近衛家
堺で資金を得た龍興はひとまず京へとやって来た。堺にはまだ用事があるのだが、まずは近衛家に行かねばならない。龍興が堺にいることは宣伝してしまっているので、あまり時間をおいて「あいつ、堺で遊んでから謝罪に来やがった」などとヘソを曲げられては堪らないのだ。
京に入ると曾祖父の実家――というか、商人時代の妻の店――である山崎屋に居を定め、明智光秀に所作を習い、先触れを出して謁見の約束を取り付けた上で近衛家を訪れた。
通された座敷の下座で平伏すること暫し、とすとすという軽い足音と共に何者かが入ってきて上座に座るのを感じた。
「そなたが斉藤右兵衛大夫か?」
「はっ、関白殿下にはお初にお目もじいたします。美濃守護、斉藤右兵衛大夫龍興にございます」
「え?」
「え?」
龍興は顔を伏せたままだったが、何だか微妙な空気が流れるのを感じた。ひょっとして近衛前久(注1)じゃなかったかな、と不安になったところで応えがあった。
「……美濃守護やったら、一色某やないか?」
訂正や名乗りが無いということは、どうやら近衛前久本人で間違いないようだ。
「はい。一色の姓を許されております」
「……じゃあ、なんで一色を名乗らんのや?」
「尾張織田家との同盟に際しまして、旧姓に復しております」
道三と義龍の確執は承知の上だろうが、龍興が代替わりに際して道三路線に戻したと言えば角が立つ。あくまで平和のためなのだという主張をしておいた。
「……さよか。まあ、それはええわ。ほやけど流石に大納言は認められんわ」
「え?」
「え?」
どうにも話の流れがおかしい。というか致命的に食い違っているように思える。
「……大納言の官職が欲しいゆう話やないんか?」
「はあ?」
龍興は予想外の言葉に思わず顔を上げてしまった。近衛前久……と思われる人物を目が合う。夢の中でも会ったことはなかったが、意外とがっしりした体つきだった。まあ、馬に乗って関東まで従軍するような人物なのだ。実は龍興より乗馬が上手くても不思議ではない。
「失礼しました。某はただ、斉藤大納言様の件を謝罪に参った次第にて……」
「なるほど、さよか。それは殊勝なことや。ほやけどな、麿としてはこれだけは言わないかん」
龍興はゴクリと唾を飲んだ。
「斉藤大納言……って誰や?」
龍興はガクンと肩を落とした。何故だろう、既視感がある。
だがよくよく考えれば、斉藤姓の人間なんて京にも掃いて捨てるほどいるだろうし、大納言の官職も近衛前久からしたらピンとこないのかもしれない。なにしろ彼自身も含めて親族や知り合いが大納言の経験者ばかりなのだ。
「こ、これは失礼しました。しかし大納言様の近衛家でのご芳名は某も知りませぬ。ただ関白殿下の御兄君としか聞かされておりませぬ故」
「はあっ!? 兄っ!? ……麿の?」
前久は完全に驚いていた。そして訝しそうだった。まさかとは思うが、庶兄の存在を聞かされていないのではと龍興は不安になった。いや、知らないのなら知らないで良かったのかもしれないが、今こうやって大々的にお詫びに来ちゃった以上は確実に知ることになるだろう。なんだかやぶ蛇のような気がしてきた。
「……はっ、そう聞いております。若くして出家されておられたところ、還俗して美濃に下って祖父道三の養子になったと聞き及びます」
「…………あー、あー、あー、あー……ちょっと待つでおじゃる。今、父上を呼んでくるから待っているでおじゃるぞっ!」
そう言って前久は父親の稙家を呼びに行ってしまった。
「……一応、聞いてはいたようだな」
思い出すのにすごい時間がかかったが、正義の存在くらいは知らされていたようだ。良かった! やぶ蛇じゃなかった! でも父親の近衛稙家を呼ばれたのは失敗である。
前久からすれば正義は家督を争う競争相手(という割には前久が生まれる前から生家から追い出されていたけど)だったが、稙家にとっては愛しい初子である。生家を離れていても遠くの地で出世していると聞けば喜ばぬはずもない。それが味方の、しかも養父の裏切りによって非業の死を遂げたと聞けば怒らぬはずもなかった。……だよね? そうだよね? 龍興も同じく庶長子で同じような扱いだったけど、きっと愛されていたんだよね? きっとそうだ。だから正義も愛されていたのだ。そうに違いない!
