十面埋伏(間章 半兵衛 最終話)
半兵衛と重元が稲葉山城に登城すると、大勢の武士がいた。何故か兜甲冑を纏った者がいる一方で、元服前の子供を連れた者までいた。その両者が和気藹々と会話をしているところを見るに、変事があったとか、何かから子供を連れて逃げてきたとかではないようだ。
訝しそうに周囲を見回していると、狩衣姿の安藤守就が表れた。
「おお婿殿、来られたか!」
「これは伊賀守様、此度はお世話になりまする」
「なに、儂が好きでやっておることよ。それより策の方の自信はあるのかな?」
「はい。渾身の策を用意してまいりました」
道理の分からぬ凡俗どもだけでなく、半兵衛自身も納得する会心の策である。この策を用いれば、十に八か九は信長を打ち取れるだろう。
「それは重畳、重畳」
守就は機嫌良さそうに笑っていた。
「……ところで、なにやら大勢詰めかけているように見えますが、何かあるのでしょうか?」
「何を言うておる! 皆婿殿を見に来たのじゃ」
「は? ……では皆様軍議に御出になられるので?」
「そうじゃ。実は儂が噂を流しておいたのよ。面白がった者たちが押しかけるようにな」
「伊賀守様……」
半兵衛が非難の目を向けると、守就は苦笑を浮かべた。
「架空の軍議と聞いてわざわざ見に来るような者は、皆戦好きな者たちよ。婿殿の策を気に入ってくれようし、そうなれば殿も言い逃れできまいて」
「……なるほど」
政治である。兵法書を読んだだけの半兵衛は、こういう面では守就に遠く及ばなかった。
「しかし、子供までおりますぞ」
重元が問うと、守就は呵々と笑った。
「殿の発案だ。折角の機会故、見学を許したのよ。いきなり家督を継いだり、父親が病で代理を任されることもあると仰ってな」
「なるほど」
重元は頷いた。試しのことは別にしても、悪くない催しかもしれない。半兵衛にも良い経験になるだろう。
二人が守就に連れて行かれたのは広間ではなく庭だった。そこには陣幕が張られ、入り口には昼間なのにかがり火まで焚かれていた。
中に入ると既に上座には床几に座った龍興がいた。狩衣に陣羽織を纏っていた。若い。だが大きい。義龍も大柄だったが、まだ若年の龍興にもその片鱗が見える。
龍興は鎧兜を纏った壮年の男と何やら和やかに話をしていた。時折別の者が挨拶に訪れては、一言二言会話をして離れていく。世馴れた雰囲気があった。
――田舎でひっそり育てられていたと聞いたが、これはどういうことだ?
ここにいる皆が国人、あるいは一色家の重臣である。この場に則して言うならば、大小の違いはあれど皆が兵を率いる将である。だが龍興は泰然としてその将たちを従えていた。すでに大名の、つまり将の将たる風格が備わっていたのだ。
実は半兵衛は半年ほど前に龍興の顔を見ていた。竹中家のような国人とその嫡子が10人ばかりまとめて御目見得したのだ。顔を見て、名を名乗って、平伏しただけだったが。その時も年の割に大きいと思ったが、今はそれ以上に大きく見える。子供だから半年で大きく育ったのか。それとも、この半年の経験が彼を大きく見せているのか。
――この方があのような策を考え出されたのだろうか?
