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ある戦国大名の最期

天正元年9月某日

星明かりもない暗闇の中に数多くの松明が蠢いていた。

向かって左、山頂側には一塊となった少数の灯りがあり、向かって右、麓に向かう街道沿いには延々と続く灯りの列がある。その列の先頭が、今まさに塊にぶつかろうとしている。


「放てぇえぇぇ!」

「突き込めぇえぇぇ!」


両陣から殺気が籠もった号令が放たれると、それに応じてそれぞれに喊声があがった。松明がゆれる。そして怒号と悲鳴。幾つかの灯りは地面に落ち動きを止めたが、残りは更に揺らめきを増し燃えさかった。喧騒もさらに大きくなる。


その喧騒を横から臨む草叢の中では押し殺した声が上がっていた。

「右兵衛大夫様、始まりましたぞ!」

若い声だった。声の大きさこそ抑えてはいたが、今にも飛び出していきそうな声音であった。逸っている。

「九衛門、まだ早い。織田軍の目が全て山崎殿に向いてからだ」

右兵衛大夫と呼ばれた男は、じっと松明の動きを見つめたままそう答えた。それを見た若い男も、息を整え落ち着きを取り戻した。



 一色右兵衛大夫龍興――後世には斉藤龍興の名で知られるこの男は、かつて大国美濃の守護であった。14歳で父の跡を継ぎ、20歳で隣国尾張の織田信長によって国を追われた。放蕩の限りを尽くし、彼を諫めるために竹中半兵衛がわずか17人で難攻不落の稲葉山城を乗っ取った……などという風説も広く知られるところである。

 その真偽はともかく、美濃を追われた龍興は伊勢長島(浄土真宗本願寺派)、堺、三好、六角などの反織田陣営を転々としながら戦い続け、現在は越前朝倉氏の客将として兵を率いていた。今や歴戦の勇将である。


ーー負け戦ばかりだったがな


 大名だったころには見えなかったことも、戦や世間に揉まれるうちに見えるようになっていた。だから今の龍興にはこの戦(戦術)と世の趨勢(戦略)が見えていた。どちらも拙い。大いに拙い。


 つまりは……


――もう、朝倉も終わりだな


……ということである。



 昨年、武田信玄が三方原で徳川に大勝した。その時には皆が織田を打倒できると確信していた。朝倉家中だけではない。腰の重かった公方も遂に兵を挙げたのだ。……だが、武田は突然兵を退いた。

 愕然とするより、戸惑いの方が大きかった。なぜ退くのか。せめて三河だけでも、いや既に落とした城だけでも将兵を残して確保するべきだろう。そうでなければ武田配下の将兵も納得できないだろうし、そうであれば織田も尾張本国を守るために多くの兵を割かねばならなかったはずだ。だが武田は、幾らかの要所を押さえるだけで、占領地の大半を放棄して甲斐や信濃に帰って行ったのだ。


 甲斐武田から朝倉家に送られてきた使者はその理由を語らなかった。木で鼻をくくったように、「今はその時ではない」と、分かったような分からないようなことを(のたま)うばかりだった。


ーーまあ、噂に聞く信玄ならそんなことも言いそうな気もするが。なにしろ快川和尚(注1)と馬が合うくらいだしな。


 しかしその使者は帰り際に、龍興にこう漏らした。


「信玄公が鉄砲で撃たれたという噂があります」


 その使者は若狭の出で、かつては主君武田元明と共に朝倉家で冷や飯を食わされていた者だった。そういう経歴だから使者に選ばれたのだろうが、そういう経験をしていたからこそ朝倉には思うところがあったのだろう。”事実”ではなく”噂”しか知らないところから見て、甲斐でも冷や飯を食らっていそうだが。

 ともかく、「落剥した元大名」という似たような境遇にあった龍興と元明は、年の差こそあれ、何くれとなく互いに気にかける仲であったのだ。


「落ち延びるのなら、武田以外を頼られよ」


使者は最後にそれだけ口にすると、足早に去っていた。


 それは「甲斐武田(◆◆◆◆)は落ち目だから頼るな」という助言であったのか、あるいは「親交があるからと言って武田元明(◆◆◆◆)を頼るな」と言う拒絶であったのか。いずれにせよ、甲斐武田に庇護を求めても未来は暗そうである。

 一方で「今度こそは勝てる!」と満を持して挙兵したところで梯子を外された公方は、既に織田軍に破れている。あっさりとしたものだ。今では毛利を頼って遙か西の果てに落ち延びたという。先祖の尊氏は九州まで落ち延びたし、義稙は周防まで逃れた後再度将軍になってるのだから、足利氏的にはまだまだ挽回可能だと思っているのかもしれない。