だから龍興が前久の帰洛を待っていたのは、現当主が前久だからというだけではない。この件に関しては父である稙家より弟である前久の方が御しやすいと考えていたからなのだ。
やがてドスドスと2つの足音が近づいてきたので、龍興は再び平伏して迎えた。
「おぬしが蝮の孫か」
前久よりだいぶ年かさの声だった。恐らくは稙家であろう。
「はっ、斉藤右兵衛大夫龍興にございます」
「詫びというのはどういうことや。あの子は戦で死んだんやろ?」
おや? と、龍興は顔を上げかけた。ひょっとしたら上方にはそういう風に伝えられていたのだろうか?
――あれ? やっぱりやぶ蛇なのでは?
しかし今となってはどうにもならない。いや、信長が上洛して美濃の武士がわんさか京に上ってきたらどのみちバレる……はずだ。龍興はそれに先んじて手を打っているのである!
「某が生まれる前の事ですので、全ては人より聞いた話なのですが……」
「構わん。教えてくれ」
稙家は身を乗り出して聞いて来た。
「当時は土岐家の家督争いで美濃全体が疲弊しておりました。そこに来られたのが大納言様です。摂関家の御血筋に加え公方様の縁者ということもあり、美濃では大変高貴なお方として捉えられていたようです」
龍興は正直に答えた。そしてちょっとヨイショした。何故なら……出来るだけ正直に答えた方が混ぜ込んだ嘘の信憑性が増すし、ヨイショしておいた方が受け容れ易いからである。
「……そのため、大納言様を神輿として守護様に謀反を起こそうという動きが出たのです……」
「なんと……!」
いかにもありそうな話である。いや、本当にあったかもしれない。いやいや、きっとあったに違いないのだ!
「その動きを知った久々利頼興という男が我が祖父に相談し、祖父は事が表沙汰になる前にと……くっ」
無念そうに龍興が顔を伏せると、稙家はポツリとつぶやいた。
「まさか、そんなことが……」
まさかとは言いつつも、その声音には否定の色は無かった。ただ思いも寄らない話の流れに衝撃を受けている様子であった。
「折角預かったご子息をむざむざ死なせることとなり、祖父は生涯悔いていたようです。私も幼少の砌に何度か祖父には会っておりますが、ふとした時にひどく辛そうな顔を見せておりました」
これはおそらく事実であった。ただし悔いていたのは「養子になんかするんじゃなかった」とかだろうし、辛かったのはたぶん腰痛かなんかだけど。
「……そうか」
「いえ、誠に申し訳なく……」
「いや、それもまた武士の生き方やし、武士の死に方や。武士の道を選んだのはあの子やでな、誰を恨むことも出来へんわ」
あっさりと受け入れる稙家の様子に龍興は戸惑った。こんなことなら、むしろ前久が留守にしている間に来れば良かったのではなかろうか?
だがこれは龍興の知るよしもないことだが、実は稙家も正義の死の直後は怒り悲しんでいたのだ。しかしその3年後、天文20年(1551年)に大寧寺の変(注2)が起こった。不穏な都を離れて安全な周防に下向していたはずの公家達が、大内家の内乱に巻き込まれて大勢殺されたのだ。二条尹房や三条公頼といった顔見知りの公卿までもが無惨に死んでいる。朝廷では競争相手でもあり、死んでしまえと思ったことのある相手もいたが、それがまさか戦で殺されるとまでは思いもしなかった。
それに比べて正義は武士だった。自分で武士の道を選び、武士らしい死に方をしたのだ。公家筆頭の家に生まれたのに公家にしてやれなかった父親が、誰に文句を言えるだろうか?