知に優れた配下が考えたのかもしれない。しかしそのような人物がいるとは重元からも守就からも聞こえてこない。となれば、やはり本人が考えたのではあるまいか。
陣太鼓が鳴らされると、人々が続々と陣幕内に入ってきた。龍興が立ち上がると声を張り上げた。。
「皆の者、よくぞ参った。危急存亡の折にこの稲葉山に駆けつけてくれたこと、この龍興、礼を申す」
芝居がかった口調だが、その顔は明らかに面白がっていた。聞く方も初めての試みにお祭り気分が伺えた。緊張しているのは、半兵衛と重元と、見学に連れて来られた子供たちばかりだろうか。
「まずは今までに分かっていることを伝えよう。徳四郎」
「はっ!」
龍興が促すと、鉢巻きをした小姓が前に出た。
「まずは5日前のX月X日、尾張全域に陣触れ(注1)が出されました」
小姓が書状を片手に次々に情報を並べ上げた。内容は半兵衛に届いた物と一字一句同じである。
「して半兵衛、如何考える?」
「はっ」
遂に半兵衛の出番だ。陣卓子(注2)に広げられた絵図面(地図)に歩み寄ると黒の碁石を置いた。まずは物見の報告から状況の推測を行う。
「織田の本軍は清洲から出立し、順に兵を糾合しております。物見の知らせでは、すでに多数の船が集められているとのこと。恐らく木曽川を渡るのはこのあたり。船橋をかけるものと思われます」
半兵衛は乗馬鞭の先で絵図面を示した。一番迷いそうな渡河点と渡河方法だが、事前に知らされた情報ではっきりとしていた。そうでなければ議論がまとまらないから、実戦でも重点的に調べる情報でもある。違和感はない。
「そしてここより稲葉山の間には遮る城がありませぬ。街道こそありませぬが、この時期であれば田畑がぬかるむこともありませぬ。まっすぐ稲葉山に向かい、美濃全土より兵が集まる前に戦に臨むものと思われます」
一気に言い切ると諸将を見回した。頷くものはあれど、異論を唱えるものはいない。問題はここからだ。
「この稲葉山城はたやすく落ちることはありません。籠城して援軍を待ち、城の内と外から敵を挟むのが常道。まず負けることはありませぬ」
そう言って周りを見回すと、今度は皆拍子抜けしたという表情をしていた。当たり前だ。鳴り物入りで集まったのに、当たり前の話を聞かされたのだから。だから半兵衛は続けた。
「……故に敵は、こちらが野戦に打って出るとは思っておりませぬ。少なくとも、稲葉山への進路を塞ぐような戦いはせぬと考えましょう」
このあたりに自然の要害となるようなものは川だけだ。木曽川を渡ってしまったのなら、稲葉山まで遮るものは人工の城だけとなる。だがそれもない。もし他の城を攻めるのならば、城によっては兵を収容しきれずに外で迎え撃つ場合もあるだろう。だが稲葉山には一万の兵でも入れることが出来るのだ。わざわざ敵が攻めてきてくれるのに、打って出る必要はない。当然、籠城するものと考える。
「故に我らは小さく兵を分け、進路から外れた林や森に兵を伏せます」
そう言って半兵衛は、兵を伏せるべき場所を示しながら列挙した。
「ここには社があります。鎮守の森に500は伏せられるでしょう」
「ここには竹林がありますが、兵は100が限度でしょう」
「ここは戦場から遠いですが、1000は伏せられます」
そしてそれぞれの場所に兵の多寡に応じて白の碁石を置いていった。地元の者だろうか、「ほう」と感心した声がいくつも上がった。
そして半兵衛は渡河点に置いていた黒石を手に取った。
「そして織田軍がここに到達した時……」
言いながら半兵衛は手の中の黒石を縦に並べた。戦を想定していない以上、隊列は縦に伸びる。白石に囲まれた中に細く並ぶ黒石は、いかにも無防備だった。
「南の4隊を除いて一斉に襲いかかります」
そう言って白石を一斉に黒石に寄せた。だが南の白石はそのままだ。敢えて寄せない。
「半包囲された織田軍は縦列のままです。ろくに抵抗もできず撤退を開始します。その目的地は船橋です」
歩いて川を渡ったのならともかく、わざわざ船橋を架けて渡ってきたのだ。帰りも船橋を渡ろうとするのは当然である。その方が安全だからだ。実際、徒歩での渡河中に攻撃を受けて大打撃を受ける例は枚挙にいとまがない。
「そしてその退路を……この部隊が塞ぎます」
敢えて残しておいた白石を黒石の道を塞ぐように置く。
「するとそれを逃れようとした織田兵は、この竹林を影に回り込もうとするでしょう。これも討ちます
こちらの街道に逃れようとする者は、この傍らの鎮守の森から打って出て仕留めます」
既に場は静まり返っていた。戦場の経験のあるものはありありと、そうでない者もそれなりにその場の光景を想像してしまったのだ。
「さらに戦場から外れたここの部隊は、戦が始まり次第船橋に急行していただきます。そして焼くなり打ち壊すなりした後、その場に留まって落ちてくる織田兵を討っていただきます」
どこからか「そこまでやるか」という呟きが聞こえた。
「一戦にて決着をつける。これはそのための策にございます」
そう言って半兵衛が頭を下げると、皆がほうっと息を吐くのが聞こえた。いつの間にか皆が半兵衛の言葉に飲まれて息を忘れていたのだ。そして今、興奮が感動に変わりつつあった。
「お見事っ!」
守就が手を打って立ち上がると、皆が次々に半兵衛を褒めそやした。龍興を見るが、彼も満足そうに頷いていた。
ーーやった! 成し遂げた!
