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大納言

龍興が清洲城から帰ってくると、稲葉山の麓にある屋敷が織田家によって制圧されていた。


「あのう、叔母上? 織田の兵は二の丸に入っているのですが……」

「わざわざ二の丸まで登るのはいやじゃ」


 清洲同盟の成立直後、まず木下藤吉郎が稲葉山城二の丸に入り敷地と既存の建物を調べると、継いで柴田勝家が兵500を率いて二の丸に入り、藤吉郎が雇った人夫とともに兵が寝泊まりするための長屋を作り始めた。

 そして粗方工事が終わると、帰蝶が奇妙丸を連れて稲葉山にやって来た。そして二の丸に入って「御苦労」と一言告げると、山を降りて麓の館を占拠したのである。普段龍興が寝起きしている館である。山に登るのが嫌なら輿で登れば良かろうと思うのだが、たぶん言っても無駄なので藤吉郎と勝家も何も言わずに麓に館を建造中であった。


 「こら、サル! 今日という今日は許さんぞ!」

 「権六殿こそ何様のつもりじゃ!」

 「人間様じゃ!」

 「ワシだって人間だぎゃー!」


建設現場がすぐ隣なので何かと言っては二人がやって来るのだが、仲が良いのか悪いのか大抵口喧嘩をしている。二人共声がでかいので大変迷惑であった。


「せめて館が出来るまでは二の丸にいてください」

「稲葉山を攻めるとしたら織田であろう? 斎藤がその織田と盟を結んだのじゃ、妾が二の丸に籠もる必要などあるまい」

「…………」


 その斎藤が裏切らないか警戒するために二の丸を与えたのだが、これは信長からの信頼の証と考えて良いのだろうか? その割に奇妙丸は佐久間信盛と二の丸にいるので、単に帰蝶の気まぐれのような気もするが。


「そろそろお市殿を呼んでも良いのではないかえ?」

「叔母上、まだ早うございます」


「そうです、まだ早いです!」

「早すぎです!」


 つい先ほどまで口喧嘩をしていた柴田勝家と木下藤吉郎が揃って唱和した。なんだかんだ言っていても、彼らは龍興に味方してくれるのだ。(注1)


「いつまでもグチグチと……いい加減にせよ!」

「しかし叔母上……」

「それじゃ!」

「は?」

「叔母上、叔母上と五月蝿いのじゃ! 早くお市殿を娶って、妾のことは義姉上と呼ぶのじゃ!」


龍興が唖然としていると、勝家と藤吉郎も帰蝶の肩を持った。


「右兵衛大夫様、お市様の輿入れはまだまだ早すぎですが、御方様のことは姉上様とお呼びなされませ」

「然様、藤吉郎の言うとおりです。お市様の輿入れはまだまだまだまだ早すぎでございますが、帰蝶様のことは姉上様とお呼びなされませ」


龍興も仕方なく頷いた。


「……まあ、私の養子である奇妙丸の義母上ですから……義理の姉のような……?」

「そう、そうじゃ。これで一件落着じゃ!」


 なんだか煙に巻かれたようだが、肝心なところはやり過ごすことが出来た。龍興がほっと安堵の息を吐くと、勝家と藤吉郎も同じく安堵の溜息を吐いた。つい先日まで敵対していた相手だというのに、今では心から龍興を心配してくれているのだ。


「ところで……義姉上、しばらくしたら私は上洛致します」

「上洛? 何故じゃ? いちいち幕府に守護継承の挨拶に行くのかや?」


「いいえ、斎藤大納言様(注2)の件です」


龍興の言葉に帰蝶の目が大きく開かれた。


「斎藤大納言……って誰じゃ?」


 ガクンと肩を落とした龍興は、「おいおい、誰か説明してやってくれよ」とばかりに周囲を見回し……誰も分かっていないことに驚いた。そう言えばこの場に美濃の者は帰蝶と小姓たちしかいない。龍興も夢の中では美濃を追放された後で知らされた人物なので、あまり馬鹿にも出来なかった。


「…………義姉上、あなたの義理の兄ですよ。御祖父様の養子として斎藤家に入られていた、近衛家の御長子です」


「……誰じゃ? どこの"このえ"家じゃ?」


 あんまりにも現実味が無いからか、帰蝶は理解できないでいた。そうだろう、龍興も長井隼人正に教えられた時にはなかなか理解できなかった。理解したくもなかった。それくらいトンデモな厄ネタなのである。


「摂関家筆頭の近衛家です。現関白近衛様の御兄君にあたる方です。御祖父様はその方を養子にし、敵でもないのに謀殺しているのですよ!」(注1)


 そう、なんでか道三は元関白近衛稙家の庶子を養子にしていたりするのである。それが斎藤大納言正義だ。たかが守護代家の当主でもない人物だけど、出自を聞けば大納言の自称も納得である。ちなみに現公方足利義輝の母は近衛稙家の姉であり、正室は近衛稙家の娘である。つまり斎藤大納言は元関白の息子で、現関白の兄で、現将軍の従兄弟かつ義兄なのである。そして道三は彼が意外に有能で自分の障害になってくると、さくっと謀殺してしまったのであった。


「……嘘、であろう?」

「本当です。手にかけた本人も認めています」

「そんな馬鹿な! あの父上が……あの父上? うーん、あの父上なら……そんな馬鹿なっ!」


帰蝶は内心で認めかけたけど、やっぱり否定した。根拠はないけど否定した。だって絶対にヤバそうだから!


