商売
初稿では無かった脚注を追加しました
「殿様、堺の街が見えてきやしたぜっ!」
水夫の声に舳先を見ると、大小何十隻もの船が停泊しているのが見えた。夢の中ではあの町で多くの人々に出会ったのだ。龍興は懐かしさがこみ上げてきた。
「うーん、久し……く、ないぞぅ。初めて来たぞぅ」
夢の中のことを思い出していた龍興は、うっかりな発言を飲み込んでごまかした。
「私は一度、堺筒(堺製の鉄砲)を求めに参りました」
これは明智光秀である。後々朝廷や幕府の工作に活躍してもらう都合上、今回の謝罪行脚に同行させていた。というか、礼法関係の相談役でもある。公家との対面など夢の中でもしたことがないのだ。
とはいえ、まずは堺だ。京ではない。わざわざ海路で堺にやって来たのだ。理由は簡単である。
「さあ十兵衛、銭を作るぞ!」
「…………」
……賠償金を用意するためであった。
なにしろ現在美濃(と尾張)では大規模な治水工事が計画されている。というか、計画するように半兵衛に命じてきた。半兵衛は凝り性なので、過去の記録を引っ張り出してあーでもないこーでもないと唸っていることだろう。だから必要な予算はまだ分からないのだが、分からないくらい高額であることは確かである。労役の対価は税の減免とすることで先延ばしに出来るが、道具類や消耗品も馬鹿にできない。特定の箇所に大勢を動員する以上、食事も配給せねば治安の悪化につながるだろう。どう考えたって大金が必要だ。
それに治水工事を提案したのは龍興ということになっている。さらに彼は近衛家への謝罪以外にも色々と行きたい場所や会いたい人物がいた。それにも当然金がかかるのだ。この状況で「上洛して金をバラ撒いてくるわ」などと言おうものなら、怒った半兵衛に稲葉山城を乗っ取られるかもしれない。だから自分で用意することにしたのだ。
堺に着くと龍興は夢の中の記憶を頼りに歩いた。夢の中より7年ほど早いからか町並みは多少の差異がある。だが目的地は記憶の通りの場所にあった。
「お待たせ致しました。天王寺屋の主、宗久(注1)と申します」
通された奥の間に現れたのは、堺を取仕切る会合衆の一人、今井宗久であった。茶人としても有名であるが、当然ながら商人としても名高い。
「美濃守護、一色右兵衛大夫だ」
龍興は敢えて一色の姓を名乗った。畿内では美濃守護代斎藤家は無名に近い。今井宗久ともなれば当然知っているだろうが、天王寺屋の顧客までは分からない。商品を入れた桐箱にも、斎藤家の二頭立浪紋より一色家の足利二つ引き紋が描かれていた方がありがたいというものだ。
「前触れもなくすまんな」
「いえいえ、船で来られる方は前触れ無しが普通ですよって」
「さもありなん」
「船は揺れましたかな?」
そうやってひとしきり他愛も無い話をした後、宗久は切り出した。
「それで、美濃守護ともあろう方が御自ら手前共の店にお越しになられた御用とは何でございましょう……?」
「うむ、これを買ってもらおうと思ってな」
龍興は持参した桐箱から一振りの太刀を取り出した。宗久は刀剣の目利きとしても知られた人物だった。
「拝見します」
宗及は太刀を受け取ると静かに抜いてしげしげと眺めた。
「そうですなぁ。これ程の刀であれば……銭10貫、差し上げても宜しゅうおます」