半兵衛は顔を伏せながらも、右手をぎゅっと握りしめた。その彼に頭の上から声がかかった。龍興だ。
「半兵衛、見事だ。伊賀守(守就)が惚れ込むのもよう分かる」
「はっ! 勿体ないお言葉です!」
「この策の目的は上総介当人を討つことだ。違うか?」
「はっ、一戦にて決着をつけるには信長を討つほかありません」
ただの勝利ではダメなのだ。それではいずれ美濃は織田に制される。桶狭間の今川義元のように、織田信長を討たねばならないのだ。それを龍興は理解している。半兵衛にはそれが分かった。しかし次の一言は予想外だった。
「だが曹操は袁紹を討てなかった」
半兵衛ははっと顔を上げた。なぜここで曹操と袁紹の名が出るのか。その故事を知るのは半兵衛ただ一人のはずだった。しかし龍興は知っていたのだ。その証拠に、突き出された龍興の左の掌には4つの文字が書かれていた。
『十面埋伏』(注3)
「…………!」
半兵衛の脳裏に赤壁の戦いの逸話が思い出された。孫呉の周瑜と蜀漢の諸葛亮が曹操を迎え撃つ方法を論じあった時、互いに自分の考えた策を掌に書いてから見せ合ったという逸話だ。龍興はこの場に現れる前から、半兵衛が考えた策を看破していたのだ。
「半兵衛、そなたは確かに頭が切れる。そなただからこそ、この策を考えられた」
龍興の声は勝ち誇るようでも嘲るようでもなく、むしろ労うような優しい声音だった。
「だから信長の立場に立って考えてみろ。相手は自分を殺さなくてはならない、という前提で」
「…………」
半兵衛には龍興が何を言っているのか分からなかった。
「なぜ信長が陣中にあったか。なぜ船橋を架けたか。なぜここで木曽川を渡ったか」
「…………」
半兵衛は忙しく頭を働かせた。兵を鼓舞し、速攻で稲葉山を攻めるには妥当な選択だ。他に何がある? 何かはあるのだ。龍興は半兵衛が十面埋伏の計を献策すると予想出来ていた。なぜか? ……半兵衛がそう考えるように、敢えて状況を整えたからだ!
信長が陣中にあり馬印を立てれば命を狙ってくるのは必定。
船橋を作れば渡河する場所も、退路も明らかだ。
そしてそこから稲葉山まで城が無ければ、兵は伏せることになる。
「……ま、まさか、最初から……!?」
弾かれるように腰を浮かせた半兵衛に対し、龍興は深く頷いた。
「そうだ。お主が十面埋伏の計を考えることは、最初から分かっていた」
龍興の言葉に浮かせかけた腰が床几の上に落ちた。正に掌の上だ。西遊記の斉天大聖のように、世界の果てと思った場所は釈迦の掌の上だった。(注4)
「……信長であれば、この伏兵、すべて各個に撃破するでしょう」
それは半兵衛の降伏を示す言葉だった。だが龍興の言葉は容赦なく続いた。
「半兵衛、倉亭の戦いでは曹孟徳は背水の陣を敷いた。そうだな?」
「……はい」
「背水の陣というのは、大河を背にして戦うことで兵に決死の覚悟をいだかせること。だが、それだけではない。本来はそうやって敵の目を引き付けている間に別働隊に敵の本拠や本陣を攻撃させる策だ」
「…………」
ーー何の話だ?