「もっとも、父や私の官位が認められていることからして、御祖父様を討った一色家に罪はないという立場なのだとは思います」


龍興が言うと、帰蝶は露骨にほっと胸を撫で下ろした。逆に言うとそんな状態で官位と守護職を要求した義龍は肝が太かったのか、あるいは完全に忘れていたのか。官位もそうだけど、守護職と相伴衆と一色姓がよく認められたものである。いや、ホントに。


「しかし私が斎藤に復姓し、御祖父様の立場を継承するとなれば、どこから文句が出るやもしれませぬ。殊に叔父上が軍勢を率いて上洛された際に、どのような妨害に遭うか……」


 帰蝶はがっくりと項垂れた。これは相当に拙い。どうにかしないと拙い。少なくとも市を娶って新婚の状態で行くよりも、代替わりしたばかりの今行った方が良いのは確かであった。


「謝って参れ。それはもう、丁重に、丁重に、謝って参れ」

「はい。心を込めて謝罪して参ります」


こうして龍興は誰の反対もなく上洛できることになった。



「お前たちもついてくるか?」


と、龍興は念の為に藤吉郎と勝家に声をかけてみたが、


「ざ、残念ながら、殿に命じられた仕事が残っておりまする!」

「そ、それがしも! 旅路の無事を願っておりまするっ!」


……と叫びながら逃げて行った。


「正に阿吽の呼吸だな」


やはり二人は仲が良いようであった。

注1 柴田勝家と木下藤吉郎


 後年天下を争う二人ですが、若い頃から不仲であったと言われています。譜代と外様、家老と小物、脳筋と小利口、一穴主義と浮気性……あらゆる意味で相容れない二人ですが、ただお市ラブな点だけは共通していました。

……いや、まあ、藤吉郎の方はともかく、勝家がいつ頃から市に惚れてたのかは怪しいのですがね。でもお市の初婚(浅井長政)は20才過ぎなので、その前から惚れていた可能性はあるかも。ていうか、意外と売れ残ってたんですね。シスコンの兄のせいでしょうか。



注2 斎藤大納言正義(1516〜1548)


 父は摂関家筆頭近衛家の当主近衛稙家(1502〜1566)です。年齢差は14。……うん、中二くらいの時にできちゃった感じですね。

当然長子なのですが、よほど母親の身分が低かったのか13歳で寺に放り込まれます。まあ、公家では跡取り以外は出家して寺に入るのは普通のことのようですが、弟で嫡男の近衛前久は1536〜1612なので、跡取りが生まれるずっと前に出家させられたことになります。


 あれですかね? 自分が13才で女とチョメチョメして子供を作っちゃったから、正義がチョメチョメしないうちに寺に入れたんですかね?


 とはいえ、さすがは近衛家、出家先に家来の一人くらい付けてやることはできたようです。ただその家来というのが、斎藤道三の愛妾の兄だったそうで、寺の生活にウンザリしていた正義はその縁を頼って美濃に行き、道三の養子になったのです。よりによって、戦国三悪人の養子に……!


 あれですかね? やっぱり正義も女とチョメチョメしたかったんですかね?


 すると庶子とはいえ摂関家筆頭近衛家の出身で公方と親戚ということもあり、なんか知らんけどチヤホヤされます。主君土岐頼芸にも国人たちにもチヤホヤされるのです。道三パパと同じ京からの流れ者なのに……! それで、それを苦々しく思う道三が正義麾下の久々利頼興という男を使ってサクッと謀殺します。さすが道三! そこに痺れる、あこが……あ、ホントに痺れ薬使ったのかも。


 ちなみに正義が自称した大納言ですが、この官職は大臣の一歩手前、朝議にも呼ばれるスーパーエリートです。官位は正三位相当、もちろん公卿ですよ。ちなみに中央官庁の1つの弾正台(=治安警察?)の長官である弾正尹は従三位相当。上杉謙信の弾正少弼にいたっては正五位下相当です。大納言の偉さが分かろうというものです。いや、まあ、自称なんですけど。でも何かの間違いで正義が近衛家に残っていたら、大納言には確実になれたでしょう。


 あと正義が謀殺された時まだ幼い息子が逃亡して身を隠し、後年になってその子(正義の孫)が久々利頼興を騙し討ちにして仇を取ります。……が、そんな子や孫が居るということを龍興はもちろん知りません。

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― 新着の感想 ―
[一言] あーそりゃとっとと娶れ言うわ。
[一言] お市の結婚遅れたのは戦争しすぎで忙しかったからじゃね
[一言] 秀吉は勝家とお市の仲人みたいなことをしてるので、お市に惚れていたってのは違うかと思ってる
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