宗久はそうは言ったが、内心ではせいぜい5貫だと思っていた。5貫で買って8貫で売る。宗久自身が10貫で買い入れては明らかに赤字なのだが、三国同盟で話題になった龍興と縁を結ぶのは悪い話ではない。下手に安値で売って龍興の興を削ぐのはまずいから、10貫はドブに捨てたと思ってこの太刀は蔵の中に死蔵しよう。そう思っての値付けだった。
「10貫? ……たった10貫だと?」
龍興が不機嫌に眉を吊り上げると、宗久は焦った。落ち着いた所作からものの道理を弁えているものと思ったが、さては力自慢の田舎者であったか。
「ご、ご不満でございますか? されど10貫の値が付く太刀などそうそうございませぬぞ」
銭一貫はおしなべて米二石半に相当する。つまり10貫で25石。25人が一年間に食べる量の米だ。これはたとえばある公家に100石の荘園があるとすると、その収穫の半分の50石が年貢となり、さらに半分が代官を努める武士団の俸祿となるため、公家の収益は25石くらいになる。それがまるまるたった一振りの太刀に化けるというのだから大した価値と言える。公家ではなく武士の場合は代官がいない分取り分は大きいが、同時に大名に上納する分や軍役の負担があるので豊かなわけではない。彼らが太刀一振りに10貫出すのは限りなく難しいのだ。
だが龍興は首を振った。確かに彼は堺に商売をしに来た。10貫は商人として出せる限界なのだろう。だが彼は真っ当な商売をする気はなかった。
「俺の曽祖父は京で油を売っていたという。その時一文銭の穴を通して油を注いだことで面白がられてな、それは飛ぶように売れたそうだ」
彼は宗久から太刀を受け取ると、それをかざして見せた。
「俺ならこの太刀、500貫で売ってみせよう」
「ご、ごひゃっかんっ!?」
銭500貫、つまりは1250石。一万の軍が一月食い繋いで余りある量だ。それをただ一振りの太刀に費やさせようというのである。
「天王寺屋、俺が商売というものを教えてやる。その代わり、手伝ってもらうぞ」
龍興が天王寺屋を訪れた7日後、堺の町中にある開口神社の境内には時ならぬ人だかりがあった。
天王寺屋の触れ込みで、刀剣商はもとより近郷の武士やたまたま堺に滞在していたという者までが集まっていたのだ。もちろん皆が刀剣に興味のある者たちだ。
水干に烏帽子姿の龍興がしずしずと現れると、観衆に向かって口を開いた。
「我は美濃守護、一色右兵衛大夫龍興。これより奉納致しまするは、美濃国は関の刀匠、当代藤原兼房の作。まずは神の御前にて、その切れ味を披露いたしませう」
そう言って河原から拾ってきておいた人の頭ほどもある石に刃先を添えた。そして精神を集中させると、いつものように耳鳴りが聞こえてきた。静かにズブリと刃を石に沈める。
すぱっ
「「「おおおぉ~!」」」
あまりの切れ味に観衆がどよめいた。振りかぶって叩き割るとかならともかく、野菜でも切るような切り方なのだ。だがだからこそ、疑念を抱く者もいた。
「お待ちあれ! その石、予め割ってあったものを糊で付けていたのではあるまいか?」
そう言ったのは観衆の中にいた身なりの良い中年の武士だった。大名に向かって詐欺師扱いとは大した度胸……と言いたいところだが、彼も大名だった。
――小笠原殿? なんでこんなところにいるんだ?