打ちひしがれて一旦考えることを止めていた半兵衛の頭脳が再び動き始めた。この流れでこの発言ということは、別働隊とは美濃側の伏兵ではないだろう。状況を作ったのは信長なのだ。別働隊も織田の兵と考えるべきだろう。
「……しかし、織田にこれ以上の兵はありませぬ。あとはせいぜい東西国境に張り付けた兵だけです」
当然その兵力を引き抜くことは出来ない。そんなことをしたら、稲葉山を落としている間に清洲が落城しかねない。だが龍興は首を振った。
「いるではないか」
そう言って龍興が示したのは犬山城。尾張において唯一信長と敵対している織田信清の居城であった。
「……信清が敵になったと? 馬鹿なっ!」
そのような都合の良い情報は前提に無かった。それでは盤外から三枚目の飛車を持ち込むようなものである。思わず反駁しようとする半兵衛を、龍興は笑って制した。
「違う、違う。俺が信長ならこう言うだろう。信清殿、和睦をしよう。まずはその条件を決めるまで兵は下げさせよう。なんならその間の兵糧も差し上げようぞ、と」
半兵衛は愕然として龍興を見た。信清は籠城している側なのだ、必ず受ける。そして信長は犬山城に貼り付けていた兵を自由に動かせるようになる。その兵はもともと布陣していたものだ。陣触れに応じた兵とは別のものである。すべての勘定の外であった。
つまり、別働隊はあり得る。いや、龍興の話を聞いた後では必ずあると思えた。
ゴクリ
思わず喉が鳴った。もしこれが本当の戦であれば、野戦で大敗を喫しただけではすまない。
ーー信長自身を餌にして我らを野戦に引っ張り出し、伏兵を各個撃破して、その退路を別働隊が塞ぐ。眼の前で本軍が壊滅するさまを見せられた守備兵が、いったいどれだけ稲葉山城を守れるだろうか……
「一戦にて決着をつける。これはそういう戦いだ」
つまり、稲葉山城は落ちた。龍興はそう言っていた。
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その夜、稲葉山城下の安藤家の屋敷では、守就と竹中親子が酒を呑んでいた。
「残念だった。残念だったが、見事だった!」
守就は慰めるように声をかけた。実際に彼の目には半兵衛の策は見事に見えた。龍興が何も言わなければ、喜んで伏兵になっていたに違いない。きっと皆も同じように思ったはずだ。だが半兵衛は沈んだままだった。
「いえ、私など……右兵衛大夫様の足元にも及びませぬ」
「そう、それよ。まさかあのように切れる方だとは思いもよらなんだ」
守就が話の先を逸らすと、重元も考え込むように応えた。
「能ある鷹は爪を隠すというやつか。あるいは菊千代様(義龍の嫡男で龍興の弟)がご存命なら、謀反を起こして家督を奪うつもりであったやもしれん」
「……ありうるな。あれほどの才気、一国人では収まらぬ」
「だが、それならなぜ、一色家を織田に明け渡そうとするのだ……?」
聞くともなしに聞きながら酒を呑んでいた半兵衛は思った。
ーーあれほどの才気、一大名では収まらぬからだ
そうとしか思えなかった。では、龍興は何を志しているのか。大名になるより優先すべきこととは何か。
ーー分からない。私には、何一つ分からない……
自分は道理も分からない只人だったのだ。今日、それが分かった。
ーーそうか、自分が只人だということ。それが道理だったのか
おかしくて思わず口がほころんだ。何もかも失った気分だったが、得たものもあった。
ーー自分は師を得た。生涯目標とすべき師を得られたのだ
半兵衛は杯を置くと重元に向き直って威儀を正した。これは許嫁の父である守就の前で言うようなことではないだろう。あるいは破談になるかもしれない。だが彼は迷わなかった。
「父上、竹中家の家督ですが、弟に継がせて頂けませぬか」
注1 陣触れ
近現代の兵制では国家が集めた兵隊を選ばれた将軍に指揮させるという方式ですが、中世以前は洋の東西を問わず貴族が自分の領地で集めた兵を率いるのが普通でした。