 ともかく今現在畿内周辺で勢力を保つ反織田勢力は、もはや本願寺くらいしか無くなっている。しかし朝倉は加賀一向一揆とは不倶戴天の敵でもある。なにしろ朝倉宗滴が一向門徒を殺しまくったから。


 もはや反織田同盟は瓦解寸前である。この状況で朝倉が浅井を見捨てて撤退してしまった以上、北近江はすぐにでも織田家に平定されるだろう。今後は越前本国が戦場になる。ジリ貧だ。いやそれ以前に、夜間にこっそりと逃げ出したにも関わらずその夜のうちに激しい追撃を受けてしまっている。このままでは国境の守りを固める前に織田軍に突破されかねない。そうなれば朝倉軍の大半を構成する農民たちは逃げ散ってしまうだろう。いや、国人や一門衆ですら怪しいところだ。実際に今回の出兵では、一門衆からも参戦を拒否する者があらわれた。そして当主朝倉義景は、それを罰することも出来ずにいたのだ。


――また多くの裏切り者が出るのだろうな


 龍興が美濃を追われた時もそうだった。事前に国人の大半が調略されており、織田軍が稲葉山の城下を埋め尽くしても、どこからも後詰めが来なかったのだ。少しでも来援があれば、城内の兵と呼応して挟撃することが出来ただろうに……。龍興は抗戦を断念するしかなかった。


ーーあの時の惨めさと悔しさは忘れられぬ……


そのせいか、あれ以来彼は酒と女を受け付けなくなっていた。余人には『断っている』と嘯いているが、実際には勃たないのである。

深酒する銭ももったいないし、況してや妻を娶るような余裕などあるはずないので、構わないと言えば構わないのだが。


――さてどうするか。朝倉には義理があるしなぁ


 退転するにしても、このまま放置して行くのは気が引ける。三好や堺や本願寺は何のかんの言っても今でも本拠地は残っているのだが、朝倉はここで負ければ根切りにされかねない。一乗谷が比叡山の二の舞いになりかねないのだ。

 幸い越前には2つの要害がある。越前と近江を分かつこの刀根峠と、越前を南北に分ける木ノ芽峠だ。もっとも、刀根峠に防衛戦を敷いたところで織田軍は若狭経由で攻めて来るだろう。だが木ノ芽峠の防備を固めれば、まだまだ抗戦は可能なのだ。


ジリ貧なのは変わらないが、一旦でも押し返せれば和睦なり降伏なりを模索する猶予が与えられるだろう。


――そのためにも、ここで時を稼ぐ必要がある。


 殿軍には朝倉家重臣の山崎吉家があたっている。寡兵の一色勢がそこに混ざるよりは、細い山道に長く延びた織田軍に横入し、将の1人でも討ち取った方がよほど効果的だ。それによって織田軍が無闇な進撃に危険を感じれば、侵攻速度が落ちることになる。木ノ芽峠を固めるのに必要な時が得られるだろう。




 龍興の目に蛍のような小さな灯りの群れが写った。松明の大きな炎とは違う動きだ。整然と並んで動いている。


ーー火縄だ


後方にいた鉄砲隊を前線に押し出そうとしているのだろう。龍興の目がすっと細まった。

「鉄砲隊だ。行くぞ」

 龍興は雑草を掻き分けて静かに進み始めた。兵達も黙したまま後に続く。その数は多くない。朝倉から預けられた百姓兵は全て帰した。残ったのは龍興同様流れ者の武士たちだ。戦乱で主家や領地を失い流れ流れて堺や本願寺や越前に流れ着き、そこで龍興に、あるいは朝倉家に雇われた浪人たちである。

龍興は「逃げるなら本願寺か毛利に向かえ」と言い含めたのだが、それでも残った物好きどもだ。ここが死地であることは百も承知。今更怖じ気づくことはないだろう。


 近づくにつれ人影が見て取れるようになってきた。下馬したのか、騎乗の将は居ない。しかし目を引く武者がいた。一際目立つ前立が松明の灯りを受けてキラキラと光っている。その武者が軍配を振り上げて指示を出していた。


