していたのだ。だからこそ、大和の戦況を放ってまで京に滞在していたのである。


「……良い耳をお持ちのようだ」


龍興は愛想笑いを浮かべながら本題に触れた。


「それがし、是非拝見したい物があるのですよ」


久秀は内心で安堵した。彼は天下の大名物を幾つか持ってる。自ら買い求めたり師である武野紹鴎から譲り受けたものだ。龍興は拝見と言いながら、実はそれを脅し取ろうとしているのだ。久秀にとってそれらを手放すのは身を切るように辛い。だが逆に言えば、辛いのは彼自身に過ぎない。それさえ渡してしまえば龍興がこの情報を口外することはないだろう。少なくとも、その気はないはずだ。三好家のためならば久秀に躊躇う余地は無かった。


「……拝見と言いながら、見るだけでは済まぬのでありましょう?」


「ええ、まあ。やはり持って帰りたいところですなぁ」


龍興としてはちょっと目を通しただけで完全に覚える自信など無い。どうせなら写本も欲しいところだ。坊主でも雇って書き写させれば、数日で出来るだろう。……坊主が中身を見てどういう反応をするのかは知らんけど。


付藻茄子つくもなす(注3)ですかな? それとも平蜘蛛(注4)ですかな?」


「はっ? いえ、某が所望するのは、その……こうそ……みょうろん、です……」


龍興は顔を真っ赤にしながらも、遂に言った。言っちゃった。久秀はポカーンと口を開けて唖然としていた。


「……失礼、聞き間違えたようだ。 今、何と申された?」


「…………!!」


もう一度言わせようとはなんという辱めだろうか! 龍興はぷるぷると震えながら何とかもう一度、その言葉を絞り出した。


「『黄素妙論』……です。曲直瀬道三の書いた、『黄素妙論』ですよっ!」


半ばヤケクソになってそう言うと、久秀は突如爆笑した。


「あーはっはっは、ひぃー、ひぃー!」


柳生某と光秀が慌てて部屋に飛び込んで来た時、部屋には笑いながら床を転げ回る久秀と真っ赤になってぷるぷる震える龍興がいた。



その後なんとか息を整えた久秀が平謝りすると、『黄素妙論』の写本を快く譲ってくれた。時々肩が震えてたけど。

光秀と柳生某は事情が分からず戸惑っていたが、龍興は真っ赤な顔のまま小さく礼を言うと足早に松永屋敷を後にした。


「右兵衛大夫様、何があったのですか?」


「聞くな十兵衛。男には聞いて欲しくないこともあるのだ」


単に恥ずかしいだけである。


「やはり弾正は碌なヤツじゃない。二度と関わりたくないものだ!」


龍興はぷりぷりと怒り散らしながら歩いていった。龍興にとっては大変な災難であった。




そのころ柳生某こと柳生宗厳(むねよし)も久秀に同じ事を尋ねていた。


「いったい何があったのです?」


「あの者、若の病を知っておった」


「なんですとっ!?」


わざわざ久秀が出張ってまで情報操作しているのに、昨日今日上洛してきたばかりの龍興にバレているというのは信じがたいことだ。

もっとも、確かに龍興は知っていたのだけど、調査したわけでも偶然聞き知った訳でもない。夢の中で周知の事実として知ったことなので、むしろ久秀たちが必死に秘匿しようとしている事が想像できないのであった。


「その上で脅し……いや、警告してきたのだ。そして最後は笑い話にして誤魔化していきおった」


「なんと……。口封じいたしますか?」


久秀はゆっくりと首を振った。


「不要だ。わざわざ自分から知っていると教えてきたのだ。他所で話すこともあるまい」


そもそも美濃斉藤氏と三好家は敵でも味方でもない。斉藤氏が同盟を結んだ織田や松平も同様だ。一応同盟を結んでることになっている六角は敵だが、既にその同盟は形骸化している。


「では、何のために?」


「恩を売りに来たのであろう。確かに、高く付いたわ」


龍興には大きな借りが出来てしまった。いっそ付藻茄子でも譲った方が安かったかもしれない。そう思いながらも久秀は機嫌良さそうに笑っていた。

注1 霜台


霜台とは弾正台(治安警察?)の唐名です。弾正って言うより、外国語で言った方がちょっとインテリっぽくて賢い雰囲気があるのでこういう言い方をすることもあります。

他によく知られるところでは、大納言/中納言の唐名が黄門です。御老公様のアレですね。



注2 黄素妙論


 

曲直瀬道三が書いた房中術の本です。つまりはHow To S○Xです。

黄帝(中国の殷王朝の前の夏王朝の前の堯・舜・禹の前の伝説上の支配者)が素女そじょという女神と健康的なS○Xについて話すという体裁です。

一応医者が書いてる本だし、房中術なんだから「気持ちいい」より「正しい」「健康に良い」という方向性でしょう。

しかし王様と女神(房中術の達人)が真面目くさってエッチのしかたについて話し合う、というシチュエーションは……倒錯しすぎでは?


ちなみに大元になったのは素女経という房中術の本だそうです。そして素女には対になる女神もいて、こっちは玄女げんにょ。玄女経もあるそうな。


しかしね、エッチ関係の話で 素女 と 玄女 ですよ? 素(人)女 と 玄(人)女 ですか? 玄女経の方が凄いテクニックが載ってるんですかね?



注3 付藻茄子(九十九髪茄子)


足利義満が持ってた茶入れです。その後いろんな人の手に渡った後で朝倉宗滴が手に入れ、500貫で質屋に売ります。その後松永久秀が1000貫で買いました。

これ、信長上洛前の価格ですからね。秀吉時代に売りに出したら、軽く5倍にはなるでしょう。10倍を超えるかも。


その後信長が上洛した際に(タダで)譲り、信長は本能寺まで愛用していました。つまり、焼けました。

その後修復したけど、大坂夏の陣で砕けました。

またまた修復して、今も一応は現存してます。



注4 平蜘蛛


茶釜です。蜘蛛が這いつくばっているような形から命名されました。来歴不明ですが、久秀が最も大事にしていたのは確か。

謀反に失敗した時に信長に「平蜘蛛差し出すなら許したる」と言われて、「絶対嫌だ!」と平蜘蛛を抱えて爆死(自殺)したという程ですから。

こいつも修復したとかしてないとか……。

まあ、金属器だし、直接火にかけるものだから金継ぎって訳にもいかんですし、修復は難しそうです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しく読ませて頂いております 性豪として名高い松永弾正にたたなくなったので 技術を教えてほしいと言う流れかと
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