国家単位で動く場合は、王が配下の貴族に「兵を集めろ」と命令を出して、集まった貴族軍を率いる感じです。例外はありますが。
日本の戦国時代の場合も同じで、大名が出す「兵を集めろ」という命令が「陣触れ」です。
貴族にあたるのが国人領主で、支配下の村落に対して「●●村は何人の兵を出せ」と命令を出し、村は寄り合いで誰が行くか決定します。というか、予め「陣触れがあったら誰と誰が行く」と決めてたようですが。
当然、村落単位の小部隊が出来ます。これが国人領主の本拠地に集まって基本単位の部隊が出来上がります。
で、国人領主が部隊を率いて陣触れで指定された場所に行き、「木下藤吉郎、○月○日○刻、兵300を率いて到着しました」と報告するのが「着到」です。
そして全ての国人領主が着到してから「出陣式」を行って、ようやく出陣です。うーん、面倒くさ。
もうね、陣触れの段階でバレバレです。農村にまで広く知らせるんだから当たり前。特に濃尾のように人の往来の多いところでは秘密にするのは無理なんです。奇襲のしようが無かったんですよ、この仕組みでは。
もちろん国人領主の部隊とは別に、大名は馬周り衆というのを抱えていました。これは常雇いの武士集団で、いわば近衛兵です。だからこの部隊だけなら、こっそり出陣して奇襲を掛けることも出来なくはありません。
でもね、米大統領がシークレットサービスだけを率いて戦いに行くようなもんですよ? 人数が少ないし、装備が違うし、コストがすごーく高い。それでも戦いに行くのだとしたら、男と女の退くに退けない秘密の戦いだけでしょう。もっともJFKは敵を誘き寄せてホワイトハウスで迎え討ったそうですが。
そう考えると、信長が銭で足軽を雇って訓練したのは本当に革新的です。安くて、早くて、上手いのです。きっと牛丼屋チェーンを経営しても成功したでしょう。
この常備兵の兵制が進むと、旧来の国人領主を基本とした兵制では後手後手に回らざるを得なくなります。
戦術以前の軍政の話ですが、だからこそ影響は大きく、他の大名も簡単にマネることは出来なかったのでしょう。主にマネーの問題で。
注2 陣卓子
陣楯(巨大な俎板みたいな設置型の盾)を横にして並べた仮のテーブルです。
名前を知らなかったのでググりましたよ、ええ。だって時代劇でも、「そこの床几に座れ」というセリフはあっても、「そこの陣卓子の上に広げた絵図面で説明せよ」とかいちいち言わねーもん。
で、検索結果に出てきた中にコスプレ用本陣セットなるものが……。うん、素晴らしい。確かに本陣っぽい。でもテーブルが布製で陣楯じゃない。
改めて「陣卓子」で検索したら、たぶん映画撮影やイベント用に貸し出してる会社のページに行き当たりました。木製の陣楯使ったヤツも「陣卓子」で正しいようです。
注3 十面埋伏
半兵衛と言ったら、稲葉山城乗っ取りと十面埋伏陣と結核ですよね。
結核は違う? いえいえ、早死にしたから評価高いんですよ。老害になったらダメ、ゼッタイ。
で、十面埋伏陣っていうのはどういうのかというと、文字通り十部隊を伏兵にする戦術です。
予め敵が通ると分かっているところに細かく分けた部隊を伏せておいて、敵が通り過ぎてから一斉に、あるいは時間差を付けて攻撃します。
この説明を聞いてまず最初に思い浮かぶのが……なぜか横山水滸伝。大昔に読みました。
なにしろ108人ものキャラを使わなくてはならないので、一気に10人を使える十面埋伏は水滸伝向きなのですね。(メタ的発想)
それに時間差で次々に攻撃を仕掛ける所なんて、いかにも山賊っぽい。官軍からすると複雑な作戦行動に見えますが、実は単に統率が取れてないだけですよ、たぶん。遅刻厳禁です。
それでも先に包囲しちゃうので、だいたい勝てちゃうのが十面埋伏陣です。やっぱ遅刻してもOK。山賊はフレックス制ですから。
漫画じゃなくて元祖水滸伝でも十面埋伏陣って言ってるみたいですけど、あれは封神演義や西遊記なみにワケ分からなそうで読みたくないのです。(※個人の感想です)