「久右衛門、兵を率いて鉄砲隊を襲え。撃たせるな」

龍興は小声で指示を出した。

「はあ。して、右兵衛大夫様は?」

「あの武者だ。この隊の将と見た。鉄砲隊に注目が集まったところを横から襲う」

久右衛門と呼ばれた男は苦笑いを浮かべた。

「一番の手柄を独り占めですか?」

「代わってもいいぞ。どうせ褒美など出ないがな」

龍興も苦笑を浮かべていた。

「義理を果たしたらさっさと逃げろ。こんな戦で死ぬなんてのは、馬鹿のすることだ」

「違いありませんなぁ」

ひとしきり言葉を交わした後、二人は音も無く別れた。今生の別れかもしれない。だが、今更だ。


ーー織田勢も余程()いているようだな


 一手の大将ーーざっと見たところ兵の数は千は下らぬようだが、その将となれば最低でも5万石以上の領主だろう――のわずか十間先にまで近づいても気付かれていなかった。あまりにも迂闊であり、龍興にとっては拍子抜けだった。


 実はこれには織田陣営内に理由がある。龍興には知る由も無いことだが、この日信長は配下の武将達に「今晩朝倉勢が撤退するから、追撃の準備をしておくように」と下知を出していた。しかし多くの武将達は「はあ? まだたいして損害も与えてないのに、浅井を見殺しにして撤退するわけないでしょ」と思って普通にぐっすり寝ていたのだ。羽柴秀吉も、柴田勝家も、明智光秀も、佐久間信盛もである。だからいざ朝倉勢が撤退を開始しても、即座に動けたのは事前に準備をしていた信長直轄の軍団だけだったのである。

 更に言えば、この時の失態は後に佐久間信盛が織田家を追放される一因ともなった。つまりこの時の信長の機嫌は最悪であり、それはそれを知る立場にある者を心底焦らせるには十分であった。


 龍興は藪の中を静かに進んだ。さすがに大将は近習に囲まれていたが、ここまで近づければ殺すだけ(◆◆)なら難しくはない。鉄砲か弓矢があれば一番だが、一振りの刀でも十分だ。問題は殺した後に逃げられるかだが、すぐに山崎勢が突撃してくるだろうから、呼吸さえ間違わねば深追いはされないはずだった。


 息を殺して待つ内に鉄砲隊は隊列を布き射撃の準備を終えた。次に前線で戦っていた兵たちが退き、山崎隊の一部が喚声を上げて追いかけて来た。想定通りの展開だ。本来ならここで鉄砲が斉射されて山崎隊が崩れるのだが、ここで久右衛門たちが静かに割って入った。喚声も上げず、走りもせず、草叢からすたすたと歩いて入ってきた20人ほどの小集団を、即座に敵と判断できた者はいなかった。


「な、なんだ?」

「ぐあっ!」

「えっ? て、敵か!?」


 抵抗も出来ない鉄砲衆を、当たるを幸い撫で切りにしながらすたすたと通り抜ける。久右衛門たちはここに至っても一言も発していない。だから織田兵には久右衛門達の総数が分からなかった。むしろ鉄砲隊が騒ぎ立てるせいで、何倍もの兵が横入りしたのではないかという印象を持ってしまった。

 大将首は一瞬唖然としていたが、さすが万石の主だけあってすぐに気を持ち直した。

「落ち着けぇぇいっ! 敵の数は少ないっ! 取り囲んで討ち果たせぇっ!」

だがその視線は鉄砲隊と突き込んでくる山崎隊に向けられていて、近くの草叢から出てきた龍興には気付かなかった。


「すわっ、何者ぞっ!?」

ようやく近習が誰何した時には、龍興は目と鼻の先にまで迫っていた。しかし龍興は自分は関係ないとばかりに視線を鉄砲隊の方に向けてすたすたと歩み寄る。

すると誰何した方も「あれ? 不審者じゃなかったのかな?」と思ってしまうものだ。何しろ織田勢は、尾張から摂津までさまざまな出身者の寄り合い所帯なのである。そしてこの狭い街道に多くの部隊が押しかけているのだから、後続の部隊から使者や物見が送られてきても全く不思議ではないのだ。それが隙になった。

「あぐっ!?」

「な、なにを!?」

龍興の抜き打ちで一人は腕を切られ、一人は蹴りつけられて同僚を巻き込んで後ろに倒れた。その段になって初めて大将首が龍興を見た。目が合う。その目は驚愕に見開かれていた。だがもう遅い! 振りかぶられた刀は既に大将の脳天に向けて振り下ろされていた。