小笠原長時(注2)は美濃の隣国信濃の守護……だった男だ。武田に所領を奪われ、同族の三好を頼って落ち延びて来ている。夢の中では一時期ともに戦った仲である。その彼がなぜ今堺にいるのかは……することがなくて暇だったのだろう。たぶん。
「なるほど、なるほど。ご懸念あるのも致し方なきこと。さればそこに転がる真っ二つになった石を、とくと御検分下され」
そう言うと長時の家臣と思しき武士が進み出て石を拾い、長時と2人であーでもないこーでもないと石をなで回した。しかしそこに仕掛けは無い。仕掛けがあるとしたら、それは龍興本人にあるのだ。どんな仕掛けなのかは本人にも分かんないけど。
「……失礼した。この石に仕掛けは無いようだ……」
「「「おおおぉ~」」」
再び観衆が沸いた。長時が疑念を差し挟んだことで観衆達も疑いを持っていたのだろう。しかし当の本人が仕掛けが無いと太鼓判を押したことで、その疑念が払拭されたのだ。
「よろしければその石、もう一度ここに置いて戴けるかな?」
龍興がそう言うと、家臣が動こうとしたところを長時が止め、自分で石を持って龍興の元にやって来た。
「よろしければその名刀、拝見させては頂けぬか」
「ならばこちらをご覧あれ。同じ刀匠が同じ時、同じ鉄から作り出したる三つ子の太刀。その一振りがこれより奉納せんとするこの太刀。そして……」
龍興は光秀から別の太刀を受け取る。色違いの拵えをした同じ長さ、同じ形の太刀だ。スラリと鞘走らせた刀身もそっくり。そして……
すぱっ
……切れ味も同じだった。
「「「おおおぉ~」」」
細工がないことを改めたばかりの石がさらに分割され、観衆が再び沸いた。そして龍興はその太刀を一旦鞘に戻すと、長時に差し出した。
「さあ、ご検分くだされ」
「忝い」
長時は畏まってその太刀を受け取ると、鞘から抜いてしげしげと見つめた。
「なんと、刃毀れ一つ無い……! これはまさしく名刀だ!」
「「「おおおぉ~!!!」」」
長時の言葉を聞いてまたまた観衆が沸いた。
しかしこの長時、実は弓矢馬鹿ではあっても刀剣馬鹿ではない。彼も銘刀を贈られる立場だったが、刀より弓を好む性格上、太刀の鑑定眼はそれなりでしかない。だから眼の前で石を切るという現実を見せつけられた後では、それなりの銘刀が名刀に見えてしまうのである。まあ、そんなことは観衆の誰も知らない事だが。
龍興は長時にしか聞こえない声でそっと告げた。
「小笠原殿、この太刀を500貫で買わぬか?」
「なっ!?」
長時は目を剥いて驚いた。驚いたのは正体がバレていたことか、太刀一振りに500貫というとんでもない値を付けられたことか。いずれにせよ声が出せぬ間に龍興は更に踏み込んだ。
「その代わり、そこもとの弓を一張500貫で買わせていただく」
長時の愛用の弓も高価なものだったが、500貫には程遠い。しかも弓は使い手との相性の問題が大きい。例え達人の弓を手に入れても、龍興の放った矢が命中するようになる訳ではない。そこに500貫を払う意味は無いのだ。……象徴的な意味を除いては。
「…………」
長時が小さく頷くのを確認すると、龍興は声を張り上げた。
「もしそれなりの値を付けて頂けるなら、その太刀をお譲りしても宜しいが如何か?」
「これほどの名剣であれば……そうさな、500貫、といったところか」
「「「おおおおおおおぉぉぉぉ!!!」」」
さすが商業の街といったところか、あまりにも高額な評価にこの日一番の歓声が沸いた。
「よろしかろう! これよりこの太刀はそこもとの物だ! ところで、今更だが御芳名をお伺いしても?」
「これは失礼した。我は信濃守護、小笠原信濃守でござる」
「「「おおおぉ~」」」
さすがは名族、所領を失っても名前は知れ渡っているようだ。……まあ、今信濃を支配してるのが誰かなんて、知らない庶民も多そうだけど。あと、もう守護じゃない気もするけど。しかし太刀一振りにポンと500貫出したと聞けば、事情を知るものですら侮りがたいと思うだろう。そして長時の弓が500貫で売れたという噂も広がれば、更に面目躍如というところだ。