「わざわざすまなんだな。あの子のことを教えてくれてありがとな」
「いえ……」
異常なほどに友好的な稙家に不気味さすら感じながら龍興がさらに深々と頭を下げていると、稙家は静かに去って行った。
ーーあれ? まだ一銭も払ってないんだけど?
龍興は冷や汗を垂らした。拙い。このままでは素で許されてしまう。それでは計画が大きく狂ってしまうではないか。
「……で、詫びの話やったな?」
「え? ……あ、はい」
唐突に予定の路線に戻った。さすが戦にまで出かけるだけあって、前久は現き……もとい、現実的な考えの持ち主のようだ。龍興もそれに応じるにやぶさかではない。
「現在美濃では大掛かりな治水に取り掛かっており、手元不如意となっております。それ故僅かばかりなれど、銭500貫、御用意させていただきました」
「500貫か……」
微妙な額である。例えばどこそこの田舎大名が官位が欲しいと言って来れば、ポンと1000貫出すこともザラである。ただし、その1000貫が全て近衛家の収入になるわけではない。他の公卿にも分け前を渡して根回ししておく必要があるし、諸費用として朝廷に収める銭も必要だ。当然その分自分の取り分は少なくなるが、逆に言えば他の公卿に対する発言権も大きくなる。
一方で今回の500貫はあくまで近衛家に対する賠償金である。他の公卿にも朝廷にも分け前を与える必要はない。全額が純粋な収入となるのだ。これは実質、5000石の荘園からの収入に等しい。ちなみに5000石というのは、近衛家のすべての荘園の総計のほぼ倍にあたる。つまり固定収入が約3倍になるということだ。
「当家と縁のあります山崎屋か、堺の天王寺屋にお声がけくだされば、年に500貫、お納めさせて頂きます」
銭500貫、一文銭50万枚など二人で運べるはずもなく、近衛家としても突然持ってこられても困る量だ。だから商家に預けておいて必要に応じて引き出す形にしてあった。
「……待つでおじゃる。年に、と申したでおじゃるか?」
「はっ、これより10年、毎年500貫ずつご用意させて頂きます」
「なんと……!」
合計5000貫、米で12500石である。公家は家臣も少なく固定の支出が少ないので、収入のほとんどが可処分所得になる。これは大きい。とてつもなく大きい収入であった。
だが水心あれば魚心あり。これ程の献金となれば、それこそ大納言の官職を望んでも不思議ではない。死んだ庶兄に一片の情もない前久にはそうとしか思えなかった。非情と言う勿かれ。だって前久は正義と一面識も無いんだもん。
「……望みは何でおじゃるか?」
「ただ許しを請うのみにて」
「そういうのはええ。正直に言うてみ?」
「……では、我が後継ぎ奇妙丸が元服した際には改めてご挨拶させて頂きますので、宜しくお引き回しのほどをお願いいたします」
「なんや、そんなんでいいんか? 欲の無い御仁でおじゃるな」
「おほほほ」と上機嫌に笑う前久の前で、龍興は平伏しながらこっそり舌を出した。まさか元服の挨拶が、大軍を率い、六角や三好を蹴散らしての上洛とは思いもよらぬことだろう。
ーー万軍に囲まれた中で烏帽子親にでもなってもらおうかな?