 きぃぃぃん


 刹那の間、静寂が訪れた。小さな金属音が響くと、大将の兜が左右真っ二つにぱかりと割れて地に落ちた。(もとどり)がはらりと散る。


「……う、右兵衛大夫……さま?」


愕然として呟く大将に対して、龍興も呆然としていた。


「……久しいな、直昌」


 その軍勢の大将は氏家直昌であった。彼の父直元(卜全)(注2)は、かつて龍興に仕えた重臣中の重臣だった。織田の猛攻の中で龍興を支え続け、安藤伊賀守と竹中半兵衛によって稲葉山城を乗っ取られた時も、龍興側に立って仲裁してくれた忠義の臣であった。だがだからこそ、直元が龍興を見限った途端に美濃は落ちた。かつては激しく恨んだものの、その死を知ってからは、むしろ彼にすら見限られた己の不甲斐なさを悔いていた。そして直昌はその跡取りであり、当然龍興と面識があった。


 龍興は直昌の顔を、父親によく似たその瞳を見た時、とっさに刀を止めようとした。だが止まりきらず、刀を兜に軽く当てながら手元に引いたのだった。その結果、何がどうなったのか兜が割れた。驚くほど綺麗に。ひょっとすると割れたのではなく、切れたのかもしれない。


ーーひょっとして、これが……


 龍興は何かをーー剣術の真髄か、あるいはその一端をーー掴んだ気がして、呆然と自らの刀を見つめていた。


「と、殿ぉおおぉ!」


誰もが息を忘れる中で、いち早く我に返った武者が怒声を上げて龍興に突きかかった。真っ直ぐに突き出された槍先は、腕を振り上げたまま固まる龍興の右脇に吸い込まれ、ずぶりと肉に分け入って、鎧にも肋骨にも遮られることなく肺の奥深くまで達した。

龍興はその姿勢のまま刀を取り落とすと、ごふりと血を吐いた。その血が直昌の顔に降りかかる。


「あ、ああ……!」


 直昌にとって龍興は敵だった。旧主だが、今は紛う事なき敵だ。だが彼は生前の父が、龍興を裏切ったことを悔やみ続けていたことを知っていた。あの直後に出家して卜全と名を改めたのも、あの地獄の長島で殿軍を買って出たのも、龍興を裏切った後ろめたさから逃れるためだった。そして今直昌も、龍興に決して返せない負い目を負ってしまった。討ち取られるところを寸止めされたというのに、こちらは恥知らずにもそのせいでできた隙を突いたのだ。

 我に返った直昌は、槍を突き入れた武者を殴りつけた。

「何をするかっ! この方は、(さき)の美濃守護、一色右兵衛大夫様ぞっ!」


 武者は倒れ、その槍に縫い付けられていた龍興もその場に崩れ落ちた。

「右兵衛大夫様っ!」

直昌は慌てて龍興を抱きかかえたが、既に彼は虫の息だった。だが龍興は朦朧とする意識の中で、僅かな満足を覚えていた。

「そう、怒る、な。良い……家臣、では……ないか」

何をおいても主君を守るのが良い家臣である。確かに。だが、自分たちは良い家臣ではなかった。直昌は声を絞り出した。

「……はっ!」


「ひとつ、頼みが、ある」

「なんなりと!」

「兜を、くれ」

「は?」

思いがけない言葉に、直昌の視線が真っ二つとなった兜に向かう。

「それがしの……兜にございますか?」

「思いのほか、上手く、切れた。我が、剣の、結実ぞ」

確かに、恐ろしいほどの切り口である。良く自分の頭が割れなかった物だ。

「……必ずや、墓前に備えさせて頂きます」

「たの……む……」

それだけ言って龍興は黙った。そしてその口も目も二度と開かれなかった。



天正元年、近江国刀根坂にて一色右兵衛大夫龍興死す。

最期まで信長に反抗し、志半ばで潰えたというのに、彼の死に顔は満足げであったという。

注1 快川紹喜(かいせんじょうき) 臨済宗妙心寺派の僧 妙心寺43世 美濃出身 美濃国崇福寺住職

   一色(斎藤)義龍との間に永禄別伝の乱という宗教紛争を起こして美濃国外へ出奔。

   だけど義龍が病死するとちゃっかり戻ってきて葬儀で導師をやってたりする。

   そして龍興に「ごめんなさい。親父が悪かったです。ごめんなさい。むしろ生まれてきてごめんなさい」と言わせる。

   後に甲斐で『心頭滅却すれば火も自ら涼し』という名言を吐きながら織田軍に焼き殺される。


注2 氏家卜全うじいえぼくぜん 氏家直元 西美濃三人衆の一人 斎藤六人衆の一人 卜全は出家号

   氏家ト全(うじいえとぜん) 下ネ……ごほん、青春(?)漫画家 代表作:『生徒会の役員共』

   うちのPCだと[うじ]と打ち込んだ段階で変換候補に[氏家卜全]と[氏家ト全]が並びます。……見分け付かねーよ!

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