ホクホク顔の二人の傍らで、彼らの裏取引を知らない長時の家臣は真っ青な顔でアワアワしていた。それがまた殿様が道楽で大枚をはたいたように見えて、堺の町衆には大ウケだった。
「さて天王寺屋、最後の一振り、お前なら幾らで買う?」
「おみそれしました。500貫で買わせて頂きます」
今井宗久は深々と頭を下げた。
「ですが、これが最後ではありませぬでしょう?」
長時と違って宗久の鑑識眼は確かだった。あの太刀が石を切れるとは思っていない。只人があの太刀を振ったところで石は切れない。特別なのは太刀ではなく龍興なのだ。ならば石を切る太刀などいくらでも用意できるということだった。
「そうだな、これからはちょくちょく美濃から刀が送られてくるかもしれぬな」
「でしたら切った石とその拓(注3)を付けていただきたく思います」
本当に石を切ったという証明である。切る現場を見ていない以上、石を付けることは必須。そしてその石を偽物とすり替えられないように拓を取るのだ。
「良かろう。銘と共に数を刻み、俺の署名も付けておこう」
刀身に通し番号を刻み、切った石の拓を取り、それに美濃守護一色右兵衛大夫の名で署名して本物であることを保証する。一気に有り難みが増すというものだ。つまり名が上がり、値が上がる。龍興は定期的な収入源を得たのであった。
この時の噂は全国に広がり、後に堺の天王寺屋には全国から名刀『石切兼房』を求める者たちが訪れるようになった。
注1 今井宗久
茶湯の天下三宗匠の一人です。当然のように武野紹鴎の弟子で、娘婿でもあり、義父の遺産を全部譲り受けたそうです。
秀吉政権に食い込んで名を上げた千利休に対して、今井宗久は信長政権に商売で食い込んだ印象があります。
商人としては堺の会合衆の一人。天王寺屋は革製品を始めとした武具の売買で財をなし、その結果全国の大名と繋がりがあったそうです。
注2 小笠原長時
信濃守護……だった人です。父の後を継いで13才で当主になったのと同じ年に、隣国甲斐では武田晴信(のちの信玄)が当主に。うん、もうこの時点で運が無いことが分かりますね。
そもそも守護って言っても支配してたのは一部だけ。せいぜい旗頭って程度です。まあ広いのに山がちな信濃では仕方無い。
そんな状況で四半世紀ほど信濃で戦ってたんですが、武田に負けて信濃から追い出されます。
それで同族っていうか傍流の三好家を頼って京に落ち延び、義輝に信玄のことを告げ口したりします。
その関係で本国時の変にも三好方で参戦してます。龍興と共闘してるのはこの頃ですね。
ちなみに本人のステータスは、「統率」が低くて「武力」が高いタイプ。ただし得意なのは弓なので、那須与一的な人だと思えば良いでしょう。
那須与一が総指揮官? 絶対間違ってますわ。
ところで、小笠原と言えば礼法と弓術です。特に小笠原流弓術は超有名。当時としても日置流と二分する弓術の大家です。日置流は主に歩兵弓術で実戦的な一方、小笠原流は流鏑馬なんかの弓馬術からスタートした礼法重視の流派です。なので実戦がない現代では圧倒的に小笠原流が有名ですね。まあ、弓道なんかでは日置流も生き残ってるんでしょうけど。
ちなみに弓を引くときに一旦高く持ち上げてからゆっくり下ろしながら引くのが小笠原流で、すっと持ち上げながら引くのが日置流なのだそうです。
ついでに長時の孫(もしくはひ孫)の小笠原貞頼が小笠原諸島を発見し所領として安堵された……ということになっています。後にそんな事実(?)を知らない江戸幕府が探検隊を送ろうとしたところ、小笠原貞頼の子孫を称する浪人が現れて、「あれは俺の先祖が貰った島だから! だから俺のもんだから!」と主張したそうです。そして「いや、そんな記録ねーよ」と追放されたそうです。でもそいつが持って来た書状にあった父島・母島という名前はパクられて正式名称になったそうです。その流れで「小笠原諸島」ということになっちゃいました。 ……いや、なんでだよ。
注3 拓
魚拓とかの拓ですね。石碑に墨を塗りたくって紙に写し取ったりもします。
石碑の文字を写し取った物を拓本といいますが、真っ二つに切った石には凹凸なんて無いでしょうから拓本とは言えなさそう。
そんなわけで単に「拓」とだけ書きました。
敢えて書くなら「石拓(造語)」かなぁ?