それは近衛家にとっても悪い話ではない……はずである。たぶん。
龍興が控えの間に戻ると十兵衛が待っていた。
「ご首尾は?」
「上々だ」
龍興はニヤリと笑ってみせた。
彼の目的は謝罪であった。謝罪するのが目的であって、許しを得ることは二の次だったのだ。正確には、謝罪という名目で銭を受け取らせることが目的であったのだ。それも10年に渡って分割して渡すことに意味があった。
いきなり固定収入が3倍に増えた近衛家は、贅沢を始めるだろう。そして慣れる。贅沢に慣れてしまう。そして贅沢を止められなくなるのだ。すると斎藤家を裏切れなくなる。なにしろ斎藤家と縁が切れれば残りの賠償金が手に入らなくなるのだから。そして10年後、大軍を率いて上洛した信長を前にして、前久は次の10年を考えなくてはいけなくなる。
「銭は一度に渡すより、分割して定期的に渡した方が良いのだ」
これは夢の中の実体験(?)から得た貴重なる戦訓であった。なにしろ龍興が、あの朝倉に義理を感じて死ぬまで戦ってしまったくらいなのだから!
もし仮に最初に全額貰っていたら、たぶん龍興は姉川で負けた時点でトンズラしていただろう。龍興に限らず傭兵なんてそんなものである。公家が違うなどとは、龍興は全く思っていなかった。夢の中の龍興のように、近衛前久には必死に働いて貰わねばならないのだ。
「さあ十兵衛、行こうか」
こうして龍興主従は、意気揚々と近衛家を後にした。
……すぐそこに、災難が待ち構えているとも知らずに。
注1 近衛前久
関白殿下です。戦国三英傑の話には必ず出てくる人ですね。というか、近衛前久と山科言継だけ知っとけばだいたいOK。二人以外の有象無象全てを合わせた数よりも、この二人の方が登場回数が多いです。たぶん。
山科言継は集金係として地方を行脚してたから登場回数が多いのですが、近衛前久はなんでかというと、やたらアクティブだから。謙信と飲み友でふらっと関東制圧に出かけちゃうし、信長とは鷹狩友達だし、秀吉なんて関白になるために前久の猶子(相続権のない養子みたいなの)にしてなってるくらいです。あと家康の徳川姓も前久が関わってます。松平姓では征夷大将軍どころか三河守護にもなれんかったのです。
しかもこの人、関白になるのが異常に早い。天文5年生まれで、天文23年には関白左大臣ですよ? なんと、数え19才です。まあ、前任者がぽっくり死んじゃったからでもあるのですが。
とはいえ、信長政権とは最初は敵対します。というか、「永禄の変に関わってたんじゃね?」という疑惑があって、信長というより足利義昭(従兄弟)と対立するんですね。ついでに政敵も乗っかってきて、それで朝廷から追放されてしまいます。それであちこち放浪するんだけど、なんでか義昭が反信長包囲網を作り始めると、なんでか前久もそれに与する感じになっちゃったという……。ちなみに、顕如をそそのかして本願寺を動かしたのは前久です。……うーん、義昭より有能すぎる。
そして義昭が追放されてしばらくすると京都に戻ってきて、信長と鷹トモになったのでした。めでたし、めでたし。
あと結構長生きして、大阪冬の陣の数年前まで生きてます。享年77才。
注2 大寧寺の変
中国地方では指折りの大事件です。超名門かつ大勢力だった大内氏が、配下の陶晴賢の謀反によって滅びる……いや、まあ、一応名義上は残るんだけど、実質的に滅びちゃう事件です。
当時の当主は大内義隆なのですが、これが最初はスゲー頑張って北九州、山陽道、山陰道と勢力を拡大し、宿敵の尼子氏をあと一歩というところまで追い込みます。が、大負けします。そこでポキっと折れちゃいます。
それからは武力を控えて文治体制に切り替えます。これまで手足として戦ってきた武断派武将はポカーン。その筆頭が脳筋陶晴賢です。蹴鞠? 和歌? そんなんで国が守れるかー! と謀反を起こし、遊びに来ていた公家たちまでぬっ殺します。ぬっ殺した公家の数では、たぶん空前絶後。……いや、大化の改新に次ぐ感じかな? いや、承久の乱もあったわ。……うーん、まあ、そこそこ?
そして毛利に謀反を起こされて国を滅ぼすのでした。めでたし、めでたし。