一方で三国志演義では、3万の曹操軍が30万の袁紹軍を破った「倉亭の戦い」で十面埋伏陣が出てきます。
ちなみに半兵衛は今孔明と呼ばれたそうですが、策を献じたのは程昱です。孔明は関係ありません。どこから出たんだ孔明。
ともかく「倉亭の戦い」では、曹操軍は背水の陣を敷いて袁紹軍を敗退させた上で、その退路に配置した伏兵が襲いかかったことになってます。
撤退時に伏兵が現れれば動揺しますからね。例え数が少なくてもワーワー騒いで突撃すれば、相手もワーワー騒いでくれるので数を多く見せられます。それをあっちこっちでやるのですから、「すわっ、大軍が伏せていたかっ!?」となるわけです。
それに既に逃げてる途中なので、さらに逃げることに対して心理的障壁が低い。五十歩百歩の悪い面が出て、五十歩撤退してた人が「あと五十歩撤退しても一緒だろ」と思って逃げ散ってしまう訳ですね。絶対に五十歩では済みませんけど。
斯くして30万の大軍だった袁紹軍は大打撃を受けるのでした。めでたし、めでたし。
……でもね、まず最初に背水の陣で勝てるの? もともとの背水の陣って、兵に決死の覚悟をさせるためだけじゃなくて、敵の注意を引いている間に別働隊が敵の城なり本陣なりを突く作戦でしょ?
敵の10分の1の兵しかなくて、有能な武将を10人も別働隊に送り出して、それでガチンコして、なんで勝てるの? そこで勝つための作戦が一番重要なんじゃないのっ!?
まあ、演義ですから。小説ですから。歴史空想ファンタジーSFですから。正史の魏史には「勝った」って書かれてるだけなんですって。だから本当はたまたま旅行に来ていた孔明が献策した可能性も微レ存。
あるいは別の孔明さん?
(参考:『じゃない孔明転生記。軍師の師だといわれましても』 https://ncode.syosetu.com/n9160gn/) ←面白いです
注4 釈迦の掌の上
封神演義と西遊記はホントにアレなので絶対に文字では読まないと誓っているのですが、西遊記のドラマは子供の頃に再放送で見てました。
斉天大聖を名乗る堺正章……じゃなくて孫悟空がイキって天界でいろいろと悪さをするのですが、お釈迦様に「私の手のひらから出られれば、天界の主にしてやろう」と言われます。
悟空が筋斗雲で飛んで行くとその先に五本の柱が見えたので、「ここが世界の果てだろう」と考えて、どこぞの不良みたいに「斉天大聖参上!」とか落書きしてマーキング(立ちション)して帰りました。
悟空は「俺の勝ちだ!」とイキりますが、お釈迦様の指には「斉天大聖参上!」の下手な文字が! そしてお釈迦様の額には血管が!
小便をかけられて怒るのは竹中半兵衛だけじゃないのです。そして石牢に閉じ込められるのも黒田官兵衛だけではありません。
憐れ悟空は、三蔵法師が来るまで500年間も石に閉じ込められたのでした。めでたし、めでたし。
この話を見た時私は思いました。
お釈迦様……指の形おかしくね?
注5 別働隊
ホントかどうか分かりませんしこの戦いの時かも分かりませんが、美濃攻めの戦で信長が進退窮まった時、秀吉が機転を利かせて農民(または川並衆)に松明を持たせて尾根伝いに稲葉山城に向かったという逸話があります。
斎藤方は「すわっ、敵の別働隊かっ!?」と慌てて撤退したとか。後でその話を聞いた半兵衛が「尾張にも知恵者がいるものだ」と感心して、後々の伏線になるわけです。
でも、ちょっと待って。
松明が目立つってことは夜だよね? さすがにもう逃げ切れてるのでは? ていうか、夜まで包囲下に留まって抵抗出来てるのなら、陣形が崩れてないって事でしょ? その状態で暗くなったら、自然と休戦になってると思うのですよ。
更に言えば、稲葉山は他の山に尾根が繋がってません。他の山の尾根まで登っても、一旦平地に降りてからまた一から山登りすることになります。余計に疲れますわ。
陽動にはなったかもしれませんけど、守備兵だけで楽々対処出来そうです。
少なくとも慌てる必要は無いと思いますけどね。